アッシュピンクとエバーグリーン
大学時代に書いたやつの中でも結構気に入ってるほうのやつ。
スロットマシンのレバーを引く。
リールが回転し始める。
その回転の最高速度では、桜はまともに絵柄を認識することができない。だから彼女は適当なタイミングで、ボタンを三つ叩く。
先程まで元気に回転していたリールは、外側からの理不尽な介入者の手によってぱったり息絶える。
節操なしに最大数のラインにベットして、何の絵柄も揃うことが無かった。一番下級の絵柄──チェリーでさえ実ることはなく。
スロットマシンはウンともスンとも言わず、次のメダルを要求するのみ。
「うわ、見て。7揃った」
隣の台からとぼけた声と、じゃらじゃらという音がする。鶴子が緩みきった笑顔を桜に向けていた。
「常盤さん、目押し得意なんですか」
「全然。適当に押しただけよ。人見さんと同じ、ただの運ゲー」
同じではないだろう、と桜は思う。鶴子はたった一本のラインにしかベットしていなかった。
「まあ、長く生きていればそういうこともあるかなってことよね。不老不死として、いろいろ遊びは経験しているから……もちろんこういうのも」
手のひらで掬うようにして、鶴子はメダルを収穫する。
「たまたまこれが大当たりの回だったってことね。試行回数だけはすごく多いから、私」
*
人見桜が不老不死を自称する奇人・常盤鶴子とつるみ始めてから、初めての春だ。
「人見さんって、桜餅の葉っぱは食べる派?」
桜餅パフェを食べながら、鶴子は喋り始めた。
開花宣言のニュースから数日。ちらりとでも桜を見てやろう、とする人々はまばらに街を闊歩していた。カフェの店内にも同様に、いくらかの人間が流れ込んでいる。
「ちなみに私は食べる派」
「私はそもそも、桜餅好きじゃないので」
「……まあ、多分そうなんでしょうね」
桜餅がそのまんま、大胆にも和風パフェに鎮座していることで話題沸騰の桜餅パフェ。そんな限定メニューのパフェに群がる連中と異なって、桜はブラックのコーヒーを啜るのみだった。
「葉っぱを付けるのも、それが桜であるのも、意味分からなくないですか。だったら普通の餅食べるけど、みたいな」
「うーん、風情の問題でしょう。春なんだから、桜。不老不死的にもそういうのアリだよ。毎日毎月毎季何もないと飽きるから」
「私は別に、そういうのどうでもいいので」
「そうですかー。今日は、こんなに気持ちがいい日なのに」
「そうかもしれませんね」
「こんないい日にまでゲーセンとか、どうなの。せっかくの春デートなのに」
「了承した上でついてきてるんじゃないんですか。別にいつものことじゃないですか」
「それはそうだけどさぁ。……なんか今日、機嫌悪い? いつもより、スロットしてる時の目、濁ってた感じ」
「今日だからって訳じゃないですが」
ゲームセンターでこれといった利益のないメダルゲームに興じた。愉快な景品がもらえるわけでも、それを換金したりするわけでもなくて、ただメダルをじゃらじゃら言わせて終わるだけのもの。とはいえ桜がじゃらつかせていたのは最初だけ、負けが続いて最後にはほぼ素寒貧。対して真横の鶴子は「たまには私もやろうかな」とレバーに手をかけ、そしたら大勝ち。
スロット自体は桜の趣味……のようなものだった。決して好きなわけでもないのに、どうしてかゲームセンターで見かける度に手が伸びて、気がつけばスロットのためにゲームセンターに通うようになっていた。彼女にとってリールの回転と向き合う行為は、何かリターンを求めて手に汗を握るような、それこそギャンブル的なものではなかった。
「春、嫌いなんです」
「花粉症?」
「それもあります」
「じゃあ、他にはなんで」
「桜が嫌いだから」
チェリーの絵柄すら揃わない──ソメイヨシノにはおいしいさくらんぼは実らない。ソメイヨシノはどれもこれもクローンで、同じ時期に咲きだして──散るのもあっという間で──。
「変なの。桜ちゃん、なのに? 下の名前」
「だから嫌なんです。あんまり名前呼びしないでもらえると」
「それはいいけど。何がそんなに嫌いなの? 私は桜大好きなんだけど」
