恋は虎の子揺らぎの蜃楼
三題噺です。最近書いた。
ちょっとエッチなので注意。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、が別に下ネタではないと知ったのは、その語それ自体を学習してからだいぶ後のことだった。
思春期に入ってすぐくらいの頃、スマホをぼんやり眺めていたら見つけたアダルトビデオが、そういうタイトルだった。虎獣人の男女が本気の子作り生ハメなんちゃらとかそんな感じの内容で。女優は若い人だったけど、男優はそれなりに年の行っていそうな様子で、おじさん、という風貌だった。
俺は、その年の行った男優の腰つきに夢中になった。黄色地に黒、びかびかと眩しい警戒色な虎の縞模様。それが激しく前後して打ち付けられるのを見ていると、色味はまるで違うのに、不思議と海を思い出した。縞模様がうねるのが、荒波のそれのようだった。俺はそんな波を呼吸を乱してただ眺めていた。胸がザワザワする。荒れた海のもたらす恐怖感とたぶん同質のもの。最後に一度、縞模様の波が女優の腰に強く押しつけられる、そういう高波が押し寄せて、女優をワッと飲み込むみたいだった。やがて凪が訪れる。最後に男優と女優がキスをして、よだれが糸を引く。
俺はといえば、パンツを激しく濡らしていた。まるでこっちまで水飛沫が飛んできたわけでもあるまいに。
危険を恐れずに挑まねば、良い結果を掴み取ることはできない。いい意味の言葉だと思う。
「釣れますか」
俺の自宅でもある民宿からすぐ行ったところに、港がある。どこまでも広がっているかのような海に沿った港もまた、どこまでも広いかのように錯覚してしまう。まばらに釣り人たちが座り込んでいる中に俺は彼を見つけ、意を決して話しかけた。虎穴に入らずんば虎子を得ず、と思ったからだ。
「ん……いや、まーったく」
その虎のおじさんは、不意に話しかけられても驚くとか何か特別な反応をするでもなく、ごくごく自然に返事をした。
釣りについては詳しくないけど、おじさんの持つ釣竿はきっと立派なものなのだろう。普段この辺りで釣りをしている人の竿と比べても、なんだか大きくて、ごつごつしていて、つやつやしている気がする。
三日前にうちの宿にやってきたおじさんは、こうして連日港に出て釣りをしているから、それを目的とした旅行者なのだろうか。宿で掃除なんかをして働いている俺のこともおじさんは恐らく知ってくれているはずで、驚きはしなかったのもそのおかげかもしれない。
声をかけたはいいものの、その後が続かない。釣れないんですねそうなんですね、と返せばいいわけでは当然なく、ここならもっと釣れますよ、と気の利いた案内ができるわけでもない。自分の浅はかな勇気を俺は恥じた。それでも虎のおじさんと何か話して、何か繋がっていたくて仕方なかった。
「あ、いかん」
そんな俺の心を知ってか知らずか、おじさんはそう声に出した。
「根掛かりだ」
おじさんはやおら竿への手の添え方を変えると、あれこれと竿を揺り始めた。小さく軽く動かしてみたり、糸を緩めては引き締め、あっちやこっちから引いてみたり──と、するうちに、竿は緊張を失い、萎縮するように少したわんだ。やがて、針が無事に引き上げられた。
「はは、うまいもんだろ」
おじさんは俺の方を振り返ると、はにかんで言った。
俺はといえば、さっきから勝手に一人で堪らない気持ちになっていた。暖かな海風の中、薄着のおじさんの縞模様が、さざめくのを見ているだけなのに、興奮が止まらない。俺がいかに虎という生き物の、それも男を特別に思っているかということについて、目の前のおじさんが証明をしているように感じられるほど、充満する、べたついた潮風が俺を飲み込む。
空気感にくらくらしてからしばらく、ようやく俺はおじさんの提示する間の無言の意味に気づいて、ハッとした。それを直接言葉にしないのが、彼の優しさなのかはたまたそれ以外の違った何かなのかは、分からない。
