親思う心に勝る親心 #2
翌朝、クロムが目を覚ますと、アンバーはすでに着替えを終えていた。
部屋の窓を開けて、遠くに見える町の中央にある尖塔を見ているアンバー。
旅に出てからのアンバーは、早起きをしても特にやることがなく、このように遠くを見ていることが多かった。
しかし今日は、いつもと違うような雰囲気を醸し出しているように、クロムには見えた。
ベッドから降りたクロムは、そのままゆっくりとアンバーの横に立つ。
少しずつ春の日差しがさしていく町を見ながら、クロムは問いかけた。
「何を見ているの?」
「見えなくなっちゃったなあって。住んでいた村のある山が」
「もしかして、帰りたくなっちゃった?」
アンバーは、首を振ってそうではないと答える。
「村の外で、父さんや母さんに会うのが、なんか不思議で」
「アンバーちゃんのお父さんやお母さんって、どんな感じなのかなあ」
「多分、優しいと思います」
「わかる。そんな気がするよ」
そういうと、クロムはにっこりと微笑む。
こんな素直に育ったアンバーの両親が、優しくないわけがないと、クロムには思える。
しかしアンバーには、両親が優しいからこその悩みがあり、後の面会時に起こることを想像すると、気が重くなってしまうのだった。
一通り会話を交わすと、クロムは窓に腰掛けた。
アンバーは、窓の近くにある小さな椅子に座る。
そして二人は、窓から町の外を眺めていた。
少しずつ上る陽の光に照らされて、部屋から見える町並みも少しずつ明るくなっていく。
ところどころで鳥たちが飛び回り、路地裏には早起きの猫が散歩をしている。
ゆっくりとした時の流れの中に、二人は身を任せていた。
気がつくと、窓のすぐ下の道を農夫たちが農具を持って歩いていた。
おそらく、朝一番で収穫しないといけない野菜を育てている人たちだ。
クロムたちの部屋の外からも、人の気配が感じられる。
もう、食堂で朝食が食べられる時間になっているのだろう。
クロムは、窓からぴょんと飛び降りると、少しいたずらっ気のある表情でアンバーに問いかけた。
「さて、そろそろお寝坊なおじさまたちを、起こしに行きますか」
「はい」
「お腹も空いてきちゃったし、ご飯も食べに行きましょう」
そういうとクロムは、いつもの服に着替えた。
カバンをかけて部屋を出ると、アンバーがそれに続く。
そして、すぐ隣の部屋の扉を叩いた。
「師匠ー、オリーブさーん、朝ですよー」
何度か呼びかけたけど、返事はない。
おそらく二人とも、まだ寝ているのだろう。
そう結論づけたクロムは、先に食べようかとアンバーを促す。
ついていっていいのか一瞬ためらいつつも、結局アンバーはクロムと一緒に食堂へと移動した。
食堂はクロムたちと同じような、早起きの泊まり客で賑わっていた。
クロムは辺りを見渡すと、ちょうど四人がけのテーブルが空いている場所を見つけて、そこに座った。
アンバーも、クロムと向かい合わせの席に座ると、ちょっと落ち着かない感じで、あちこちを眺めていた。
給仕の人がやってくると、何も頼まないうちから、パン、サラダ、そして果実水をテーブルに置く。
どうやらこれは、宿泊客へのサービスで、追加があれば注文する仕組みらしい。
「私はちょっと物足りないから、燻製肉とスープを頼もうかな。アンバーちゃんも何か追加する?」
「あ、私は、これだけあれば、十分です」
「そうなの。遠慮しないで、いっぱい食べていいんだよ」
アンバーは、どこか小夜亭のポルカと似ている、と思っているクロムだが、食が細いところは似てないなと思っていて、こうやっていつもうながしている。
「たくさん食べたら、クロムさんみたいに大きくなれますか?」
「もちろんだよ」
クロムは背丈のことを言われたと思って答えていたが、アンバーはどちらかというと、クロムの豊かな胸の方を見て、大きくなれるかと聞いていた。
