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羊飼いの少女 #1

 高地特有の足の強そうな馬が引く馬車が、ゆっくりと進んでいた。

 街を出発してから、今日で十日目。

 騒がしかった街の雰囲気はすっかり消え去り、馬車の進む街道の周りには、手入れされていない草原が広がっている。

 草原には、夕陽に照らされた馬車の影が、長く伸びている。

 街道の先には、大きな山がそびえているのが見える。

 その大きな山の麓にある小さな村が、馬車に揺られる乗客の目にも映ってきた。


「あの村が今回の目的地ですか、師匠」


 遠くに見える村を指差しながら、クロムは何かが起きる期待感を込めてラーセンに尋ねた。

 本来なら苦痛な馬車に乗っての長距離移動も、旅に出ること自体が初めてのクロムにとっては、楽しさが勝っているらしい。

 ラーセンは、馬車の幌から身を乗り出すと、目の上に手をかざして、クロムの指差す先にある村を見る。


「ああ、そうだろう。訪ねたことのない村だが、話に聞いていた雰囲気と概ね似ている」


 初めてオリーブと会った日の夜。

 クロムが評判の食堂をはしごしていた頃、ラーセンはこの村のこと、そしてこの村に来るための移動手段について、街中で情報を集めていた。

 それによると、月に一度、この村に行く定期便の馬車が運行されていた。

 この村の住人は、場所柄、羊飼いが多い。

 そして、羊飼いの間に伝わる古い魔法について、ラーセンは調べてみたいと思っていた。


「オリーブさん、もうすぐ目的地に着きますってよ」


 クロムは馬車の奥に佇むオリーブに声をかける。

 長旅で馬車に揺られ続けたオリーブは、だいぶ弱っていた。


「わかったから、大きな声、出さないで。頭に響く……」

「村に着いたら、横になれる場所、探しますね」

「頼んだわ、クロちゃん……」


 クロムがオリーブに『あなた』呼ばわりをやめて欲しいと訴えたら、クロちゃんと呼ばれるようになった。

 初めこそ、いくらなんでもと思ったクロムだったが、その呼び名を受け入れるのに、それほど時間はかからなかった。

 オリーブには伝えていないけれども、実は少し気に入っている。


「旦那方、もうすぐ着きますぜよ」


 道行く先々の町や村で、一人、また一人と街からの同乗の客は降りていき、終点であるこの村に着く頃には、乗客はクロムたちだけになっていた。

 ラーセンは、寡黙な御者が話す、この村についての情報を頭の中でまとめていた。


 村は小さく、住んでいる村人は百人程度。

 ほとんどの家では、羊や山羊などの放牧を行っていること。

 羊から取れる毛で作られた毛織物や、山羊の乳で作る発酵食品が、主な収入源であること。

 そして、宿などはないので、村長の家を訪ねて泊まる場所について相談した方が良いこと。

 などなど。


 ラーセンが聞いた話を思い出し終えた頃に、馬車が村の入り口を超えて、小さな広場に止まった。

 乗り賃を払うと、ラーセンは馬車を降りた。

 山から降りてくる冷たい空気が、ラーセンの頬を撫でる。

 広場からは、山に向けて道がまっすぐに伸びていた。

 その道に沿うように、点々と村人の家が立っている。


 広場には、何人かの村人が、珍しそうにラーセンたちを遠巻きに眺めている。

 特に名所があるわけでもないこの村に、外から人がやってくること自体が珍しいのだ。

 ラーセンは、その中の老婆に近づくと、胸に手を当て、一礼をする。

 そして、伝えるべきことを伝え始めた。


「私はラーセン。各地に散らばる魔法の調査をするため、旅をしているものだ。少しの間、この村で世話になる許可をいただきたいと思っているのだが、村長を紹介してはもらえないだろうか?」

