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天狗、白紙より来りて

大学時代のやつ

「真っ白な紙見るとさー、くしゃみしたくなるぜ」

「なんでですか?」

「そりゃだって、白紙よん? はっくしょん?」

「……そういう、くだんないのはどうでもいいんですよ」

 僕たちは真っ白な紙に直面していた。がたがたする机の両側から紙をじろじろ眺めていた。

 余白だけで構成されたその白紙(スペース)は、天にまします宇宙(スペース)と概念的にリンクしているかもしれないし、していないかもしれないし、そんなことはどうでもよく、ただ書くことが思いつかなくてその白紙(スペース)を眺めていた。

「あー。はっくしょん。いまのはマジくしゃみだぜ。演技とかじゃなくて」

 弘馬先輩がくしゃみをしているのはきっと、くだらない駄洒落などではなく──ウン億光年の宇宙の大きな孤独に、思わずくしゃみをしているのだろう。


 星見高校「天狗研究同好会」は存続の危機にあった。逆になぜこれまで存続していたのか。

 しかし同時にそれを許せぬのがこの僕、隠岐佐竹のプライドなのだからもうどうしょうもない。



「あー、隠岐。お前、天狗研究同好会ってのに入ってんだっけ?」

「……そうですけど。一応。何か?」

「お前らの部活がちゃんと活動してんのかって問題になっててだなぁ。そんで、活動報告を書いて提出してほしいんだよ」

「活動報告って……何すればいいんですか?」

「お前らが分かってないとダメだろそこは。天狗の研究をしてるんじゃないのか?

 だから研究成果のレポートとかじゃねぇの」



「今更なんですけど天狗の研究する部活って意味わかんなくないですか?」

「部じゃないぞ、まだ同好会だぞ」

「そうだった。これで部だったらびっくりですね」

 天狗研究同好会は一丁前に部室を持っていた。クソ狭い部屋だ。体育倉庫の方が広い。そのくせしてご立派な窓がついていて、放課後の校舎でわちゃわちゃと運動する人を見ても別に楽しくはない。この辺には天を摩する物もなくて、無駄に広い宙を見てもやはりどうしようもない。だから窓の外は見ない。この世界がつまらないことの象徴みたいでいやなのだ。

 壱村弘馬先輩の言うには部員は全員で五人らしいが、僕は自分と弘馬先輩しか知らない。

「まあ、昔は真面目に天狗の研究してたらしいぜ。俺が入った時にはもう駄弁るだけの会だったけど」

「真面目に研究する気持ちも、分かりますけどね。どうもこの辺の地域、あったらしいんです。天狗の伝説が」

「へーえ? おせーて」

「……気になるんですか?」

「気になる気になる」

 弘馬先輩は目をキラキラ輝かせてこちらを見る。知らない話にすぐ首を突っ込もうとする。

「……天狗ってのは元々中国で、流星のことだったんですよ。凶兆の流れ星です」

「なるへそ。文字通り天を駆ける狗のような流星ってことね」

「なんなんすかその謎の理解力。とにかくそこはさておき、それでこの辺の町名、星見って言うじゃないですか。ほらうちも星見高校だし。で、昔に『星が落ちてきた』ことがあって、それが名前の由来らしいんです」

「マジで。かっけーじゃん」

「あくまで伝説です。それで、その星が実は宇宙からやってきたスペース・テングで、テング様のお導きの通りにしていくと村がどんどん発達して……」

「……ん?」

「スペース・テング様はやがて元住んでいた金星にお帰りになられたが、町内に点在する寺では天狗を今でも祀っているという」

「おおー、ついにタケもおかしくなったか」

「僕の精神は大丈夫です。こういう伝説が大真面目に残ってんですよ、この辺」

 高校から歩いて十分くらいの資料館に行けば調べられることだ。

 昔のこの地域の暮らしの様子とか歴史を伝える物品とか、そういうまともに魅力的なのも見られるが。資料館としてもこの天狗伝説を押し出したいらしかった。だってこう、すごいキャッチーだもの。

「しかもこれ、一番酷いのが、ほぼパクリなとこです。京都のとある有名なお寺で、まさしく金星から来た天狗の魔王の逸話が語られていて。どう考えてもそれをパクっただけなんですよね。伝説の成立年代も怪しいです、実はかなり最近に創作されたものなんじゃないかと」

