アイスクリームが溶ける前に、あるいは
前話のオマケ的作品。
個人的に書いたやつ。
白が上、黒が下。丸くて白いのと黒いのが積み重なったダブルのアイスクリームは、アーニーとどこか似ている。様々な組み合わせでアイスクリームを楽しんでさっきからずっと食べ続けている、いくら食べ放題だと言っても流石に厚顔無恥な、そんな自分と家族の恩人をルドルフは見つめていた。
「……お腹、痛くならない? そんなに食べて」
「ヘーキだ。俺は雑食なんだ」
「そういう問題かなぁ」
アーニーがニューシティを出る一日前のことだった。本当は、アーニーはその日のうちにもうニューシティを出るつもりではあったのだ。それを必死に引き留めたのが、ルドルフの両親、つまりマンモスアイスクリームの社長夫婦であった。両親が、息子や自分たちの会社を救ってくれたお礼がしたい──と言うとまず、アーニーはアイス食べ放題の権利を要求した。その要求は少しの稟議の時間も待たずに承認されて、オマケに街の有名高級ホテルでの宿泊もついてきた。金銭的価値の高いサービスに、アーニーはご満悦でニューシティでの滞在日数を一日増やした。部屋に遊びに行ってみてもいいかと聞くとハイともイイエとも言わなかったので、ルドルフはホテルまで着いてきてみた。マンモスアイスクリームの職員はアーニーと社長のご子息、二人の賓客をもてなす羽目になった。
「次のやつ、頼む。今のと同じ白いのと黒いので、今度は白が下で黒が上」
ちゃっちゃとアイスを食べ終わったアーニーは、またお代わりを頼んだ。ホテル最上階、ラグジュアリーなスイートルームの大きなソファにどかっと座り込んで、彼は自由なひとときを過ごしていた。小さなテーブルにはアイスのカップが乱雑に積み上げられて、塔を作っている。そこにまた積み上げるための建材が、まもなくアーニーのためにまた運び込まれてくる。
「あと、この小僧にもなんか持ってこい。なんでもいいよな? おすすめで」
「え、うん、なんでもいいけど……どうして?」
「お前さっきから、ずっと俺が食ってるのばっかジーッと見てくんじゃねぇよ。お前もなんか食ってろ、黙ってこっちばっか見てんなよ気持ち悪い」
「あ、ありがとう……」
オーダーを受けた職員が次のアイスを取りに行く。職員も仕事が早いから、今こうして部屋がふたりきりになるのは、ほんの数秒程度のことだろう。するとかえってルドルフは、何を言えばいいのか分からなくなった。アーニーをただ眺めているだけのことも、たった今封じられたところだ。
「なんで、今の、白と黒で上下逆にしてみたの? なんか意味あるの、味が変わるとか?」
とりあえず聞いてみる。アーニーの行動や発想は、いつだって奇異で不可解だ。
「さあ、知らんね。適当言っただけだ」
「職員さんへの嫌がらせとか?」
「まあ確かに、白いのと黒いのは多分、さっきの一杯で空になっただろうな。新しいバケツ取ってくるまで数分はかかるんじゃないか? 後は、社長のご子息におすすめするのを選ぶのにも時間がかかる」
「……?」
「というわけで、俺に話があるなら今のうちだ。何もお前だって、ただ俺が食うのを見物しにきた訳じゃないだろ」
「……そこまで考えてたの?」
「いや完全に全部後付けだが」
「はあ。そういうとこなんだよね……結局アーニーってイイやつなのか悪いやつなのか、僕にはわかんない」
ルドルフは長い鼻をだらんと下げた。彼を襲っていた謎の緊張感も、そうして同時に消えた。
それから、このパンダの男、奇妙な銃を携えた白黒のハード・ボイルド、アーニーことアーネスト・パンタグリュエル、と出会ってからほんの数日のことをルドルフは思い返した。
ニューシティの影で対立し、長く支配力を競い合っていたマフィアである「ツェラット」と「クラット」──それら二組織にアーニーは因縁をつけて喧嘩を売った。アーニーが喧嘩を売られたのではなく、アーニーから喧嘩を売った。そして厳密に言えば、最初にアーニーが殴りかかった組織はツェラットの方だけなのだが、マフィアの区別をつけることを諦めた彼はやがてクラットもまとめて相手をし始めた。
マンモスアイスクリームはその時ちょうどツェラットによる脅迫じみた干渉を受けていたが、社長は頑なに応じなかった。強硬手段に出たツェラットは社長の息子であるルドルフに牙を剥き──そしてアーニーを騒ぎに巻き込んでしまった。それがマフィアたちにとっての終わりの始まりだった。
あとはまあ、いろいろあって、アーニーがツェラットもクラットも腐敗した警察組織も政治家も全てをまるっと叩き潰して終わった。
様々な報道規制のおかげでアーニーの活躍は表には出なかったが、その活躍をなぜか間近で見る羽目になったルドルフは知っている。彼は確かにこの街のヒーローだった。
しかしルドルフはもう一つ知っている。彼はしれっと、こっそり、マフィアから金目のものを強奪していた。アーニーはそういう、善と悪の入り混じる流れ者だった。
