老人とまた一人去る人物
「ええ、大丈夫ですよ」
ルーデンドルフ侯爵はやせ細り、だいぶ昔に会議で見たときとは大違いだった。歩くこともままならぬではないかと思われるほどであり、点滴以前の問題だった。
「私は職を辞した……。王家とは決別する」
「なぜそれを?職と言っても……」
「王国警察長官職と第2王子殿下教育係だ、どちらも辞した」
そういえばヴィルヘルムがやらかした時に教育係がイデリー伯爵から彼に移ったんだったな。だが警察長官も降りたのか?
「なぜ?」
「普段の第2王子殿下の行状を聞いてのとおりだ、大小あっても知らぬわけがあるまい?もう手に負えない。平民の女のほうが良いようでな……ライヒベルク公爵家が正しかった。ブランケット侯爵令嬢が亡き今ではどうにもならなかったというわけだ。だれがどう制御する?マッセマー商会は事件後さらに各領地に進出した。こちらももはや抗えない、そこまで心中するつもりはない、これは第1王子殿下が生きていてもこうしただろうな。そもそも生きていたらこうまではなるまいが、仮にどこぞの聖人のごとく復活しても私はついていかん。それと宰相閣下は私を切り捨てるおつもりのようでな、愛想が尽きた。前任に相談しても知らぬ、対応できぬと紙切れを透かしてみて見ておったわ」
見てたのは紋章の関係書類なんだろうな。確かに宰相が教育係時代から素行不良だからな。聞かれたところで対応できるわけがあるまいし、匙を投げるしかあるまい。そもそも対応できていたら教育係を引くこともなかっただろう。むしろ一番教育係を引いて喜んでるのは宰相だったのかもしれない。それがより一層ルーデンドルフ侯爵を腹正しくさせているのだろう。
「いえ、なぜ私に?」
「娘は救ってほしい。そのかわり私が今日来たことは公爵家にも言わない。私は公爵家に降る、娘は関係ない。それだけだ……」
「強壮剤を処方しましょうか?」
単純な善意と言うよりは医者としての対応であったがルーデンドルフ侯爵はここで死ぬのなら許そうと受け取ったのか覚悟を決めていただくと言い強壮剤を飲み込んだ。
「効果はどれほどで出る?」
「さぁ?強壮剤ですからね。ま、即座ではないでしょう。点滴も必要なら処方しますが」
「……いただこう」
別に私は何もしないのだが、覚悟を決めたようにルーデンドルフ侯爵も点滴を受けて少しだけ顔色を良くしていた。
「……遅効性か?」
「強壮の点滴が遅効性ではまずいでしょう。少しは元気になったかと思います、私もフリードリヒ殿下の死後はこの職を続ける意外特に何も考えておりませんので」
秘密を知るものはもういない、おそらくだがフリードリヒも気を配って手を回していたのだろう。それらしき邪推も嫌味も言われたことはなかった。
それ以外での嫌味はないわけではなかったが……。
あの時マルゴーを殺したときとはまた別の感情が生まれて、それがフリードリヒの死でまた消え去ったに過ぎない。
燃え尽き症候群というやつだろうか?いや……別か……。
「そうか……感謝する」
私の言葉を彼がどう受け取ったのかわからないが……。
彼もまたみんなと同じようにフリードリヒの死で折れた一人なのだろう。へし折ったのはヴィルヘルムだろうが……。
そんなルーデンドルフ侯爵の辞任より先にヴィルヘルムが平民とイチャつきながら貴族学院に入っていったという話が流れイデリー宰相の令嬢が倒れたと城での話に上った。そりゃ倒れるだろう。
と思えば宰相も帰宅した。こっちも倒れたのか、それとも娘を見舞うのか。
噂ではあるがエリーゼ嬢ですら目撃して呆然としていたらしいからな、そりゃまぁそうなる。
慰謝料払う用意ができていたのならとっとと払えと言いたいし、相手は平民なのかと言いたいし、こうも堂々とやられると動かなけれいけないのに何考えてるんだとも言いたいだろう。公爵令嬢という地位を持ってもキャパを超えてしまったのか何もせず友人を見舞ったらしい。
かといって公爵令嬢が侮られるかと言われると自分でもそう判断するべきか悩ましすぎるだろうな。国王がそそのかしたかどうかもわからない、あの平民は実はどこぞの国家の聖女で留学してきましたとか、身分を隠しているけれど卒業後に正式に認められる帝国の皇女ですとかとんでもない爆弾を持ってる可能性もあるわけなのだから。
相手が無知な平民であれば軽く牽制のジャブくらいいれるがなんでもヴィルヘルムの毛糸製品を作っているとか聞いてしまえばとたんに政治的な罠かと思うのは当然のことだ。
公爵令嬢が動かない以上周りも囃し立てるのは恐ろしい。エリーゼ嬢に嫌味を言いにいったところであなたご存じなかったのですか?あの平民は実は……ならまだいいが、それならあなたはあの平民認めるのですか?認めないならあなたが言いに行けばいいでしょう?もしや婚約関係が破綻してないと思っていたのですか?情報に疎いのですねと煽られるならまだしも……乗せられて実行した後でヴィルヘルムの不興も買って自称平民が実は自分より偉かったなんてことがあったら終わりだ。
むしろそれをするためにバカを泳がせているのではないかとすら思える。
内務大臣が困惑していることと公爵令嬢が困っていそうな感じであると聞くとあの平民が公爵家の仕込みではなさそうというのが結論になりつつあるが……。
それすらも罠かもしれんな。
エリー「は?」




