39節 燻る灯火、否諦の意思 side——
「久しぶりだな」
アドムの言葉に、少女は何も答えない。
しかし、暗い顔色と体の細さから、碌な栄養が取れていないことが見て取れた。
「随分な身なりだ。今まで何をしていた?」
次いで質問をするが、それでも少女は口を開かず。
ただ、確かな怒気を孕んだ目で、アドムのことを見つめている。
「安心しろ。今この階には俺ら2人しかいない。防音結界も貼ってあるから、叫ぼうが誰も来ねーよ」
アドムの言葉に嘘は無い。
少女との会話を楽しみたいからこそ、アドムはわざわざ、オネスト含めて全ての人間の立ち入りを禁止している。
そして、少女もそのことは分かったのだろう。
視線を鋭くすれば、その拳を強く握りしめた。
「……外のやつ、何?」
「外?」
振り向き、窓から景色を覗くが、特段変わったことはない。
故に質問の意図が理解できず、アドムは怪訝な顔を見せる。
だがそれは、かえって少女の神経を逆なでた。
「外にある、ヤコブが悪人っていうのは何って聞いてるの!!」
部屋中に響いた怒声に、鼻息を荒くする少女。
受けてアドムは、思わず笑いをこぼしてしまった。
「そうか。お前、何も知らないんだな」
「……なんのこと」
「何も不思議もないさ。ただ言葉通り、ヤコブが悪人ってだけだ」
「貴方が……皆んなを騙したの?」
「まさか。何の得がある」
「でも大きな声で言ってるじゃない!!!」
「ああ……」
少女の言及に、アドムは先ほど指摘されたのが、投影鏡で出力した演説の映像であることを察する。
「何も間違ってないさ」
「間違ってる!」
「どこが」
「全部に決まってるでしょ!!」
すると少女は、アドムへと逼迫。
細い腕で力一杯に机を叩けば、そのままの勢いで顔を詰めた。
「ヤコブが悪人って言うのも!! 貴方が”英雄”なのも!! 全部でたらめじゃない!!! 体よく言いくるめて、ヤコブをイジメてるんでしょ!!!」
「だから、何の得があるんだよ」
「そんなの、この部屋を見れば一目瞭然じゃない!!」
少女が腕を広げ、アドムの執務室を強調。
そこには、豪華絢爛な備品の数々が、等しく眩い輝きを放っている。
まるで、成金と言わんばかりに。
「……あー、なるほど」
”英雄”としての権威を保つため、わざと派手な内装にしたことが、かえって誤解を生んでしまったようだ。
「そうだな……。まあ、確かにお前の言い分も一理ある」
認めたことに、少女のアドムに対する敵対心は更に増加。
話がややこしい方へと動きだしたと、アドムはため息をついた。
「……お前、ヤコブに会いたくてここまで来たんだろ」
揶揄うのを止め、強引に本題へ。
相変わらず少女は答えないが、わずかに瞼が動いたのを、アドムは見逃さなかった。
「そんで、体がボロボロなのはその名残か」
少女がどこから来たのか、アドムは知る由も無い。
だが、魔法を使うこともできない少女が、たった1人でこの世界を渡って来たとなれば、その過酷さぐらい想像できる。
「まあ、苦労してもらったとこ悪いが、ここにヤコブはいない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘よ!」
先ほどの問答で、少女のアドムに対する信頼は地に落ちている。
故に、少女は一歩も引かない。
対してアドムは、めんどくさいと頭をかく。
「分かってるよ。お前の力が、ここに向かえと指し示したんだろ」
雪国で会った時、アドムは、”四季彩”を通して彼女のことを確認済み。
だから少女が、かつて自分とヤコブの戦いに乱入した時みたく、“矢印のように流れる風”を頼りにここまで来たことも理解している。
「それでも、ここにヤコブがいないのは嘘じゃない」
「でも、この部屋に向かってた!!」
「じゃあ残念。お前の魔法が選んだのは、ヤコブじゃなくて俺だったわけだ」
「違う!!」
アドムの言葉を否定しようと、少女は部屋中へと目を配る。
しかし、どの方向を見ようとも、“矢印のように流れる風”はアドムの方へと進んでいく。
「確認終わったか?」
「まだ!」
「いい加減、現実受け入れろよ」
「まだ!」
「そんなんじゃ、いつまで経ってもヤコブに会えはしないぞ」
「──ッ!」
その言葉に、少女は、体を震わせながら顔を伏せる。
すればアドムは、席を立ち上がり、そのまま来賓用の席へと腰掛けた。
「座れ。ヤコブに何があったのか、話してやる」
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アドムは、包み隠さずに全てを言った。
ヤコブが、世界のため自ら絶望の象徴になったことを。
そのための協力として、自分が”英雄”の真似事をしていることを。
結果として、現在まで平和が続いていることを。
「お前を選ばなかったのは、故郷に残ることを選択したからだと聞いた」
少女は思い出す。
かつて星空の下、ヤコブに選択を迫られ、そして自分で選んだ日のことを。
