第三話 ルナとミストリア、そしてクレタ
真央は困惑していた。自分に与えられた「部屋」と言うものが、本当にそう呼んでいいのかどうかも分からないくらいに。
まず、リビング。十人程度は掛けられるであろう大きなテーブルに、マントルピース付きの暖炉。そして、その横には二、三人程度は余裕をもって眠ることの出来る店外付きのベッドのある寝室。加えて寝室の反対側には個人用の書斎が存在している。そしてそれぞれに天使や裸婦の絵画が飾られていたり、天井まで精密な模様が描かれていたりしている。
少なくとも、語彙の狭い真央にはうまく言葉に言い表す事の出来ない程に贅が尽くしてあるのが分かった。
「……あの、広すぎません?」
「いえ。教皇を初めとする教会の重鎮の方々は皆様このような部屋に住んでおります。勇者様という事を考えるなら、むしろ狭いくらいでございます。それに、勇者様であれば一介の修道女に対して敬語は不要ではないかと愚考いたします」
思わず問いかける真央に、彼女は何も表情を変化させることなく答えた。それどころか、逆に首を傾げられる始末である。正直なところ、真央の実家は一軒家だが父は普通のサラリーマンと言うだけあってそこまで広かったわけではない。その実家よりも広い部屋に一人で済むなど、これまた慣れるまで疲れそうだと真央はため息をついた。
「……食事が運ばれてくるまでには、あの状態だと時間がかかるだろう」
近くにあった椅子に座ると、彼女らは揃って使用人のように壁際に並んだ。
これまで話していたのは最年長の女性だけで、他の二人は一言も真央と言葉を交わしていない。故に真央は、あえて中学生ほどの女の子に言葉を投げかけた。
「そうだと思われます、勇者様」
もはや定型となった様付け。真央は顔を顰めるのを隠しきれているだろうかと、つい確かめるように手を頬にやった。……うまく口の端を持ち上げられているようで何よりである。
「じゃあ、少しばかりお話をしないか。ピエールさんは食事の後にと言っていたが、その前に皆さんのお話を聞かせてもらいたいんだ。あくまでよろしければ、の話だけど。多分このまま暫く一緒に過ごすだろうし。もちろん、話したくないのであれば無理に話さなくても結構だと、もう一度言っておくな」
「……それが勇者様のお望みであれば」
そういって、真ん中の辺りの年齢の女の子は話し始めた。
「私はルナと申します。ミッテ村の生まれで、父はマツ、母はメルデと言います。五歳の時にピエール様に買われ、それ以来八年間修道院で過ごしておりました」
「買われた、と言うとご両親が貴方を売ったのか? 子どもを売るとは、そんなに貧困だったのか?」
人身売買ともなると、平和な国で暮らしていた真央は嫌悪感を抱かざるを得ない。もちろん、そうせざるを得ない理由があるのなら、話は別だという事も彼は理解していた。
真央がそう問いかけると、これまで無表情だった彼女の様子が一瞬だけ切り替わる。ベールの隙間から覗いていた彼女の瞳に、剣呑な光が宿ったのを真央は見逃さなかった。
「いえ。確かに貧しかったですが、子供が飢えるほどではありません。正確には、村を訪れたピエール様が私を強引に攫って行ったという表現が正しいでしょうか。あの方は私を見るや否や、両親に銅貨一枚を弾くと私の手を取り強引に馬車へ乗せました。……今でも私は、両親が叫びながら私に手を伸ばしていたあの光景を忘れる事はありません」
……まさかの過去に、真央は気軽にそれを聞いたことを後悔しかけた。だがすぐにそれが間違っていたと知る。彼女の瞳に見えた復讐の炎は、焼けた鉄よりも熱く彼女の心を焦がしていた。そして、それを聞くことを望んだのは自分である。ならば、それを聞いて後悔と言った負の感情を彼女に対して抱くのは失礼にあたると思ったからだ。
だが、それにしてもまさか宗教関係者が人身売買……売買と言って良いのだろうかも分からない強引な人さらいを行っていることに、早速真央はめまいを感じた。
「もしかして、そんなことが日常的に横行しているのか?」
