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旦那さまの秘密のお部屋

三題噺。

大学卒業頃に書きました。前2話とはそれなりに期間が空いてるわけですが、ちょっとは大人っぽくなっただろうか。

 お屋敷に少し長く勤めているだけのしがない掃除婦奈保子は、ある時不意に、お屋敷の中で特別な存在になってしまいました。旦那さまの秘密を知ってしまったのです。

 決して入ってはいけないと旦那さまに強く言われていたハズのお部屋のドアが少し空いていて、その部屋の開け放たれた窓へぶわっと大きな風が飛び込むと、その勢いのまま半開きのドアも廊下を打ち付けるようにして自ら秘密を暴いてしまいました。

 そこを偶然通った奈保子は──旦那さまの秘密を見てしまったのです。その秘密は、この時から旦那さまと奈保子の二人のものになりました。


 奈保子は口の硬い女でした。加えて、それ以前に奈保子はとても口下手で、同じく口下手な旦那さまからは昔から共感に近い信頼を受けていました。対照的におしゃべりな奥さまは、奈保子のことをずっと仕事の手際はいいが陰気な女だと思っていましたが、旦那さまのご厚意で奈保子はずっとこのお屋敷に勤めて、もう何年になるでしょうか。

 旦那さまの秘密を知ったのがそんな奈保子でしたから、最初にその瞬間を見られた時、旦那さまは焦りはしても、割りかしすぐにいつもの調子を取り戻したのではないでしょうか。旦那さまは、改めて、このことを誰にも言わないように、この部屋に誰も入れないように、と釘を刺しました。それは、奈保子がこの部屋の秘密を知り、そして部屋に入る分には、構わないという意味でもありました。

 これまでどんな掃除婦も立ち入りを許されなかった部屋ですから、旦那さまが手ずから掃除をしていたのかもしれませんが、奈保子の目からしてみればあちこちに埃が溜まっていました。奈保子はまさしくここが私の仕事場であると思い、しきりに、それでいてこそこそと、この部屋を訪れるようになりました。今日もまた、掃除に来ています。


 平時、その秘密は、ただ部屋に入ったとしても目に見える形では現れません。昼下がり、窓際に旦那さまが腰掛けた時だけ、それが起こります。

 この部屋が何かというと、旦那さまのお父上が使っていたところです。奈保子は旦那さまがこのお屋敷を取り仕切る人になってしまってからのことしか知りません。ですからこの部屋を埋め尽くす様々な調度品がどのような経緯で集められたものなのかも知りません。いわゆる舶来品のこれら箪笥やチェアやランプなどが、どれほどの値がついてどこから運ばれてきたものなのかもさっぱり。

 かつては部屋中埋め尽くしていたであろう鼻をつんと刺す古い匂いも、今では薄まってきているのでしょう。旦那さまはこっそりとこの部屋で窓を開けるようになりましたし、古い匂いに変わって新鮮な新しい匂いが混ざるようにもなりました。お屋敷の歴史を背負い込んできたはずのこの部屋も、今の旦那さまのもとで変化してきているのでしょう。奈保子は部屋の掃除をしながら、思いを馳せます。


 掃除を終えると、奈保子は箪笥の一番下の段に手をかけます。あまり力をかけすぎると古い箪笥を壊してしまいそうです。その箪笥の中でなら、普段は隠されている部屋の秘密をいつでも垣間見ることができます。

 柔らかくてほのかに酸っぱい匂いがします。今はもうあまりそこには残されていない、新鮮な穀物の匂いです。匂いの根源は小さな巾着袋でした。

 奈保子は懐から、新しい穀物を取り出して、巾着袋の中に移し替えます。巾着袋と箪笥にまた、柔らかくてほのかに酸っぱい匂いが充填されました。それで仕事を終えて、奈保子は部屋の外の足音に気を配りながら、やがてそそくさとそこから出て行きました。


 ──奈保子は昔を思い出します。

 お屋敷に今より賑わいがあった頃です。当時、お嬢さまがまだまだおてんばな女の子だったのでした。旦那さまも幾分か気力に溢れていたようで、毎日お仕事に精を出して、お嬢さまのおてんばが過ぎればぴしゃりと叱りつけるようなこともしばしばでした。

 ある日、お嬢さまが犬を飼いたいと旦那さまにおねだりをしたことがありました。旦那さまはそれを許しませんでした。犬がお屋敷を荒らすことを旦那さまはまず嫌いましたし、お嬢さまは生き物の命を扱うにはまだ幼すぎましたし、何より性格の飽きっぽいことを気にした上での判断でしたが、それを聞いたお嬢さまはもちろん大泣きです。不器用な旦那さまは泣き続けるお嬢さまを叱って、そうするとお嬢さまはいっそう強く泣いて……の繰り返し。お屋敷に轟く二人の声に、奈保子や他の掃除婦たちもひやひやするような日がありました。

 旦那さまは、あの日のことを気にしているのでしょうか。それで、このことを家族の誰にも秘密にし続けているのでしょうか。お嬢さまも、もう良い大人です。きっとあの日のことも理解して、思い出の中に静かに仕舞っているのではないかと奈保子は思います。


 それは、とても最近のこと。強い風が吹き抜けたしばらく前、奈保子が旦那さまとの間に秘密を抱えた時のことです。

 光刺す昼下がりの部屋の中、白髪の増えた旦那さまはチェアを開け放った窓のそばに持って行って、ただじっと座っていました。旦那さまと一緒に窓際に集っていた子達は、風に驚いて飛び去ってしまったので、そこには旦那さま一人きり。

 奈保子もつい部屋の中に入っていってしまうと、窓側には穀物が撒いてあるのが分かりました。

 旦那さまはここで密かに、鳥を呼んで愛でていたのです。

 名も知らぬ鳥だが、ある時から窓際に来るようになって、餌をやるようになったのだと旦那さまは言います。いったいそれがいつからだったのか、奈保子にもわかりません。

 

 べつに、わざわざ秘密になさることじゃあないと思うのだけれど、と奈保子は思いますけれど、旦那さまは皆には秘密にするようにと静かにそれでも必死に言います。彼には彼なりの面子や義理があるのでしょう。例えば、犬を飼ってやれなかったお嬢さまへのものであるとかです。


 旦那さまが怪しまれないように、代わりに奈保子が鳥にやる餌を補充することになりました。お屋敷のどこかで二人がすれ違うと、旦那さまは小さく奈保子に礼を言います。古い部屋に新たな命のさえずりが宿ります。

 かつての、厳格でむすっとした辣腕家であった頃の旦那さまより、今のこの小さな鳥たちのさえずりに穏やかな顔で耳を澄ます旦那さまの方が、より好ましいと奈保子は思いました。奈保子もまた歳をとったからこそ、そう思ってしまうというだけのことなのでしょうか。


 奈保子は、あの時飛び去って行ったのが何というか名の鳥なのか知っています。しかしそれを旦那さまに伝えるようなことはしません。

 旦那さまの穏やかな楽しみに水をさすのは、掃除婦として出過ぎた真似に感じられるからです。


お題は「鳥」「掃除婦」「箪笥」。

前2話とはお題のジェネレータが違うので作風もちょっと違う感じなのかもしれない。

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