「……まあ、巻き込みたくなかったと言うのもあるだろうが」
ヤコブが、自身の希望だとさえ思った少女。
その想いは、誰が見ても明らかなほどに、特別な感情で出来上がっていた。
少女も同じだから、その気持ちは痛いほどに理解できる。
「納得したか?」
アドムの問いに、少女は何も答えない。
しかし、飲み込むことはできたのだろう。
先ほどまで抑え込むことのできなかった感情が、すっかりとその様からは抜け落ちている。
「お前の魔法が、何で俺のところを指したのかは分からん。でもこうして話を聞けたというのなら、意味はあったんじゃないか」
「……うん」
俯いたまま、少女は小さく頷く。
するとそのまま、その細い膝の上へと、雫を零し始めた。
「そっか……そうなんだ……」
涙声で紡がれる彼女の言葉。
話は終わったと、アドムが席から立ち上がろうとすれば、直後、少女は口にした。
「やっぱり……あの時の言葉は嘘じゃなかったんだ……!」
その発言に、アドムは浮かせた腰を止める。
だが少女は気づかずに、ひたすら、胸の内で輝く温もりに想いを馳せた。
ヤコブに抱かれ、耳元で囁かれた言葉を。
「……うん。分かった」
立ち上がり、涙を拭いて、少女はアドムへお辞儀する。
「さっきはごめんなさい。いきなり怒鳴って。あと、話してくれてありがとうございました」
そして謝罪の言葉を口にすれば、そのまま力強い足取りで、扉の方へと進みだした。
「──待て」
だが、アドムがその行く手を阻む。
理由は、先ほど少女が発した言葉。
ヤコブから伝えられたというメッセージ。そこに、見逃せない違和感を覚えたからだ。
「……何を言われた?」
「え……?」
「ヤコブに、何て言われたんだ」
彼女に迷惑はかけれない。
山頂にて、確かにヤコブはそう言った。
にも関わらず、彼は少女に、誰も知らない言葉を残している。
起こった出来事を全て打ち明けた上で、絶望せず、なおも少女を立ち上がらせた”何か”を。
「教えてくれ」
かつての素行からは、まるで想像できないアドムの真剣な眼差し。
だから少女も答えることにした。
別れ際、苦しみ、涙を流しながらも、しかし彼が紡いだ想いの内を。
その言葉を、重ねて少女は口にする。
「──”助けて”」
ヤコブが少女へ、託した想い。
受けてアドムは、理解する。
(……そうか)
今の世界が作られた理由。
”預言者”としてじゃない、“彼”の答え。
色々と複雑に捉えていたが、冷静に考えれば単純なことだった。
(ヤコブ。お前は、否定してほしいのか)
”預言者”の力を。
”預言者”としての結論を。
”預言者”だから選んでしまった在り方を。
そして何より、この結末でなければ繰り返される、その未来を。
(だから、こんな世界を作ったんだな……)
彼が実現した平和な世界。
滑稽な笑顔で口にしたハッピーエンド。
それら全部を、間違っていると言ってもらうために。
お前の世話など余計だと、”預言者”の手を払ってもらうために。
未来を視てもなお、本当に見限ることのできなかった、人の強さに託したのだ。
「……拗らせすぎなんだよ……」
ヤコブの真意に、アドムはため息。
すれば少女は、ムッとした目で彼を睨む。
しかし、その口元が少しだけ笑っているの目にすれば、自ずと気持ちも和らいだ。
「……おい、ガキ」
再び、アドムが少女を見据える。
その表情は、いつの間にか真剣で、思わず彼女も身構えた。
「お前がやろうとしてることが、かつて俺に言った、他者への迷惑になることは分かってるな?」
「……うん」
希望と絶望によって保たれる世界。
ならば当然、少女のやろうとしていることは、平和の崩壊へとつながる。
「そんで、ヤコブが帰ってくる気が無いことも、分かってるな?」
「…………うん」
ループする、凄惨な未来を視たが故の、希望を求めた”助けて”。
それはあくまで、人の強さを見せて欲しいと言う意味の言葉。
自分の境遇に対してではないことを、彼女はうすうす思っていた。
何より、ヤコブは”絶望”として何度も人類への攻撃を行っている。
その罪悪感を、感じてないはずがない
だからこそ、彼はどこまでいっても、絶望として立ちはだかろうとするだろう。
周りが救いを差し伸べても、自分だけ助かるわけにはいかないと。
「はっきり言って、無謀も良いところだ。それでも、お前はやるんだな?」
改めて問われる覚悟。
だがそんなもの、考えるまでもなく決まっている。
「やるよ。例え多くの人の迷惑になっても、それが本当の想いと違っても、私は、ヤコブを助ける」
別れ際に言われた言葉。
それをヤコブは、星下の時と違い、事情を話さずに一言だけ口にした。
解釈の余地を与えて、去ったのだ。
であるのなら、そこにどんな意味を見出そうと彼女の勝手。
例えその考えが邪推だとしても、知ったことではない。
「だってヤコブは、故郷に残るって言った私のことを、迷惑になるって分かった上で、助けてって、言ってくれたんだよ」
