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第九話 倫理の荒野と一輪の薔薇


 この世界に来て久々に一人きりになった真央は、その広く寂しい部屋の中で暫くの間頭を抱えて悩んでいた。最高とは言わないまでも、最善の策を――なんてのは、知識がある人間の言葉だ。真央に出来るのは、次善以下の素人の発想でしかない。

 だがそれでは民衆を焚きつける事すらままならない。真央が一人で人類をどうにかできる訳もなく、せめて彼ら自身が奮起しなければどうしようもない。だが切っ掛けすら、帝王学のての字も知らない彼には思いつかなかった。

 袋小路に迷い込んだ思考を一度すっきりさせるために、真央は一度環境を変えようと外へ出ることにした。

 彼はちょうど部屋の外を通りがかった教会の人間にピエールへの言付けを頼む。司祭という彼は顔を顰めながらも、勇者の言葉ならと最終的に真央の言葉に納得するしかなく、門番に許可を出した。

 そうして、真央は再び門の外へと降り立った。


「……嫌な空気だよな、ホント」


 無論、みすぼらしい光景に対してその言葉を吐いたわけではない。少しばかり不潔な、酸っぱい匂いが馬車に乗っていた時よりも直接的に真央の鼻をついたのは確かだが、それ以上に、その憐憫を誘う姿を強いている、また彼らが認めている社会構成そのものに真央は怒りを感じていた。

 だが、その心の内を素直に受け止められる人間はここにはいない。

 その、いかにも見下すような呟きを聞かれていたのか、通りがかった一人の男にじろりと見られ、慌てて真央は頭を下げる。幸いにも、男性はそれ以上真央に詰め寄ることなくその場を立ち去っていった。

 彼も、真央の服装を見て争いに発展する事を避けたかったのだろう。風呂に入って以降、制服ではなく教会らしき白い布に身を包んでいたからか。ほっとしながらも、権力による威圧をしていたことに気づいた真央は胸の奥がずきっと痛んだ。

 そのまま、下手に周囲を刺激しない様、真央は無言で街の中を歩いていく。誰もが彼と同じように無言で、それでいて足元を見ながら歩いている。一歩進んだ先すら危うい世の中どころか、今日の足元すらあるのか分からない社会。そんな、暗くよどんだ雰囲気の中を真央は進んでいく。

 気づけば彼自身、周囲の空気につられて足が重くなっているように感じられた。

 聞こえるのは、重苦しい息遣いばかり。そんなところに身を置けば、誰だって明るい気持ちを抱けるはずもない。

 気分転換どころか、更なるデフレスパイラルに陥る真央の思考。やがて、彼は自身でも気づかないうちに大通りから細道へと足を運んでいた。

 表通りを歩くのが浮浪者と言うなら、裏通りはまさにスラムそのもの。

 目に見えて失意や絶望に包まれた重苦しい空間では、襤褸切れと言って良いのかも分からないものに身を包んだ人が横たわっていたり、壁に黒くなった血のシミが残っていたりしている。

 そんな中を歩いていると、やがて真央は正面に二人の人間が立ち塞がっていることに気づいた。その中の顔の一つは、よくよく見れば、先ほど真央の言葉を咎めようとした男のものだった。

 問題を起こすまいと振り返るも、時は既に遅く。また別の人間が、真央の退路を断っていた。そのどちらもが、獲物を見るような目で真央の事を嘗め回していた。


「……なんの、御用でしょうか」

「なんのもどうもねぇだろう、なぁ、教会のお偉いさんよ。たった一人っきりで、こんな暗ぁい所にやってきてよぅ、まるでそっちから誘ってるみてぇじゃねぇか」

「とりあえず、そのキレーな服は置いていってもらおうか。んで、脱いだらお相手でもしてもらおうかね」

「なにせあの女王サマが街から女を攫っていくせいで、俺たちゃ溜まって溜まって仕方ねぇ。坊主はあの肉達磨と違って、見た目も綺麗だからよぉ。終わったら娼館に売っ払ってやる。なに、痛いのは最初だけだから心配すんな」


 ちょっと待て、と真央は叫びたかった。

 しかし目の前の彼らは、冗談を言っているような目つきではない。本気で彼らは、女に飢えている。それこそ、若い男にすら手を出す事を許容してしまっているくらいに。

 何という世紀末だろうか。だが、それがこの社会の現状なのだと真央は否応なしに理解させられそうになっている。先ほどとは違い、主に物理的にだ。

 ――再び、心臓が大きく拍動する。このような野蛮な同性を相手に喘ぐような趣味は、当然のことながら真央にはない。そうでなくとも同性の相手は、相応の大恋愛でもなければお断りだが。

 もちろん真央は、抵抗する気であった。見るからに栄養不足の体であり、頬のこけた状態であれば武術の覚えのない真央とて素手でも撃退することは可能だろう。

 だが、思いのままに彼らを攻撃してしまうことが、本当に正しいのだろうか。

 これまでの様子を総括するに、彼らとて望んでこうしているわけではない。その大本には、権力者による弾圧主義が存在する。逆らう術もない弱き者は、屈辱と共に過ごさねばならないという非現代的社会の中では、このようになってしまうのは無理もないことではないか。

