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第十一章 断罪①

 フィオリーナは夢を見ている。

 自分でもそれはわかっている。

(眠っちゃ駄目なのに……)

 心のどこかで焦りながらも目覚め切ることが出来ず、フィオリーナは夢の中をさまよう。

 眠り込んではいけないとわかっていても、灯りを落とした寝室の、あたたかな寝台の中で夜半までしっかり起きているのは、まだ子供のフィオリーナには難しい。

(起きなきゃ……起きなきゃ)

 気持ちは焦るが身体は動いてくれない。夢はさらに一段、深くなる。


 どうやらここは、ラルーナにあるデュクラ王家の別荘らしい。

 そういえば朝食前にちょくちょく、ルイと庭園を散歩した。

 その時の記憶が夢になっているのだろう。

 フィオリーナは潮の香りがする風に吹かれながら歩いていて、どうやら隣にはルイがいるようだった。


 何がきっかけだったのか、ある朝ルイは誇らしげに胸元を開け、フィオリーナへ左胸を見せたことがあった。

「これが『ルードラの戦士の証』です、おねえさま」

 薄く白い胸板に、正面を見据える両目を象った刺青があった。フィオリーナは思わず小さな悲鳴を上げる。

「怖がらないで、おねえさま。これは『(ルードラ)の瞳』っていうんですよ。我が心臓はルードラのもの、故に血の一滴まで神の王国へ捧げるという誓いの証で、ぼくとルードラとの切れない絆なんです。ぼくの魂はルードラに捧げられていますけど、そのかわりルードラは僕を堕落から守って下さいます」

 得意そうにそう言うルイの顔を、フィオリーナは、不思議な生き物か何かのように見つめるしかなかった。

(……狂っている)

 とても静かにそう思ったのを覚えている。

 ルードラの教えで言うのなら、狂っているのはおそらくフィオリーナの方だろう。

 が、幼い子供の胸に刺青を刻むよう命じる残酷な神を、少なくとも現時点では、称える気持ちに到底なれない。

「おねえさまも『ルードラの戦士』になろうね」

 まるで森遊びに誘うかのように朗らかに、ルイは言った。激しく首を横に振り、フィオリーナは後ずさる。

「平気だよ。お薬で寝ている間に儀式は済むから、怖くないよ」

 しばらく冷やしていなきゃならないけどね。

 そう言ってほほ笑むルイが、恐ろしい。

「い……いやあああああ!」

 全身で叫び、フィオリーナは激しく拒絶した。


 現実では、首を横に振るフィオリーナを見たルイが、寂しそうな目になって胸元を隠し、うつむいて釦を止めただけだった。

 その時の心の叫び声が、この夢の中では絶叫になる。

「いや!わたしの神様はラクレイアーン、ラクレイアーンなのよ!」


 そこでようやく目が覚めた。

 心臓がどきどきと脈打ち、身体中が嫌な汗で濡れていた。

 その時。

 衣装箪笥の方から、トントントン、と、三度合図があった。

 寝台から身体を起こし、フィオリーナは衣装箪笥を開けると秘密の出入り口の扉を叩き返した。

「お待たせいたしました、殿下」

 侍女の仕着せではなく、護衛侍女……女性護衛官の紺の制服を身に着けたクリスタン夫人が、扉の向こうにいた。



 鋭い叫び声を聞いたような気がして、フレデリール・デュ・リュクサレイノ侯爵は、寝台の中で大きく息をついた。

 のろのろと半身を起こし、枕元の水差しからグラスへ水を注ぐと、一気に飲み干した。

 眠れた気がしない。

 公私にわたってごたごたしていて、ここ最近、気が落ち着かないのは事実だ。


 『保守派の首魁』『ラクレイドの怪人』と囁かれていた父が死んだ。

 当主としてフレデリールも、宵までバタバタしていた。

 本来なら隠居屋敷での喪の行事に参加するべきだが、明日以降の宰相としての仕事が抜けられないのを口実に、本宅で休んでいる。


 おそらく今頃、隠居屋敷に集う親族が遺産を巡り、醜く陰険な応酬をしていることだろう。

(愚かな連中だ)

 吐き捨てるように思った次の瞬間、その言葉が綺麗に自分へ返ってくるのに気付き、フレデリールは苦く笑う。

 熱を持った左胸が、不意にチリチリ痛んだ。

 麻酔が切れてきたのだろう。

『あなたの願いは叶えたよ、僕の初恋』

 甘たるい酒にも似た声が耳の中でよみがえる。

 眠る直前に聞いたアンリの言葉だ。

『だから今度は僕の願いを叶えてよ。……約束してくれたよね?神の御園の戦士の碑に、あなたの名前を刻んでくれるって。そうすれば僕たちは、死んだ後も永遠に一緒だよ』

(……神などいない)

 フレデリールはやはりそう思う。

 アンリにしたところで、本気で『ルードラ』を信じているのか正直疑わしいと思っている。


 だけどこの世でアンリだけが、たとえひとときであったとしても、フレデリールその人を愛してくれた。

 『リュクサレイノの息子』ではなく、フレデリールという名の一人の人間・一人の男を真っ直ぐ見つめ、愛してくれた。

(……私にとって『神』に匹敵するのは君だよ、アンリ)

 君が望むのなら、私は神にでも魔にでもこの魂を捧げよう。

 たとえ……君が、私を利用したいだけだとしても。


 フレデリールは窓の外を見た。

 今夜は月が無いようだ。



 そして真夜中を過ぎた頃。

 冬宮・賓客の居間に、ラクレイドのやんごとなき血脈の方々が夜陰にまぎれて静かに集った。

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