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読んでいただいてありがとうございます。最初に投稿した時に、少し文章が途切れていた部分がありましたので、修正いたしました。
ロクサーヌが呆然としている間にも、奇妙な間柄の三人の話は続いていた。
「ロクサーヌ様の気持ちって?そう言えばロクサーヌ様は、いつもわたしに注意はしてきたけど、ダニエルのことどう思ってるのか、聞いたことないかも」
アネットが思い出せる限り、ロクサーヌの小言は主にマナーや周囲の人間のことばかりで、ダニエルが好きとかは聞いたことがない。
……ロクサーヌ様のモノがほしくてダニエルもらったけど、ロクサーヌ様もいらなかったのかな?
ふと浮かんだその考えが、何となく合っている気がした。
婚約者がダニエルじゃなくても別にかまわないから、騒がずに淡々と婚約破棄に応じた。
きっと真相は、その程度のこと。
「え?何よ。だったら私もダニエルいらなかったわよ」
「は?アネット、何を言っているんだ」
「だって、ロクサーヌ様からあなたのことを聞いたことなかったんだもの。それって、ロクサーヌ様が気にする人物じゃないってことでしょう?わたしがほしかったのは、ロクサーヌ様のお気に入りよ」
「はぁ?」
アネットの言葉にダニエルは驚いた顔をしていたが、聞いているこちらは誰一人として驚いていなかった。
アネットを実際に見たことがあったロクサーヌはともかく、宰相も女王も微動だにしていない。
報告もされているだろうし、アネットの性格も予想していた通りだったのだろう。
むしろ、ダニエルの評価が下がっていってばかりいる。
「うーん、あそこまではっきり言われると、いっそう清々しいね」
「アネットは、どうして私のものがほしかったのかしら?」
「さぁ?でも、それに気付けなかったのはダニエルの方だよ。こっちは皆、気が付いていたことだ」
ギヨームの言葉に、ロクサーヌは頷いた。
アネットは、きっと誰でも良かったのだ。
ただ、高位貴族の誰かの婚約者を取りたかっただけなのだ。
「あーあ、ロクサーヌ様と遊んだら満足出来るかと思っていたけど、ダニエルはいらない子だったし、あなたはわたしが誘惑したって無駄な性格してそうだものね。遊び相手は、他の誰かを見つけようかしら」
「……遊ぶ?ロクサーヌと?君は何を考えてるんだ?」
「退屈なの。ロクサーヌ様は美人で真面目な方だもの。きっと崩れたら面白いと思ったのよ」
「呆れたな。そんな理由だったのか」
「そうじゃなければ、ダニエルに近付かないわよ。だって、つまらない男なんですもの」
ふふふ、と笑うアネットに、ダニエルは信じられないものを見るような目をしていた。
直接被害があったわけではないロランは、眉をひそめただけだった。
「あ、そうだ。ロクサーヌ様に伝えてほしいんだけど」
「何だ?」
「この男と結婚しなくて正解だったわよ。だって、この男、夜が下手くそなんですもの」
「ア、アネット!!」
さらに笑うアネットに、聞いていた周囲の人間は、ダニエルを気の毒そうに見た。
まさか、こんな大勢の前で夜の事情を暴露されるなど、考えただけでも恐ろしい。
「昼も夜も下手でつまらない男を、綺麗なロクサーヌ様が相手しなくてよかったわよ。自分勝手だし」
「アネット!いい加減にしないか!」
「何よ。誘惑してほしい相手がいるからって、ここに連れてきたのはダニエルじゃない。誘惑どころか、絶対に乗らなそうな男を紹介しようとしたのよ。これくらい報復したっていいじゃない。あ、わたしたちの離婚理由は、性格と生活の不一致よ」
だろうな、と誰もが納得出来る理由だった。
「じゃあ、わたしは帰るわ。次回は、もう少しましな男を紹介してね」
ひらひらと手を振って帰って行ったアネットに、誰も声をかけることなど出来なかった。
訓練場は、下の声はよく聞こえるように設計されていて、女王たちがいる場所は、声があまり響かないようになっていた。
訓練が終了し、突然始まった謎の三角関係に周囲も静かにしていたので、ロランたちの言葉はよく聞こえてきた。
「ふふ、面白い女だったな。破滅させたい家に送ったら、どうなるのだろうな」
「止めてください、陛下」
「だめか?」
「はい」
アネットが去った方を見ながら言ったクラリスの言葉に、シモンもそちらを見ながら答えた。
横並びで視線を合わせることもなく、二人は会話を続けた。
「アレは、私が使います」
その言葉の意味するところは、もし何かあっても、女王は知らない話。全ての責任は、シモンが取るということだ。
「シモン、言っておくが、飼い犬の責任を取るのは飼い主の役目だ。知っていようが知らなかろうが、何ら変わりはない」
「飼い犬にも知恵はあります。飼い主を喜ばせるにはどうすればいいのか、獲物を渡す方がいいのか、獲物を隠す方がいいのか。飼い主にばれないようにすればいいだけです」
「大切な飼い犬の鎖を長くしてやってもいいが、手を離す気はない。そうそう、はるか昔は主が死んだ時に犬は共に葬られてきた。つまり飼い犬は、主が死ぬその時まで傍で生きなくてはならないのだ。逆に言えば、飼い犬が死ぬ時は主も死ぬ時ということだな。それを忘れるな」
「……お言葉、心にしかと刻んでおきます」
みすみす死なせるつもりもないし、誰かにばれるようなことをするつもりもないが、万が一というはある。その時に、女王に害が及ばないようにするもの宰相の役目だ。
だが、生きている今も、死ぬその時も、この女王と共にあれという言葉は、シモンにとっては喜びでしかなかった。
