表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第八話 星空の下で、囁くために


 その日の午後、一人の使者が真央の下を訪れてきていた。彼はピエール教皇からの遣いであり、真央には明日にも魔物を倒す戦いへと赴いてもらう。そのための壮行式を朝に執り行うため、勇者に相応しい装いを準備していただきたいとの事だった。

 なんとも気の早いことだ、と真央は考えた。だが、彼らからしてみればその為に女神に祈りを捧げていたのだろうし、また真央の様子を見てあまり勇者に相応しくない在り様だとも思っていたのだろう。大義名分のある追放のようなものだ。


「……何をお悩みなのでしょう? 別に、出立したところでどこかに隠れて過ごしていればいいだけではないですか。身の回りの御世話も、私たちを連れて行って下されば問題はありませんのに」

「それもそうだけど、そう簡単にあの人たちを見捨てることは俺の良心が許さないんだよ、リアさ……リア。ただの貧しい暮らしであればともかく、守るべき立場の者からも虐げられるような異常な世界を見て、放っておけるわけがないんだ」


 ここで彼らを見捨てれば、その楔は一生彼の心に根を張り、そして苦しめ続けるだろう。

 ピエールたちの振る舞いに対する怒りだけでない。残りの民の命を救うことの出来る力があるにもかかわらず、それを為さない。そんな消極的な選択の結果、多くの無実の命を罪として背負う事の恐ろしさも、真央の背中を後押しする理由の一つだった。


「これが異常ですか。あの教皇らの在り様が? 勇者様の視点からは、そうかもしれません。ですが、この世界の者にとってはもはやあれが常態なのでございます。既に彼らは、そのような在り方と共に滅びる事すら願っています。だというのに、何故、彼らをマオ様が救わなければならないのでしょうか。そうする義務など、何処にもございませんのに」

「いや、そうとも言い切れないさ」


 だが、そんな小心者である自分から発生した理由を真央はリアに語ろうとはしなかった。


「例えば、ほら。俺はこの一日ちょっと、ピエールたちが彼らから搾り上げたものによってもてなされている。その使い道を選んだのは教会だけれど、その野菜なんかを作ったのは彼等だから、その分の恩を返す義務くらいはあるだろう? 一宿一飯の恩義ってやつだ。この世界にそんな言葉があるかは知らないけれど」

「……それは、自ら行動を起こすことなく、女神様とマオ様の手を煩わせることになった私たちの責任です。勇者様がそれに対して返すことなど、ありません」

「うぐっ。そ、それも、そうかもな……」

「そうです」


 断固として真央に責任などないと告げるリア。その毅然とした様子に、彼は多少の不信感を抱いた。


「どうしてそこまで否定しようとするんだリア? なんで俺に、勇者としての責務を果たさせようとしない」

「マオ様の考えが、理解できないからでしょうか。私だけではありません。恐らくルナも、同じように理解できていないでしょう。良心、恩を受けた……その程度で他者を気に掛ける余裕は出来ません」


 この他者を気に掛けるほどの余裕を誰もが持たない世界では、真央の考えは夢物語に他ならない。


「それはそれ、これはこれ。明日の命が約束されていない以上、誰もがそんなものよりもまずは自分の事を第一に考えます。だからこそ、マオ様のそんな思考は私たちのモノとは全く別のものだと思うのです。そして、そのような、失礼ですが、甘い考えで人々を救おうとしたとして、現実に叩きのめされるのが関の山。人が背負えるのは自分と後二、三人程度。分を弁えなければ、折れるだけなのです。マオ様には、そのような目に見えた挫折を味わう必要はありません」


 人々を救おうとしないことこそ、真央にとっての平穏である。

 そう言い切った彼女の考えに、後ろでルナも頷いている。


「まあ、ね。本来なら心が砕ける必要も、マオ様にはないでしょ? なのに、どうしてそこまで抗おうとして――私たちに希望を見せようとするの? それが、私には分からないかな」

「……初めにさ、俺は君たちの夜のお誘いを断ったよな」

「はい」

「あれは、そうだな。俺だって、本当に嫌だから断ったわけじゃない。そういう事には興味津々なお年頃だからな。今だって、その衣服の下とくんずほぐれつしたいって本能が叫んでる」


