右手を毒手にした悪役令嬢は「威力が強すぎますわ!」と後悔し、それを救えるのはポーション飲みすぎデブ貴公子だけ
伯爵令嬢セレーナ・ルチルは子供の頃から人をからかったり、なじったりするのが大好きだった。
使用人のスカートをめくったり、兄や姉が飲もうとしているジュースに唐辛子を混ぜたり、誰かの醜聞を聞いた日には嬉々として言いふらす有様。
こんなことだから、父も母も「これではどうしようもない」と半ば教育を諦めていた。
特に被害を受けたのが幼馴染で伯爵令息のカール・ハワード。
金髪碧眼で目鼻立ちこそよいものの肥満体型の彼は、セレーナからすると格好の標的なのだ。
「カール、あなたが歩くと地震が起こるから歩かないでちょうだい」
「地震なんか起こるわけないだろ」
「また揺れましたわ。カールのせいで、皆が怖がってしまうわよ」
「揺れてないってぇ!」
こんな会話は日常茶飯事である。
「ねえカール。こんな花火を手に入れましたの」
「なんだいそりゃ?」
「火をつけると近くにいる人を追尾する花火なんですって!」
「ゲ!?」
セレーナは火をつけると、カールの近くに放り投げた。
花火には魔力が仕込んであり、近くの生命体を追尾する仕組みになっている。
パパパンと音を発しながら、花火がカールを追いかける。
「うわぁぁぁぁぁ!」
「オ~ッホッホ、いいダイエットになるんじゃない?」
情けなく悲鳴を上げるカールを、セレーナは大笑いした。
カールが太っちょ体型なのには理由があった。
彼は回復薬であるポーションが大好きで、よく飲むのである。
しかし、ポーションは傷や病気に効き目があるだけあってカロリーが非常に高い。そんなものを健康なのにおやつ代わりに飲んでいれば太るのも当然だった。
グビグビとポーションを飲むカールに、セレーナはあざけりの笑みを浮かべる。
「また飲んでるの? ポーション」
「うん、好きだからね」
「あなたがこの国のポーション消費量の8割を担ってるって聞いたことあるわ」
「いくらなんでもそんなに飲んでないよ!」
空き瓶を置いてセレーナを追いかけるカール。
そんな二人を見て、他の貴族の令嬢や令息は苦笑するのだった。
***
セレーナは小説が好きである。
特に冒険活劇やアクション物には目がなく、ある日セレーナは異国の武術家が主人公の小説を読んでいた。
その中に「毒手」という武術を使うキャラクターが出てきたのだ。
毒草や毒虫を混ぜた壺に手を突き刺し、それを薬品で癒す、を繰り返すことで自分の手に毒を染み込ませるという武術。
毒手から繰り出される技を受けると、たちまち毒に侵されてしまう。作中でも猛威を振るっていた。
セレーナはこの毒手に憧れてしまった。
「こんな面白い武術があったなんて! 私もやってみたくなりましたわ!」
さっそくセレーナは図鑑で毒のある植物や虫を調べ、それを採集に出かけた。
セレーナは毛虫を投げつけるなどのイタズラもよくやっていたので、令嬢でありながら森に入ることにも虫を取ることにも抵抗はなかった。
壺にたっぷり毒草や毒虫を詰め込むと、セレーナはその中に手を突っ込む。毒消し薬で洗うを繰り返す。
やがて、セレーナが歓喜の声を上げる。
「完成しましたわ!」
セレーナの右手は紫色に染まり、見るからに毒々しい手となった。
ほとんど独学、というより小説の見様見真似で毒手を作り上げた彼女、もしかすると「毒手の才能」に恵まれていたのかもしれない。
自宅に戻ったセレーナ。
まだ毒手のことは周囲には話さず、巧みに隠し、イタズラに使うタイミングを窺うつもりだ。
使用人が入れた紅茶を飲もうとする。
「……あら?」
セレーナが右手でカップを持ち上げようとした瞬間、ブスブスと音を立てカップが崩れ落ちた。
「な、なんで?」
カップは陶器。それがドロドロと溶けている。
セレーナは使用人に文句を言う。
「ちょっと! このカップ、おかしいわよ!」
「おかしいって何がですか?」
首を傾げる使用人。
「私が持ったとたん、取っ手が腐ったようになっちゃったのよ」
「取っ手が腐った? そんなバカな」
「私がバカだっていうの!? さてはいつもの仕返しに私をからかっているのね!」
腹を立てたセレーナは右手でテーブルを叩く。
すると、叩いた箇所がジュクジュクと音を立てて腐食し出す。
「え!?」
目をやると、セレーナの右手が触れた部分はたちまち腐り果て、床に落ちてしまった。
これを見た使用人は悲鳴を上げ、セレーナは絶句する。
「なに……? なんなのよこれ!」
きっと何かの間違いだと今度はカーテンを触る。カーテンが黒い布の塊になった。
壁を触ってみる。たちまち穴が開いた。
ガラスのコップを握る。ドロドロに溶け、握ることすらできなかった。
「なんなのよこの威力……すぐ洗わないと!」
