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君はあのフライングパンツを見たか

大学時代のやつ。

 パンツが空を飛んでいた。いつもの風景だった。

 地球から見て太陽とは反対側、たぶん海王星とかの方向から、パンツは群れをなして飛んでくる。宇宙から地球の大気の中を抜けて、仲間と共に泳ぐイワシのように過ぎ去っていく。そして太陽へ向かっていく。

 そんな空をふと見上げる。見てはいけないはずのものたちを見る。僕は、その飛行パンツ群に、僕の今履いているのと同じものを見つけた。

 いやだな、と思って、まぶたの筋肉に全力を込めて見なかったことにしたり、そんなことがあったりとか、そういうのが今朝のことだ。



「おはよう。森塚くん」

「……おはよう。見えてるよ、その……」

「見せているのです。天に」

「そっかぁ」

 校門のすぐ手前で、僕はクラスメイトの永坂さんと出会った。永坂さんがこの調子になってから半年くらいになるだろうか。今日も彼女は、ミニスカートを極限まで短くし……そして限界突破して……パンツを丸見えにしながら歩いていた。レースの黒いショーツを。

「永坂さん、僕さっきね」

「なんです?」

「……やっぱ、なんでもない」

「そう。私は修行がありますので、失礼」

 「修行」のために永坂さんは、校舎にズンズンと入っていった。

 凛々しい彼女の後姿を僕は見守った。


 教室の自分の席に辿り着くと、隣の生徒が声をかけてきた。

「森塚、おはよ」

「おはよう。……見えてるよ」

「見せてんだっての。そんなに俺のパンツが気になるかいつもいつも」

「気になるっちゃなるけど」

「見せパンを解さぬファッションセンスの持ち主に何言われたってなぁ」

 男のひとの見せパンってせいぜいパンツのゴムくらいを見せるのであって、パンツ一丁なのはジャンル違うと思うけど。

 ビビッドなオレンジのトランクス姿で平木くんは僕の隣の席に陣取っている。昨日はビビッドなグリーンのトランクスだった。ビビッドだから彼のパンツはいつも良く目立つ。

「お、いいじゃんあの色」

 平木くんは窓の外、飛行するパンツの行列に目を向けて言った。つられて僕も、今日はこれ以上見るまいと思っていたのに見てしまう。……もう僕のと同じパンツは流れていってしまったのか、この場所からは見つからなくてほっとする。

「ほら、ビビッドなピンクだぜ。ああいうの買おかな」

「僕は……やだなぁ、ああいうの。大胆すぎる」

「大胆なのがイんだろ。見せてナンボなんだし」

 細い雲がいくらか混じる青い空。快晴に分類されると思われる空。ちゃんと見えてれば、たぶんそんな空、を、すべて塗りつぶすように、みっしりとパンツが満たしている。赤くて小さなリボンがちょこんとついた女の子向けパンツ。ネコちゃんの柄がかわいいボクサーのパンツ。誰が履くもんだか分からないお尻ほぼ丸出しのセクシーなパンツ。今朝僕が見つけた×××が×××の×××なパンツ。ひとつひとつ取り上げだしたらきりのないパンツ群。が、ゆったり流れていく。空を見上げて思索にふけったかつての人間の営為を全力でバカにするみたいに、パンツ群はふてぶてしく、ふんぞりかえって、僕たちから空を奪っていく。

 七十億枚オーバーのたかが布切れが原因不明にこの星を覆ってしばらく。地球人類の何度目かのパラダイムシフトは史上最もしょうもない理由で、しょうもない結果をもたらしつつある……と思う。そんな近頃だ。



 当然だが? 驚くべきことに? どっちでもいいか。永坂さんや平木くんは、街を歩けば二度見される人間でも、後ろ指を指される人間でもなかった。パンツが空に現れてから、人間の下着への感覚はゆるゆるになってしまった。いつぞやの流行り病の際、マスクにめちゃくちゃうるさくなったとかいうのと逆の現象だった。