「……はい。教国に限らず、どこでも。なにせ、今や魔族の全盛期ですから。力があれば何でもできます。民は権力者の下でしか生きられない為、彼らの庇護を受けるためなら何でもします。しなければ、ならないのです。勇者様も、私の体を使いたいというのであれば――」
そう言って、彼女は自らの体に目を落とした。
単に未成熟と言い切ることの出来ない、甘露に満たされ始めた果実。若い瑞々しさと熟れた蜜という、刹那の間しか両立することの出来ない魅力を見事に調和させたその体は、見る者によっては非常に蠱惑的なものであろう。
真央もそれくらいは分かるし、およそ先輩と後輩といった関係に落ち着く程の年齢差だからこそ、彼女は十分真央にとってそういう対象であった。
そしてそのような爛れた関係こそ、真央がこの世界に来た理由でもあった――しかし。
「――いや。ダメだ」
「……中古品はお嫌いでしょうか?」
そう、悲しそうな表情を作る彼女を真央は慌てて否定した。
「いや、いや、そういうのじゃあなくて。君はすごい可愛いし、魅力的だけど……それは、君の望むものじゃないだろう」
「別に。勇者様のお手付きともなれば、あの醜いアレとも距離を置くことが出来るでしょうし、将来もそこそこ安泰するでしょうから」
「違う違う。そんな妙に現実的で悲観的な理由じゃなくて、もっとこう、恋愛的な意味で、ほら。愛のある性活をというか……なんというか。ただ生きるためにヤるのは、俺は、うん。あまり好きではない、というかむしろ嫌いでして」
真央自身、うまく言葉にすることはできなかった。童貞故に。
経験がないからこそ、そういう事に夢をみている真央。彼からしてみれば、なるほど確かにシチュエーションとしては嫌がる女の子とするのも大好きだ。そういう本だって持っていたし、想像したことだって一度や二度ではない。だがそれは、現実ではないからこの上なく良いのだ。現代に生きる人間として、そういった事には罪悪感を覚えるのは当然のことであった。この世界には法律はないだろうが、真央にとって未成年との秘め事は倫理的に十分犯罪である。
それに、嫌がる相手を無理やり従わせるよりも、いちゃいちゃラブラブな関係でちゅっちゅしたい。
なんとも贅沢な理想だが――。
苦悩する真央に対し、彼女が呟く。
「……もしかして勇者様、そういった経験がないので?」
「――ごほん。い、いや、そういう訳じゃないぞ? それはともかく、じゃ、じゃあ、次に行こうか! えっと、同じくらいの年齢の貴方はどうなんだ?」
答えを誤魔化しつつ次の話題へ移ろうとする真央。しかしその答えと言うのは普通に理解されてしまっていたらしく、ルナはジト目で真央の事を見ていた。憐れんでいるのか、それとも面白がっているのか。少なくとも、隣に並んでいた二人は、彼女が目の前の純朴そうな青年に悪感情を抱いていないことを悟った。
なお、とうの真央本人は顔を真っ赤にしてルナから反らしているためにその事に気づいていなかった。
そしてそれ以上問うこともなく、ルナはあっさりと引き下がる。
続いて、真央と同年代の女性が一歩手前に出た。
「私の名は、ミストリアです。親しい者はミストと呼びます。王都の出身です」
「王都、というとあの女王様のお足下ってことか。……それがなんでこんなところに?」
「夫が戦死し未亡人となった私ですが、彼と同じように戦えるはずもありません。生活費も稼ぐことが出来ず、財産もなけなしのお金を全て牧師様に献上しなければならなかったのです、そして、生きるために奴隷となったところを幸いにもこちら側の方に買われたためです」
夫、と言う点に真央は驚かされたが、ひとまずそちらは置いておいた。
それよりも彼が気になったのは、後半の言葉だった。
「幸いにも、というと? 王国の人間に、ではなにか不都合が?」
「夫は、私と結納の儀式を終えて一時間後には村を訪れた騎士様たちの手によって連れていかれました。つまり私は未だ未通の身なのです。ですが、あの国では未通の女奴隷は全て女王様が買っていかれます。そして、その後買われていった者の顔を見た者は誰一人としておりません。噂によると、あのお方にはとても人には言えない趣味が存在するとか。私の口からはこれ以上は、とても恐れ多く……」