 そこまで聞いたリアが、やはりといった表情で真央を見る。ルナも、どことなくさげすむような視線で彼の言葉の続きを待っている。


「でも、それは希望もクソもない、終わりの見えた退廃的な雰囲気の中で行いたいことじゃないんだ。その時だけは、その時の快楽に集中できるだろう。でも次の朝を迎えた時に、俺はきっとこう思う――あと何回、この夜を過ごせるだろうかって、憂鬱な気分に焦りを余儀なく抱かせられる」


 確定した絶望を待つだけの、未来を無視した常闇の淫夢。

 それをどうして、楽しめようか。


「そんな暗い事を考えて、それを忘れるように色事にのめり込むような性活を過ごしたくないんだ、俺は。先の明るい、幸福で平和で穏やかな、そんな日々の中でお相手と愛を育んで、甘ったるくもさわやかな、甘酸っぱい青春の星空を見上げたいんだ。そして天蓋越しに、月が綺麗ですねと耳元で囁きたい。そんな夢のような夢は、悪いが、君たちには希望を見てもらわなくちゃ叶わない。ミストリアも、ルナも、クレタちゃんも。誰もが笑って将来に大輪の花を咲かせることを希望できる、そんな優しい世界じゃないと桃色の夢に浸れない。だからこそ、俺の希望の為に君たちに、この世界の住人に希望を抱いてもらいたいんだ」


 一見まともな事を言っているようで、その中身は真央の色欲を満たしたいだけという悲惨な告白。だがその欲望は、これまた別の、世界平和と言う大欲を前提として成り立っている。

 そんな小さな、物語のような色欲を叶えるためには、真央は勇者としての役割を果たさなければならない。他の住人が諦観を受け入れている事など、実の所彼には重要ではなかった。彼の夢の為に、彼の考える平和を押し付けるという、独善的な思考。

 それこそが彼の、ピエールたちに対する憤怒の根源であり、また勇者としての役割を承諾した理由なのだ。


「リアが俺の心を案じてくれるのは、本当にありがたい事なんだ。だけど、君の案じ方は、俺の納得できるものではないってことは分かってくれると思う。君たちが俺を理解できないように、俺も君たちに納得できないってこともあり得る。そう、じゃないかな」

「……私達には、分かりません。ろくでもない現実を前に、散々裏切られてきましたから。マオ様の言いたいことはなんとなく、分からなくもないです。ですがそれはとうに捨て去ったもの。それを今更、拾うことなど――ましてや、魔法も使えない勇者様に、希うことなど出来ましょうか」

「そっか。そいつは俺も申し訳ないと思うよ。言い訳のしようもない」


 ミストリアたちは、頭を下げて出て行ってしまった。うまく説得することも出来ない以上、それは真央にとっては有難いことである。ただ、そこまで気を配られてしまっているという現実が情けなくてしかたがなかった。

 真央にも、魔力が扱うことが出来そうな予感はある。

 ただしその負の感情に呼応した魔力が時は解き放たれた結果、何をもたらすかも分からない今、彼は足踏みを余儀なくされているのだ。今顕現すれば、間違いなく自身の魔法がただの暴力になると直感的に理解している。

 だが、それでは救えない。今の彼の魔力を支配しているのは、ただただ一部の人間たちを塵一つ残さず消し去りたいという短絡的な怒りであり、悲しみである。それを使うだけの野蛮な策では、彼の望む理想へは至らない。だからこそ、彼は発動する機会があったとしても、それを何とかこれまで育んできた理性で押しとどめている。暴力への恐怖がある。暴力では解決しない社会問題の存在がある。彼の教わった力の使い方は、今のままでは間違いなく叶わない。

 なれば、その力の使い方と言うのはどのようなものなのか。この現状を打破できる魔法。竜を殺す、万人を癒す。それだけでは足りない。未だ孵らない、ただ黄金であることだけが約束されている魔法の卵。

 それが今の真央を悩ませる、始まりの一歩であった。


「だけど、このままじゃ始まる前に終わってしまう。残された時間は明日まで、か」


 それまでに、真央の勇者としての在り方を決めなければ。

 ――時間が、ない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