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姉妹で両親を色々な意味で葬った次の日、ロクサーヌの心は未だかつてないほどに晴れやかだった。
ミュリエルのことは、もう大丈夫だ。
あの子は、ジェラールと生きていく覚悟を決めた。
そして、それをジェラール本人にも告げたと言っていた。
次は、ロクサーヌが覚悟を決める番だ。
「ロクサーヌ、どうかしたのか?」
急に呼び出されたロランは、嫌な顔一つせずに来てくれた。
そして、ミュリエルと似たようなことを言った。
そんなに私は、分かりやすい人間なのだろうか。
向かいあってソファーに座り、ロクサーヌはあまり顔に出さないように気を付けようと思った。
「何か、吹っ切れたような晴れやかな顔をしているけれど」
「昨日、妹と色々と話をして、少し吹っ切れたの」
「そうか。なら、良かったのかな?」
「もちろんよ。それから、ロラン、先に謝っておくわね」
「は?」
いきなり呼び出されて謝られたロランは、全く意味が分からないという顔をした。
その顔を見て、ロクサーヌはくすりと笑ってしまった。
意味が分からなくて当然だ。
「私とあなたの婚約は、お互いの都合が良かったから、よね?」
「そうだな」
「そこに余計な感情はいらないと思っていたのよ」
ある程度、お互いの性格と生活を分かっていたら、他の感情などいらないと思っていた。
でも、ギヨームに言われ、ロランの言葉を聞いて、ミュリエルと話をして、ロクサーヌはロランにお互いの都合だけを求めるのは止めようと思ったのだ。
結婚して、夫婦になるのだ。
そこに、余計な感情がいらない、なんてことは絶対にない。
「人と人が関わるの。まして夫婦になろうとしているんですもの。ちょっとした好き嫌いの感情だって、間近で感じることになるのよね」
「あぁ、そうだな」
「だから、私はきっとあなたにも、最初の約束と違って、色々な感情を求めてしまうかもしれなくて……」
「なら俺も謝っておかなくてはいけない」
「ロラン?」
「俺は、君の関心を全力で取りにいくつもりでいる」
「え?」
「君が余計な感情だと思っている全てを俺に向けてもらうために、努力するつもりでいるということだ」
最初は仲の良い知り合いが勧めてくれた、お互いに都合の良い縁談だった。
だがロクサーヌを知り、ギヨームの話を聞いて、ロランが真剣に考えるべきことだと気が付いた。
これから先、どんな夫婦になるのか、ロクサーヌとどういう関係性を築きたいのか、ロランは真剣に考えた。
そして、出た答えが、都合の良い関係性では満足しないということだった。
「そもそも、よく考えたら最初に君との婚約の話が出た時点で、俺は君に惹かれていたんだ」
「待って、会ったことはなかったわよね?」
「個人的に話をしたことはないが、俺は何度も城内で君の姿を見たことがあった。侯爵として、君はいつも凛としていた。貴族とは、こう有りたいと思ったものだ。憧れていたんだよ」
同じ長子でありながら、爵位を継いだ者と爵位を継ぎたくない者。
自分とは、正反対の女性だと思っていた。
遠くから見つめたロクサーヌは、爵位を継ぐ器を持つ人だった。
自分が持ち得なかったものを持つ、憧れの女性だった。
「君のことを何も知らなかった俺は、君の表面だけを見て憧れていたんだ。でも、君とこうして話をして、君のことを知って、最初の都合良く婚約者になれた憧れの人じゃ満足しなくなった。だから、ロクサーヌ、俺は君がほしいよ。夫として、君の心がほしい」
「……ロラン……」
それは、ロクサーヌがこれから考えていこうと思っていたことの、遙か先をいっている想いだった。
ロクサーヌは、正直、まだそこまでは考えられない。
ただ、このままではいけないと思ったから、これから先のことを夫となるロランと考えて妥協点を探っていこうと思っていただけだった。
だが、ロランはすでに答えを出していた。