女王たちの会話など聞こえていないロランとダニエルは、そのまま会話を続けていた。
「さて、ダニエル殿。貴殿も、もう帰られたらどうだ?ロクサーヌの正式な婚約者は俺で、貴殿ではない。そもそもなぜロクサーヌと婚約破棄するようなことをしたのだ?貴殿にしてみれば、格上の家への婿入りだったはずだろう?」
それをわざわざあまり良い噂を聞かない女性と関係を持って、婚約破棄する理由が分からなかったので、いつか聞いてみたいと思っていたのだ。
直接、顔を合わせる機会などないと思っていたのだが、思いもかけず会えた今が最後のチャンスだと思って聞いてみた。
「……結婚したとしても、ロクサーヌは俺を見てくれなかったと思う……」
「ロクサーヌは侯爵として、忙しい日々を送っているからな。仕方がないのでは?」
「違う!そうじゃない!侯爵だろうと何だろうと、ロクサーヌの中で俺は、目を向けてもらえる存在じゃなかったんだ!何をやろうとも、ロクサーヌは俺を見てくれない。婚約していた時だって、そうだったんだ。結婚したからと言って、急に変わるもんじゃない」
そうだ。ロクサーヌは、ダニエルという存在に目を向けてくれなかった。
しゃべりかければ応えてくれるし、記念日や贈り物なども忘れられたことなどない。
けれど、ダニエルには、それらのことがロクサーヌにとってただの仕事のように思えた。
きっと相手がダニエルじゃなくても、同じことをする。
同じような品物を選び、同じような言葉をかけて、同じように微笑む。
特別じゃない。
そもそもダニエルは、ロクサーヌが自分で選んだ婚約者じゃない。
先代の侯爵が選んだ相手だ。
そこにロクサーヌの意志はなかった。父親同士が決めた婚約で、お互い確認さえもされなかった。
でも、ロクサーヌの特別になりたかった。
「……俺は、彼女の父親が決めた婚約者だったから、彼女に選ばれたお前とは違うんだ」
「ただの当てつけのつもりだったのか?事が大きくなりすぎて、引っ込みがつかなくなったのか」
「見てくれなかったロクサーヌが悪いんだ!」
「彼女のせいにするな、ばかばかしい。見てくれない?俺たちだって、仕事が忙しい時は周囲を見ていられないさ。だがロクサーヌは、侯爵としての仕事が忙しい合間でも、会って話をしたり贈り物を選んでくれていたんだろう?本当に関心がないのなら、そんなことだってしない。ロクサーヌは余裕がないなかでも、精一杯やってくれていたんじゃないのか?忙しい彼女を、文官なら仕事を手伝って支えればいいが、俺は武官だから出来ることと言えば、わざわざ時間を作って俺と会ってくれるロクサーヌに、その時だけでもゆっくり休んでもらえるようにすることだけだ。侯爵としてではなく、ロクサーヌとしてな。ロクサーヌをちゃんと見ていなかったのは、お前の方じゃないのか」
ロランの口調がだんだん乱暴になっていったことに、ダニエルは気が付かなかった。
いつも忙しそうにしていた彼女に、ダニエルは何もしなかった。
そのうち結婚すれば、嫌でも手伝うことになるからと思って、ロクサーヌがどれだけ忙しそうにしていても見て見ぬふりをしてきたのは、確かに自分の方だ。
「ロクサーヌは、侯爵としての意識の方が強い。下手したら彼女が一番、自分自身を蔑ろにしているのかもしれん。俺は、彼女のことを少しずつでもいいから、知っていきたい。ロクサーヌが俺を見るんじゃなくて、俺がロクサーヌを見ていくつもりだ。まぁ、俺は彼女の婚約者だから見ていても許されるだろうが、お前はもうロクサーヌを見るな。その資格は失っているんだからな」
ロランの言葉に無言になったダニエルは、そのままとぼとぼと歩いて去って行った。
あまり口が上手くない自分なりに、何とかダニエルに言えたと思う。
ロランとしては、前を見て歩いているロクサーヌが後ろを向いた時に、目が合って笑ってくれればいいという気持ちだ。
その時に彼女が素の自分に戻れるように支えていく。
ロランが優先するのは、ロクサーヌという女性の全てだった。
「叔父様、私、精一杯がんばってたつもりだったのよ。でも、ダニエルには全然足りなかったのね」
「……仕事の一環と捉えられていたようだね。仕方あるまい」
ダニエルに対して誠実でいたいと思っていたのだが、ダニエルにはその思いが届いていなかった。
もっと色々とやり方はあったのかもしれないが、あの時のロクサーヌは、それで精一杯やっているつもりだった。
「どう思うかは、人それぞれだよ。同じことを思っていても、絶望的に合わない人もいる。お茶を飲んでいる姿を、優雅に休憩していると見るか、仕事の合間にほんの一時だけ休憩をしていると見るのかは、こちらでは分からないことだ。そこだけ見れば、お茶を飲んでいる、という事実しかないからね。だからこそ、普段からの付き合いが必要なんだけどね」
ギヨームの言葉に、ロクサーヌはそっとため息を吐いた。
「ダニエルは、君が自分を見ていなかったといったが、彼だって君を見ていなかった」
「お互いさま、だったのかしらね……」
「ロランくんは、君が彼を見ていようがいなかろうが、しっかり君のことを見るつもりのようだよ」
「一つ間違えれば、危ない人じゃない。もう、仕方ないわね。彼を引き取って、しっかり手綱を握るつもりでいくわ」
「うーん、握られるのはどっちだろう?」
「私よ」
「はいはい」
久しぶりに見た姪っ子のぷすっとした顔に、ギヨームは穏やかな笑顔を向けた。
そして、夜が上手いか下手かについては言及してくれなくてよかった、とも思っていたのだった。