②
「お姉様!ジェラール様が、お姉様の許可は得ているって!」
ノックの音と同時に部屋に駆け込んできたのは、ミュリエルだった。
ミュリエルの言葉は一部抜けているが、どうやらジェラールが早速ミュリエルを口説きにかかったらしい。
「落ち着きなさい、ミュリエル。確かにジェラール様には、あなたに関する許可を出しました。その様子だと、ジェラール様に口説かれたのね」
「は、はい。結婚を前提に、と言われました。ですが、私はお姉様を補佐しないと!」
幼い頃からすり込まれた、ロクサーヌを補佐するという考え方は、しっかりミュリエルの中に根付いてしまっている。
「ミュリエル、そんなに思い詰めなくていいのよ。私が余計な一言を言ったせいで、あなたに変な負担を負わせてしまったのは、悪かったと思っているわ。後継者のことは、心配しなくても大丈夫よ」
「で、でもお姉様」
「いい、ミュリエル。私はもう大丈夫だから、あなたは好きなようにしていいの。補佐するのだって、私からジェラール様に代わるだけよ。あなたなら、立派な公爵夫人になれるわ。だって、私の自慢の妹なんですもの」
「お姉様」
困惑しているミュリエルの様子に、ロクサーヌはくすりと笑った。
こういう言い方が卑怯なのは重々分かっているが、ミュリエルには自分が補佐をするべき誰かが必要なのだ。
それは別にロクサーヌじゃなくてもいい。
ギヨームのように割り切って生きていければいいのだが、ミュリエルでは性格上、難しそうだ。
「私、叔父様にお願いして、騎士の方を紹介してもらえることになったのよ。だから、心配しないで」
「騎士の方ですか?」
「えぇ、ミュリエルは知っているかしら?ロラン様とおっしゃるのだけど」
「……もしかして、鬼教官、と噂されている方ですか?」
騎士を目指す人たちから恐れられている鬼教官。
会ったことはないが、噂くらいならミュリエルだって聞いたことがある。
「叔父様の植物仲間なの」
「じゃあ大丈夫ですね」
叔父の植物仲間だと聞いただけで、ミュリエルは何故か大丈夫だと判断した。
何だろう、その叔父に対する妙な信頼感は。
「叔父様の推薦なら、きっとお姉様と気が合います」
「……どうして、そう思うの?」
「え?どうしてって……だってあの叔父様のお友達なんですよね?叔父様が、変な人を選ぶとは思わないですから」
「あー、うん、そうね」
ミュリエルは気付いていないが、他から見れば、ギヨームは十分変な人だ。
友人を選ぶ基準がけっこう独特で、ロランの場合は、あれだけの剣の才能を持ちながら、趣味が新しい植物を生み出すこと、というところを気に入ったらしい。
剣と酒ではなくて、剣と植物という組み合わせが珍しくて仲間になった。
酒を飲みながらの会話は、もっぱら植物のことばかりらしい。
「まぁ、ミュリエルには、ジェラール様とのことを前向きに検討してもらいたいわ。私のことや家のことは心配しなくていいから、自分で考えて答えを出してあげて。自分自身が納得の出来る答えの方が、すっきりするでしょう?」
「……はい」
そうは言っても、きっとミュリエルの心は決まっている。
無意識とはいえ、夕食の時などで、とても楽しそうにジェラールのことを語っていたのだ。
こうなると、いよいよロクサーヌはロランを逃がしてあげられないかもしれない。
うっかり囲い込んでも良いだろうか。
「……ロクサーヌ、何かよからぬことを考えていないかい?」
「あら、叔父様?いつの間に?」
先ほどまでいなかったはずのギヨームがロクサーヌを覗き込んでおり、ミュリエルが二人の様子を心配そうに見ていた。
「ちゃんとノックはしたよ。返事をしてくれたのは、ミュリエルだけどね」
「それは、すみません。考え事をずっとしていました」
「何か悪いことを考えている顔付きだったけど?」
