182 涙の♡帰還♡<ターニャの回顧録>
翌朝、私たちは黒い塔が建っていた広い草原を後にし、ドロシアが作ってくれた密林内の道をとぼとぼと進んだ。
陰鬱な気分で食事をとり、よく眠れない夜を過ごす。そんな日を何日も続けた。
ドロシアのメイドであるスニアは馬車の中に引きこもったままだ。御者をしている女兵士のバストルとレクターも、ずっと辛そうな顔をしている。
ドロシアがいなければ輝煌神女隊も解散だ。私たちは故郷に戻り、大切な人がいない暗く退屈な日々を過ごさなければならなくなる。
ウーフェイに近づくにつれてドロシアが作った道の脇から新しい木の枝が伸び、刈り取りながら進まなくてはならなかった。まるでドロシアの生きていた証しが消えかけているようで、とても悲しかった。
あの長鼻馬の獣道に出ると、超巨大長鼻馬の死体に群がっていた2頭の虎が私たちに襲いかかって来た。
ユランたちが無言で前に出、顔に表情を表さないまま2頭の虎を斬り刻んだ。その毛皮をナレーシャは回収しようとしなかった。
翌日、私たちはウーフェイの近くの板塀の門に着いた。門を開けて外に出ると、例によって高齢の農夫がチェインにいろいろと尋ねてきたが、チェインは黙ったまま何も答えなかった。その様子を見て、農夫たちも頭を下げて去って行った。
ウーフェイの町に着くとそのまま軍の宿舎に入る。荷物を運び出していると、ライラが嬉しそうに宿舎から出て来た。
ドロシアの馬車の戸を叩き、中に入るライラ。すぐに泣きじゃくる声が聞こえて来る。
宿舎内にドロシアの大道芸人はいなかった。また公演に出ているのだろう。
私はペッテとラッテにドロシアの荷物の運び出しを手伝うよう頼むと、アウロラとミネルヴェをつれて繁華街に向かった。大道芸人たちにも教えないわけにはいかないからだ。
大道芸人たちはいつものように寸劇を披露し、大勢の観客に囲まれて大盛況だった。ウーフェイの塔物語をしているのかと思ったら、別の新作の劇をしているようだ。
「司令官様、これでまた私の犯罪をお見逃しください」と、ロルネというぽっちゃりした芸人が何かの包みをバネラという同じくぽっちゃりした芸人に渡していた。
「ザカン商会の会長よ、お主も悪だのう」
「いえいえ、司令官様ほどでは」そう言っていやらしく笑い合う2人。
そのとき、仮面をつけた1人の男が現れて私はびっくりした。すらっとした若い男で、タキシードを着ている。こんな男がドロシア一座にいたとは知らなかった。
「待ちなさい。あなたたちの悪事を見届けました。もはや堪忍なりません。この燕尾服仮面が成敗してあげましょう!」
持っていた杖でバネラとロルネを叩くふりをする燕尾服仮面と名乗った男。バネラとロルネはやられたふりをする。
「のさばる悪を、天に代わって裁きする。燕尾服仮面は今日も行く〜」と、ニェートというドロシア一座の座長をしている子どもが口上を述べて劇は終演した。
大歓声が上がっておひねりが宙に舞う。バネラたちがほくほく顏でおひねりを集める。
「あ、ターニャ様だ!」座員の一人で、輝煌神女隊の一員でもある人形使いのスズが私を見つけて叫んだ。
「もう帰られたんですか〜?お嬢様は〜?」と寄って来るニェートたち。私は事実をすぐには言えなかった。
燕尾服仮面という妙な男も近寄って来た。
「やあ、ターニャ、久しぶりだね」・・・仮面を取ったその顔は兄のミラスだった。
「お、お兄様〜!」私は我慢していた涙を抑えきれなくなって兄に抱きついた。
「おやおや、まだ兄離れができないターニャだね。私はターニャとドロシアを助けるためにはるばる来ましたよ」
その言葉を聞いて私はさらに泣きじゃくった。私の激しい泣き方に茫然とする兄。ニェートたちも私の様子に違和感を覚えたようだった。
「ターニャ様、お嬢様は?」「ドロシアはどうしたの?」「なぜ一緒にいないの?」
