006 清白の♡少女♡
黒衣の魔女が住んでいた風穴で助け出した少女が浴室で暴れていると聞き、私は急いで駆けつけた。
その少女は浴室内で裸で何かわけのわからないことをわめいていた。改めて少女の体を見ると、やせこけてあばらが浮いていた。見た目が6歳くらいだから、胸はほとんど膨らんでいない。
「落ち着いて!ここは安全なところだから」と私は少女に大声で言った。
「お前は!?」とその少女は私を見て叫んだ。「まだ死んでおらんのか!」
その少女は両手を上げた。だが、何も起こりはしない。
私は少女に近づくと、その肩を優しくつかんだ。
「もう大丈夫よ。あなたは、黒衣の魔女の住処に捉えられていたのよ。・・・ここはクランツァーノ公爵家。あなたを保護したから、安心して」
私が優しく諭すと、その少女は私をきっとにらんだ。
「馬鹿め!わしがその魔女だ。お前を闇の手で握りつぶしてやる!」
そう叫びながら少女は何度も手を上げるが、やはり何も起きなかった。
「ば、馬鹿な・・・。暗黒神の加護の力が起こらぬ・・・」
「あの魔女に洗脳されて、自分が魔女の一部だと思っているのね。大丈夫よ、もう魔女は死んだから」私は少女に微笑みかけた。
目を見開いて私を見つめる少女。そして両腕を降ろすと、自分のか細い腕を見て硬直していた。
「何だ、この手は・・・」そうつぶやきながら浴室の床にへたり込んだ。そのまま放心している。
私は後ろを振り返ってスニアに指示を出した。
「今のうちに体を洗って、体を拭いて、適当な服を着せて食堂につれて来て。・・・ライラ、軽食でいいから食事の用意をお願い」
私の指示にメイドたちは頭を下げた。
私はそのまま食堂に行き、ラメダ茶を淹れてもらってすすった。
しばらく一人でまったりしているとバネラたちが食堂に入って来た。
「お嬢様、降魔の巫女の評判がすごいようですよ」
「はあ?」と私は聞き返した。「誰のどんな評判なの?」
「出入りの八百屋や肉屋がお嬢様のご活躍の様子を聞いて、『驚きました。公爵令嬢様が不思議な力でボルランド山の魔女を倒されたなんて』と感激してましたよ」
私は「ちょっと待て」と思った。今日の昼過ぎに魔女を倒して、屋敷に戻って、まだ少ししか時間が経っていない。ガンダルたちが平民に吹聴するはずはないし、仮にすぐに話したとしても、出入りの商人にまで噂が及ぶのはいくら何でも早すぎる。
「屋敷にやって来た商人にあなたたちが話したんじゃないの?」
私がそう聞くと、バネラたちはあせった様子で否定した。
「わ、私たちは誰にも何も話していません!・・・少なくとも他人には」
「・・・他人には?」
「そ、そうです。台所で、私たち3人だけで『お嬢様はすごかったね〜』とおしゃべりしていただけです」とロルネも弁解した。
「3人だけで?・・・台所には誰もいなかったの?」
「え?誰もいませんでしたよ」とペニアが言った。「もちろん料理人や使用人はいましたけど、彼らに話しかけたわけではなかったですし」
「そうです。料理人たちは野菜や肉の注文にかかりきりで、私たちは彼らに何も話していませんよ!」とバネラ。
「・・・要するに、料理人や使用人や出入りの商人がいるすぐそばで大声で私の話をしていたわけね。・・・その商人たちに口止めするから、帰さないで」
「もう、とっくに帰りましたよ。・・・すごいことを聞いたって喜んでいました」
ロルネの言葉に私はめまいを覚えた。2、3日もすれば城下に噂が広がりそうだ。
そこへスニアがまだ放心状態でいる少女をつれて来た。そのすぐ後にライラの指示を受けた別の下級メイドがバターを添えた薄切りパンとラメダ茶を運んで来た。
私はテーブルの前の椅子にその少女を座らせた。
「さあ、あなたがどういう風に吹き込まれたか知らないけれど、魔女はもう滅んだから、それを食べて落ち着きなさい」
「はーい」と言って席に着くバネラたち。あんたたちに言ったわけじゃないよ。