「俺、お邪魔でしたね。すみません」
「いや別に構わん……と言いたいとこだが、まあそうだな。本音を言うと、釣りの時は一人が好きではある」
「えと、じゃあ……俺はもう……」
「すまんね。また、あとで……。あ、兄ちゃんひとつだけ、お願いをしてもいいか」
「なんでしょうか」
「宿に戻ったら、背中を流してほしいんだが。そういうのは、やってないかな」
「いや、や、やります。ぜひ、その、よろこんで」
「ありがたい、助かるよ。じゃ、宿で声かけるわ」
それからおじさんは俺に背を向けた。しかしそれが冷たい態度などというふうには全く思えなかった。おじさんが、確かに俺を宿の子だと認識してくれていたのが嬉しかったのもあるし、おまけに俺は想起した。潮風のそれともまた違うあたたかさに包まれた浴室へ、おじさんから誘いを受けたのだ。それがどれほどいやらしくて、甘いことかと言えば、きっと人生で前例のないくらいだった。もしくは、初めてあのアダルトビデオを見た時と同じくらいか。
俺は、「根掛かり」もなんかちょっといやらしい言葉っぽいな、と思った。
*
兄ちゃん、今いいかな、とおじさんに声をかけられただけで、俺の体は簡単に硬直した。おじさんは俺を連れ立って浴室まで行こうとしていたらしいが、それは断った。すぐ向かいますから、少々お待ちください、と適当なことを言って、俺はまず自室に飛び込み、服を脱いだ。人前に出られないほどの強張りは、触れればほんの数十秒も保たずに根を上げて、ひとまず弛緩する。俺は着替えて、念入りに手を洗って浴室へ向かう。
戸を開けて、湯気が俺の視界を一瞬白く染め上げた後、おじさんが座って待っていた。浴室に他の人の姿はない。おじさんは、よっ、と軽く片手を上げて挨拶をしてくれた。
半袖に短パン姿の俺と違って、当たり前だけど、おじさんは裸だ。太い両脚に橋を架けるみたいにして、股を隠している。
俺はおじさんの背後に回った。
よろしくお願いします、と軽く声をかけると、おじさんがタオルを差し出してきた。もしかしなくても、さっきの今までおじさんの脚に架かっていたものだ。生暖かい。そのタオルの感触と、そしてタオルで隠されていたはずのものが今晒け出されているという事実で、俺は気が狂いそうだった。しかし肝心なものは、おじさんの大きな大きな背中に阻まれて何も見えない。
俺はタオルで、おじさんの背中を擦り始めた。力加減は間違っていなかったようで、おじさんは緩やかに息を吐く。
おじさんの縞模様を、俺が乱して、荒波みたいに、掻き回して、直接触れている。頭がめちゃくちゃになりそうだ。さっき収めた緊張が、すぐにでもまた蘇ってくる。
逞しく生え揃って刻み込まれたおじさんの体毛の、その不思議な紋様が、やはり俺の気を惹いて仕方がなかった──。
「ここはいい町だな。海が綺麗だ。飯もうまい」
「ありがとうございます」
二人だけの空間で、おじさんの声がよく通った。それに対する俺の声が、どれほど弱々しかったことだろう。
「兄ちゃんは、海が好きかな。それとも、ここに住んでいたら、もうそんな感情は通り過ぎてしまうかな」
「いえ、好きです、海。いつも見てるのに、いつも違う顔してるみたいで、飽きないです」
「いいこと言うじゃないか。この辺の子は、そうして海で遊んで育つんだろうな」
「……いや、俺はずっと見てるだけで」
「泳げないのか?」
「泳げません。ちっとも。なんだか、海に飛び込むのって、戻れなくなりそうな感じがして、ずっと恐ろしくて。見ている方が、好きなんです」
「そりゃあ、勿体無いんじゃないか。思い切って飛び込んでみればいいのにな。きっと気持ちよくて、楽しいぞ」
「そういうものですかね」
ああ、ああ、くらくらする。飛び込んでしまいたくなる。そうなれたらどれほど楽か。
もう何にも分からない。なんで俺はそもそも、こんなことをしているんだろう。なぜ彼は、俺にこんなことをさせているのか。もしかしたら彼から背中を流してほしいと頼まれたのは俺の誤った記憶で、本当は俺の方から懇願してそうさせてもらってるんじゃないかとか、めちゃくちゃなことすら考え始める。
