⑥
帰りの馬車の中で、ロクサーヌはアンジェラに謝った。
「付き合わせて悪かったわね、アンジェラ」
「いいえ、私も大変勉強になりました。もし、私の身にも似たようなことが起こった場合、ロクサーヌ様を参考にさせていただきます」
「私で参考になるかしらね?でも、あなたの勉強の一つになったのなら良かったわ」
「差し支えないのでしたら、教えていただきたいことがあります」
「何?」
「ロクサーヌ様が求める夫像とは、どんな方なのでしょうか」
ロクサーヌの求める夫像など簡単なことだ。
自分を補佐してくれる人間。
それだけだ。そこに余計な感情は必要ない。
……そう思っていないと、自分に対する愛情がほしいと叫んでしまいそうだ。
「……補佐能力さえあればいいわ」
「愛情は求めないと?」
「あればいいとは思うけれど、それを求めた結果、見事に捨てられた男の末路を今見たばかりだから…。侯爵家は私の血筋ですもの。私から生まれた子供が後継者であって、夫が外で作った子供は、我が家に入ることが出来ない。ロランがさすがにそんな恥知らずだとは思わないけどね」
「ロラン様だと、補佐が難しくないですか?」
確かにロランは基本的に騎士だ。剣を振るい治安を守るのが仕事なので、家の中で書類と格闘する姿など想像出来ない。
伯爵家の嫡男として育てられているし、王城勤務の騎士にはそれなりの知識と教養が絶対に必要なので、全く出来ないことはないだろうが、きっと身体を動かす方が好きだと思う。
「そうねぇ、アンジェラがうちに就職してくれるなら完璧なんだろうけど、閣下に身柄を押さえられてるし、将来の就職先は王城でしょう?」
「はい、申し訳ありませんが先約がありますので、私の就職先は王城と決まっています」
「そうよね。まぁ、閣下の身内をうちに引きずり込もうなんて考えてないから安心して。どう考えても、スパイを飼うようなものだもの」
さすがに家の内情が全部筒抜けなのは困る。
一応、それなりの規模の貴族なので、あまり外部に漏らしたくない事案の一つや二つは抱え込んでいるのだ。違法ではないが、ぎりぎりグレーくらいの事案なので、出来れば隠したい。
「叔父様が生きてるうちは、おんぶに抱っこかしら。その間に、分家の誰かか、もしくは孤児などを引き取るなりして、後継者を作るしかないわね」
もっと他に良い案があったら教えてほしい。
「今のところロランに求めるものは、子供のことだけかしら。夫として子供たちに愛情を持って接してくれれば嬉しいわね。理想の父親というものをあまりよく知らないのだけど、アンジェラは知ってる?」
「申し訳ありませんが、家族とはあまり上手くいっていなかったものですから。私を嫌っている家族から身を隠す方法くらいなら知っていますが……」
「あら、奇遇ね。私が知っているのは、自分の言うことを聞かせるために、私の大切な物を壊そうとする家族から、宝物を隠す方法よ」
「……今後の参考にお聞かせください」
「いいわよ。代わりに、私にも身を隠す方法を教えてね」
くすくすと笑うとロクサーヌに、アンジェラは複雑な顔をした。
「私たちの家はちょっと参考にならないわね。まぁ将来、生まれた子供に父親としてどうやって接するのかは、ロランに任せましょう」
ロクサーヌの言い方は、子供の父親としてのロランしか見ていない。
アンジェラには、ロクサーヌがすでにロランと距離を置いているように感じられた。
……かつてのアンジェラと同じように。
きちんと話せば理解してくれたかも知れない婚約者に対して、最初から自分には関係のない存在だと距離を置き、いないものとしてアンジェラは彼との関係に最初から期待しなかった。
話しかけられれば言葉を返し、微笑みもする。
でも、決して自分からは話しかけるようなことはしない。