それが、何よりも大きな信頼から来ていることを知っている。
「だったら私は、その想いに応えたい」
自分の想いを、今度こそ彼に伝えるために。
欠けてしまった自分の世界を取り戻し、再び、鮮やかな彩を付けるために。
「そうしないときっと、死んだ後も後悔するから」
かつて、旧ウセリオリ支部にて、ヤコブに伝えた自分の生きざま。
”我儘の正義”を信じたからこそ、彼は自分に託したのだと信じて。
「……分かった」
そしてアドムも、彼女の想いを受け、覚悟を決める。
”英雄”として、世界を照らす希望として。
ヤコブに託された意思に、応えるために。
「お前、年齢はいくつだ?」
「……え?」
予想外の言葉に、少女はどもる。
「年齢だよ」
「えっと……15……?」
「何で疑問形なんだ」
「ごめんなさい。年齢……良く分からなくて」
「まあ良い」
すればアドムは、壁にかかったカレンダーへと目を向ける。
そして、即座に頭の中で算出した。
「……3年だな」
ボソッと口にすれば、アドムは席へと戻り、引き出しより紙を取り出す。
その様子に少女が困惑すれば、アドムは淡々とした口調で言った。
「3年で、お前を俺と真正面から戦えるぐらい強くしてやる」
「……え?」
再び繰り出された予想外の言葉に、少女はますます困惑。
「……えっと……どういうこと……?」
「勘が悪いな。俺の弟子にしてやるって言ってんだよ」
「…………え? ええ!?」
思わぬ言葉に、今度は大声で叫んだ。
「な、なんでそんな話に!?」
「馬鹿かお前。ヤコブを救いたいんだろ。だったら、今のままじゃダメに決まってんだろ」
アドムの言っていることは至極真っ当。
だとしても、突然口にされたことを受け止められるほど、少女の理解は追いついていない。
「いや、訳わからない! それでなんで貴方の弟子にならないといけないの!? 前に断ってるじゃん!」
「頭も悪いのか」
「なんでよ!!」
「俺は、ヤコブに魔法を教えてた」
「──あっ」
アドムの一言に、少女も申し出の意図を理解。
「だったら、これ以上の不満は無いだろ?」
”預言者”として、絶大な力を持つヤコブ。
その彼と対等に渡り合えるアドムが、自ら指導すると言ってくれた。
ヤコブに追いつきたい彼女にとって、これほど近道なことはない。
だが同時に、不思議に感じて仕方なかった。
「どうして、そこまでしてくれるの……?」
ヤコブの事情を話してくれたばかりか、自分の目標の後押しまでしてくれる。
以前まで抱いていた印象とはあまりにも違いすぎることに、彼女は違和感を拭い切れない。
するとアドムは、窓の外へと視線を向けた。
「……第一に、お前に素質があるから」
次いで、もう一言。
「そんでもって、少しばかり傲慢な弟子にお灸を据えてやろうと思ったのさ」
いつも通りの、嫌味がこもった彼の言葉。
しかしそこに、嬉々としたものがあったのを、少女は見逃さなかった。
「それで、返事は?」
有無を言わせぬような圧。
だが、少女は飲まれず、慎重に、疑いの目を持って口にする。
「……本当に、3年あればヤコブを助けられるの?」
正直なところ、今すぐ行きたいと言うのが彼女の本音。
それを抑えてまで、アドムに付いていく利点はあるのかと少女は問う。
対してアドムは、厳しい現実を答える。
「それは、どこまでいってもお前次第だ」
しかしその上で、彼は笑い、大胆に言って見せた。
「だが、それができるぐらいの強さは与えてやる」
世界最強の、自信に満ちた堂々たる宣言。
「もちろん、相応の苦しみを覚悟して貰うがな」
付け加えて、勘違いが無いように念押しするアドム。
受けて彼女も、覚悟を決めた。
「……分かった。貴方の弟子になる」
はやる気持ちは当然ある。
不安だって抱えたままだ。
だけれど、自分の進むべき道が見えていなかったのもまた事実。
故に彼女は、新たに開けた未来へ一歩を踏み出す。
迷っている暇など無いからこそ、ここへ導かれたその縁を、必然だと強く信じて。
「決まりだな」
少女の言葉に満足すれば、アドムは海説話を手に取り指示した。
「じゃあまず風呂入れ。お前臭いんだよ」
「はい——って何それ!!」
赤面する少女に、だがアドムは無視をして海説話先の相手と通話。
いくつか小言で話して切れば、再び少女の方、正確にはドアへと指をさした。
「今部下を呼んだ。出てすぐの場所で待ってろ」
「……分かりました」
ジト目でアドムを睨みながら、少女は扉の前へ。
そしてドアノブへと手をかければ、思い出したかのような口調で、アドムに聞かれた。
「そうだ。お前、名前は?」
その質問に、少女は振り向き、口にする。
久しく呼ばれていなかった、親より貰いし自分の名。
遠い昔、純潔の象徴を意味したと言われる、その本名を。
「――ローサ。”ローサ・シャーン”。それが、私の名前」
読んでいただきありがとうございます。
最終回まであと二話です。
面白いと感じて頂けたら、ブクマ、感想、評価の方よろしくお願いします。