「ふーん、やっぱタケはさぁ、詳しいね?」

「……あ」

 しまった。つい喋りすぎた。

 あまり人前では離さないようにしていたようなことだ。奇異の眼で見られ、挙句避けられたりもするから。

「ほんとはしたかったんじゃないか。天狗の研究」

「別に……」

「またまたぁ。もう照れ隠しなんてしなきゃいいのに、ちゃんと話してよ。そしたら報告書手伝うよ。

 タケは好きなんでしょ? そういう──怪談とかオカルトとか」

 まあでも、弘馬先輩は妙な人だし。好奇心旺盛で行動力あって知りたがり、あと実は飽きっぽくてめんどくさがりで、おまけに何を考えているかがよく分からない。

 きっと僕の中での彼の認識は、未確認動物とか宇宙人とか、そういうのに近い。

「話さなくても手伝ってくださいよ。部員でしょ」

「ここは溜まり場じゃないのかね、楽しく会話をするための。タケの話聞きたいなぁ」

 だからか知らないが僕は先輩のこと、決して悪くは思えないのだ。



 小さい頃から好きだったんだ。奇妙な話、不思議な話、ゾクゾクする話。川には河童がいて火星にはタコがいた。

 僕が僕なりに描いた世界はとても美しかった。大人になればきっと、世界はもっと美しく目に映るのだろうと、そう信じていた。

 だが現実はどうだ、体も大きくなって賢くなってしまった僕は、理屈と知識に犯されていく。世界って案外つまらないんだ。例えば妖怪は科学的に説明がついたとして、誰かにとっては面白い話なのかもしれないけど、僕にとってはつまらない。

 つまらない。つまらない。つまらないけど、そういうもんさ。そうやって諦めつつある自分が一番つまらない。

 今だってそうだ。だからこそ譲れないプライドがある。

 天狗なんていないし、この町の天狗伝説なんて嘘っぱちだし。伝説を考えたいつかの嘘つきに言ってやりたかった。お前スベってるぞって。

 でも分かってる。きっとその嘘つきは僕と同じで──つまらない世界に抗おうとして、空回ってしまった人。

 そうして眼下の白紙(スペース)を睨む。僕はここに、何も書けなかった。

「ははあん、なるほど。ネッシーの写真がフェイクだったとかそんな感じ?」

「そんな感じです」

「サンタクロースが実は親だったとか?」

「まあ……だいたいそうです」

「頭痛薬の半分は優しさじゃなくて、普通に化学物質だったりとか」

「それは関係ないですね」

「柚子胡椒に入ってるの実はコショウじゃなくて唐辛子らしいよ」

「何の話です?」

「外と内は違うって話」

 弘馬先輩は、ペン立てからボールペンを取り出す。レポート用紙にすらすらと、何かを描く。僕からすれば反対向きなので、描いてあるものを理解するのに少し時間がかかった。やっと見えたそれは、ノートに顔と手足が生えたみたいな何か。理解したとてなんだこれ。

「これは天狗研究同好会のマスコットキャラ、ケンキューくん」

「そこは天狗部分をフィーチャーしてくださいよ。てかこの紙に書いちゃダメじゃないですか。新しいの持ってこないと」

 なぜボールペンで書いたし。そう突っ込みたくなる気持ちを堪える。弘馬先輩に言ってもまさに馬耳東風。

「タケはつまり、いかにこの白紙を埋めるかで悩んでたんだな」

 悪びれもせず、目の前の男はくっちゃべる。

「俺はこうして意味のない絵を描いて埋められるけど、タケにはできない。天狗なんて存在しない、とは決して書きたくなくて、でも誰かのパクリみたいな天狗伝説なんてもっと書きたくない」

「……」

「本当の天狗とは我々の心の中にいるのだ──ってクソの怪談話みたいなオチにもしたくない。だろ」

「なんでそこまで分かるんですか? 怖」

「真面目だねぇタケくんは。だからはい、代わりの紙をあげようね」

 弘馬先輩は自分の鞄をごそごそする。取り出されたのは……便箋?

