①
読んでいただいてありがとうございます。ミュリエルの物語からの続きとなっております。
スルア女侯爵ロクサーヌの前でにこやかに微笑んでいるのは、妹の同級生の公爵家嫡男のジェラール。
彼は律儀にも、ミュリエルを口説く許可をロクサーヌに取りに来たのだ。
「あなたのことは、ミュリエルから聞いているわ。私はミュリエルが良いと言うのなら、それでかまわないわよ」
「ありがとうございます、ロクサーヌ様。ミュリエル嬢とはあの件以来、親しくさせていただいています。決して彼女を不幸にしないとお約束いたします」
真剣なジェラールの眼差しに、ロクサーヌは、彼なら妹を捨てたりはしないだろうと思った。
妹のミュリエルは、少し前に婚約者のファビアンを彼の幼馴染に取られて婚約を解消した。
その時、ミュリエルの味方になってくれたうちの一人がジェラールだった。
知り合ったのもファビアンとの件がきっかけなので、ミュリエルにもう一度婚約破棄させるような愚かなまねはしないだろう。
「それにしても律儀ね。別に私の許可を得ることなくミュリエルを口説いてもよかったのよ?」
「いいえ、婚約は家と家との契約でもあります。結婚ともなれば、なおさらです。家長であるあなたの許可を得なければ、ミュリエル嬢は納得しないでしょう」
「えぇ、そうね。ミュリエルはアンジェラと違って、一人で立つ術を知らないわ。でも、当主の妻として、あなたを支えて社交界を生き抜くことは出来る。あの子は、大木を支える添え木になるように教育されてきたの」
「妹として当主であるあなたを、そして妻として夫を補佐するための教育をされているのですね?」
「……昔からのうちの教育方針なの。変な野心を抱かないように。もっとも、あの子の性格上、自分が表に立つという考えはないだろうけど」
スルア侯爵家は、その昔、兄弟姉妹による家督争いが頻繁に起こり身内での争いが激しくなり食い合った結果、一族の数がものすごく減った時期があった。
当時は、兄弟姉妹で毒を仕込んだり、暗殺者を送り込むことなどは日常茶飯事だった。
さすがにそれで数を減らして爵位そのものが危うくなったので、それ以来、第二子以降の子供には、徹底的に補佐するための教育を施してきた。
近年は、多少緩んできていたが、それでも補佐としての教育を施していたのは確かだ。
ミュリエルが抱く、姉の補佐をしなければという意志も、刷り込みの結果と言ってもいいかもしれない。
ロクサーヌは、そんな教育を施されていなくても、ミュリエル自身がそういう性格の持ち主だと信じていた。
「公爵夫人としても、十分やっていけるだけの能力はあるわ。ジェラール様、あなたがミュリエルとの婚姻を望むのなら、私のことも教えておかなくてはいけないわね」
「ロクサーヌ様のことですか?」
「えぇ。ご存じかもしれないけれど、私は過去に婚約破棄をされているわ。ミュリエルとは逆で、幼馴染だった婚約者が学園で知り合った女性と恋に落ちたの。彼は、私ではなく彼女の手を取って結婚までしたわ。ただ、その結婚は上手くいかずに、離婚したそうだけれど」
おかげで最近、やり直したいなんてふざけた手紙が届くようになったが、読んだらすぐに彼の実家に抗議と共に送りつけている。
だが彼の両親も、出来ればやり直してほしいなどと考えているらしく、あまり積極的に動いてはいない。
婚約破棄をした時の約束では、彼は二度とロクサーヌに近付かないと決められているのに、本当に都合の良い頭の中身だ。
それに、言い続ければロクサーヌが折れるとでも思っているのも腹立たしい。
あまりにしつこいようなら、裁判でもしようかと思っているくらいだ。
こちらにもあちらにも婚約破棄の書類があるのだから、今の状態は完全にあちらが悪い。
「その時に私が、結婚などせずにミュリエルの子供を後継者にするって言ってしまったものだから、あの子は必要以上に真剣に受け止めているの。それに私たちはすでに両親もいないし二人っきりの姉妹だから、あの子は教えられた通り、この家に留まって私を補佐してくれる気でいるのよ」
ジェラールは公爵家の嫡男、ミュリエルは侯爵家の次女。
釣り合いは取れているのだが、ミュリエルが姉の補佐として侯爵家に留まるつもりでいる限り、頷いてくれる可能性は低い。
両親は初めからミュリエルを外に出すよりも、侯爵家を支える一人として家に留まる前提の教育を施していた。
「でも、あれからもう何年も経っているし、私もそろそろどうにかしないと、とは考えているの。私が結婚してもいいし、遠縁の子を養子にもらってもいいわ」
「いざとなれば、僕とミュリエル嬢との間に生まれた二番目の子を養子に出してもかまいません」
ジェラールの言葉に、ロクサーヌは首を横に振った。
「小さな家ならばともかく、公爵家ともなれば治める土地や事業も膨大でしょう?兄弟で支え合っていかなければいけないわ。そこに侯爵家のことまで押しつけることなんて出来ないわよ」
