とどのつまり、世界があるから自身はあるのか?自身があるから世界があるのか?
舞島さんは、教室で一人だった。静かな教室に一人。世界が彼女のためにあるように思えた。
「角谷君、今日は早いのね。いつもギリギリに来るのに」
「ああ、今日は早起きしてしまったから」
そういって、俺はカバンを机において席に座る。閉鎖的な世界。舞島さんはどうしてこんなに早く教室にいるのだろうか。
「答えは、この空間を楽しむためね。今どうして私が教室に朝早くにいるのか思ってでしょ」
俺は、心を読まれた。かなり肝が冷えた。おかしいな。俺は舞島さんのことを知らないのに、彼女は俺を知っている。
「別に変なことではないわ。会話の流れで分かるでしょ。ふつう」
確かにその通りだった。俺の思い過ごしだった。
「そう、考えすぎだわ。私も考えてしまうけれども」
「ところで、角谷君は世界がどこにあると思う?」
「そんなの今、この目の前にあるだろう」
「あら、あなたの背後には世界が存在していないのかしら」
「言葉の綾だ。目の前にあるというのは世界の一部が目の前にあるという意味で世界のすべてを示すものではない」
「じゃあ、世界の全てはどこにあるのかしら」
「ある、というのはないを知って初めて分かる」
「ふん、それで」
「りんごがあるという状態は、りんごがない状態があって初めてあると言える。世界があるということを言うためには、世界がない状態を知らないといけない」
「でも、多くの人は世界があると答えるでしょ。だって世界の中にいるんですもの」
ガラ ガラと教室の扉が空き、学友たちが入ってくる。閉鎖的空間は世界に飲まれる。ありも知りえない世界に。ぴちぴちと尾が跳ねる。今日の先生は、元気に跳ねるのだった。塩焼きがおいしそうだ。