「不老不死に話したって、どうにもなりませんよ」
「そんなことないかも。結構気になるよ」
桜餅の桜色は、食紅でつけただけの偽物だ。わざとらしいピンクの餅に、花が散った後の桜の残骸をはっつける。死んだ葉は塩漬けにされて、ミイラみたいに保存されている。おまけに言えば、やはりソメイヨシノは葉も食用には適さないという。あの花は──桜の王様みたいなツラをしたあれは、やはりその美しい花以外に魅力はない。
「じゃあ、桜見ながら聞くよ。この辺に桜の名所があってね、見たかったの。そこ行こう」
「……話聞いてました?」
「今から聞くんでしょ」
鶴子はいつの間にかパフェをペロリとたいらげていた。不老不死の女は、確かに桜餅の葉まで食べるタイプのようだった。
*
風が吹けば桜の花は飛び散った。地面や水面に落ちた花びらたちはすぐにぐちょぐちょの汚物に成り下がって、桜の木はどんどん禿げ上がっていく。日本全国でこのソメイヨシノの花たちが、短い盛りと死の重なりの中にいた。
「見て-、桜ってホントに綺麗ねー。それで、なんで桜が嫌いなの」
とにかくだだっ広い公園だったので、人は多くても座る場所は確保できた。ベンチに腰掛けて適当に視線を前に向けるだけで、桜の木がごまんと生えている。
「常盤さん、すごいですね……そのなんか、会話の振れ幅」
「不老不死だからね」
「不老不死関係あるんですかそれ」
「いろいろ割り切らなきゃいけないのよ、人生長いと」
「まあでも、そんなに知りたいなら話しますよ。大したことじゃないですけど……なにもかも」
春の風が耳をくすぐって、それから桜の声が鶴子に届いた。
「ほらあの、いっぱい生えてる。ソメイヨシノって、鑑賞用に作られた種なんですって。知ってます?」
「有名な話よねー。ぜんぶ接ぎ木で増やしたクローンとか言うよね」
「だから、果実もおいしくなければ、葉っぱも塩漬けにはしないんです。ただ花が美しいだけ──美しいは美しいんですよね。それは認めますけど」
「わかるわかる。こればっかりはほんとだよね。日本人の心とか何とか言ってね」
「でも、だから、桜なんて名前で、そんな象徴的なもので、私を表されたくないんです。そんな、一時ちやほやされて、すぐ散って、汚くなっておしまいのものみたいに私はなりたくない。何も残せない、一瞬だけ輝いて終わりってバカみたい」
ピンク色と一括りにするには儚すぎる、ほのかに灰がかった美しい花びらは、今この瞬間にもぽとりと落ちていく。その美しさは、スロットのボタンを押したときみたいにあっけなく止まって奪われていく。外ればかりで何も残らない、価値あるものは何も実らない。「まるで私の人生みたいね」ってありきたりな言葉がよく似合うほど。
「どうでもいいって、思いませんか。ただの一瞬だけ。その時だけ活躍して、あとはずっと良くないこと続き。それなら最初から、輝きなんてない方が早いって──そうは思いませんか」
「それで、こんなことしてるのね。金髪にして、派手な格好で、平日昼からゲーセンで。グレた不良娘みたいな」
「……そのくらいの遊び、誰でもするでしょう」
「私は不老不死だから似たようなことも確かにあったけど。明らかに遊び慣れてないの分かるよ、人見さん。スロットって、ああいう遊び方するものじゃないのよ」
「別に、知ってますよ。時間とかお金とか、ちょうどよくゴミにしたいだけで」
「そこでメダルゲーム選ぶあたりが半端にイイ子なのよねぇ」
桜の頭の中ではしきりにリールが回転していた。いつも頭でくだらない思考をぐるぐる回して、止まればやはりチェリーすら揃わなかった。ごくまれにヒットが出ても、次から次へリールを回せば得たものもすっからかんになっていく。何をしても上手くいかずに、たまに良いことがあっても一年殆ど下がりっぱなし。元から持っていた輝きも、すり減らして気が付けば失って。
「とにかく、桜を見ると嫌になるし、桜が嫌いなのは本当です。自分と同じ名前のものが毎年一瞬だけ持て囃されて、すぐ終わるのがカスみたいだなって」