桶に入った水に毒手を入れてみると、たちまち紫色をした毒の水が出来上がった。
セレーナは自分の毒手の恐ろしさを思い知らされた。
***
父と母がセレーナを詰問する。
「なんだ、その右手は!?」
「どうしてこんなことになったの?」
セレーナとてこんな事態は予想外だった。ありのままを答える。
彼女の考えていたイタズラは毒手で誰かの腕をさわってかぶれさせるとか、その程度のものだった。
しかし、この威力はそんなイタズラでは済まされない。
小説の中の毒手ですらここまでの威力ではなかった。彼女は偶発的に恐ろしい毒手を開発してしまったのだ。
後悔し、涙ぐむセレーナだが、この右手では目を拭うことも許されない。
両親は呆れてしまう。かといって実の娘を見放すほど薄情ではない。
「とにかく……右手がそれではまともに生活できまい。とりあえず手袋をつけてみよう」
父のアイディアで手袋をつけてみる。が、手袋はすぐに腐り、ただのボロくずになった。
「包帯を巻いてみるというのはどうかしら?」
母のアイディアで包帯を巻いてみる。が、巻いても巻いても巻いたはしから腐ってしまうので意味がない。
家にあったあらゆる薬を試してみるが、焼け石に水といった感じでまるで効果がない。
素人ではどうにもならないと判断した父は「医者を呼ぼう」ということになった。
まもなく王国一の名医ともいわれる医者が自宅にやってくる。
「右手を毒に侵されていると聞きましたが……」
「ええ、すぐに診て欲しいの」
医者は落ち着いた様子で、セレーナの毒手を観察する。
針で突いてみたり、なにやら薬をかけてみたり、そのたびに「ふむふむ」「なるほど」とうなずく。
これは期待できそうだ、とセレーナも安堵した。
程なくして医者は診察を終えた。
「治りますわよね?」セレーナは尋ねる。
医者はしなやかな手つきでポケットからスプーンを取り出す。
「スプーン……?」
直後、医者はそれを投げ捨てた。
「匙投げられましたわ!」
国一番の名医からも「手の施しようがない」と判断されたセレーナの毒手。
父はセレーナに申し訳なさそうに言った。
「こんな恐ろしい手を持つお前をそのままにしておくわけにはいかない。いつか人を殺してしまうし、お前だってそれは嫌だろう。だから治る方法が見つかるまで、部屋にいるようにしなさい」
セレーナは自室に閉じこもっているよう命令された。
セレーナとてイタズラは好きだが、人殺しにはなりたくない。この命令に従い、部屋に閉じこもった。
ベッドの上に座り、自らの毒手を見て「なぜこんなことをしてしまったのか」と後悔を続けた。
治るまでの辛抱だ。しかし、名医ですら匙を投げた毒手を治療する手段などあるのだろうか。
引きこもり生活が長引くうち、セレーナの心も暗く沈んでいく。まるで毒に侵されていくかのように。
いっそ、この右手で自分の体を触れば楽になれるだろうか――
セレーナがそんなことばかりを考えるようになった頃、部屋の扉が開かれた。
***
「セレーナ!」
来客は肥満貴公子のカールだった。
「カール……!?」
セレーナも驚く。
「なぜ、あなたがここに?」
「このところずっと君の姿を見ないからさ。君の父さんに聞いてみても『病気だから』としか言わないし……」
父としてもまさか自分の娘が右手に猛毒を宿しましたとは言えないだろう。
「でも、無理をいってお見舞いに来たんだ……」
「そうだったの……」
「話は聞いたよ。それが毒手ってやつかい?」
「ええ」
うつむくセレーナ。
「ホントバカよね、私。イタズラ心でこんな殺人兵器を作っちゃうんだから」
カールは静かに言う。
「僕なら……君の毒手を治せるかもしれない」
「どういうこと?」
セレーナが表情を変える。
「フグっているだろ。フグには毒があるけど、あれって実は元々フグには毒がなくて、毒を含むプランクトンやヒトデなんかを食べることで体内に毒が蓄積されてるんだって」
突然フグの知識を披露され、怪訝な顔をするセレーナ。まるで話が見えない。
「僕は十数年ポーションを飲み続けてるだろ。そのせいで体内にポーションの治療成分みたいなものが蓄積されてるんじゃないかって思ってさ。だから……君が毒手で僕の体に触れば、毒を中和することができるかもしれない」
「……え!?」
カールの提案。ポーションを飲み続けてきた自分の体ならば毒手を治せるかもしれないというものだった。
しかし、あくまでカールの立てた仮説であり、なんの科学的裏付けもない。
「そんな方法、上手くいくわけないでしょう!」
「やってみなければ分からないよ」
「分からないって……失敗すればあなたは毒で死ぬかもしれないのよ!」
「かもしれないね。だけど、やる価値はあると思う」
「なんでそこまで……!」
カールは微笑んだ。
「こんな時にいうのは卑怯かもしれないけど……僕、君のことが好きだから」
「え?」