ロクサーヌ自身、侯爵として膨大な量の仕事を熟している最中だ。
両親はいないが、叔父が手伝ってくれているので何とかやっていけている。
残念なことに叔父は独身生活を満喫しているので、子供がいない。
養子にするならば、もう少し遠縁の子供になるだろう。
「ジェラール様、ミュリエルに家のことは心配ないと伝えるつもりですが、あの子は私のことを気にするかもしれません。ですので、その辺りは上手く言ってください」
「……分かりました。僕で出来ることは手伝いますので、知り合いになりたい人などがいたら教えてください。会えるように手配いたします」
「ふふ。心強いですわね。公爵家の伝手で紹介をお願いする時は、よろしくね」
「えぇ、任せてください。ロクサーヌ義姉上」
「名実共にそう呼ばれる日を、楽しみに待っているわ」
ロクサーヌとジェラールの秘密でも何でもない会談は、こうして和やかに終わった。
後日、ミュリエルは、ジェラールがロクサーヌに会いに来たと知り、まさかジェラール様はお姉様のことが好きなのかしら、と、何となくもやもやした気持ちを抱え込んだのだった。
ジェラールとの会談から数日後、ロクサーヌは執務室で悩んでいた。
ジェラールにはああ言ったものの、いざどうしようかと考えれば考えるほど、結婚する必要はあるのかどうか悩んでしまった。
書類を見ながら処理はしているが、頭の半分くらいはその問題が占めている。
「……ロクサーヌ、気が乗らないようだね」
「……叔父様、叔父様はなぜ結婚されないのですか?」
「おや、ストレートに聞いてきたね」
にやりと笑った叔父のギヨームは、はっきり言ってダンディだ。
端整な顔立ちや後ろに撫で付けられた金髪が、男の色気を醸し出している。
女性陣がほっとかないだろうに、叔父が女遊びをしているなど聞いたことがない。
独身生活を満喫しているといっても、ギヨームは友人とちょっとしたカードゲームを嗜む程度で、後はもっぱら趣味に時間を費やしている。
その趣味も、植物を交配させて新たな花を生み出すというものなので、ギヨームが温室で寝落ちしている姿がよく確認されている。
「幼い頃から私の興味は、植物ばかりだったからね。貴族の女性たちからしたら、土まみれの手で触ってくれるな、というところだろう。何せ休みに行く場所は植物園か、変わった植物が生えている場所だ。一人の時ならともかく、たまにデートに行っても、女性をほったらかしにして植物ばかりに夢中になっていたからね。あまり彼女たちの話も聞いていなかったし」
「……最低ですね、叔父様」
いくら良い男でも女性を放置してまともに話を聞いてくれない男など、一緒にいても楽しくないだろう。結婚してもそれが続くのかと思えば、叔父が敬遠される理由がよく分かった。
「兄上にはよく怒られたよ。こういうことは、兄上には理解不能なことだっただろうからね」
「えぇ、まぁ、そうですね」
ロクサーヌの父親は、現実主義の堅物だった。自分の考えが一番正しいと思っているタイプの人間で、時間に遅れたりすることを嫌う人間だった。
だから、あの日、時間に遅れそうだという理由で盗賊が出没しているとの情報があった危険な山道を、母と共に馬車で行ったのだ。
ロクサーヌが、騎士団の討伐が済んでいないので安全な道で行った方がいい、と言って止めても、言うことを聞かなかった。むしろ、うるさい黙れ、と言われたくらいだ。
その結果、両親は死亡した。
正直、ロクサーヌとミュリエルは、あまり悲しくなかった。
父は、子供には乳母と家庭教師を付けておけばいい、という考えだったので、家族としての交流などあまりなかったし、母はそれに従順に従っていただけの人だった。
乳母が、ミュリエルにしょっちゅう会わせて姉妹の交流をしてくれていなければ、家族なんて知らないままだっただろう。
姉妹なのに、ただの当主とその補佐という間柄で終わっていたかもしれない。
「お父様と叔父様って、正反対よね。どうして、ちょうど良い感じで分かれなかったのかしら」
「ちょうど良い感じで分かれていたら、こんなに植物に情熱を捧げられなかっただろう?万能型の人間よりも、一つのことに特化型の人間の方が面白いというのが、私の持論なのだよ」
「叔父様だって、当主を補佐するための教育を受けてきたはずよね?」
「それはそれだよ。趣味までどうこう言われる筋合いはない。仕事さえしていれば文句を言われないのも、うちの良いところだよ」
「……ご先祖様って間抜けよね。教育さえしておけばそれでいいって思ってたんですもの」
「いやいや、これも時の補佐が当主と戦って得た権利だよ。裏切ったり爵位狙ったりしないから、趣味に口出しするな。素晴らしい権利だよ。それに趣味に没頭することは、権力争いはしないという姿勢を示しているからね」
