009 大道芸人の子♡ニェート♡
この寒空の下で野宿すると聞いて、私はすぐにニェートに言った。
「なら、今夜は私の屋敷に泊めてあげる」
「ほ、ほんとですか?」顔を見上げるニェート。
「お嬢様、よろしいのですか?」とライラが私に言った。子どもとはいえ身元が確かでない男の子を屋敷に入れることを怖れたのだろう。
「ニェート、泊める代わりに変なことはしないでね」と私はニェートに優しく言った。
「も、もちろんです。勝手に屋敷内をうろつき回ったり、物を盗んだりしませんから、信用してください」
私は最初から心配していなかった。貧乏かも知れないが、行く先々で盗みなどをしていたら、一座もろとも大道芸人としてはやっていけない。その手の危険は大道芸人の頭から言われていると思う。
「信用してるわよ」と私がニェートに言うと、ニェートは私に幼い笑顔を向けた。
屋敷に着くとニェートを私の居間につれて入った。
中にはバネラたちとスニアが待っていたが、ニェートの顔を見ると驚いて声を上げた。
「まあ、その子は大道芸人の子どもじゃないですか?」とバネラ。
「お嬢様、その子を自分のペットとするためにさらってきたんですかあ?」とロルネがからかうように聞いた。
「いくら平民の、しかもこの街に定住していない子どもでも、それは罪になりますよ」とペニアも言った。
「さらって来たんじゃないわよ。体裁の悪いことを言わないで」
私はバネラたちをたしなめると、さっそくスニアとライラに言いつけた。
「スニア、この子をお風呂につれて行って体を洗ってあげて。ライラはその間にこの子の服を洗濯して、代わりに着るものを貸してあげて」
「メイド用のネグリジェみたいなのでよろしいでしょうか?」
「一晩だけだからそれでいいわ。・・・スニア、どうしたの?」
スニアが真っ赤な顔をして硬直していた。
「お、お嬢様。・・・わ、私がこの男の子の体を洗うのですか?」
「ええ、そうよ。・・・それが何か?」
ぷぷっとバネラたちが吹き出した。
「スニアは男の裸に免疫がないから、恥ずかしがっているのよ」
「い、いえ、その・・・」恥ずかしそうにもじもじするスニア。私はため息をついた。
「スニア、子どもなんだから、気にしないで」
「は、はい、わかりました・・・」顔を赤くして返事をするスニア。バネラたちがその様子をにやにやしながら見ていた。
スニアは覚悟を決めたのか、会釈をするとニェートの手を引いて部屋を出た。そのあとをライラがついて行く。
「私たちも一緒にお風呂に入ろうか?・・・スニアもあの子も真っ赤になるわよ」とバネラがにやにやしながら言った。
「やめなさい、あなたたち」私はまたバネラたちをたしなめた。
「それより、スニアがいないから、あなたたちが軽食の用意をして。あの子にも食べさせるから」
「はーい」と返事をして部屋を出て行くバネラたち。あの娘らにも困ったもんだ。
しばらくしてバネラたちとスズがワゴンに軽食とポットを載せて運んできた。用意したのはいつもと同じ、硬いパンとバターとラメダ茶だ。
バネラたちにテーブルの準備をさせていると、スニアたちが部屋に戻ってきた。
ニェートはネグリジェみたいなのを着せられているが、裾がやや長過ぎるので、腰に帯を締めて丈を調整していた。その後にスニアがまだ赤い顔をしてついて来た。
近づいたニェートの頭をなでてやる。「きれいになったようね」
ニェートは嬉しそうに微笑んだ。
「お、お嬢様・・・」赤い顔をしたスニアが言った。声が震えている。そんなに男の子の裸を見たのがショックだったのか?
「お、お嬢様・・・」スニアがもう一度言った。
「どうしたの、スニア?」
「こ、この子は、・・・ニェートは、女の子でした」
「えーっ!?」と私たちは一斉に驚いた。髪を短く刈り上げ、肌は浅黒く、服は男の子用のシャツとズボンを身につけていたので、誰もが男の子と信じて疑わなかったのだ。
「ニ、ニェート。・・・あなた、女の子だったの?」
「そうだよ。おいらは見ての通り女の子だよ」
見てわからなかったから驚いたんじゃないか!