 要するに、隠さなければならないもの、すなわち隠されているからこそ魅力的な物であったはずのパンツという存在は、大きく変わってしまった。変わってしまった後どういう結論に落ち着けるべきか、人類はまだまだ模索中だった。その一環で永坂さんや平木くんのようなスタイルに進む人も珍しくなく──というか結構いっぱいいて──ともすればとびきりインモラルかもしれない世の中が、なんとなく曖昧に存続していた。

 外に出れば、空には億ほどのパンツ、地には数十のパンツ、海までパンツに溢れるのは時間の問題かもしれない。水着を広義のパンツとすればもう既に、という説もある。そんなパンツ・クライシスを引き起こした当のパンツたちは、そんな人間のてんやわんやなぞ知ったこっちゃないというふうにまったり空を横断する。



「こんにちは。森塚くん」

 昼休み、呼びかけに応じて顔を上げると目の前にパンツがいた。永坂さんだった。

「今朝のお話、聞きに来たわ」

「今朝のって?」

「何か言いかけて、やめていたでしょう。それを聞きに来たわ」

「いいのにわざわざ」

「私、分かっちゃう。あなたにも覚醒のときが訪れたことが。導いてあげましょう」

「え?」

「永坂ぁ、やめろよ。俺今森塚と飯食ってんだよ。宗教勧誘とか聞きたくねんだわ」

 机をくっつけてきて一緒に食べていた平木くんが、永坂さんに噛みついた。机の下で彼のパンツがぎらつく色を発していた。

「ちょうどいい。平木くんも一緒に聞くといいわ」

「聞いたよ前に。何度も聞いてるし。もういいっつーの」

「じゃあ、平木くんはまだ覚醒してないのよ。でも森塚くんはどうかしら」

 永坂さんの黒くて大きくて長い目、パンツのそれと同じくらい妖艶さを持つその目が、僕をとらえる。僕はぞくっとして、鳥肌が立った。

「森塚くんあなたは、見たのよね、きっと今朝に」

「な、何の話」

「だから私に話してくれようとしたんでしょ。あなたが視た運命の話」

 そうなのだった。

 それまでおとなしかった彼女がしきりに「目覚めた」と方々で語り始めたあの日、パンツを出してあちこち練り歩く「修行」を始めたあの日。それ以来彼女が語り続けていた身の上話が、やっと僕にも少し理解できてしまった。だから僕も、僕のことを話してしまいそうになった。

「森塚くんは見つけたのよね。あなたの運命を、あの空に」

「う……」

「恐れることはない、恥じることはないわ。見てしまったのなら、あなたはすべきことに気づいたハズ」

「ってのかよ。どうかしてんぜ、そんな都市伝説信じるなんてさ──なあおい森塚ぁ、違うよな?」

 平木くんが僕の肩をバシッと叩いたこと、それから僕に今朝起きた事実を言い当ててしまったこと、この二つのせいで僕は驚きのけぞってしまう。

「あ、うん、いやそれは……」

「まだ見たことない人は、決まってそう言うのよね。平木くん。あなたもどうせすぐ理解るのに」

 永坂さんの高らかな演説は続く。この世の全てを解き明かすかのような語り口。

「森塚くん。今すぐあなたもパンツを出すの」

「う、うーん……」

「あなたのパンツは天に在り。すなわちあなたは天に在り。天とあなたは照応す。やがて天とあなたは合一す。全ての人のパンツは天に在り。すなわち全ての人は天に在り。全ての人もまた、天と照応し、天と合一す。

 今すぐパンツを露わにせよ。今すぐあなたを露わにせよ。あなたは天にパンツを見る。パンツは地にあなたを見る。あなたはパンツ。パンツはあなた。あなたは天と地に常に在り。全ての人も、また──