「こんな太ってる僕に、君はいつもかまってくれた。君からすれば幼馴染のデブをからかってただけなんだろうけど、僕は君に惹かれていたんだ」
「カール……」
カールの気持ちを知って驚くセレーナ。
「それに君、死のうとしてただろ」
「!」
心中の絶望を見透かされ、セレーナは驚きを隠せない。
「好きな人が命を捨てたいと思う程追い詰められてる。だったら貴族のはしくれとして命を賭けない理由はないだろう」
「でも……!」
カールはシャツをめくり、よく肥えた腹を出す。
「さあ……君の毒手でお腹を触ってくれ!」
わずかな希望を突きつけられた格好だが、セレーナはためらう。
「どうしたの? 大丈夫だよ、僕が死んでも責任は一切問わないって念書は残してあるし」
「そうじゃなくて! あなたが死ぬのが嫌なの! そうだわ、なにも無理に治療しなくてもいいじゃない! 私はこの毒手と一生付き合っていくから……!」
「それこそ無理だよ。どこかで間違えて右手で自分の体をこすってしまうこともあるだろう。やはり毒手は治療しなきゃならない」
「だからってこんな方法で……!」
「大丈夫、僕を信じて。なんだかきっと上手くいくような気がするんだ」
根拠はない。しかし確信はある。
カールのまっすぐな眼差しに、セレーナも決心したようにうなずく。
「分かった……私の毒手、受け止めて!」
「ああ!」
セレーナはゆっくりと、カールのお腹に右手をくっつけた。
そのとたん、セレーナの毒手とカールの腹から、煙が立ち込める。毒とポーションの濃縮成分が何らかの化学反応を起こしているのだろうか。
「なんなのこれ!?」
「分からない! すごい煙だ!」
白い煙が辺りに充満するが、セレーナは右手を離さないし、カールも離れない。
この煙がよい効能をもたらすと信じて。
ようやく煙が晴れる。
カールはセレーナの右手を確認する。なんと元通りの色に戻っていた。
「やったぁ! 戻ってる! いやぁ、やってみるもんだね! よかったよかった!」
喜ぶカールだが、セレーナは呆然としていた。じっとカールを見つめている。
「どうしたの? 嬉しくないの?」
「カール……あなた、そんなにかっこよかったの?」
「へ?」
カールはまず妙に身が軽いことに気づいた。今なら天井までジャンプできそうだ。
次に腕を見る。やけに細くなってる。
さらに腹を見る。あれだけ膨らんでいたのにすっかりへこんで、うっすら腹筋まで割れていた。
「な、なんだこりゃ!? 僕の体が……!」
「毒と中和されて……痩せちゃったみたいね」
「なんてこった……」
痩せたカールは大変な美男子だった。
元々目鼻立ちは整っていたし、恵まれたパーツにようやく体が追いついたといった状況だ。
「これならもう地震を起こすこともないかな……なーんて」
おどけてみせるカールだが、セレーナはカールを直視できない。
「どうしたの? あ、ひょっとして痩せた僕に惚れてくれたとか……」
「そう……かもね」
「え、ホント!? だったら是非交際を……」
セレーナは首を振った。
「私は散々あなたをからかったわ。なのに私のために命を賭けてくれた。そんなあなたに対して、痩せたらかっこよかったから惚れました、付き合いましょう、なんてできるわけないでしょう! いくらなんでもあなたを侮辱しすぎている!」
だが、カールは平然としていた。
「君は毒が中和されて、性格の毒まで抜けちゃったのかい?」
「なんですって?」
「だって以前の君なら『やっと私に相応しい体型になったわね! 付き合ってあげてもいいわよ!』ぐらい言ってたと思うよ。なんだ、ガッカリだな……」
これを聞いて、セレーナは顔を真っ赤にした。怒りのためか、それとも……。
「やっと私に相応しい体型になったわね! 付き合ってあげてもいいわよ!」
「すごい、一言一句逃さず再現してくれた!」
「ただし、また太ったらすぐに別れるからね。いいわね!」
「もちろんさ。君こそ、また毒手を作ったらさすがに別れてもらうよ。いいね」
「作るわけないでしょ!」
こうして二人は交際するようになった。
カールはポーションを飲むのをやめ、むしろセレーナに相応しい男になれるよう体を鍛えるようになった。
一方のセレーナもイタズラ癖はすっかり抑えられ、淑女として成長していった。
やがて二人は結婚し、貴族として幸せな生活を送る。
だが、時折カールはシャツをめくって、妻にこうお願いをする。
「セレーナ、僕のお腹に触ってくれ」
「ええ」
すっかり鍛えられたお腹を、セレーナが右手で触る。腹筋の感触が心地よい。
「あの時のことを思い出すわね~!」
「ホントだね~!」
二人は貴族らしからぬはしゃぎぶりを見せるのだった。
おわり
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