 全体的に薄い紺色で、金平糖みたいな星々と、腑抜けた調子の宇宙人たちのイラストで装飾がなされて。えらくポップな宇宙柄の便箋だ。

「……ふざけてます?」

「いえす」

「一応聞きましょうか、その心」

「えー、タケはもっと気楽になればいいのになと」

 机の上に一枚ぺらりと置かれた紙を見つめる。幼い頃の宇宙観をそのまま写したようなもの。

「タケはまっすぐすぎるんだよな。別にいいんじゃないの、そう人間一貫してなくたって。外面だけ繕って、内側にぜったい譲れないものを飼ってさ。それじゃだめなわけ? ……でもタケのそういうとこ好き。俺へろへろしててさ、そんなふうに一途になることないもんね」

 先輩はまた紙にラクガキをしている。僕の目の前ののに。

「それは?」

「マスコットのドーコーカイくん」

「やっぱ天狗部分じゃないんすね」

「あゴメン。またなんか描いちゃった。まあまだこの紙なら持ってるよ」

「……というか、紙の例えなら外と内の関係は逆では?」

「じゃあ外面ヤバい人でも内面しっかりしてりゃいいよ」

「先輩は外も内もヤバいから、どっちかは整えた方がいいですよ。こんな紙持ち歩いてるのよくわからない、ルーズリーフとかじゃダメだったんですか」

「スペース・テング様の思し召しなんだぞこの便箋は」

「でたらめだ」

 僕は僕の鞄から、ルーズリーフを取り出した。

「先輩これ、交換です。この紙使ってください。僕便箋貰いますから」

「えー、つまんなくねー?」

「先輩は先輩らしく、つまんない紙を、いっぱい面白くすればいいんですよ。縛りプレイ的な」

 しぶしぶ真っ白なルーズリーフを受け取った先輩は、何やらごちゃごちゃと書き始める。アナーキーに、それでいて広い視野での完成形に向けて。罫線すらもその「作品」の一部に取り込んで。彼はこちらを見ることもなく言った。

「タケはやっぱそこに超真面目なレポート書いてよな。なんかそれシュールでウケるな、綺麗な川にカバいるみたいな」

「カバに失礼ですよ」

 それなら僕はこのふざけた白紙(スペース)を如何に埋めるべきだろうか。それを考えるのは、悪くない……というか楽しい時間だった。先輩の落書きに気を取られて思考が止まったりもした。

 我は本当に存在するのだ! と、宇宙(スペース)から天狗が吠えているような気がした。その言い分を聞いてやるかは別として。

 

 

 ……結局雑談ばっかりして、レポート進まなかったな。

 窓の外、黄昏時、もしくはそれを通り越して日没だ。昔はなにやら深い意味があったけど、現代人にとっては何の意味もなさない時間の区分。太陽が天道をいかに動こうが、地上は変わらず明るい。

「……家帰ってからちゃんとやりますね。もう帰ろうかな」

「おつかれーぃ。じゃあ俺も帰るー」

 窓という枠の中の。そこに書かれたものは何か。それが不意に見たくなった──これまで目を背けていたものから。端的に言うと窓の外を見た。


 光、だった。暗くなかった。否、暗い中に強い強い光があった。


 あの光はなんだろう。形を持っている。頭。腕。角。翼。爪。そういう風に見える。そして光は宇宙(スペース)へと昇っていって、見えなくなって、暗いのだけが残った。


「せんぱい今の、」

 僕は正面に向き直る──と、そこに居たはずの弘馬先輩は、姿を消していた。




「痛〜〜〜っ!」

 と思ったらいた。机の下から、ひょこりと先輩が出てきた。

「椅子ギッタンバッコンしてたら転んだ。……どしたの、なんかあった?」

「……ううん、何も。何もなかったんです」

「?」


 あの窓の外に僕はきっと何も見なかった。この世界には不思議なことがいっぱいあるかもしれないしないかもしれないし、あえて答えを出さないで曖昧なまま誤魔化すのもアリだと思った。

 それって、大人のやり方みたいだ。

 まあ大人はそんな、スペース・テング様の実在について論じたりはしないだろうが。


 ……嘘つきめ。あっちの方角に宵の明星は出てないぞ。やっぱりただのパクリだったじゃないか、金星から来た宇宙天狗だなんて。



 結局町の伝説とは一切関係ない「天狗の伝来と日本の信仰」という当たり障りないテーマのレポートを書いた。例の紙に書いた。それから届出をして、「総合オカルト研究同好会」に改名した。

 ある日の放課後、僕は本読んだり映像見たりして、宇宙柄の紙にいろいろメモ書きして過ごした。

 弘馬先輩はといえば、ただのルーズリーフにマスコットキャラの「テングーちゃん」を描いていた。それは改名前にやれよ。


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