みんなが口々に尋ねてくるが、私は泣きじゃくって答えることができなかった。
引きつけを起こしたように泣く私を抱く兄とドロシア一座の芸人たちは急いで軍の宿舎に向かった。そこで抱き合って泣いているライラとスニアを見て、すべてを悟ったようだった。
翌日は1日中泣き通し、その翌日に私たちはウーフェイを出立した。ドロシアがいない以上、この国に留まる理由がない。私たちはシェンライに行って天帝に報告した後、ザカンドラ皇国に帰るつもりで陰鬱な旅を続けた。
兄のミラスも私たちに同行した。せっかくジナン帝国まで来たのに、肝心のドロシアが亡くなったと聞いて相当落ち込んでいた。
途中、自分の気を晴らすために(兄の気もついでに晴らすために)いろいろと質問をした。
「お兄様はザカン学園を卒業されたんですか?」
「ええ。約束したように、ドロシアの力になりたくて・・・」暗くなる私と兄。
「お父様やほかのお兄様はいかがですか?」
「ターニャが長期間いなくなるので、皆寂しがっていましたよ。でも、ドロシアと一緒に世界を救う旅に出たターニャを誇りに思っていました・・・」また暗くなる私と兄。
「お母様は?」
「もちろん寂しがっていましたが、父上にもう一人女の子を作らないかと言ってましたよ」
「まあ、お母様ったら」
「ほんとに女の子が生まれたら、ドロシアって名前もいいわねと言って・・・」また落ち込む私たちだった。
帰路では何事もなく、無事に越江の浮き橋を渡った。そしてグァンハイに着いたとき、思いもよらない人の出迎えを受けた。青銅軍の司令官の娘のラナ・リームだ。
「ウーフェイまで行くところでしたが、途中で会えて良かった」とラナはチェインに言った。
「何か急な用でしょうか?」と聞き返すチェイン。どこか気もそぞろだ。
「ドロシア様の侍女のライラさんに緊急の用があって参りました。会わせていただけますでしょうか!」一方のラナはなぜか気が急いているようだった。
チェインがドロシアの馬車まで導いて戸を叩く。「ライラさん、よろしいですか」
「はい」と答えて目が赤く腫れたライラが出て来た。
すかさずライラに抱きつくラナ。「ライラさん、いえ、義母上!新しい命が宿ったと聞いて急きょ駆けつけてきました!」
義母上?新しい命?私は最初はぴんとこなかった。
「お体に異常はありませんか?」ここでラナは初めてライラの様子がおかしいのに気づいたようだ。
「まさか、お腹の子どもが・・・?」
「え?ライラは妊娠しているの!?」これには私もスニアもチェインも驚いた。
たちまち泣き崩れるライラ。ラナはお腹の子どもがだめになったんじゃないかと心配していたが、私が代わりにドロシアが亡くなったことを告げた。
ショックで頽れるラナ。ライラはしきりに「お嬢様が亡くなられたのに、私が子どもを産むなんて、そんなことできません・・・」と言って泣いていた。
「ライラ、それは違うわ」と私はライラに言った。私を見上げるライラ。
「お腹の子はドロシアの生まれ変わりに違いないわ。だから絶対に産むのよ!」
私の言葉を聞いてライラはますます泣き崩れた。
その日の夕食時に私は芸人たちに聞いた。
「あなたたちはライラの妊娠を知ってたの?」
「ええ。なかなかライラさんの具合が良くならないんで、ドロシアに頼まれていたようにお医者さんのところに無理矢理つれて行ったんですよ。そしたら病気ではなくてつわりだって言われて・・・」とバネラが言った。
「ライラさんはドロシアに何て言おうか相当に悩んでいました」とロルネ。
「ドロシアに仕えているから子どもなんか育てられないとか、今さらリーム司令官と結婚なんてできないとか・・・」
「でも、子どもが授かったこと自体は喜んでいるようだったので、ドロシアも絶対に喜んでくれるよって言ってたんですが・・・」とペニアが言って涙を拭った。