同じ空間にいても、いないものとして扱っていた。
「難しいですね、知って切り捨てた方がいいのか、知らずに切り捨てた方がいいのか。知ること自体が深く関わってしまうのなら、知りたくない気持ちもありますし。どうせ捨てられるなら、別に知る必要もないし……」
アンジェラの婚約者だった男性は、最初からアンジェラを捨てる前提の婚約をするような人だった。
だから、図書館で思いもかけず知り合った時は、自分のことを知ってほしいという気持ちと、どうせ捨てられるからどうでもいい、という二つの気持ちが混ざり合って、アンジェラ自身がどうしたいのか迷ったほどだ。
ただそれも、彼がアンジェラのことをアンジェラだと知らずに近付いてきて、いずれ愛人にでもするつもりなのだと何となく悟った瞬間に、どうでもいいに傾いた。
どうでもいい→知ってほしい→どうでもいい、という感じで巡り、最終的には元の気持ちに戻ってしまった。
だったら、最初から彼のことを知る必要もなかったのに。
なまじ、ほんの少しだけでも彼という人間を知ってしまったから、今でも時々思い出してしまう。
「私の場合は、言い方は悪いかも知れませんが、その人のことを知り、どうでもいいものではなくて、相手も生きている人間なんだな、と認識してしまいました。そのせいか、切り捨てた人がほんの少しだけ、心の中に残ってしまっているんです」
「そうねぇ、どっちがいいのかしら。それもまた、今の自分を作った存在だと受け止めるべきかしら。まぁ、自分の心の中のことは、自分で整理するしかないものね。夫婦ともなれば、同じ屋敷で暮らすことにもなるし。その辺は割り切っていくしかないのかしら。ロランを縛り付けるために結婚するわけではないもの」
本当にこのままロランと結婚するのならば、最初にきちんと取り決めをした方が良さそうだ。
ダニエルと違ってロランはそういうことは守るタイプの人間だし、ロクサーヌもそれを決めておけば、ロランに対して変な期待は持たなくて済む。
「……何か、趣味没頭型だと、ロクサーヌ様の夫になるメリットが有り過ぎる気がします。ロクサーヌ様の夫になって子供さえ生まれれば、後は拘束されず好きなことが出来て、場合によっては支援もしてもらえそうですし、相談にも乗ってもらえそうです」
「ふふ、まぁ、ありがとう」
問題は、ロクサーヌに対してどの種類の感情を持つかということだ。
友人関係になれるのならば、それが一番いいだろう。
契約相手としか見ないのならば、彼女相手にもめ事を起こさないように気を付けるだけだ。
そして、お互いを支え合う本当の夫婦になりたいのならば、ロクサーヌにまず自分という存在を認めてもらわなければならない。
ロクサーヌが庇護する対象としてではなく、対等の夫として。
今の状態を考えると、それが一番難しい気がする。
「アンジェラ、今日はうちで夕飯をどう?ミュリエルも喜ぶわ」
「えぇ、喜んで」
アンジェラもまた、ロクサーヌが庇護する対象だ。
ロクサーヌの妹の友人で、まだ学生なのだから仕方ないが、いつかこの女性に認められる人間になりたい、それがアンジェラの目標の一つになった瞬間だった。
「お帰りなさい、お姉様。まぁ、アンジェラも一緒だったの?」
屋敷に戻ると、ミュリエルが出迎えてくれた。
ジェラールとのデートだったのだが、すでに帰って来ていた。
「ただいま、ミュリエル。アンジェラは、少し私の用事に付き合ってもらったのよ。今日は、このまま夕飯を食べていくことになっているわ」
「そうなの?」
「えぇ、ミュリエル、時間までアンジェラのことをよろしくね」
「アンジェラ、時間まで何かやりたいことはある?」
「では、図書室を見せていただけませんか? 本が好きなので」
「お姉様、いいかしら?」
「いいわよ。好きなだけ読めばいいわ。貸し出しもするから、ミュリエルに言ってね」