見ているだけで、いいはずなのに。触れることすら、恐ろしいのに。
俺の手の中で、波が揺れる。おじさんの毛皮の奥の温もりが、タオル越しに伝わってくる。そこに飛び込めたら気持ち良さそうだとただ思ってしまう、大きな大きな憧れの背中だった。
「せっかくだから私も滞在中に、釣りだけではなく海水浴もしてみようかと思う。そしたら君も、いっしょにどうだね」
なんで、俺に、そんなこと言うんですか。
海が彼を拐って飲み込んでいく。その向こうで彼が俺に手を振っている。そんな夢想をして、俺は、飛び込んだ。もう限界だった。
彼の背中に擦り寄って、後ろから抱きしめて、波間に顔を埋めた。拭っても拭ってもまだ毛皮に染み込んで落ちない潮の香りが、俺を満たした。おじさんの呼吸と鼓動で背中は優しく揺れていた。
「うお。なんだ、驚いたよ。のぼせでもしたか、それとも甘えん坊か何かか?」
おじさんは振り返らずに言った。こんなに俺を誘っておいて、抱きつかれたら驚くだなんて、本当なのだろうか。俺が勝手に誘われているだけなのか。驚いた、というのも感情のこもらない定型句なのか。
「ごめん、なさい……俺……お客さんにこんなこと……」
「……お客さんだなんて畏まった呼び方は、よしてくれよ」
「そしたら、ええと、さ、坂本さん」
俺は、帳簿で見たおじさんの苗字を呼んだ。
「もっと何か、あるんじゃねえのか。もっと気安くたって構わない」
「う、あ、おじさん。虎の、おじさん……」
俺は、俺がずっと心の中でそう呼んでいたように、おじさん、と口にした。
おじさんは、それが一番気に入ったようだった。
「ははは、おじさんか。悪くない。かわいらしいな」
おじさんはもぞもぞと動き出して、俺を優しく引き剥がす。腰を上げて、おじさんは俺の方に向き直った。白いお腹にも縞模様の波ははみ出していて、おじさんのすべてが露わになっている。堂々と、逞しい姿だった。こちらに伸びてくる大きな手が、俺の肩から胸元をなぞった。
「ほら、どうするんだ。こんなびしょびしょに。風邪を引くだろ」
おじさんは濡れた俺のシャツに手をかけて、たちまち脱がせてしまった。抵抗する力が、もう俺には残らなかった。上も下も全て引っぺがされて、おじさんと同じように姿が露わにされる。おじさんのように立派ではない体を晒け出しているのを恥ずかしく思うけれど、彼は気にしないようだった。誘われるまま俺は湯船に沈められて、隣り合うおじさんが肩に手を回してくれた。
「なあ、兄ちゃん。このまま君を、おじさんの部屋まで連れ帰っちまうのはだめかな。仕事に障りが出るだろうか」
「……もっと、遅い時間なら……たぶん」
「なんだか、君を呼び出してばっかだな。そしたら、もし嫌でなければ、あとで部屋まで来て欲しい」
「部屋で、何を」
「君はただ、おじさんに飛び込んできてくれりゃあそれでいいんだ。それだけで、後は勝手に気持ちよくもなる。な、分かるだろ?」
おじさんが俺の手を握る。握られた俺の手がおじさんの方に引かれていく。おじさんに触れる。
返答は声に出なかった。心の中ではおじさんを拒否する選択肢すら根絶されていた。
大きくて、ごつごつして、つやつやして、ぎらぎらして、びくびくして、どきどきして、繊細で豪快にうねって、底知れなくて、おじさんは海のようだ。
そして俺は抗いようもなくそこに飲まれていく。その危険を冒すことが正しくて必要なことなのか分からないまま、今夜おじさんの中に飲み込まれていく。
咽せ返るほどの濃い潮の香り。幼い頃からこの町で嗅いできたはずのそれが俺の肺を今満たしていて、頭が痛いくらいだった。
お題は「虎穴」「飲む」「竿」。
これお題が絶対オスケモのエッチなやつだろ!!!!!!!!!!!と思ったので心に正直にエッチに仕上げた結果、やたら筆が乗ったのでこれまでの三題噺よりも長い。