そんな些細なすれ違いに気づくことなく、クロムはサラダを皿に盛りながら話を続ける。
「そういえば、私が子供の頃は、お母さんがたくさんご飯作ってくれたなあ」
「クロムさんのお母さんは、どんな方だったんですか?」
「そうあらたまって聞かれると、どうだろう。普通の母親だと思うよ」
「でも、魔法の勉強をさせてくれたんですよね」
「うん。それは結構、感謝している。おかげでアンバーちゃんと、出会えたからね」
そういうとクロムは、アンバーにウインクをする。
不意打ちに、アンバーは顔を少し赤らめて、そしてそれに気がつくと恥ずかしくなって顔をうつむけた。
「ねえ、部屋でも少し聞いたけど、アンバーちゃんのお父さんやお母さんは、どんなふうにアンバーちゃんに接してくれていたの?」
給仕の人が持ってきてくれた燻製肉を口にしながら、クロムはアンバーに両親について聞き返した。
それは聞かれたから聞き返した、くらいの軽い問いかけだったのだけれど、アンバーは少し考え込んでしまう。
もしかして聞いてはいけない質問だったかと思い、慌ててクロムはフォローを入れる。
「あ、言いにくいんだったら、無理に答えなくてもいいよ」
「いえ、そんなことはないです。父さんも母さんも、いつも優しいです。けど……」
「けど?」
クロムが聞き返すと、珍しくアンバーが言い淀む。
そして、少し間を置いてから、話を続けた。
「……父さんと母さんは、毎年冬はこの町に出稼ぎに来ています」
「うん、知ってるよ。だからこの町に来たんだよね」
「はい。しばらく会えなかった父さんと母さんに会うと、いつも私は甘えてばかりです」
「甘えるのは悪いことじゃないよ。私もアンバーちゃんくらいの時は、甘えてたと思う」
「でも、思い返してみると、私から何かをお願いしたことって、ほとんどないなって、思ったんです」
一番重要なことを言えたと思ったアンバーは、一旦話の区切りを入れると、テーブルの上のパンに手を伸ばした。
「なるほどねえ。だから、今日お父さんとお母さんに会いにいくのに、緊張しているってわけか」
「クロムさんは、お父さんやお母さんに何がお願いしたことってありますか?」
アンバーの問いかけに、クロムはうーんと首をひねる。
「そう言われると、結構わがままだったかなあ」
「意外です」
「ご飯は何が食べたいとか、出かけた時にはあそこに行きたいとか、色々言っていた気がする」
「へー」
「でも、三回に一回くらいは、それは無理よ、って断られていた気もするなあ」
「ふふふ」
たわいもないお願いをたくさんしていたクロムを想像して、ついついアンバーは笑ってしまった。
ちょっと緊張が解けたアンバーを見ると、クロムもいい気分になる。
そして、最後に伝えたいことを伝え始める。
「大きくなって思うけど、親って子供の頼み事は、とりあえずは聞いてみようって考えるものなのかもしれないよ。だからアンバーちゃんも、まずは旅に行くことをお願いしてみよう」
「はい」
「そう言えば、私もジュリアード魔法女学園にいく、っていう時は、だいぶ緊張したなあ」
「お父さんやお母さんは、なんて返事してくれたの」
「よく覚えているよ。クロムが決めたことなら反対しない、頑張っておいで、って言われた」
「素敵ですね」
アンバーは、その瞬間のことを想像して、改めてクロムに憧れを感じていた。
そして、私はちゃんと父さんと母さんに、自分のしたいことを伝えられるだろうか、と考えていた。
そんなアンバーの気持ちに全く気づいていないクロムは、美味しそうにパンを食べていた。
「ちょっとお、あたしたちの分は、ちゃんと残っているんでしょうね」
クロムとラーセンが振り向くと、ようやく起きたオリーブとラーセンがそこにいた。
オリーブはアンバーの横に、ラーセンはクロムの横に腰掛ける。
「残念でした。今のパンが最後ですー」
「相変わらず、大喰らいなんだから、まったく」