「でも、男の子の服を来てたわね?」
「お頭たちがそれしか子ども用の服を持っていなかったのと、男の子っぽくしていた方がさらわれないからいいって言ってた。・・・男の子用の服を着たって、ごまかせないのにね」
いや、すっかりだまされていた。
「お嬢様、残念でしたね」とバネラが私に言った。
「何が残念なのよ?」むっとして聞き返す私。
「だってぇ・・・」ともごもご言うバネラ。
「そうよ、バネラ。その言い方はないわよ」と、珍しくロルネがバネラをたしなめた。
ほう?と私がロルネを見ると、
「お嬢様は女の子でもいけるのよ」とロルネがバネラに言った。
「ああ、そうなの」と納得するバネラ。スニアはそれを聞いて顔を赤くした。ニェートはきょとんとしていた。
「変なことを言わないで!」と私はロルネを怒った。「そんな変態趣味はないから!」
「す、すみませ〜ん」しゅんとなるロルネ。
「あの、お嬢様・・・」とスニアが口をはさんだ。
「何?」
「実はこの子の背中やお尻に青痣がたくさんありまして・・・。そこを洗うと痛がるんです」
「ニェート、お頭にしょっちゅう殴られているの?」
ニェートは最初はしゃべりたくなさそうだったが、繰り返し尋ねると少しずつ話し出した。
「おいらの仕事は宿の部屋や寸劇を行う場所の掃除と、みんなの服の洗濯と、後は見物料を集める手伝いなどです。まだ芸はさせてもらえないんですが、ジャグリングの練習をさせられてます」
「ジャグリングって?」とペニアが聞いた。
「お手玉を5個くらい代わる代わる放り投げて回す芸です。しかしおいらは語りの芸がしたくて、それを言うとたいてい殴られ、飯を抜かれて宿から追い出されるんです。
殴られるのは外から見えにくい背中やお尻がほとんどです。客を相手にする仕事だから、客にばれないようにです」
「それで今日も追い出されて、どこかで野宿しようとしていたのね?」
ニェートはうなずいた。そのとたん、ニェートのお腹がくーっと鳴った。
「とにかく、みんなで食べましょう。ニェートも、スニアたちも席に着いて」
「あの・・・?」と顔色をうかがうロルネ。
「あなたたちも食べていいから」
「ありがとうございます!さあ、みんな、席に着いて、着いて」ロルネたちがニェートやスニアに着席を促した。
ライラがお茶をカップに入れ、みんなでパンにバターを塗って食べ出す。たいしたごちそうではないけれど、こういうティータイムはみんなが笑顔になっていい。
ニェートはろくに食べさせてもらっていなかったようで、一生懸命パンをほおばっていた。
「あの、この子が言っていた語りの芸って何?」とペニアが食べながら聞いた。
「一人二役で言い合う、動きのない寸劇みたいのです。一方が馬鹿なことを言って、もう一方がそれを罵倒するんです」とパンを飲み込んだニェートが説明した。
しかし、ペニアはいま一つ理解できないようだった。
「ニェート、食べ終わったら試しにここでやってみる?・・・あ、下品なのはだめよ」
「はい、降魔将軍様」立ち上がるニェート。
「あ、私は今将軍の仕事についていないから、呼ぶなら『お嬢様』くらいにして」
「わかりました、お嬢様」
ニェートはテーブルから少し離れると、まず左の方を向いた。
「へい、お兄さん、いい娘がいるよ、寄ってかない?」
「うるへー、いい娘ったってどうせババアだろう」と今度は右を向いて言った。
「そんなことない、絶対ないよ。嘘だったらお代は全部ただにするよ」
「ほんとか?・・・そこまで言うのなら」右手の方に移動するニェート。
突然戻ってきてニェートが叫んだ。
「ババアじゃなくて、ジジイじゃねえか!・・・どうもでした〜」
けらけらと笑ったのはスズだけだった。その他のメイドたちは皆ぽかんとしている。私は頭を抱えた。
「語りで芸をするのはおもしろい試みと思うけど、それも下品だからだめね」
私の言葉にニェートが気落ちしたようだった。ちょっとかわいそうだが、だめなものはだめと言った方がいい。
「・・・そんなのなら私たちにもできるわ」と、突然バネラが言った。
顔を向けるニェート。興味津々で目が輝いていた。
「バネラ、あなたにできるの?」と私も聞く。
「一人二役はできないけど、ロルネと二人でならできますよ!」自信満々のバネラ。
「何言ってるのよ、バネラ。・・・勝手に巻き込まないでよ」とロルネが抗議をする。
「まあまあ、いいから。・・・ちょっと相談」と言ってバネラはロルネをつれて部屋の隅に行った。
「あの人たちは語りができるんですか?・・・ちょっと楽しみです」健気なことを言うニェート。しかし私はあの二人が人を笑わせる芸をするのをみたことがない。人に笑われることはよくやらかすが。
私の懸念をよそに、バネラとロルネが戻ってきた。
「じゃあ、始めます。・・・ロルネさん、ロルネさん」
「何ですか、バネラさん?」
「この前、お嬢様が怒ってらしたわよ」
「なんで、なんで?バネラさん、またやらかしたの?」
「またとはお言葉ですね、ロルネさん。私はお嬢様を怒らせたことはありませんよ」
「信じられない言葉だけど、それより今お嬢様は何に怒ってられるの?」
「お嬢様が大事にしておられる手鏡にひびが入っていたの」
「まあ、それは大変ね。誰かが割ったのかしら?」
「何言ってるの、ロルネさん。割ったのはあなたじゃなくって?」
「何を言いがかりをつけられるの、バネラさん。心当たりはありませんことよ」
「嘘ではありませんことよ。私が先日お嬢様のベッドを整えると言って、ベッドの上に座って手鏡を見ていたら、あなたとペニアさんが『私もベッドでごろごろする〜』とかおっしゃって、二人同時に私に飛びかかってきたじゃありませんか?」
「え?・・・まさかあのとき?」
「そうよ。あなたたちのせいで私がベッドから床に落ちて、その上にあなたたちの体が乗っかって、私の体の下でぴしっと音がしましたのよ」
「まあ大変!・・・それでどうやってお嬢様に許してもらうの?」
「お嬢様は語りというお笑い芸に興味を示されているから、それに乗じて許してもらいましょう。・・・それでは、お嬢様、笑って許して!」
バネラとロルネが私に向かって両手を開いた。その横でペニアが青ざめている。ニェートは拍手をしていた。
「あ、あなたたちは・・・。私の大事な手鏡を・・・」
「笑って許して!」ひきつった笑いを浮かべながらバネラとロルネがもう一度言った。
「笑って・・・許せるかー!」私の怒号が部屋中に響いた。