それは、権力争いが終結した時に、当主側についた実弟が兄を補佐する代わりに得た権利だ。
以来、第二子以降の子供たちは、当主を補佐しながら、自分の趣味に没頭している者たちばかりだ。
ああ見えてミュリエルだって、趣味の刺繍をやり始めたら何時間でもやっている。朝から夕方暗くなる頃まで、ひたすら針を刺している日もあるくらいだ。
ファビアンとの婚約を解消してからは、少し前に買った無地のエメラルドグリーンのドレスに刺繍で見事な花を咲かせるのに没頭している。
「先日、ジェラール殿が来ていたね。それが関係あるのかな?」
「えぇ。ミュリエルを口説く許可がほしいって来たの」
「ミュリエルなら公爵夫人として、十分にやっていけると思うよ」
「それは別にいいのだけれど、そうなると私の後継者の問題が出てくるじゃない」
「そうだった。それがあったか」
「一番身近の叔父様には子供がいないし、遠縁の子を探すのも面倒くさいし」
「君の子供がいれば、一番問題はないね」
「そうなの。で、相手を見つけたくて。叔父様の研究仲間の若い子を見繕ってくれない?」
植物の研究仲間は、けっこうバラエティ豊かな面々らしく、中には貴族の次男、三男も交ざっている。
叔父のお墨付きなら、性格も悪くないだろうし、この家で己の意のままに振る舞うこともしないだろう。
叔父だって、当主である兄を補佐するように教育されてきたのだ。そんな叔父が、当主に危機感を抱かせるような相手を見繕うとは思えない。
ちなみに、前の婚約者は父親が見つけてきた人物だった。
「ふぅむ。条件は?」
「継ぐ家のない人。家から絶縁されているならなお良し。子供が生まれてからだけど、離婚したいと言うなら相談に応じるわ。研究費も要相談ね。出さないわけではないけれど、うちを傾けるほどの高額は困るもの」
「それだけなら、心当りは数人いるな」
「性格は叔父様に任せるわ。私と合いそうな人をお願いね」
「それが一番、難しいところだね」
「叔父様と血の繋がりがなければ、叔父様にお願いしたところだわ」
「残念ながら、私は君の実の叔父なのだよ」
「知ってるわ」
言ってみただけで、別に叔父に恋愛感情を抱いたことなどない。
ただ、補佐としては有能だし、ロクサーヌの性格も知っているので、結婚しても衝突することがないだろうと思っただけだ。
「一応確認しておくが、家を継がないのなら、長男でもいいのかな?」
「……理由しだいよ。ちなみに叔父様が推そうとしているその人の理由は何?」
質問が具体的すぎるので、叔父の中では誰かがいるのだ。
「裏付けはこれから取るが、騎士の家系の子でね。剣よりも植物の方が大事だという子で、家は弟が継ぐことになっているそうだ。ただねぇ、皮肉なことに剣の才能は誰よりもあるんだ。騎士団に所属しているのだが、模擬戦、実戦共に負けなし。そんな状態で家督は弟が継ぐとか言われても、周囲が納得しているかどうかは正直怪しいね」
「……叔父様、なんでよりにもよって、そんな面倒な案件を紹介しようとしてくるの?」
件の人物に、心当りがある。
ロクサーヌも噂だけは聞いている。何でも出世にも興味がなく、女王陛下から直々に昇進の話をされても首を縦に振らなかったという人物らしい。
ゾルディナ伯爵家の長男、ロラン・ゾルディナ。
「いやー、ロラン君から色々と相談をされててね」
「だからって!」
「侯爵家に婿入りしたら、伯爵も諦めるかな、っと思って」
「…………たしかに」
叔父の言葉に納得が出来た。
長男が侯爵家に婿入りすれば、自動的に次男が爵位を継ぐことになるだろう。
ロクサーヌは夫が出来て、ロランは実家の煩わしさから解放される。おまけに、植物仲間が身内になる。
双方が、共に損をしない相手ではある。
「ロラン様に恋人はいらっしゃらないの?」
「いたら私に相談なんかしてこないよ。婚約者はいたが、何と今では弟の婚約者になっている。家を継がない男に興味はないってはっきり言われたそうだよ」
「私とは正反対な方ね。まぁ、私の場合は、私が侯爵本人だから、夫に求めるものが違うといえば違うのだけれど」
「ロラン君、身体も大きいし眼光が鋭いから誤解されがちなんだけど、小さな花を愛する繊細な心を持つ優しき男の子だよ」
「優しき男の子の割には、鬼教官とか呼ばれているのは何故かしら?」
「剣を持っている限り、学生でも容赦しない性格なんだよ」
学園には、騎士団所属の騎士が持ち回りで指導する授業がある。
ロランもそれに参加して学生たちを指導しているのだが、他の誰よりも容赦なく叩きのめすので、生徒たちからは鬼教官として恐れられている。
「よければ会ってみないかい?」
「……そうですね、他にあてがあるわけでもないですし、叔父様、お願いいたします」
「引き受けた。楽しみに待っていてくれ」
「過度の期待はしないでお待ちしております」
ロクサーヌの言葉に、ギヨームはにやりと笑ったのだった。