「悪いこと、というか、ロラン様について考えていました」
ちょっと監禁に近いことは考えたが、さすがにミュリエルもいる場所でそんなことは言えない。
叔父が意味ありげな顔でにやっとした。
「そのロランくんだが、ぜひ君に会いたいそうだよ。急で悪いが、明後日が彼の休日らしくてね。その日でどうだい?」
頭の中でスケジュールを確認すると、明後日は特にこれといった用事は入れていなかった。
仕事も急ぎのものはないし、あれば明日中に処理すればいいいだけだ。
「えぇ、かまいませんわ、叔父様。うちに婿入りという形になるので、こちらに来ていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ。今回のことは、彼の家族もまだ知らないことだからね。彼がここに来る理由は、私に会いに来たことにしておけばいい」
こういう時、同じ植物仲間というのは便利だ。
実際、この屋敷の温室に叔父が人を招くのは、珍しいことではない。
「ミュリエル、そういうわけだから、ロランくんのことはまだ秘密にしておいてくれ」
「どういうわけかは分かりませんが、叔父様がそうおっしゃるなら」
さすがに今の会話だけで全てを察しろというのは無理があるが、信頼している姉と叔父の言うことなら、ミュリエルは無条件で聞く。
二人が秘密にしろと言うのならば、秘密にするだけだ。
「ロラン様は伯爵家の嫡男なのよ。ご本人は弟さんに家督を継いでもらいたいらしくて、うちに婿入りするのはちょうど良い理由になるの。ご家族には、色々と話が纏まってから伝えたいのですって」
「分かりました。ロラン様のことを聞かれたら、植物仲間の叔父様に会いに来たと言えばいいのですね?」
「そうそう。ロランくんは、あくまでも私の客なんだよ」
「はい」
ミュリエルが素直に頷くと、ギヨームも満足そうに頷いた。
「ミュリエル、叔父様と少し話したいことがあるから、悪いけれど出て行ってくれる?」
「はい。お姉様、私、ジェラール様とのことを考えてみます」
「えぇ。どういう結論を出すにしても、後悔しないようにね」
「はい」
ミュリエルが出て行くと、ロクサーヌは机の引き出しから一通の手紙を出してギヨームに渡した。
「何だい?……これは、君の元婚約者からの手紙?」
「すごく切羽詰まった良い感じの手紙よ。いっそ、詩人にでもなればいいのにって思うわ」
ロクサーヌは、呆れを通りこしてもはや感心すらしている。
面白そうな手紙ににやりとすると、ギヨームは遠慮なく読み始めた。
「うーん、悲壮感に溢れているね。詩人になるには、もうちょっと情緒溢れた感じの方が、好まれるんじゃないかな」
手紙の中は書かれているのは、いかに自分が可哀想かということ、ロクサーヌを捨ててまで結婚した女性にだまされたという訴え、ロクサーヌに対する想い、それからほんのちょっぴりの謝罪。
それらが悲壮感漂う文章で、びっしり書かれていた。
「読む方が疲れるわよ、こんな手紙。婚約していた時に一度も手紙をもらったことがなかったから、こんな文章を書く人だと気が付かなかったわ」
「いやー、これはその後に手に入れた文章力じゃないかな?あぁ、この辺りは、どこかの詩集で読んだことがある気がするよ」
あっはっはっはっは、と笑ったギヨームは、その手紙をロクサーヌに戻した。
「最近、似たような感じの手紙があちらの母君から来るようになったわ。叔父様、悪いけれど、伯爵に直接会って抗議してきてくれない?最悪、法廷で争うことも辞さないわよ」
「いいとも。良い感じであちらを煽ってこよう」
「止めて。煽らなくていいから」
「まぁ、それは冗談としても、ロクサーヌ、これだけ書いてくるということは、そろそろ直接君に会おうとしてくるのではないかな?」