バネラたちが少女の食事を横取りしそうだったので、
「先にその子に食べさせなさい」と注意した。
バネラがその少女の手にパンを持たせると、放心しながらもそのパンを口に運んだ。
ひとかじりすると、お腹がすいていることに気づいたのか、パンをがつがつと食い出した。バネラたちが横取りする隙を与えないように。
用意したパンを食べ尽くす少女。その後ラメダ茶をすすったが、猫舌なのか最初は熱がっていた。
腹が満たされてほっとした顔をする少女に私は再度問いかけた。
「あなたの名前は?」
私の問いかけににらみ返す少女。
「わしに名前などはない。わしのことは黒衣の魔女、もしくはボルランドの魔女と・・・」
「はい、その話はいいから!」と私は少女の話を遮った。このまま自分が魔女と言い張れば、バネラたちがまたそれを吹聴し、噂が広がって厄介ごとに巻き込まれかねない。
「名前がないのなら私がつけてあげるわ。・・・『スズシロ』でどう?」私は不意に頭に浮かんだ名前を言った。
眉間にしわを寄せる少女。
「お嬢様、変わった名前ですね?何か意味とか、謂れとかあるのですか?」とペニアが聞いた。
「えーとね・・・」ふと思いついた名前で意味などない。そう答えようとしたら、頭の中に言葉の意味が浮かんで来た。
「清くて白いという意味よ」・・・ほかにちょっと笑えそうなイメージも浮かんだが、そのイメージは無視することにした。
「普段は『スズ』と呼ぶわ」
「スズー・シローですね。承知いたしました」とライラが頭を下げた。発音が微妙に変わっているが、その方が発音しやすいのだろう。
「じゃあ、スズ。別のことを聞くけど、あなたはどこの生まれなの?両親は?」
「親のことなど覚えておらぬ」とスズが答えた。
「その年寄り臭い話し方はやめましょう。今のあなたは幼い少女だから。・・・それで?この国の生まれなの?」
自分の細い手をしばらく見つめた後、観念したかのように話し出した。
「わしは・・・、私はケールランドルで生まれ、幼い頃に闇神殿に売り飛ばされた。そこで才能を見出され、闇の巫女としての修行を受けた・・・」
「お嬢様、ケールランドルとはとうの昔に滅んだ国ですよ。しかも大陸の反対側にあったと伝えられています」とライラが口をはさんだ。
「これはあの魔女の経歴を話しているのよ」と私はライラの言葉を遮った。
「それで?スズ、いいから先を続けて」
「闇神殿で教わることがなくなったので私は暗黒神の布教のために国を出た。しかし布教よりも自分の修行を続けたくて、50年ほど前にボルランド山の風穴に住み着いた・・・」
「そこで修行をしながら、ときどき貴族たちから呪いの依頼を受けていたのね?・・・あなたの言う暗黒神ってどんな神様なの?」
「この世界をはるかな高みから見下ろす神としか聞いていない。だが、祈りが届くと、神の力である闇の手を使えるようになる」
スズは私の顔を見上げた。
「修行を続けたことで私は闇の手を遠くに飛ばすことができるようになり、風穴の中で祈るだけで見知らぬ相手の胸を矢のように刺し、魂を消し去ることができた。・・・しかし、今の私には何の力も残っていない。お前は一体私に何をしたのだ?」
「さあね」と私は答えた。私自身、あのときに何が起こったのかよくわからないのだ。答えられるわけがない。
「ただ、これだけは言えるわ。・・・暗黒神も、魔女の闇の手も、この世にあってはならないもの。いずれ正当な神の手によって滅ばされるわよ」
私の言葉を聞くとスズが顔に怒りの表情を浮かべ、私に飛びかかって来た。そのまま両手で私の首を絞めようとしたが、所詮は幼女の力だ。私は難なく首からスズの両手を引きはがした。
「今のあなたは何の力も持たない幼い少女で、このままでは生きるすべがないわ。・・・私に仕えるなら下級メイドとして雇ってあげるけど。・・・それが嫌ならこの屋敷から出て行っていいわよ。運が良ければ奴隷商人に捕まるかもね。ただし、あなたが再び闇神殿につれて行かれる可能性はとても低いと思うけど」
