邪悪
「どうする?」
翌朝、俺は宿の食堂で朝食を食べつつオリアナに尋ねる。
シャドウとかいう闇の組織に裏から支配されているというだけあって、居心地は悪いがオリアナに対する差別はなかった。今も顔を出して朝食を食べているが、時々ちらっと見る人はいても何か言ってくる人はいない。誓約書の内容も普通に暮らしている分には関係ないし、そういう意味では過ごしやすいと言えるかもしれない。
「どうしましょう。とはいえ、あまり長居はしたくない気がします」
「それはそうだ」
「とはいえアランさんは見過ごしていいんですか?」
オリアナが言葉をぼかして尋ねる。
「うーん、気持ち悪いとは思うが、この街の人はよその街に行くことも出来るし、偉い人や金持ちであればどうにかする方法はいくらでもあると思うんだよな。それなのにこうなっているということはある意味この街の人がこの状況を受け入れているってことじゃないのか?」
「なるほど」
実際問題、人々の雰囲気が微妙なだけで街自体はそれなりに栄えている。みな心のどこかで気になりつつも、そこまで問題とは思っていないのだろう。
「じゃあ何回か適当な任務だけこなして適当なお金が入ったら次に行くか」
「それがいいと思います」
そんな訳で俺たちは朝食を食べるとギルドに向かうことにする。
改めて街を見てみるが、建物や店に並ぶ物を見る限りはそれなりに栄えている。闇の組織といっても、大きくなるといちいち一般人に手出しなどしないのだろう、などと思っていると一人の男がぶつぶつと何かを呟きながら裏路地に入っていくのが見える。足取りはふらつき、目の焦点は合っておらず、明らかに正気ではない。
「あれは……」
俺たちは顔を見合わせる。あれが噂の麻薬で中毒になった男ではないか。
が、そんな男が街中を歩いていても誰も見向きもしない。たまたま俺は近くを歩いていた二人組の衛兵に声をかける。
「おい、あの人明らかに様子がおかしいが。これから薬でも買いにいくんじゃないか?」
「まあ、そうかもしれないな」
衛兵は気のない声で言う。
やはり彼らは麻薬取引を止めるつもりはないらしいし、他の人々もみな見て見ぬ振りを決め込んでいる。
きっとこの街では日常的なことなのだろう、と思って俺たちは立ち去ろうとした。
が、その時だった。
「誰か、お父さんを助けて!」
まだ六、七歳ほどの少女が泣きながら衛兵の方に走ってくる。
「お父さんが変な薬を飲んでどんどんおかしくなっていくの! きっと悪い薬だから止めてほしい!」
「そうか。まあ調査しておくよ」
明らかに調査する気のない表情で衛兵が答える。
「ひどい! ひどいよ!」
少女は衛兵に文句を言うが、彼らは困ったように顔を見合わせるだけだ。おそらくシャドウが関わっていそうな件には触れてはいけないと彼らも言いつけられているのだろう。
普通の町人はそのことを分かっていても、少女はまだそこまでのことは分からないのだろう。
そして衛兵が頼りにならないと見て必然的に近くにいる俺たちの方を見る。
「冒険者の方!? 助けて!」
そう言われて俺たちは再び顔を見合わせる。
その時オリアナが少し同情的な表情をしたのを見逃さなかった。見ず知らずの街の人が苦しんでいるのと目の前で少女に泣きながら訴えられるのは違うということだろう。
それに、シャドウに触れないというのは大人が勝手に決めたことであって、彼女には関係のないことだ。もし彼女の父親が薬で破滅して一人で(家族はいるかもしれないが)暮らしていくとなれば可哀想だ。
街の人がシャドウを受け入れているなら無理に探るつもりはないが、少女の父親ぐらいは助けてもいいだろう。
「面倒なことになるかもしれないが、いいか?」
「ええ、慣れてます」
俺が尋ねるとオリアナはほっとしたように頷いた。彼女も少女を見て情が湧いたのかもしれない。
「やめた方がいいと思いますが……」
「どうなっても知りませんよ」
衛兵がぼそっと言うのを無視して俺たちは先ほどの男が消えていった路地に向かうのだった。
しばらく路地の奥に入っていくと、先ほどの薬でおかしくなったと思われる男が明らかにカタギではなさそうな黒ローブの男と話しているのが見えた。
「金はあるのか?」
「もうないっつってんだろ!」
そんな恐ろしい会話が聞こえてくる。
冷静さを失っている男に、黒ローブの男は淡々と告げた。
「金がないなら用意してもらわないとな」
「一体どうしろって言うんだ?」
「簡単なことだ、お前には年頃の娘がいるだろ?」
「あ、アンナを売れって言うのか!?」
さすがに男もその提案には絶句した。
が、黒ローブの男はそれを見ても平然と続ける。
「売れとは言ってない。ただ金を工面する選択肢の一つを述べただけだ」
「く、くそ……」
「まあ金がないなら薬はまた今度だ」
「ま、待ってくれ」
立ち去ろうとする男のローブを狂った男が掴む。
「一体どうすればお金をくれるんだ?」
「ふざけるな!」
そこまで聞いた辺りで俺は聞くに堪えなくなり、二人の会話を遮った。