桜みたいな人生が、きっとこれからも断続的に終わり続ける。実ることなんて何もないままに。桜の嫌なところばかり目について、名前の通りに桜みたいに、嫌なところだけなぞっていく。そんな嫌な人生、きっと短いだけの人間の人生。
──いっそもっと長ければそれだけで、いつか何か変わるかもしれないとさえ、桜は夢想していた。あるいは何も変わらないまま、ずっとずっと続くのが、気持ちいいようにさえ思えた。時間に翻弄されるより、それを超越した何かの方が。
桜の頭の中でリールが回転していた。
「あのね、人見さん。不老不死って伝染するの」
鶴子は唐突に切り出した。
「不老不死がそうしようって思ったら、簡単にできちゃうの。どんなものでもできるの」
「急ですね」
不老不死に、なれる。自分の考えを見透かされたようで、桜はたじろいだ。
「だから昔、若気の至りでね。不老不死の桜を作ったことがあるの。花が散らない桜ね。おうちの庭にその桜を置いておけば、いつでもお花見気分で素敵かなって。ほら、私、桜好きだから」
鶴子の頭のリールは、停止していた。不老不死の脳は、生きるうえで必要な何かの部分をもう切り捨てている。7・7・7の出目のまま、鶴子は動かなかった。
「……それでね。最初は結構楽しかったんだけど、なんだかすぐ飽きちゃった。ずっとそのままあるだけの桜って、すごくつまんないの。そしたらどんどん桜のことが嫌いになってきて……しまいには、木を切ったの。でもまあまだその木生きてるけど」
「不老不死ってサイコパスですね」
「否定はしないかなー。それから春になって、普通の桜見たら、やっぱり好きだってなったよ。儚くて、潔いから。それに私」
だから鶴子はもう、ジャックポットなんて狙うことはできなくなっていた。不老不死とはそういう生き物だった。
「地面に落ちてる桜も、川に浮かぶ桜も、好きよ。人見さんがそう思わないならそれでもいいけど、不老不死的にはそうなの」
「なんか……不老不死って、結構雑に生きてるんですね」
「そうよ。不老不死だって、普通に生きてなきゃいけないの。そうじゃなきゃ自分がダメになっちゃう。知り合いの不老不死もね、不老不死だからって不健康な食事してたら痛風になって苦しんでた」
「痛風も不老不死関係なくないですか」
ぶわっ、と風が吹いた。春の嵐が、またも桜の花びらを蹂躙していく。二人の方にも、花びらが風に乗って襲い掛かる。
「でも、私は元から桜が嫌いです。自分も嫌いです。」
花びらが視界を遮って、桜の表情が、鶴子には見えなかった。
「常盤さん。私も、不老不死になれたりするんですか」
「なれるよ。……なりたい?」
「……今から、ゲーセンに戻ってもいいですか」
*
「いいの、そんな簡単なことで、そんなに急に決めて。後悔しない?」
「私を不老不死にしたくないみたいな言い方ですね」
「だって、そんな運ゲーで?」
「運ゲーですよ、人生なにもかも。不老不死的にはそう思わないんですか?」
「うーん……まあ……思うけど……」
「不老不死の上から目線とか、いいですから。だるいので」
マシンにコインを入れる。全ラインにベットして、レバーを引く。眼でとらえきれない速度で、リールは回転を始める。絵柄が見えない。先が見えない。
桜は適当なタイミングでボタンを三回押した。回転速度は死んだ。
──絵柄が揃った。果物の柄が、左から右まで真っすぐ一列。
「あ、揃った」
揃ったら、桜は鶴子に、不老不死にしてもらう。そういう賭けだった。
「けど」
青くて楕円の、プラムの絵柄だった。チェリーより一つ上の役だった。
「賭けには外れました、ね。やっぱり私は実らない桜なんですね」
「てことは私の勝ちか。よかったぁ。じゃあそういうことで、よろしくね、桜ちゃん」
チェリーが揃わなかったから、桜は賭けに負けた。鶴子の要求が通ることになった。
「やっぱり、嫌ですね。名前で呼ばれるのは」
「不老不死的にはいい名前なのにね」
桜の頭の中のリールもひととき、回転を止めた。そしてまた、次の回転が始まった。
少しばかりの、ちょっと嬉しいくらいの量のメダルが、マシンから排出された。
春に書いた春っぽい話。
キャラのネーミングがなかなか自信あります。




