40節 『奇跡』の少年の物語
「じゃあこれ、頼んだ」
「分かりました」
月がすっかり昇った夜更け。
協会本部、最上階最奥の執務室にて、アドムが差し出した用紙をオネストは受け取り、目を通す。
内容は、身体状況、知能、保有魔力量と言った、ローサに関する基本情報。
そしてオネストが指示されたのは、それら情報を協会の所属名簿に登録し、彼女を協会の一員にすること。
3年間の間、修行以外のことで問題が起きないよう、福利厚生といった生活支援をするための名目だ。
「ローサはどうしてる?」
「手紙を書いてます」
「手紙?」
「はい。故郷にいる父に、連絡を取りたいと言ってまして」
「……そうか。遅くならないようにだけ言っとけ」
「はい」
すると、オネストは用紙の中に、一つだけ奇妙な点を見つける。
「ローサ……カレドニア……?」
肝心な名前の欄。
そこに書かれている名字が、アドムと同じ、カレドニアとなっているのだ。
「え、彼女、カレドニア家の人間なのですか?」
「いや、違う。ただ修行の間、俺の養子ってことにした」
「……え?」
さらりと口にされたことに、オネストは固まる。
なにせ、名誉は落ちれど、御三家と呼ばれる存在は依然として強い影響力を持っている。
その家名が、人知れず無名の少女に与えられたともなれば、少なくとも魔導士の間で大きな波紋が生まれることは想像に難くない。
「それ、大丈夫なのですか……?」
「良いだろ。今の当主は俺らしいし」
「ですが……」
「文句を言う奴は全員黙らせる」
有無を言わせぬアドムの口調に、オネストは押し黙る。
確かに、元々持ち合わせていた才覚に加えて、今のアドムには“英雄”としての箔まで付いている。
不満はあれど、文句を言うのが難しい状態であることは間違いない。
それに、カレドニア家の名前を持つことは、ローサにとってプラスに働く。
家名を利用して、様々な交流や知見を深める機会を得られるのはもちろん、誰かにちょっかいをかけられそうになれば盾にもなる。
予想される厄介ごと以上に、利点の方が遥かに多い。
そう考えれば、確かにこの判断は間違っていないだろうと、オネストは自分を納得させた。
「それにしても、まさか貴方がここまで協力的になるとは思っていませんでした」
「心外だな。ヤコブを教えた時だって、俺はそれなりに真面目だったぞ」
「いえ、そこではなく、彼女の目的に協力したことです」
オネストから見たアドムという存在は、正しく唯我独尊。
自分のことを第一に、他者への尊重など持ち合わせない性格の持ち主。
故に、“英雄”としての役割を放棄することはあれど、それが誰かとの協力に繋がるとは思ってもいなかったのだ。
「何か、彼女に思うとこでも?」
「……別に、あいつが付いてこれなさそうなら置いてくさ」
アドムの答えに、オネストは苦笑い。
だがしばらくすれば、彼は加えて口にした。
「ただ、あいつに期待できる“もの”があるのは確かだ」
笑みを深めるアドムの顔。
それは、ヤコブを指導する時にも見せなかったもので、思わずオネストは聞いていた。
「なんですか? それは」
人柄か、素質か、才能か。
様々な可能性が浮かぶ中、しかしアドムは、それら考えを見透かしたように鼻で笑った。
「──“思いやり”」
その答えに、オネストはいまいちピンとこない。
しかしそんなこと分かっていたのか、聞かれるまでもなく、アドムは続きを口にする。
「ローサ、ボロボロだっただろ」
「はい」
「何でか聞いたか?」
「……いいえ。普通に、ここまで来るのが大変だったからだと……」
「ああ、俺もそう思ってた。けど違った」
ローサを風呂に入れた後、アドムは、今後の方針を決めるため、彼女に身体検査などを受けさせた。
そして結果は、最悪の一言。
修行に入る以前に、そもそもとして体調を元に戻すのですら時間のかかる衰弱具合。