「……正直、今の私は、その想いに応えられないわ」
「あぁ」
「でも、一緒にいれば、きっと分かる気がするの」
「初めは友情からでもいい。俺は妻となった人を裏切ることは、決してしない。夫としての、俺を見ていてほしい」
「私だって、夫を裏切らないわ。そんな不誠実なことはしない」
「なら、夫婦となる俺たちには、もうお互いしかいない」
「……そうね」
婚約期間は、恐らくそんなに長くはない。
ロランは、ロクサーヌが良いと言ってくれていて、ロクサーヌもロランに不満はない。
ずっと、不安だった。
不安なのは、ロクサーヌが自分の心が信じられないことだ。
父や母に娘として愛してもらえず、前の婚約者には女性として愛してもらえなかった。
ロクサーヌも、彼らを愛していたのかと問われれば困る程度の感情しかなかった。
そんな自分が、夫となるロランを愛することが出来るかどうか、自分が一番不安でしかない。
ミュリエルを妹として愛しているように、ロランを夫として愛したい。
でも、心が拒否をする。
ミュリエルは妹だ。
生まれた時から知っている年下のミュリエルは、ロクサーヌが愛した分、彼女を慕ってくれた。
でも、ロランはそうじゃない。
会話をしたのも、婚約するために会った時が初めてだった。
そんな彼を、信じて、愛してもいいのだろうか。
そんな風に心の中に囁く声がする。
でも、決めたのだ。
彼と生きていく、と。
ひょっとしたら、これから先、ロランが心変わりするかもしれない。
ロクサーヌだって、心変わりをすることがあるかもしれない。
感情を交わらせるということは、そういうことなのだ。
互いの感情が交わるから、信じる心や愛する心が生まれ、裏切りや怒り、悲しみを覚えるのだ。
交わらなければ、何も生まれない。
赤の他人であれば、何も思わない。
「ロラン、私、あなたにたくさんわがままを言うかも知れないわ。文句も言うわ」
「いいね、そういうの。無関心の人間には、向けない感情だろう?何も思わないのなら、君は黙って微笑んでいるだけだ。貴族らしくね」
「無関心の微笑み、ね。便利よね、微笑んでいれば、たいてい都合の良いようにとってくれるんだもの」
「今みたいに、疲れたような顔でもいいから、俺には見せてくれ。隠さなくていい」
つい先ほど、あまり顔に出さないように気を付けようと思ったところだったのに、ロランは自分の前では出せと言ってくる。
夫婦になるのだから、隠す必要などないのだと。
「……たくさん見せるわ。もちろん、嬉しいことや楽しいことがあった時の顔もね」
「楽しみにしてるよ」
向かいのソファーに座っていたロランが、ロクサーヌの隣に移動してきた。
「ロラン?」
「距離も、こうして詰めて行こう」
優しく微笑んだロランは、静かにロクサーヌを抱きしめた。
今までロクサーヌの周りにはいなかった鍛え上げられた身体の感触に、ロクサーヌはどこか安心感を覚えた。
「急いだって、私の感情が追いつかないわ」
「お互いのペースでゆっくりいこう。何せ、俺たちは夫婦になるんだ。これから先、一緒にいる時間は何十年とある」
「……いつか、あなたに対する感情の答えを聞かせてあげる」
「俺が死ぬ間際でいい」
それだと、ロクサーヌはロランよりも先に死ねない。
「もっと前に、きっと分かってるわよ」
「言っただろう?俺は君の全てがほしいんだ。俺が君の傍で死ぬ、その寸前までの全てがほしいんだよ。俺の死に対する悲しみもね」
「何それ、ずるいわ」
私より先に死んで!って怒るかもしれないじゃない。
そう言いたかったが、ロランを喜ばせるだけのような気がしたので止めた。
代わりにロクサーヌは、ロランに思い切って口づけをした。
唇を触れ合わせただけの軽い口づけだったけれど、ロランは驚いたような顔をしていた。
「あなたの驚いた顔を見られて、私は楽しいわ」
これが、あなたに見せる最初の感情。
ロクサーヌはロランの顔を見て、満足そうに笑ったのだった。




