誕生
その日、『奇跡』が生まれた。
「「おぎゃあ! おぎゃあ!」」
灯りの無いとある一室。窓より差し込む陽の光だけが、生まれたての乳児を照らしあげ、影の中に光を当ててている。
騒がしく繰り返される産声は、ある者に涙を、またある者に祈りを捧げさせた。
「こちらです! 教皇様!」
「ああ」
そこへ足早に、教皇と呼ばれた老人が足を踏み入れた。
室内の部下や助産師の間を通り抜け、前へと躍り出た彼が目にしたのは、今まで見たことのない、白く、眩い『奇跡』の姿。
壁画に描かれた神のごとく白き髪色に、青空を収めたように青く澄んだ瞳と清き魔力。
穢れを知らぬ柔肌は、見る者に潜む邪心をも消し去ってしまうほど。
生まれたての乳児に対し、初めて教皇であるその老人は息を呑んだ。
「……教皇様……どうぞ」
するとそこへ、『奇跡』を産み、息を切らしている母親が乳児を差し出した。
だが教皇は、その肌を汚してしまわないかと、抱くのを躊躇って腕が出せない。
「さあ……」
あまりにも完璧な存在は、見る者にある種の恐怖を与えてしまう。
それでも促されて、教皇であるその老人は、優しくその乳児を抱き上げた。
「「おぎゃあ! おぎゃあ!」」
「……っ」
生命の神秘を目の当たりににしたからか、それとも『奇跡』の存在にあてられたからか。力一杯産声を上げる乳児の姿に、教皇は、思わずその目に涙を浮かべる。
しかし、その様を宥めようとする者は誰1人としていない。
なにせその場に居合わせた全員が、同じ感情を抱えているのだから。
「……った」
ふと、教皇が発したその声は、最初に『奇跡』の母親の、次いでこの場の全員の注意を引く。
すれば教皇は、嗚咽しながらも、嬉しさを噛み締めた声でもう一度口にした。
「良かった……。本当に……良かった……!」
「教皇様!」
力強く教皇が口にしたその言葉に、その場の全員が涙を流し始める。
母親の親族でない者も、ましてや初めて顔を会わせた者までも、全員が涙を我慢できなかった。
そして、誰もがこの『奇跡』の誕生に、報われる時がきたのだと、夢うつつに期待を馳せた。
何故ならこれは、人類が60年間待ち続けた悲願であり、200年に及んだ苦しみを終わらせる神の啓示であったから。
──そう、誰もが思っていたのに。
「「おぎゃあ! おぎゃあ!」」
涙の最中、ふと教皇は気づく。
自分が抱いている赤ん坊の他に、もう一つ泣き声があることを。
「……?」
不思議に思い、教皇が声の聞こえる方へと目を向ければ、母親が横になっているベッドの向こう側より、なにやら動く影が見え隠れした。
同時に、まるで生命を脅かすような黒い魔力も感知。今すぐに目を背けるべきだと、彼の全細胞が非常警報を鳴らし始める。
しかし、教皇という立場がそれを許さない。
例え自分の道が真っ黒に染まることになろうとも、悲願の成就を前に、その邪魔だけはさせないと決意を固める。
距離は取りつつも、首を伸ばし、視線をベッドの向こう側へ。正体を暴こうと、恐る恐る顔を覗かせれば、彼の視界が捉えたのは、抱き抱えている『奇跡』と瓜二つの赤ん坊だった。
「……この子は……何だ?」
思わず教皇が口にしたその質問に、先ほどまで涙を流していた全員が、途端に顔を引き攣らせる。
まるで、隠していた秘密が親にバレた子供のように。
だがその中で、母親だけは晴れ間のような笑顔を浮かべて答えた。
「この子は、今教皇様が抱えている子の弟です!」
「……おとうと?」
「はい!」
満面の笑みで、弟を抱きかかえる母親。
対して教皇は、その光景に表情を固める。
「大丈夫です。きっとその子と同じく、優しく育ってくれますから……!」
「「おぎゃあ! おぎゃあ!」」
母親が語る親愛に、だが教皇は、生まれたての乳児に対し初めて恐怖を感じていた。
『奇跡』とは正反対の真っ黒な髪色に、死神の鎌を喉に突きつけられているかのような、禍々しい魔力を持った赤ん坊。
穢れを知らぬ柔肌は、穢れすらも飲み込んでいるから知らないだけ。
その姿を前に、教皇は理解した。
「教皇様。どうか……こちらの子も抱いてください……!」
何故、この場の誰も、生まれてきたのが双子であったことを教えてくれなかったのか。
「教皇様。さあ……早く……!」
何故、母親である彼女の視線に、希望に縋るような、訴える想いが込められているのか。
「教皇様! どうか……どうか……!」
教皇として、自身に求められているのが、どういった判断なのか。
「……教皇……様……!」
「………………すまない」
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西暦2305年6月28日。
『奇跡』の子──〝預言者〟誕生。
神の代理人として、人類を救うために現れるとされる〝預言者〟の誕生に、その日は国民全員が歓喜した。
そして国も、〝預言者〟に世界を救ってもらうべく、あらゆる費用総出で彼を育て上げた。
全ては、ただ一つの悲願。
〝人類救済〟のために。
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