プロローグ 最後の希望の勇者
――神は思った。この世界の人類はもはや救いようがないほどどうしようもない、と。
魔族の侵攻により百年前より実に九割近くが削られ、もはや種としての終焉も間近だというのに、自分に必死になって祈りを捧げている国の重鎮たちは誰もが自分の事しか考えていない。
いざと言うときには他の国を、国民を捨てても生き残ろうとする愚かな生き汚い人間たち。いや、だからこそここまで生き残ることが出来たのかと、神は呆れと共に吐き捨てた。
他人を切り捨てたところで、生き残る術などどこにあろうというのか。弱者は集団を以て戦うべきなのに、それを内側から切り崩してどうするというのか。
――神は思った。
それでも彼らは、一応祈りを捧げている。
国民もまた、神に救いを願っている。
おとぎ話のような勇者を、我らの下に使わしてくれると。
ならば、与えよう。この救いのない人類に、せめてもの魂の救いを。
彼らを生み出したものとして、せめて最後に……希望を与えられる者を。
●●●
――ある時目が覚めると、彼は光の中にいた。
四方八方どこに目を向けても白に満たされた、人知を超えた空間の中。そこに彼は足場もなく、ただ羽毛に抱かれているかのようにふわふわと浮いていた。
『目覚めましたか、勇者よ』
光から、声が届く。空間そのものから発せられた鈴の音のような女性の声が、耳を超えて直接彼の頭の中に響き渡った。
「え、えーと。ど、どちらさまでしょうか?」
青年は声の主に、まず何者であるかと問いかけた。
これが明晰夢だという考えは、とうに彼の頭の中から消え失せていた。
これは決して、自分の頭の中だけで完結している出来事ではない――そう、彼は、直感的に理解できていた。
そして。そのようなことが出来る存在など、彼には一つしか思い浮かばなかった。
『貴方が理解しているように、私は神です』
普段の生活の中で聞いたならば、彼はその言葉を一笑に付した。
しかし今の彼には、なぜか自然とその言葉が真実でなのだと理解できてしまう。
「なるほど。それで、神様がわたくしのようなしょうもない一つの命に、一体何の御用でしょうか」
『貴方には勇者として、とある世界の人類を救ってほしいのです』
自然と畏まった口調になった青年に、彼女は端的に告げる。
――勇者。
勇気のある者。聖剣を所持し、世界制覇の野望を抱く魔王を打ち滅ぼす者。
簡単なイメージが纏まったところで、彼はすぐさま首を振った。
「――いえ、私には無理です。私のような凡人には、とてもそのような大層な役割など……」
自分は勇気なんてものは一欠片も持ち合わせておらず、他者のために進んで身を捧げる覚悟もない。
どこにでもいるような、自分が一番大切な一般人。
それが、青年の哀れな自己評価だった。
『だからこそ、なのです。己の器を知り、決して増長しない者。それこそが、聖なる力を持つに相応しい』
それらしいことを言って青年を説得しようとする女神だが、彼の心持ちは変わらない。
ならば、と。彼女はなんとしてでも彼を勇者に仕立て上げたいようで、青年の欲望を刺激する方向性に出た。
『あちらの世界へ行けば、見目麗しい女性を好きなだけ抱くことも可能ですよ?』
「――っ」
反応した。青年は、その言葉に反応せざるを得なかった。十八歳にもなり、未だ女性と肌を重ねたことのない青年にとって、その話題は余りにも魅力的だった。
しかしその薄汚い私利私欲の性欲を、仮にも女性の声を放つ神に見せるわけには行かなかった。それだけは、たとえ心を見られていたとしても、青年の――女性に夢見る童貞のプライドが許さなかった。
「――それでも」
『……面倒、実に面倒ですね。そもそも、貴方が何と言おうとこれは既に決定事項なので』
「え、えええっ?」
『そちら側の神とも話はつけているため、既に召喚の儀式は始まっています』
「はあっ!?」
慌てて自分の体をよくよく見ると、手や足が少しずつ白い光の欠片へと変換されていることが理解できた。
『流石にそのままでは脆弱すぎるので、召喚にあたり貴方には力を授けます。――では、どうかよろしくお願いいたします』
そういって、声の主の気配はすっと溶けるように消えていってしまった。
後に残された青年がどのような声を上げようが、無情にも召喚の光は増していく。
――ならば、と青年は決意した。
本当にどうしようもないならば、彼女の言う通り好き勝手に女性を喰い荒らそう。勇者としての役割はほどほどにして、性欲を好きなだけ満たそうと。
ぶっちゃけると、セ〇クスしまくろうと彼は開き直った。
そして彼の体は、その決意と共にこの空間から消え去った。
青年の名は、夕霧真央。
目下の目標は、自身を召還した声の主たる女神と閨を共にすることである。