真央にとってそれは、何処かで聞いたことのある話のようにも思えた。
しかし具体的な記憶が思い出せない以上、彼にはあまりそれは重要な話には思えなかった。
「あれ、貴方はもしかして未だお手付きではないの?」
「……それが、買われた方はピエール様に私を献上する事が目的でして。あの方はそれを表面上素直に受け取ったのですが、既に私はその、対象外だったらしく」
ピエールのあずかり知らぬところで、彼の罪深い性癖が明らかになっていくことに、真央は水素原子一個分くらいだけ同情した。最も実際に手を出している以上、既に真央にとっては、教皇は断罪されるべき犯罪者でしかなかったが。
そして、ミストリアもまたルナと同じような重い過去を持っているだけに、最後の小学生くらいの女の子もそうなのかと真央の気分は更に憂鬱になっていく。何でこの世界の宗教は、こんなにも腐っているのだろうと。
「では、つぎはわたしですか」
話を終えたミストリアが一歩下がり、最後の女の子が前に出た。
「わたしは、クレタ・クレッセルともうします。いだいなるアレスおとうさまとミーシャおかあさまのあいだにうまれたちょうじょです」
「ちょっと待て、クレッセルって確か――」
「帝国の王族の家名でございます。とすると、先ほどのアルバート様やカレン様はお知り合いなのですか?」
「アルバートさまはわたしのおじさまで、カレンねえさんはいとこです。おふたりとも、わたしにはきづかなかったようですが」
「……どういうことだ? 何で王族が売り払われるようなことになるんだ。クレタちゃん、お父さんたちは?」
「ふたりはめいよある“し”をもとめ、たみとともにたたかいにいきました。ですが、そのあととつぜんおじさまがやしきにあらわれたかとおもうと、わたしをここへつれてきたのです」
……真央の予想では恐らく、彼女は叔父によって売り払われたのだ。ご機嫌を取る為かどうかは知らないが、皇族で兄弟ともなれば血を血で洗うような話になるのは古今東西ありふれた話だ。最後の血族も、丁度ピエールにとって都合の良い年齢だったために、教皇との何らかの取引に使ったのか。
「……それだけか?」
「それだけです、ゆうしゃさま」
彼女は可愛らしく首を傾げる。どうやら真央の意図が通じていないようだ。
ルナに目をやると、彼女はこちらへ近づいてきて耳打ちする。
「多分、運よくまだお手付きになっていないんじゃないでしょうか。かのアレス様は勇猛果敢な将として知られていましたし、彼が討ち取られたのもまだ民衆の間では広まっていません。手を出そうとする前に勇者様が来たため、こちらへ回したのかと。恐らく勇者様が出ていった後に、改めて床に呼ぶつもりなのかと思われます」
「……だろうな、とは思ってたよ。長い間過ごしたルナさんがそういうのなら、多分その通りなんだと俺も思う」
それにしても、なんでこうもこの世界には問題が多いのかと真央は悩んだ。
勇者を呼ぶような世界なら、よほど切羽詰まっているに違いない。それなのにどうしてこうも、問題のあるような人間ばかりが舵取りを行っているのだ。女性を好きなだけ抱けるとは言っていたが、こんな問題のある過去ばかりだと立つものも立たないではないか。
もっとゲームのようにお気楽にちゅっちゅ出来るものと思っていたばかりに、真央はこの先の未来がまるで暗雲そのもののように思えてくるのだった。
なお、その後運ばれてきたものはクタクタになるまで煮込まれた野菜と、乳脂肪と香辛料と塩がたっぷりと使われた固い肉料理であり、真央の想像する奴隷が存在した時代背景そのままの料理だった。それが、真央の舌にあうはずもなく。
彼は陰鬱な気分で更にまずく感じられる重厚感あふれる料理を、なんとか腹に収めるのだった。
なお、こういった料理に慣れていた面々におすそ分けしたところ、大変喜ばれたことをここに付け加えておく。