見た目からでは分からない情報が次々と見つかり、アドムは頭を抱えた。
だから、彼はなんとはなしに口にしたのだ。
一体、どんな過酷な生活をしてきたのかと。
すれば、ローサは答えた。
「あいつ、ヤコブがいなくなってからの1年間、ひたすらに世界中を探し回ってたらしい」
たった1人、思い人へ会うためだけに、自分の身を顧みずがむしゃらに。
ローサが衰弱していたのは、それが理由。
特別でも何でも無い、誰もが持つ"思いやり"という感情が、彼女をひたむきに突き動かしていたのだ。
「まあ、苦労虚しく見つけることはできなかった訳だが、それでも俺は、可能性を感じずにはいられなかったよ」
想い人のため、1年間もの間、世界を駆け巡って来た。
ではそれが、果たして自分にできるのか。
それも、自分の力の使い方も分かっていない状態で。
少なくとも、アドムは不可能だと考えた。
「だから、期待してる。ローサならきっと、何かやらかしてくれるってな」
ローサの真価に、微笑みを湛えるアドム。
対してオネストは、驚愕せずにはいられなかった。
なにせ彼女の持つ”思いやり”は、確かに誰もが持つものではあるにせよ、常人のそれを遥かに超えたもの。
父に手紙を書きたいと言っていたのも、今ならどれほどの想いで口にしたのか良く分かる。
あまりのスケールの違いに、自分が小さく思えてしまうほどだ。
しかしだからこそ、どこか勇気を貰ったのもまた事実。
”思いやり”の強さだけで意思を保ち続け、挙句の果てにはアドムさえも巻き込んだ。
同じことができるとは思わないが、それでもどこか感化されてしまう。
自分にも、何かできることがあるのではないかと。
シュリアムに言われたこと以外にも、将来のため、自ら動けることがあるのではないのかと。
その心を旨に抱けば、オネストは静かに拳を握る。
すればアドムも、窓の外、星空の眩しい夜空へと視線を向けた。
(……なあ、ヤコブ。お前も……ローサのそんなところに惹かれたのか……?)
分からない。
何故ならもう、彼はここにいないのだから。
だが少なくとも、それが彼を救ったのは本当だろう。
そこに、人の強さを見出したのも事実だろう。
彼が語る理想には、常に思いやりがあったのだから。
(『生命の完遂者』が俺から感情を奪わなかったのも、それが理由か……)
理屈めいたものがあるわけではなく、感情そのものが大事だから。
気持ちを魔力に、魔法へと昇華する魔導士だからこそ、殊更すんなり飲み込める。
何より、そう考えた方が救いはあると、アドムは耽り、遠くを見た。
どこまでも続く、星々の煌めく闇夜の世界を。
地平線の果て、ずっと遠く、世界の向こう側まで。
すれば反対側、空は青々と、穏やかに広がる雲海に。
その下、海岸線の丘の上に、少年はいた。
灰色の髪をたなびかせ、目の前に並ぶ、自分の家族の墓標へと手を合わせている。
そしてしばらくすれば、顔を上げ、振り向き足を前に出す。
足取りはしっかりと、吹き荒れる風を切りながら。
すると道中、少年は鳥を見つけた。
羽を傷つけた、弱々しく体を震わせる、一羽の鳥。
おそらくもう、長くはない。
だから少年は、そっと手で包み込み、優しく、丁寧に、自分の魔力を分け与えた。
そして手を開けば、鳥はすっかり元気よく、手のひらの上で辺りを見渡し、そのまま飛翔。
空高く、自慢の翼で飛んでいく。
その後ろ姿を見届ければ、少年は再び歩き出す。
瞳が何を見てるは分からない。
頭で何を想ってるかは見抜けない。
けれども、その口元はどこか嬉しそうに、今あるこの世界の中を、確かに踏みしめ、歩いていた。
読んでいただきありがとうございます。
次回最終回です。金曜に上げます。
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