③
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ギヨームの植物仲間の騎士ロランは、噂通りの外見の人物だった。
身体は大きくよく鍛えられている目つきの鋭い騎士は、笑うことがあるのだろうかと思ったくらいだ。
「初めまして、ロクサーヌ様。ロラン・ゾルディナです」
「ロクサーヌ・スルアです。ようこそ我が家へ」
ロクサーヌくらいなら簡単に隠れられそうな体格のロランだが、渡された花束は全て自分で育てた花だと聞いて、さすが叔父の植物仲間だと感心した。
ちなみに叔父は、ロランをロクサーヌに紹介すると、「後は若い二人で」とか言ってさっさと退散していった。
二人っきりにさせようという魂胆もあるが、あれは空いた時間で植物の世話をしに行っただけだろう。
ロクサーヌがこうしてお見合いをしている間は、ギヨームの手も空いて自由時間になるのだ。
自由時間は絶対植物に囲まれているのが、ギヨームという人なのだ。
「叔父から聞いていた通り、本当に植物が好きなのですね」
「はい。本当は騎士より、植物学者になりたかったんです。身体を鍛えて剣の腕を磨いたのは、自分であちこちへ行きたかったからです」
「あなたが次男か三男で、それほどの剣の才能がなければ、叶えられた夢かもしれませんね」
現実のロランは、どこかへ旅立つこともなく騎士として勤務している。
家を捨てて行けばいいという人もいるかもしれないが、爵位を継ぐ云々はともかく、家族の仲はよいのだろう。
だから、せめて弟が無事に爵位を継ぐのを待とうとしている。
才能ある長男がどこか遠くへ行って行方不明のままでは、弟の爵位継承に文句を言う者もいるかもしれない。
父親に弟に爵位を継がせてほしいと言っても聞いてもらえず、どう動けば良いのか分からなくなった時に、叔父から今回の話を提案されたのだろう。
「ふふ、あなたが望むのは、弟さんが無事に爵位を継ぐこと、それと植物と好きなだけ触れ合うことでよろしいのかしら?」
「はい。ロクサーヌ様が侯爵である以上、こちらに婿入りするのは当然のことだと思います。そうなれば、父も弟に爵位を譲るしかなくなります」
「弟さんは納得しているの?」
「もちろんです。我が家は騎士の家系なので、どうしても剣術が最優先にされがちですが、伯爵として家を回していく才能は、弟の方があります。何度も話し合いを重ねて、お互いが納得して決めました」
兄弟仲も悪くないようだ。反対している父親が納得すれば、伯爵家の方は問題ないだろう。
「では、私の方の条件をお伝えいたします。まだ公表はされていませんが、おそらく妹は、公爵家のジェラール様に嫁ぐことになるでしょう。妹が婿を取ればその子を私の後継者にするつもりでしたが、公爵家に嫁ぐのでそれは難しくなりました。なので、出来ればそれまでに私の子供がいることが望ましいです。子供がいなくても結婚していれば、誰も文句はないでしょうし、妹も安心して嫁ぐことが出来ます」
「でしたら、婚約期間は短い方がよろしいのでしょうか?」
「あまり急ぐことはありませんが、そうですね、長くても一年。途中で何事かあれば、もっと短くなるかも知れません」
たとえば、元婚約者が強行突破を図ろうとしてくるとか。
それほど愚かな人だったと思いたくはないが、思い詰めれば何をしてくるのか分からないし、ダニエルは、ロクサーヌなら何をしても許してくれると思っているように感じる。
……そんなわけないのに。
あれだけ堂々と婚約者の前で浮気が出来る男を、どうして許せると思っているのか不思議でしょうがない。
「それと、私の元婚約者のダニエルが、少々迷惑をかけるかもしれません」
「は?……元婚約者の方ですか?」
「えぇ。最近、私とやり直したいという希望の手紙が届くようになったのです。当然ですが、私にその気はありません。むしろ、どの面下げて言ってるの?己のしでかしたこと思い返してみろ、と言ってやりたい気分です」
「……あー、そういえば、聞いたことがあります。ロクサーヌ様の元婚約者の方は、好きな女性が出来たので婚約を解消された、と」
「その通りです。ダニエルはその女性、アネットと結婚したのですが、上手くいかず離婚したそうです。で、何を思ったのか、私とやり直したいとかいうふざけた手紙が届くようになりました」
ロランが気の毒そうな目でロクサーヌを見た。
ただでさえ手紙の件でうんざりしているのに、そんな目で見られると、ますますダニエルが嫌いになってくる。