「起こしたのに起きない方が、悪いんですよ」
オリーブが手をあげて給仕を呼び、追加のパンと燻製肉を注文する。
ラーセンは、ぬるくなってしまった果実水を口にして、クロムに何か話しかけている。
アンバーは、この三人と一緒だったら、勇気を出して両親に、一緒に旅をすることをお願いできるかもと思っていた。
食事を終えた四人は、身支度を整えて部屋を出た。
ラーセンを先頭に、四人は町の中程にある領主の館を目指して歩いていく。
領主は、この町の周りにある農地の地主でもあり、この領主のもとでたくさんの農夫が働いていた。
田畑を借りて作物を育てる農夫以外に、日雇いで働く人たちも領主は受け入れていた。
アンバーの両親も、山で仕事ができない冬の間、さまざまな畑仕事や雑務などをこの町でこなしているらしい。
しばらく歩くと、塀に囲まれた大きな建物が見えてきた。
「あそこだな」
ラーセンは、地図と目の前の風景を照らし合わせながら、アンバーの両親が働いている建物を確認した。
その声を聞いて、アンバーは魔法の杖をしっかりと握り直した。
アンバーに取って魔法の杖は、単なる道具ではなく、気持ちを落ち着けるお守りのようなものでもあったのだ。
解放されている門を潜ると、塀の中はかなり広かった。
まっすぐ伸びる道の正面には、おそらく事務所であろう二階建ての建物が見える。
その両脇には、大小さまざまな倉庫が、幾つも幾つも並んで立っていた。
いくつかの倉庫は扉が開いており、中には最近収穫したであろう麦の束が高く積まれていた。
他の倉庫にも、収穫したばかりの作物を持った農夫が、ひっきりなしに出たり入ったりしている。
そんな農夫たちを横に見ながら、ラーセンたちは建物の中に入っていった。
ラーセンは受付嬢に、アンバーの両親に会いにきたことを伝える。
受付嬢は、手元の書類を確認すると、奥にある来客用のスペースにラーセンたちを案内した。
程なくすると、若い二人の男女がやってきた。
男性は、長身で引き締まった体つきをしている。
腕力がある、というよりは持久力がある雰囲気だ。
女性は、アンバーと同じ茶色の髪の毛をしているが、その髪は長く、後ろで簡単に束ねている。
おそらく、事務作業の邪魔にならないようにしているのだろう。
二人は、ラーセンたちの近くまでやってくると、挨拶を始めた。
「初めまして。アンバーの父のロンドと申します」
「同じく、母のバガテルです。娘がお世話になっています」
そう言って会釈をするアンバーの両親に、ラーセンも答える。
「私は、ラーセン。昨日、言伝を頼んでいたのでご存じのことと思うが、娘さんのことでご相談があり、お二人に会いに来た。まずは、座られよ」
そうして、全員が席につくと、まずはバガテルがアンバーに話しかけた。
「アンバー。こんな遠い町まで、大変だったでしょう? 疲れていない?」
「はい」
「ご飯はちゃんと、食べられている?」
「大丈夫、食べてるよ」
「そう、それならよかった」
緊張と恥ずかしさからか俯いてしまったアンバーを、バガテルは微笑んで眺めている。
続いて、ロンドがラーセンに話しかける。
「この度は、娘を連れて来ていただき、ありがとうございます。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ラーセンは答える代わりに、村長から預かっていた手紙を懐から取り出し、ロンドに手渡した。
ロンドはバガテルと一緒に、その手紙をじっくりと読んでいる。
アンバーは緊張しながら、そんな二人を上目遣いに眺めていた。
手紙を読み終えると、ロンドは手紙を閉じてラーセンに返した。
そして、アンバーの方を向いて質問を始めた。
「こんな遠いところまでよく来れたね。おじいさん、いや村長は元気だったかい」
「はい。おじいもおばあも、いつも優しいです」
「それはよかった」