スズは悔しそうな顔をしたが、しばらく考え込んだのちに観念したようだ。
「お前に仕えてやる。・・・そしてお前の力を、あの光の手の秘密を探ってやる」
「それでいいわよ。・・・ライラ!」私はメイド長のライラを呼び寄せた。
「スズを下級メイドとして教育して。お父様には私から言っておくから」
ライラは会釈をしてスズをメイド部屋に引っ張って行った。
私は父に会いたいと執事の一人に伝えたが、国務大臣をしている父親、クランツァーノ公爵は多忙で、実の娘なのに面会できたのは3日後だった。父は毎日王宮で夜遅くまで仕事をしている。また、王室や貴族が主催するパーティーに立場上出席しなければならず、家に早めに帰って休むことはほとんどない。
クランツァーノ公爵邸には、中央にパーティーを開くことができる大広間や食堂、台所などがあり、東翼に父の書斎や居間、寝室が並び、執事や父専用のメイドの部屋もある。西翼に私の居間や寝室があり、私専用のメイドの部屋がある。普段はお互い独立して生活していて、父に呼ばれて話をしたり、食事を一緒にとることもあるが、毎日ではない。
私はいつもバネラやロルネやペニアや、スニアやライラたちに囲まれて生活しているので、この関係を寂しいと思ったことはない。むしろバネラたちがにぎやかすぎるほどだ。
ちなみに私の母は、私が幼い頃に亡くなっている。公爵夫人がいないため我が家主催のパーティーを開くことはない。もっとも私に女主人が務まると判断されれば、公爵夫人代理としてパーティーの手配をしなければならなくなるだろうが。
父は、屋敷内の噂では当面再婚をするつもりはないらしい。愛人がいるのかは知らないが、それらしき女性を見かけたことはない。
私はライラをつれて屋敷の東翼に向かって廊下を歩いた。
父の書斎前に着くと、ライラがドアをノックして声をかけた。
「公爵様、ドロシアお嬢様をお連れしました」
するとドアが静かに開いて執事長のヤバルが顔を出した。
「どうぞ、お入りください」
ヤバルが開けてくれたドアから書斎に入る。ライラも私の後に続いた。
室内は壁に沿って大きな本棚が並び、高価そうな本が詰まっていた。奥の中央に大きな執務机があり、父はその机の前に立っていた。謁見の間で見たのと同じような執務服を着ている。我が父ながら威厳のある姿だった。
「お父様、ご機嫌うるわしゅうございます」私はドレスの裾をつまんであいさつした。
「うむ、久しぶりだな」
「今日はお父様にお願いがあって参りました」
「何だ?」
「下級メイドを一人雇いたいと思います。身寄りのない幼女です」
「信用できる者で、しっかりしつけられるのなら構わぬ」
信用できるかはわからないけど、野に離すよりはいいだろう。
「・・・ところでお前は聞いているか?」
「何をでございましょう?」
「お前がボルランド山の魔女を倒したと、巷では派手に喧伝されているらしい」
私は天を仰いだ。バネラたちから漏れた噂がばかばかしいと一笑に付され、自然消滅するのを願っていたからだ。
「わ、私には心当たりがありません」やっとの思いで答えた。
「3日前にガンダルと女兵士二人をつれてどこかに行ったそうだな?」
「そ、そうでしたかしら?・・・おほほ」私は笑ってごまかそうとした。
「ガンダルたちを呼び出して噂の真相を聞いたら、『姫将軍殿から口止めされていますので、申し上げることはできません』と答えたぞ」
私は再び天を仰いだ。その言い方だと、噂を認めたのも同然だ。
「一方でガンダルは、第5軍の呼称を『機動迎撃軍』から『降魔軍』に変えてくれと言ってきた。軍の呼称の変更は軍務大臣に願えと答えたがな」
「そ、そうですか・・・」
「しかも、その前に、ヤバルに黒衣の魔女について調べさせたそうじゃないか?」
これはもう知らないふりはできないと私は観念した。
登場人物
スズシロ(スズ、スズー) 黒衣の魔女の住処で見つけた幼い少女。