「……その可能性も考えてるわ。なるべく夜会などは断っているけれど、いくつかは出ないといけないし。会ったとしても、二人っきりにならないように気を付けるわ」
それくらいしか対処のしようがない。
今は、直接何らかの危害を加えられているわけではない。精々この詩もどきの手紙で、精神的なダメージを負っているだけだ。
「ロクサーヌ、君は彼のことを好きだったのかい?」
「……さぁ、どうかしら。いえ、好きではあったのだけれど、今思うと、微妙な感情だったのかも。すごく熱烈に愛していたというわけではないわ。でも、幼い頃からの知り合いだったから、幸せにはなれると思っていたの。あの時のダニエルとアネットほどの強烈な想いはなかったかな」
ずいぶんと久しぶりに元婚約者の名前を口に出した。
ダニエルからアネットとの運命の出会いと、二人の間に燃え上がる恋心について語られた時以来だろうか。
あの時、ダニエルの傍で、彼の婚約者であるロクサーヌが自分たちの仲を引き裂く悪役であるかのような目で見ていたアネットに、この子に政略結婚の何たるかを説いたところで無駄なのだろうな、と思っていた。
アネットとの愛について語るダニエルは、自分で自分の言葉にずいぶんと酔っていた。
そんな二人を見て、さらに気持ちが冷めていったのは確かだ。
最初から張り合う気もなかったが、貴族として最低限の礼儀は守ってほしかった。
「何というか……出来の悪い弟?まぁ、幸せになれたかもしれないダニエルとの結婚という選択肢は、あの時に消えたの」
二人の熱気に当てられて気持ちは冷めたが、それでもしばらくの間は、ふと思い出してはやるせない気持ちになった。
「あの二人も、君という障害がいてこそ燃え上がった恋だったんだろうね。ふふふ、彼らにとっては物語の主人公にでもなった気分だったのかな。だがいざ障害が取り除かれて現実に戻った時、こんなはずではなかったと思ったんだろうね」
二人が離婚した時、かなりもめたという話は聞いている。
婚約破棄の理由がダニエルとアネットの浮気だったので、ロクサーヌは双方の家からかなりの額の慰謝料をもらった。
婚約者がいるにも関わらず、学園内で堂々とアネットといたダニエルは友人たちからも非難を浴び、アネットも婚約者がいる男性に平気で手を出す女性として敬遠された。
ダニエルは、伯爵家の三男という何とも微妙な立ち位置にいる青年だったのだが、ロクサーヌの婚約者として社交界では扱われていた。
それが、ダニエルの有責でロクサーヌとの婚約を破棄したのだ。
当然ながら、周りからの扱いは悪くなった。
今まで招待されていた夜会にも全く呼ばれなくなり、家に籠もってばかりいたと聞いている。
「だからといって、この手紙は迷惑でしかないわね。私の中でダニエルとの物語は、すでに終了しているのよ。続編もなしでいいわ」
「そうだよ、君はロランくんと新しい物語を作っていかなくてはね。じゃあ、明日にでも伯爵に会ってくるよ」
「えぇ、お願いします」
ダニエルの不幸を望んだことはない。
そんなにアネットのことを好きならば、出来れば二人で幸せになってほしかった。
ダニエルの隣に自分の居場所がなくなっても、それはそれで仕方がないと思っただけだった。
……ダニエルたちが望んだ物語は、ロクサーヌを置いて紡がれていった。
彼らが勝手に思って決めつけて、ロクサーヌに彼らが望む役割を果たすように強要しようとしてきた。
ただ、ロクサーヌがそれに乗らなかっただけだ。
そうやって手に入れて始まった新しい物語が、ダニエルとアネットの望んだ幸せの物語でなかったからといって、ロクサーヌが後始末をする必要はない。
破り捨てたはずの他人の物語がロクサーヌを再び追いかけてくるなんて、思ってもみなかった。