「誰がラナに連絡したの?」
「私たちですよ」とバネラが答えた。
「ライラさんが結婚するつもりがなくても、父親には子どものことを知る権利があるし、養育費を払う義務もあるしと思って・・・」
「父にも手紙を書きました」とラナが言った。
「まだ返事を受け取っていませんが、絶対に喜んでいると思います」
「でも、ザカンドラ皇国までの長旅はお腹に良くないんじゃないかしら?」
「最近はつわりもおさまって、よっぽど無理をしなければ旅をしても問題ないってお医者様はおっしゃっておられました」とロルネが言った。
「これは本人には言いにくいことだけど」と私はラナに言った。
「ライラはご主人様を亡くされたから、リーム司令官と一緒になればいいと思うの。今度はドロシアの代わりに自分の子どもに生きがいを見つけてほしいわ」
「ターニャさんもけっこうドライですね〜」とペニアが言った。
「何言ってるのよ。あなたたちもドロシアがいなければメイドを首になるわよ」
私の言葉にバネラたちは飛び上がって驚いていた。
「どうする?ニェートたちと本格的にドロシア一座を立ち上げる?」とバネラ。
「でも、ドロシアが出資してくれなかったら、旅芸人しかできないわよ」とロルネ。
「ドロシアの家でドロシアの菩提を弔いながら死ぬまで暮らそうと思っていたのに〜」と嘆くペニア。
「あなたたちね〜」と私は苦言を呈した。「ドロシアを弔うために出家でもしなさい!」
「そんな〜」とバネラたちが嘆いた。
「修道女なんかになったら、毎日ぐだぐだと過ごせなくなる〜」
「おいしいものも食べられなくなるわ〜」
「何より、ドロシアをおちょくれないのがとても寂しい〜」抱き合って泣き出す3人だったが、私はあまり同情できなかった。
「ドロシアのことを私は愛していました」と今度は兄のミラスが泣き言を言った。
「これから何を生きがいに生きていけばいいのでしょうか?」
「お兄様にあこがれる女なんて掃いて捨てるほどいるじゃない?クララとかネアンとか」
「ドロシアの代わりにはなりませんよ〜」
「私は知りません!」兄を切って捨てる私。
「ターニャは強いですね。もう悲しくないのですか?」
「私は一生分泣いたから!」と私は兄に言い返した。
「私の人生はドロシアの偉業を伝えるために使うわ。それが私の生きがいよ!」
私たちの陰鬱な旅は続き、とうとうシェンライを見下ろす峠に着いた。
「この場所でドロシアと一緒にシェンライを見下ろしていたわね」私は初めてこの地に着いたときのことを思い出した。
私が大きな町と言うと、ドロシアが振り返って私に微笑んでくれた。そう、今目の前に見えるドロシアの笑顔そのままに・・・。
ん?・・・ついに私はドロシア恋しさに幻を見るようになったのだろうか?私の目の前の宙空にドロシアの笑顔が浮かんでいる。まるでほんとうにすぐ前にドロシアがいるような、いやにはっきりとしたドロシアの幻だった。
もちろんドロシアの笑顔だけで、体は見えない。幻だと自分でもわかっている。でも、こんなにはっきりとドロシアの笑顔が見られるなら幻でもかまわない。ずっと幻が見えているといいな・・・。
ドロシアは笑いながら、私に何かを語りかけているようだった。もちろん何を言いたいかわかっている。私もあなたに会いたいよ。会って抱きしめたいよ・・・。
そう思ったらドロシアの全身が見えてきた。ドロシアの体が宙に浮かんでいる。・・・そしてドロシアが地面に飛び降りた。
「ターニャ!」ドロシアが私の名前を呼んだ。はっきりと聞こえた。
私はドロシアの幻に駆け寄ると、その幻の体を抱きしめた。
「ドロシア、ドロシア、会いたかった・・・」
「私もよ、ターニャ!」ドロシアの幻が私を抱き返してくれた。幻でもいい。私はとても幸せだった。