第30話 嫌われたくない体育祭①
体育祭当日になった。
この日が来るまで……それはもう、胃に穴が空きそうな日々だった。
ギンちゃんにダサいところは見せたくない……けど、私に活躍できるはずも無いし……。
「はぁぁぁ……」
「……山吹さん?」
つい大きく溜息をついていた時、近くにいた風間沙織さんが名前を呼んで来た。
予期せぬ人に声を掛けられたので、私はしばらくフリーズしてしまった。
今は、借り物競争に出る選手の招集で、入場門の近くで順番に並んでいた時のことだった。
私は九番だけど……風間さんはどうやら十番だったらしく、私のななめ後ろに並んでいたみたいだ。
風間さんと言うと、この学校内じゃ知らない人はいない有名人だ。
生徒会長だから、って言うのが一番大きな理由ではあるけど。
他にも、その美貌や、一人で全校生徒を纏めるカリスマ性など、彼女が名を馳せる理由は数えきれない。
そんな彼女が私なんかに声を掛けてきたのだ。固まってしまうのも無理は無いと思う。
「な、何……?」
「いえ……大丈夫ですか? なんだか……大きな溜息をついているように見えましたけど……」
「だッ……大丈夫だよ! ただ、ちょっと……緊張してるだけ。私、運動とかあまり得意じゃないから……」
私の言葉に、風間さんは優しく微笑んで、「そういうことですか」と呟いた。
「気持ちは分かりますよ。私も同じです」
「同じ……って……風間さんも緊張しているの?」
「えぇ。私も、運動は得意ではありませんし……それに……」
そこまで言って、風間さんは言葉を詰まらせる。
どうしたのかと思い、彼女の顔を覗き込んだ私は、そのまま固まった。
だって……彼女の顔が真っ赤に染まっていたから。
「それに……好きな人に、カッコ悪い所を見せたくないので……」
「……風間さんも……?」
口から、そんな言葉が零れる。
……って……風間さんも、って何だ……。
この言い方、私にも好きな人がいるって言っているようなものじゃないか。
……ギンちゃんのことが好きだ、って……言っているようなものじゃないか。
「風間さんも……って……もしかして、山吹さんも……?」
「あ、いや……何でも無い。気にしないで」
「でも、今の言葉は……」
「お願い聞かなかったことにして何でも無いから」
私の言葉に、風間さんはしばらくキョトンと目を丸くしていたが、少ししてその目を瞑り「分かりました」と答える。
「まぁ……お互いに頑張りましょうね」
「……ねぇ、本当に分かってくれてる?」
「えぇ。借り物競争……頑張りましょう?」
そう言って微笑む風間さんに、私は「う、うん」と頷いた。
……本当に聞かなかったことにしてくれたのかは、分からない。
まぁ、彼女は誰かの秘密を言いふらしたりする性格でも無いし、大丈夫だと……思いたい。
というか……ホントに、私はギンちゃんのことを好きになんて……。
一人悶々と悩んでいた時、借り物競争の前の一年生の綱引きが終わる。
一年生が退場するのを待ってから、私達はグラウンドへと足を踏み入れる。
……やっぱり緊張するなぁ……。
生徒の観客席や、来賓の観覧席などから視線を浴び、落ち着かない。
なんとなく、観覧席の方に視線を彷徨わせ――
「みかーん! 頑張れー!」
――たところで、すぐに私は視線を前に向けた。
……ギンちゃんいたぁぁぁ!
銀髪が目立つことを危惧したのか、彼女はキャップを被っていた。
そして、グラウンドを囲む、ロープで出来た柵から身を乗り出さんばかりの勢いで叫んでいた。
来ることは知っていたけど、いざ目の当たりにすると、なんだか変な気分になった。
というか……借り物競争、ギンちゃんに見られちゃうんだ……。
リレーとかに比べればマシかもしれないけど……でもなぁ……。
私一人が悩んでいる間にも、競技は進む。
少しでも足手まといになりたくなくて、しっかりと競技を見ておいたんだけど……なんか……借り物と言うよりも借り人って感じだ。
そして、私の中では体育祭のスーパースター的存在である不知火さんは、かなりの確率で借りられてきた。
まぁ、彼女は女子達の間ではかなり人気があるので、少しでも気を引きたいのか事あるごとに連行されてくるのだ。
私の番になるまでで、すでに五回くらい連れて来られている。
けど、彼女は疲れを顔に出すこと無く、笑顔でやって来ていた。
……ホントに凄い。
一人でウジウジしてばかりの私とは、大違いだ。
不知火さんの存在が、余計に私の気を重くする。
……さっさと終わらせてしまおう。
スタートの合図をするピストルの音に、私はすぐさま走り出した。
しかし、あっさり他の人に抜かれて、私は余った一枚のお題カードを手に取った。
……どうせ、足の速さじゃ勝てないんだ。そんなこと、分かり切っていたことだ。
だったら、皆よりも早くお題になっている人を連れてくれば良い。
そう思った私は、すぐにお題カードを捲った。
『好きな人』
「……ぇ……」
お題カードに書かれた文字を見た瞬間、私は固まってしまう。
好きな……人……?
その文字に、忘れかけていた心の穴が疼いた。
だって……私の好きな人はもう……顔も名前も思い出せないのに……。
「蜜柑ッッッ!!」
どこからか聴こえた声に、私はハッと顔を上げる。
その瞬間、私の周りに漂っていた靄が綺麗に晴れたような気がした。
暗い霧の晴れた先、光の指す方向に……――君はいた。
「蜜柑何してんのッ! 速くしないとッ! 一番になれないよッ!」
ロープで出来た柵から身を乗り出し、必死に叫ぶギンちゃん。
彼女の言葉に、私はお題カードを持った手を、ゆっくり下ろした。
ずっと、小難しいことばかり考えて……悩んでいた。
けど、ギンちゃんの声を聞いた瞬間……全てが吹き飛んだ。
名前も知らない好きな人のことだとか、記憶のことだとか、ギンちゃんの生い立ちのことだとか……何もかも。
思考が全て吹き飛び、私の心の奥底に残っていたものは……純粋な、恋心だった。
私は……ギンちゃんのことが好きなんだ。
「……ギンちゃん……」
クシャッ……と、私の手の中でお題カードが握り締められる。
まるで地面に根を張ったかのように動かなかった足が、動き出す。
……ゴールへと。
「蜜柑!?」
驚いたようなギンちゃんの声を背中に受けながら、私は必死に地面を蹴り、逃げるようにゴールへと駆けこんだ。
誰も望んでいないゴール。正直、走る意味も無いようなもの。
でも、それでも……私はギンちゃんをここに連れて来ることなんて出来なかった。
私の好意を、彼女に伝えることが出来なかった。
だって……嫌われたくなかったから。