 これがもたらすものが分かるかしら?」


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 永坂さんの主張はこうだった。

「私も最初は驚いた。私のパンツが空にあるなんてありえないと思った。でも、事実なの。あなたも明日からは、毎日気づく。あなたのパンツは実は毎日空にあるの。そうして私は目覚めた。さああ、今すぐパンツを出しなさい。恐れることはない、恥じることはないわ」

「……黙って聞いてりゃ、それってよぉ」

 またしても、平木くんは噛みついた。神に仇なす英雄のごとく。あるいは悪魔のごとく。

「永坂は、パンツを出すことを恥ずかしがっている──そうだろ?」

「……最初は誰しも、そう。だけど運命に気づけば……」

「おかしんだわ、そんなんは。俺は……恥ずかしくないぜ? パンツを出すのは、恥ずかしいことじゃない。修行なんてもんじゃない!」

 平木くんは椅子を蹴飛ばして立ち上がり、そして机の上に飛び乗った。机はガタガタ揺れて、お箸が床に落ちる。彼は腕を腰に当て、歌うように宣言する。

「俺は、パンツを見せたくて見せてんだ! パンツが俺の自己表現だ! パンツが俺のファッションだ!  俺のパンツを見ろ! 一キロ先まで輝くこの蛍光色を見よー!」


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 そして平木くんの主張はこうだった。

 僕は。

「平木くん、あなたとは」

「永坂、おめーとは。ひとつだけ意見が合うな」

「ええ、そうね」

 僕は僕は僕は。

「だから森塚も、パンツを見せるんだ」

「森塚くん、パンツを出しなさい」

「「あの空にたなびくパンツのように!」」

 僕は、心底どうでもよかった。さあ君自身が道を選ぶのだと、二人は手を差し伸べていた。それをどっちもガン無視して僕は、ただそっぽを向いた。どっちもごめんだった。

「……ほんとの空って、あそこじゃないと思うよ」

 だって空をパンツが飛ぶわけないんだもの。

 そんなものは空ではない。空とはきっと、パンツひとつない──そんな遥か高いところのことを指すに違いない。



「はぁー、あ」

 自宅で一人、僕はクローゼットを整理していた。

 学校から帰って、自分の部屋に閉じこもって、さっきまで履いていた×××が×××の×××なパンツを脱いで、それ以外にも持っているだけのパンツをかき集めた。どれも、安い服屋の三枚セットなんかで買った何の変哲もなければ、何の面白みもないパンツだった。見られて恥ずかしいものではない、誰もが履いてるようなふつうのパンツ、それでも僕だけの、僕のパンツ。

 それを空に見つけた。それを誰かが僕のものだと判別することは不可能だとしても、僕には僕のものだと分かる。僕のパンツの現身は、ひとりでに空を飛び、こちらを睥睨していた。それが気に食わなかった。不快だった。触れられたくないところに触れられているみたいだった。語りたくない言葉を自白させられているみたいだった。

 僕はこんなパンツ全部捨ててやろうと思った。

 下に何も履かないで、だからちょっとすーすーして、カーテンから顔だけ出して外を見た。

 パンツ群はまだ飛んでいた──空はまだ青いらしい、ということはパンツの隙間からかろうじて分かった。

 パンツが邪魔くさい空に、それ以外を求めた。雲が少しだけ見えるような気がして、細い雲が横たわっているような気がして、それからふと思い当たった。

「ふんどしとかにしてみよっかなぁ……」

 ふんどしが空を飛んでいるのは、僕はまだ見たことが無かった。

 もしふんどしが空を飛んでいたら、きっと細い雲みたいに見えて、他のパンツなんかよりよっぽど空に馴染むんじゃなかろうか。その方が、なんかちょっといい気がする。パンツより。

 ふざけた世界に一矢報いる僕の渾身のふざけが、パッと頭に浮かべてやがて空に溶かす。

 パンツばかりが埋める空の原理に、うっすらとした穴をいつか開けてやりたいがために。


完璧ふざけたノリなふうで、話としてはそんなにふざけてない感じ。

なんか変な話が書きたかった気分だった時の作品なのは覚えてます。

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