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「ロランくん、ちょっといいかな?」
騎士としての鍛錬を終えたところで、珍しく王宮に来ていたギヨームに呼び止められた。
「珍しいですね。王宮に来るなんて、どうかしたのですか?」
「書類を提出に来ただけだよ。それにここにも友人はいるから、ちょっと会いにきたんだ。彼の手が空くのを待っていてね。少し時間が出来たから、話せるかい?」
「えぇ、かまいませんよ。では、私の部屋へ行きましょう」
王宮でも騎士としてそれなりの地位にあるロランには、個別の部屋が与えられていた。
そこでギヨームに弟からもらった珍しい紅茶を出すと、その匂いだけですぐに産地を当てられた。
「さすがです、ギヨーム様」
「紅茶も植物だからね。これくらいは、分かるよ」
ロランは分からなかった。まだまだ自分の知らない植物は多い。出来れば、この目でその全てを見てみたいものだ。
「ところで、ロランくん。ご両親は説得出来たのかな?」
「はい。先日、話をしてきました。どうやら先にロクサーヌが手紙を書いてくれていたみたいで、父も侯爵が直々にこれだけ丁寧な手紙を書いてくれているので、断れないと言って納得してくれました」
「そう、それはよかった」
さすがはロクサーヌだ。そういうところはきっちりやる。
「君はロクサーヌをどう評価する?」
「評価ですか?そうですね、民思いの良い領主だと思います。ロクサーヌは侯爵として申し分のない方だと」
「そうだよね、君もそういう評価を下すよね」
ギヨームのその言い方に、ロランは少しムッとした。
「ギヨーム様、何か問題でも?」
「……君、嫡男として育てられてるはずだよね?」
「はぁ、まあ、そうですが」
「でも、弟に爵位を譲れる。譲ろうという気持ちが持てる。ロクサーヌは違う。あの子の中には、侯爵位を誰かに譲るなんて選択肢はない。それはロクサーヌが、侯爵であれと教育されてきたからだ」
本当にこの教育方針を生み出したご先祖様を恨みたくなる。
「我が家の教育では、最初の子供は侯爵として育てられる。次期侯爵じゃないよ。侯爵そのものとして育てられるんだ。そして下の子供は、その子を補佐するために育てられる。だから最初の子供は、自分以外の人間が侯爵になれるとは思っていない。侯爵として下の人間を守っていかなくてはいけない、そう教えられるんだ。それこそ、物心付いた時からずっとだよ」
その分、下の子たちは多少の自由が許される。
それが、趣味に口出ししないということなのだ。
最初の子供のがちがちに固められた教育を見せられた下の子供たちは、侯爵になるためにはあの教育を受けなくてはいけない、お前たちの趣味も全て取り上げる、それでもなりたいのか、幼い頃からそんな風に言われて育てられるのだ。
正直、大人になった今なら、兄やロクサーヌは、侯爵家を存続させるための生贄なのかもしれないと思っている。
「ロクサーヌには、侯爵になるという未来しか許されていなかった。だから、君を紹介したんだ。爵位は、必ずしも最初の子供が継がなくてはいけないわけではないのだ、ということを知ってほしくてね」
最初の子供が継ぐのが、一番継承的に良いのは分かっている。
誰でも継げるのなら、それこそ爵位を巡って血みどろの争いが起きる可能性だってある。
だがそれでも、ギヨームはロクサーヌにそういう選択肢もあるのだと知ってほしかった。
「ロクサーヌは侯爵に申し分ないよ。当たり前だ。彼女は、侯爵として育てられているんだからね」
「ギヨーム様」
「ロランくん、ロクサーヌは君とこのまま結婚する気でいる。子供を一人か二人くらい産んだら、きっと君に自由にしていいと言うだろう。でもそれは、君のことを夫として思っているからじゃない。ロクサーヌにとって君は、ミュリエルと同じように、自分が守らなくてはいけない人間だからだ。侯爵として下の人間を守り、出来る限りの自由を与える。……残念ながらそうなった時、ロクサーヌは、君が自分の夫だと思っていないだろう」
ロランにとって夫婦とは、お互いに支え合う存在だった。
彼の父と母がそういう関係だったので、そうだと思っていた。
程度の差はあれ、どこの家でも補い合う存在だと思っていた。
だが、ロクサーヌは違う。
侯爵として誇り高くあれと育てられた彼女は、夫さえもその庇護下に置こうとしている。
たった一人で、全てを背負って立っているのだ。
……支えもなしに。
「ロクサーヌは、君が何をしようが口出しはしないだろう。それは信頼ではないのは分かるね」
「……はい。俺が彼女にとって下の人間だからですね」
「そうだ」
何か起こった時のケツ拭きさえ、彼女は当たり前のようにやろうとしてくれるだろう。
まるで、親のように、だ。
「ギヨーム様、ロクサーヌはダメ人間製造機ですか?」
「そうとも言う。私のことは、年上の叔父として多少は信頼して仕事を任せてくれているが、あの子は本当の意味で誰も信頼はしていないんだよ。だから、婚約破棄された時だって、冷静に全ての手続きを行ったんだ」
「俺のやるべきことは、まずはロクサーヌの信頼を勝ち取ることですね」
「そうだね」
でも、それをやるのがとても難しいのは分かっている。
それにはまず、ロランの中でロクサーヌを一番に置かなくてはいけないだろう。
そうじゃないと、聡いロクサーヌにはすぐに分かってしまう。
「私が無茶を言っているのは、分かっている。もし君がロクサーヌの庇護を望むのならば、そのままでいいと思う。だが、君がロクサーヌの夫であろうとするならば、あの子とケンカの一つでもすればいい。本音をぶつけられる人間など、ロクサーヌにはいないからね」
ロクサーヌはきっと、無意識にその選別をしてしまっている。
そして、今まで誰も彼女の庇護下から抜け出せていない。
「頼むよ、ロランくん」
他人任せになってしまったが、それでもギヨームはロランに、ロクサーヌの隣に立つことが出来る人間になってほしかった。
偉そうに言っているが、これはギヨームの個人的な思いからだった。
幼い頃、見上げた屋敷の窓に何度か兄の姿を見た。
好きなことをしていたギヨームを、羨ましそうに見ていた。
これは、ただの自己満足にすぎない。
あの日、声をかけることが出来なかった兄に対してギヨームがやりたかったことを、ロランに託しただけだ。
弟なのだから、もっと信頼してほしい。
ギヨームは、兄にそう伝えたかった。
でも出来なかった。
それは、ずっと心に残っている後悔だった。