「あんたさまは、魔法使い様か」

「様、などと呼ばれるような立派なものではないが、いくばくかの魔法は使える」

「それはそれは、遠いところを、ようおいでくだすった。ちょっとそこで、待っていてくだせえ」


 老婆はそういうと、ゆっくりとした足取りで、この村の中では少し大きめの家へと歩いていった。

 カランカランと、ベルの音が遠くから響くのが聞こえる。

 昼の間、放牧に出していた羊たちが帰ってきたのだろう。

 ラーセンがそんなことを考えていると、先ほどの老婆が、老爺と共にやってきた。


 老爺はラーセンの前に来ると、挨拶を始める。


「こんな辺鄙な村まで、よう来られた。私が、この村の村長ですじゃ」

「ラーセンだ」

「しばらく、ここに留まりたいと言われたが、目的は?」

「この村には、羊飼いの方々に代々引き継がれている魔法があると聞いた。その魔法についての調査を」

「期間は?」

「長くても、一週間ほど」


 村長は、思案するようにあごヒゲをなぜると、軽くうなずき、そして答えた。


「許可いたしましょう」

「感謝する」

「なにぶん小さな村で、宿などはありませぬ。よろしければ、我が家にお泊まりになるといい」

「よろしいのか? 我々のような部外者を家にあげても?」

「なに、かまわんよ。こんな辺鄙な村にやってくる悪党など、おらんしの。後ろの二人は、お連れ様か?」


 村長に言われてラーセンが振り向くと、オリーブに肩を貸しながら歩いてくるクロムの姿があった。

 クロムは、ラーセンに近づくと小声で質問する。


「どちら様ですか?」

「この村の村長だ。滞在中、部屋を貸していただけることになった」


 野宿をすると聞いていたクロムは、屋根があるところで眠れると知り、パッと明るい表情になった。

 グロッキーなオリーブをラーセンに押し付けると、村長の前に立ち、元気な声で挨拶を始めた。


「初めまして、クロムコアです。クロムと呼んでください」

「クロムさんだね。よう我が村へいらっしゃった。まずはゆるりと休まれるが良い」

「お部屋を貸していただけると聞きました。本当にありがとうございます! しばらく野宿を覚悟していたので、本当に嬉しいです」


 村長の横に、老婆がやってきた。

 ラーセンは、今にも倒れそうなオリーブを連れて、村長と共に家の方へと歩いて行った。

 それを見届けた老婆は、優しい表情で、クロムに話しかけた。


「クロムさんというのかえ。こげな遠いところまで、よう来なさった」

「こんにちは、クロムです。お世話になります」

「あんたみたいな若い子は、この村には、ようおらん。孫娘の話し相手になってくれんかのう」

「孫娘さん?」


 クロムが首を傾げると、老婆が答える。


「そうじゃ。昼間は山へ羊を連れているが、もう帰ってくる頃合いじゃ。ほれ、ベルの音が近づいてきたわい」


 クロムが振り向くと、羊たちの群れと、その群れをまとめる牧羊犬。

 そして、群れの真ん中に大きな杖が見えた。

 ちょっと離れたところで、羊の群れは移動を止める。

 その群れの間を縫うように、杖が近づいてきた。

 やがてその群れから、ポンと飛び出るように、小さな女の子が現れた。


 女の子は、だいぶ幼かった。

 年の頃で言ったら十二から十三歳くらい。

 茶色の髪の毛は、くるくると巻毛になって、傍目にはふわふわしているように見える。

 ストンとしたワンピースを、腰のあたりで軽く結んでいる。

 そして、その小柄な背丈にそぐわない、大きな杖を持っていた。


 クロムは、その大きい杖がもしかしたら魔法の杖ではないかと思い、ついついじっと見つめてしまった。

 見知らぬ人から見つめられた少女は、何が起きているのか分からずに、急足で老婆の横に移動して、裾をきゅっと握った。

 そして老婆越しに、この女性は誰だ、というような表情でクロムを見ていた。

 老婆は、少女に振り向いて説明する。


「クロムさんじゃ。街からやってきたそうじゃよ」

「初めまして。私はクロム。よろしくね」

「ア、アンバー、です。よ、よろしく、お願いします」


 アンバー、と名乗った少女は、挨拶をすると老婆の後ろに隠れてしまった。

 老婆は、アンバーの癖っ毛を撫でながら、打ち明けるようにクロムに話した。


「ほっ、ほっ、ほっ。すまんのう。何せこの村は年寄りだらけじゃで、若いもんがおらん。久方ぶりの若いおまえさんを見て、だいぶ緊張しておるんじゃろう。許してやってくれ」

「いえいえ。誰だって初めての人を見たら、警戒しますよ。アンバーちゃん、また後で、お話ししましょうね」


 そう言われたアンバーは、なおさら亀のように首を引っ込めてしまうのだった。

 クロムは、無理に話しかけてはいけないと思い、老婆にもう一度挨拶をすると、家の方へと歩いて行った。

 アンバーは、そんなクロムの後ろ姿をしばらく眺めていたが、思い出したかのように歩き出すと、羊たちを羊小屋へと連れて行った。


 その夜は、村長が宴を催してくれた。

 と言っても、村長と老婆、アンバー、そしてクロム、ラーセン、オリーブ。

 合わせて六人の、ささやかな宴だ。


 ラーセンが、手土産として持ってきた干し肉をメインに、この村で作られているチーズがテーブルに並べられた。

 後は、馬車の御者に依頼して買ってきてもらった、保存用の野菜の漬物も振舞われた。


「このチーズ、美味しい」


 クロムは、ヤギの乳で作られたチーズが気に入ったようだった。


「お口にあったようで、何よりだよ。この村のチーズはちょっとばかし独特の風味があってのう。街では苦手とする人らもいると、聞いていたんじゃが」

「そんなことないです。濃厚で美味しいです」

「そりゃよかった」


 パクパクと食事をしていたクロムだが、一つ気に入らないことがあった。

 それは、アンバーがオリーブとすっかり仲良くなったことだ。


「そうよう。街の中心には大きな教会があってね。そこには神父さんがたくさんいるのよ」

「偉いの?」

「ぜーんぜん。適当な御託を並べては、お布施と称してお金を巻き上げるの。まあ、一言で言えば守銭奴よ」

「それで、街の人は何も言わないの」

「それがまた、色々あるのよう……」


 オリーブの、男性とも女性とも分からないあやふやな雰囲気が、逆にアンバーにとっては構えることなく自然体に振る舞えるきっかけになったのかもしれない。


「全然納得いかない」


 アンバーがちょっと席を外した時に、クロムはオリーブにそう文句を言う。

 しかし、オリーブはヒラヒラと手を振りながら答える。


「クロちゃんと違って、アンバーちゃんみたいに純真な子は、誰が親しみやすい人なのかを、ちゃーんと見抜くことができるのよ」

「くぅ。悔しいけど、返す言葉もない……」


 この村で過ごす間に、絶対にアンバーと仲良くなってやる。

 それが、クロムの直近の目標となった。


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