「幼馴染で将来の結婚相手でしたので、まぁそれなりに仲は良かったと思っていましたが、しょせん学園で出会った女性に負けるくらいの絆しか築けていませんでした。ですが、幼馴染だからこそやり直せる、とかおかしなことを手紙で書いてくるようになりまして……」
「わかりました。もし、その方がロクサーヌ様に対して何やらしそうな感じでしたら、結婚を早めるということでよろしいでしょうか?」
察してくれて、大変有難い。
「……失礼ですが、ロラン様の方はいかがでしょうか?その……婚約者の方が弟君の婚約者になられてと聞いていますが」
もしロランが彼女のことをまだ愛しているというのなら、この婚約は嫌じゃないのだろうか。
ロクサーヌがそう思って聞くと、今度はロランが少し寂しそうな顔をした。
「問題ありませんよ。彼女は、伯爵夫人になりたいのであって、私の妻になりたかったわけではありませんので」
「その方のことをお好きだったのですか?」
「……正直、分かりません。俺……じゃなくて、私と一緒にいる時は、優しく笑ってくれる女性でした。弟に家督を譲りたいという話をしたら、すぐに伯爵夫人になりたいと言われたんです。ですから、少し複雑な気持ちではあります」
「あの、その方は、家同士で決められた婚約者だったのでしょうか?」
「そうだったら、弟の婚約者になるのは当然のことなのですが、彼女は私の友人の紹介で出会ったんです」
もし家同士で決められた婚約者だったのなら、ミュリエルが補佐としての教育を受けてきたように、伯爵夫人になるための教育を受けてきた女性なのかと思ったが、そうではないらしい。
彼女は、自分の意志で伯爵夫人になりたいだけのようだ。
「家の方がよく許しましたね」
「こういう言い方をしたら、印象が悪く思われるかもしれませんが、彼女はうちの両親に取り入るのが上手くて……気が付いたら、弟の婚約者に納まっていました」
「まだ、爵位のことでもめているのにですか?」
「えぇ。弟との話し合いのことは知っていましたから、伯爵になる弟を逃すまいと必死だったんでしょう」
「なるほど。それがその方の選んだ生き方ならば、こちらがどうこう言うことではありませんね。でしたら、うちに婿入りする予定のロラン様に興味はないと考えていいですね」
たまにいる、兄も弟も両方ほしいとかいうタイプだったらどうしようかと思っていた。
もしそういう女性だったら、諦めさせるのが非常に面倒になるところだった。
「爵位を持たない俺では、興味も持たれないでしょう」
「ふふ、俺っておっしゃっていますわよ」
「あ、失礼しました」
「いいえ、もっと自然にしてくださってかまいませんわ。婚約者になるのですもの。もっとくだけた感じでしゃべりませんか?」
「喜んで、ロクサーヌ様」
「どうか、ロクサーヌと呼んでください。あなたのことは、ロランと呼ばせていただいても?」
「もちろん。えっと、なので彼女のことは心配ないよ」
真面目な顔をしていると近寄りがたいが、にこっと笑えば少し可愛らしく見えるから不思議だ。
親しみやすさもぐんっとアップする。
「貴族同士ともなれば、婚約には当然、家が絡んでくるけど、どうしようかしら」
普通なら、家長同士が話し合ってという感じになるのだろうが、さすがに婿入り話を持っていっても、ロランに後を継がせたい伯爵は拒否するだけだろう。
「父への説明は俺がするよ。その後、帰る家がなくなるかもしれないけど、俺が言わないと」
「ここに帰ってくればいいわよ。万が一、婚約の話がなくなっても、好きなだけここにいればいいわ。叔父様のお友達ですもの。いつでも歓迎するわ」
短い時間だがこうして直接話をしてみて、ロクサーヌはロランが気に入った。
ロクサーヌの婚約者じゃなくなったとしても、ロランの面倒くらい侯爵家でみることが出来る。
「ロラン、これから、よろしくね」
「お手柔らかに、ロクサーヌ」
ロランはロクサーヌの右手を取って、その甲に口づけを落としたのだった。
ロクサーヌとロランが婚約してしばらくの間、二人は順調に交際していた。
好きな食べ物ややりたいことなど、たわいもない会話がこんなに楽しいことだとロクサーヌは知らなかった。
思えばなまじ幼馴染であった分、ダニエルとはこんな会話はあまりしなかった。
お互いが、今更の話をする気がなかった。
だから、こうしてロランと話すのが新鮮で楽しかった。
「お、どうやら婚約者としての仲を深めているようだね。いいことだ」
二人でのんびりお茶をしていると、大好きな植物の世話をし終えてご機嫌のギヨームがやってきた。