 それに、一度力を振るうことを許容したならば、その勢いでこの身を駆け巡る大いなる魔力を放つことすら許容してしまいそうで、やはり彼は暴力による解決を望ましいとは思ってはいなかった。

 それでもこのままでは、逃走する事すら難しい。


「――どうしても、この身を汚すというのか、あなた方は」

「ふん、お優しいこって」


 問いかけ、対策を捻り出す時間を稼ごうとする真央に、目の前の男は吐き捨てる。


「さっきの頭を下げたりといい、問答無用で消し飛ばさねぇ辺り、てめぇは奴らとはちょっとばかし違うみてぇだがな。その身なりをしている限り、所詮くそ坊主どもの同類よ。どうせこのまま俺たちは死ぬしかねぇんだ。なら、それまでの間、ちぃとでも楽しまねぇとなぁ!」

「良ーい肌だ。さぞ綺麗に磨いてるんだろうなぁ。羨ましい限りだぜ。最後に体を洗ったのはいつか、俺はもう思い出せねぇ。まったく、俺たちが苦労している間、お前たちは呑気に極楽に浸ってるんだろうなぁ。まったく、羨ましいなぁ」

「そんな奴がせっかくこっちに降りてきたんだ。こんな好機、逃すわけにも行かねぇだろう?」


 そう呟きながら、男たちはジリジリと距離を詰めてきている。この袋小路を脱するにはそれこそ壁を蹴って宙を舞う位しかないが、真央はそんなサーカスじみた技量を持ち合わせていない。

 このまま悩みつづけ、欲望のはけ口になるよりはいっそ、この身を焦がす衝動を解放してしまおうか。そんな発想が、真央の焦りから現実になりかけていた。

 確かに暴力による解決は問題視されるべきものだ。この勢いでは周囲一帯を巻き込む事態にもなりかねない。

 だが、今真央が置かれている状況を鑑みれば、正当防衛とも言い訳がつく。

 いざ被害者になろうとしている状況で、徹底的に暴力による抵抗を選択肢から排するほど、真央は聖人ではない。

 そんな最終手段が、いよいよ現実になろうとしていたその時。


「――何をしている?」

「げぇっ、あ、アネさん!?」


 一人の女性が、リーダー格の男性の肩を掴んだ。

 煤けたターバンを頭に巻いた彼女は、そのガーネットの瞳で鋭くこちらを見据えている。かすかにチョコレート色に見える肌と言い、頭布の隙間から覗く白い髪と言い、真央には民族的な意匠の強い女性に見えた。


「そ、それが、見て下せえよこのガキ。あの教会の人間と同じ真っ白な服を着てやがるんです」

「だから?」

「だ、だから、ここでちょっとお仕置きをば、してやろうと……」

「確かにそこの彼は、世間知らずのお坊ちゃんだろうな。こんなところに来るなど、普通ではあり得まい」

「で、でしょう?」

「だが、それなら少なくとも、お前たちが嫌っているような教会の人間たちと同じ気質を持っているとは言い難い。奴らはそもそも、足もなしに外へと出ようとすらしないだろう? 我らを見下しているような連中ではない以上、私にはお前たちが無理やり襲おうとしているようにしか見えんぞ。このままでは、道義はお前たちにはないという事になる」


 そこまで言うと、彼女は開いていた左手を腰の方へ差しこんだ。

 その先から、僅かにきらりとした鈍色の棘先がのぞく。


「去れ、その少年は私が預かるとしよう」

「へ、へぇっ! 行くぞお前ら、こんなところで蠍女なんぞ相手にするほど命は惜しくはねぇからな!」

「ちぃっ、命拾いしたな! ――ま、待てよ!」

「くそっ、せっかくのお楽しみが台無しだ!」


 彼らは慌てるようにして、この場から去っていく。

 その背が見えなくなるまで見届けてから、女性は改めて俺の方へと振り返った。

 ピンと伸ばした背筋といい、はっきりとした物言いといい、このような社会の中でも気品を失っていないその姿は、まるで凛と咲く薔薇のようだ。


「ええと、ありがとうございました。このままでは大変な事になる所でしたので、無事に済んでなによりです」

「……そうだな。お前からは懐かしい匂いがした。まるで、体内の魔力を持て余しているような匂いだ。初めて魔法を使う際は暴発が起こりやすい。それこそ、才気ある者は周辺一帯を消し飛ばすほどにな。はてさて、そんな魔力を抱えているお前は一体何者だろうな」


 じろり、と鋭い目で真央を疑ってくる女性。だが彼女は、すぐにその顰めた顔を笑顔へと変えた。


「なに、冗談さ。お前の事は知っている。とりあえず、こんなところで話すのもさっきのような厄介者を呼びやすい。一先ず、私の家へと向かうとしよう。さ、行こうか――勇者様?」



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