「とりあえず……助けてくれてありがとう」
「おーおー、もう聞き飽きたセリフだぜ」
「とりあえずね、とりあえず僕は助けられたから」
「たまには人助けもするもんだな。いい宿にアイスまで付いてくる」
食べるべきアイスを一時的に失ったアーニーは、スプーンの先を宙にクルクル回して遊んでいた。些細なことで簡単にキレだす彼も、今はすこぶる機嫌が良かった。
アーネスト・パンタグリュエルのことが分からない。
そもそも獣人の街のニューシティでも、実際のパンダを見るのは誰もが初めてだった。
ルドルフは、部屋に備え付けの卓上化粧鏡をちらりと見る。同じ年頃のひとびとの中では目立って大きな、ゾウとしての自分の体がそこには映る。位置取りの問題で、アーニーはその鏡には映っていない。
パンダは何を考え、何を好み、何のために生きるのか。あるいはそれはただアーニーだけの言葉であって、パンダすべてのことなどではないのかもしれない。
それでももう少しだけでも、彼のことを知ってみたかった。
「アーニーは、旅をしてるんだよね」
「おう。自慢のマシンと一緒にな。そろそろアイツも走りたくて仕方ない頃だろうよ」
「この街を出たら、次はどこへ行くの?」
「当てはない」
「旅の目的地とか、ないの?」
「まったくない」
「じゃあ旅自体の目的は?」
「それもない。ただあちこち走り回ってるだけさ」
「……じゃあ僕も、いっしょに付いて行くとか」
「それはだめだ。俺の旅は一人じゃなきゃいけない。だってそうじゃなきゃ、俺が自由にできないだろ──まず、どうやって俺のマシンに追いつくつもりだ?」
「うー、ごめんなさい……言ってみただけだよ」
「ひとつ、いいことを教えてやろう。俺の全てに、意味はないんだよ──俺の考えも好みも存在価値も、俺が俺であるということも、意味はない。意味を持たせない。それが俺のポリシーなんだ。だから俺に何を聞いても、意味はない。そもそもどこにも意味なんてねーんだからな」
「そういう旅ができるのは、故郷も家族も財産も何もない、空っぽなやつだけだ。だから俺は何にでもなれて、俺はパンダなんだ。分かるか?」
「よくわからない。ほんとに、アーニーにはないの? その故郷とか、家族とか、財産とか」
「質問ばっかだな、お前。俺が知らないってことは、全部ないのさ」
「寂しくないの?」
「俺は俺だけで何にでもなれるんだ。寂しがる隙間なんざない」
ない、ない、ないない尽くしで、彼は否定でできた男だった。いくつもの否定だけが、その真ん中にある曖昧な彼の輪郭を作っていた。だからこそ彼は、ニューシティにはいないはずのパンダなのだろう。
だからニューシティに生まれ育ったルドルフにとって、アーニーはどこまでも異界の存在だった。
「お前はこの街でアイス屋でも継げばいいだろ。街の英雄が好んだアイスクリーム! いいだろ? 俺がいつかまたこの街に来るまで、うまく経営してみせろよ」
「また、いつか来てくれる? ニューシティに」
「さあな。この星が丸いなら、いつかはここに戻れるんじゃないか、俺やお前が生きてる間のことかは知らんけど」
「あははは、じゃあ、いつか社長になった時のスピーチで言うよ。恩人がいつかまた来てくれるように頑張ります、って」
スプーン片手に、何も言わずにアーニーはニヤリとした笑みを浮かべた。ルドルフは、彼からその笑みを引き出せただけで、何か有意義で十分なことができたような気がした。
*
大変申し訳ありません、お待たせしました、と声がして、スイートルームのドアが開かれた。お代わりのアイスが運び込まれた。黒と白のダブルのアイス、それと白にまばらの黒い粒が混じったアイス。アーニーとルドルフの前にそれは置かれた。
アイスはこの瞬間にも溶け出して、白と黒は徐々に混ざっていく。やがてどっちにもつかない灰色になって、だけど味は悪くない。
アーニーはすぐにアイスにがっついて、ルドルフは遠慮がちに食べ始める。先程までの意味ありげな語り合いは、それでおしまいになってしまった。
アーニーのニューシティ滞在最後の夜は、アイスと共に更けていく。溶けて、時間が過ぎて、それになぜか少し焦ったルドルフは、アーニーに色々話しかけた。意味のないような雑談を色々。話してる隙にアイスが溶ける、とかぶつくさ言いながら、アーニーは答えた。
それでも何を話しても、結局アーニーのことなど何も分かりはしなかった。掘り下げても掘り下げても意味のない言葉が出てくるだけで、それがアーニーなんだろう、とルドルフは朧げに思った。
まだ、あともう少し。この街を出て、彼が溶けて別の何かになってしまう前に。彼がパンダの風来坊としてここにいてくれるうちに。
アイスは溶ける、夜は更ける──。やがて、アーネスト・パンタグリュエルが、この世界を去る朝が来る。
前話とアーニーについての副読本としてのオマケ後日談なので、これといった説明はなし。
アーニーにはこういう冒険があったんだな、となんとなく思い描いていただければ。