そう言うと、ロクサーヌは二人を置いて自室へと引き揚げて行った。
「こっちよ。うちの図書室は、過去にすごく本の収集にこだわった方がいるから、けっこう変わった本を置いてあるの」
正規の図書館には置いていないような本もたくさんある。
以前、本好きの人が大喜びしていた。興奮しながら、この本がまだ存在しているなんて!などと言って、本に頬ずりする姿に、ちょっと引いたくらいだ。
「お姉様とアンジェラが仲良くなってくれて嬉しいわ」
「そう?」
「えぇ。私はお姉様と同じ家で育っているせいか、どうしても同じような視点でしか見られないわ。でもアンジェラは、違う視点から見ているわ。お姉様とは違う視点から、色々な意見を言ってくれそうだもの」
「……私にだって、優先することはあるわ」
「もちろん、分かってるわよ。何て言うか……えーっと、アンジェラは、全てを客観的に見ているような感じを受けるの。その……ごめんね、私には、アンジェラがこの国に対してあまり愛着がないからこそ、見えているものがあるのだと思えるの」
ミュリエルの言葉に、アンジェラはふっと笑った。
ミュリエルの感じていることは、おそらく正しい。
自分でも時々、どうしてこんなにも冷静に見られるのだろうと思っていたのだ。
言われてみれば確かに、アンジェラを受入れてくれたこの国の女王陛下や宰相閣下には感謝しているが、どうしてもこの国でなければいけない、等という思いはない。
アンジェラの優先は、生国から逃げてきた自分を受入れてくれた人たちに対して、恩を返すこと。
そこには、女王陛下や宰相閣下も含まれるし、当然、友人として受入れてくれたミュリエル、後ろ盾の一人になってくれたロクサーヌも含まれる。
「そうね、私には、この国全体に対する愛着はないわね。でも、私を受入れてくれた人たちを守りたいという気持ちはあるわ。その人たちがこの国を守りたいと言うのなら、そのお手伝いはしたいの。もちろん、ミュリエル、友人であるあなたも私の守りたい人の一人よ」
「……ありがとう」
ちょっと照れるミュリエルが可愛くて、この子を恋人にしたジェラールは幸せな人だなと改めて思った。
「あ、じゃあ、アンジェラも恋人を作ったらどうかしら?そのまま結婚すれば、もっとこの国を守りたいって思えるかも」
「……当分はいらないわねぇ。まだ学業に力を入れたいし、周りの恋模様を見ているだけでお腹がいっぱいよ」
それに、ミュリエルにはあまり言えないが、同世代はちょっと物足りない。
もう少し年上の男性の方が、話が合う気がする。
「大丈夫よ、ミュリエル。ここだけの話、私は卒業したら、王宮に勤務することが決まってるわ。宰相閣下の仕事を手伝うことになっているの。だから、当分?もしかしたら一生?この国にはいるから」
「本当?」
「えぇ、仕事の内容も面白そうだし」
「よかった。学園を卒業したらお別れ、なんてすごく寂しいもの」
「そんなに薄情じゃないつもりよ」
「……だって、アンジェラだもの」
ミュリエルから見たアンジェラは、自立していて、その気になれば誰にも頼ることなく、すぐにどこかに行ってしまえるくらい行動力のある女性だ。
だからこそ、この国を客観的に見ているアンジェラが、愛着なんてない国から出て行ってしまいそうで怖かった。
「私だからって……、国を出るって、けっこう色々と面倒くさいのよ」
準備とか書類とか、色々と面倒くさい手続きが多い。
「もう二度と、やりたくはないわ」
「二度とやらなくていいわよ」
それは、この国に一生いてくれるということ。
思い出したのか、嫌そうな顔をしたアンジェラを見て、ミュリエルはくすくすと笑っていた。
廊下に響く二人の声は、窓から差し込む柔らかな日差しと相まって、穏やかで長閑な時間を作り出していたのだった。