その言葉に、否定は出来なかったので二人はただ黙ったのだが、ギヨームはそんな二人の様子を見て、にやりと笑った。
「ロランくんは、何と言うか……騎士なんだよね。仕える主がいてこそ輝く人だから、女王陛下の騎士でありロクサーヌの婿として支える側になるのが適任だと思ってたんだよね。補佐として育てられた私が保証してあげよう。君の性格は、補佐向きだよ。もったいないねぇ、君のお父さん。君が弟くんの補佐になるって認めてあげれば、伯爵家も安泰だったのに。あ、趣味の植物については問題ないよ。我が家は代々、補佐の趣味には口出ししない派だから」
確かに趣味に口を出すつもりはない。それに本当にロランが支える側の人なら、ロクサーヌには最適な伴侶でもある。
「叔父様……」
「一応、人を見る目はあるつもりだよ。可愛い姪っ子に変な男を紹介するわけないじゃないか」
「えぇ、その辺は一応、信用はしています。叔父様、ロランにはダニエルが迷惑をかけるかもしれないという話はしました」
「あぁ、そうだ。その件で報告があるんだよ」
「……何でしょう?」
嫌な予感しかしない。
ロクサーヌは、露骨に嫌そうな顔をした。
「ロクサーヌは俺を待っているはずだって叫んでたよ」
「どこで?」
「彼の家だから、ご両親の前でだね」
「最悪だわ。叔父様、否定してきてくれたんでしょうね?」
「もちろん。だけど、ダニエルは本気でそう思っているみたいだよ。だから、気を付けてくれ。ロランくん、ロクサーヌが夜会に出る時などは、出来れば一緒に出席してほしい」
新しい婚約者と一緒にいれば、ダニエルも現実を認識してくれると思いたい。
ただ、ダニエルには後がない。
どういう手を使ってくるか、分からないところがある。
「ロラン、あなたには面倒をおかけすることになりますが、よろしくお願いします」
「面倒などと、婚約者を守るのは当然のこと。騎士としても、侯爵であるロクサーヌは護衛の対象だ。それと……最後に確認させてくれ。婚約者は本当に俺でいいのか?ダニエルとやり直さなくてもいいのか?」
ロランの問いは、もしここでダニエルを選んだとしたら、自分が身を引くつもりであることを示唆していた。
そのことに気が付いたロクサーヌは、心の中で自嘲して笑った。
結局、ロクサーヌは誰かの一番にはなれない。
ダニエルの一番はアネットだった。
そして今は、無様な己自身がどうやったら周囲に認められるかを一番に考えている。そのためなら、捨てたロクサーヌを再利用することを構わないと思っている。
ロランは、騎士としての自分と植物を愛する自分の心を一番に考えている。
支える側の騎士である自分では、伯爵という爵位を継ぐことに不安を覚えたので、それを弟に渡した。
ちょうど良いところに舞い込んだ婚約の話に乗ったはいいが、婚約者のロクサーヌの心配はしても、その心まではいらないと思っている。
だからこそ、簡単にあなたのために身を引くという方法でロクサーヌを捨てられるのだ。
でも、それはロクサーヌ自身も同じなのかもしれない。
侯爵である自分を支える伴侶を求めたのはロクサーヌだ。
ダニエルの時だって、引き止めようと思えば出来たのかもしれない。
こうして少しずつお互いのことを話してはいるが、会って間もないロランにロクサーヌに対する愛情を求めるのは、難しいに決まっている。
まして、これは政略結婚どころか、お互いの望みが一致しただけの都合の良い婚約だ。
こうして心配されるだけマシというものだ。
ただ、何故か、ロランとはこのまま上手く行けると思っていたので、ロクサーヌは自分自身の感情に戸惑った。
元の自分に戻ればいい。
侯爵としての誇りと使命。
夫に求めるのは、ロクサーヌの補佐と子供をもうけること。
ロランが植物を愛し、彼と血の繋がった家族を愛する心の持ち主だとしても、それをロクサーヌが受け取れると思ってはいけないのだ。
「ダニエルとやり直すつもりはないわ。だから、そんな質問は二度としないで。私の望みは、侯爵として領地を発展させて民を守ること。それから、それを次の世代に繋ぐことよ」
「……ロクサーヌ?」
先ほどまでの談笑と違う冷たい声に、ロランの戸惑った様子が伝わってきた。
けれどロクサーヌは、ロランの深い部分まで知るのは止めようと思った。
表面だけでいい。
そこだけ知ってにこやかに微笑んでいれば、周囲も、そしてロラン自身も仲の良い夫婦だと思ってくれるだろう。それだけで上手く渡り合える。
ロクサーヌのそんな決意をした横顔に、ギヨームが密かにため息を吐いていたことには、誰も気が付かなかったのだった。