「さて、手紙にも書いてあったんだけれど……」
そういうと、ロンドは少し固い表情をして、アンバーを見つめる。
「お父さんとお母さんに、お願いしたいことがあるんだよね。話してもらえるかい?」
「あ、あの……」
アンバーは、魔法の杖をぎゅっと握りしめる。
おじいさんにはちゃんと言えたし、宿でもクロムに色々相談に乗ってもらったので、大丈夫。
そう思ってはいたけれども、いざそのお願いをしようと思うと、口から言葉が出てこない。
そんな自分自身にいたたまれなくなってしまったアンバーは、席を立つとかけだしてしまった。
「あ、待って、アンバーちゃん」
クロムが、慌ててその跡を追う。
失礼します、と謝りを入れて、バガテルも席を立ち、二人が立ち去った方向へ歩いていった。
気まずい静寂がその場を覆う。
その静寂を破るように、ロンドが話し始めた。
「すみません、なにぶん幼い娘なので……」
「いや、気にしてない」
ロンドが謝ろうとするのを、ラーセンがさえぎると、ロンドは話を続けた。
「皆さんのことは、手紙にも書かれていましたし、実際にお会いしてそのお人柄は理解できました。娘を預けることに、不安はありません。ただ……」
ロンドは、一呼吸入れてから、アンバーが立ち去っていった方向に振り向いた。
「何分アンバーはまだ幼いです。冬場はこの通り会うこともできず、その分余計に山では甘やかしてしまうことも多かったです」
「でも、アンバーちゃんは、とっても良い子に育っているわよ」
オリーブがアンバーのことを褒めると、ロンドはお礼のように頭を下げる。
「はい、親の目から見ても、アンバーは良い子に育っていると思います。ただ、親元を離れて暮らせるほど強いかと聞かれると、少し自信がないのです」
「確かに。本当だったらまだまだ甘えたい盛りの年ですものねえ」
「ええ。今日だって本当は、バガテルに抱きついて甘えたかっただろうに、それを我慢しているような雰囲気も感じられました」
ロンドはそういうと、もう一度手紙を手に取ってラーセンに問いかけた。
「手紙によるとアンバーは、私たちが若い頃に村にいた魔法使いに会いたいということなのですが、それはどういう意味でしょうか」
「一言で言うと、娘さんはやりたいことを見つけた、と言うことでしょう」
「ほう」
「私たちは、それぞれ魔法に関する研鑽を深めると言う目的を持って、旅をしています。娘さんも、私たちと同じく、自らの使う魔法についてもっと上達したいという思いを持った、と言うことです」
「私たちは、その魔法使いの魔法しか見たことがないのですが、アンバーは、皆さんと一緒にその研鑽の旅ができるほどの力はあるのでしょうか?」
実際にアンバーが魔法を使うのを見たことがないロンドは、その点については何も判断できるものがなく、一番ラーセンに確認したいものであった。
「村にいるときに、一度だけ娘さんの魔法を見る機会があった。彼女の使う魔法は、我々魔法使いの間では古代魔法と呼ばれている。それを使いこなせる彼女は、私の目から見て、優秀な魔法使いになれる素養が十分にあると思う」
「なるほど」
「そして、彼女に魔法を教えたというその魔法使い。彼の住んでいた小屋を村長のご好意で見させていただいた。残された資料を見るに、相当に腕の立つ魔法使いと、私には思えた」
ラーセンからの評価を聞いて、ロンドはしばらく考え込む。
そして、ラーセンに向かい合って結論を話し始めた。
「そこまで言っていただけるのであれば、私としては、皆さまと一緒に旅に出て欲しいと思います。ただ……」
「ただ?」
「最終的には、本人の口からしっかりとそのことを私たちに告げること。それを条件にしたいと思います」
「あいわかった」
年端もいかぬ我が娘を、今日初めて会うようなラーセン達に預けても良いというロンド。
そんなロンドのことを、ラーセンは少し尊敬を込めて眺めていた。




