第12話 湧き上がらせる言葉
キュッと水道を捻ると、温かいお湯が私の体に降り注ぐ。
幾つもの小さな穴から放出された温もりは、私の体に付着した泡と共に、蓄積された疲労も流していくような感覚がした。
「はふぁ……きもちぃ……」
小さく声を漏らしながら、私は湿った前髪を掻き上げる。
湯に濡れた後ろ髪はうなじにペッタリと張り付き、私の幼い体のラインに沿うように、水滴が流れ落ちていく。
これがもっとグラマラスで大人な見た目をしていたら、フィクションなんかではサービスシーンなんだろうなぁ……と、風呂場に備え付けられた鏡を眺めながら考える。
まぁ、この見た目については、今更悩んだところでどうしようもないんだけど。
「はぁ……」
毎度の如く考える悩みを吐き出すように、私はため息をつき、シャワーを止めた。
まぁ、お姉ちゃんの体を見ている限り、私の体があまり発達しないことは分かり切っているんだけどさ……同じ親から産まれたはずの檸檬が、羨ましく感じてしまう。
人って、自分に無い物を欲しがるんだよなぁ……なんて考えながら、私は湯を張った浴槽に足を入れた。
「……ふぁふぅ……」
情けない声を漏らしながら、私は湯の温もりに身を委ねる。
軽く伸びをしながら、私は浴槽の壁に体を預けた。
それにしても……ここ数日で、色々なことがあった。
バスに轢かれかけて、ギンちゃんに助けられて、一緒に暮らすことになって、一緒に買い物したりして。
これからは、これが当たり前になるのだろうか……と、微睡む意識の中で考える。
家族が増えるのは良いことだ。これからの生活を思うと、なんだか胸が高鳴るような感覚もした。
……けど、やっぱり私の胸は、満たされないまま。
ギンちゃんと一緒にいる時は不思議と気にせずにいられるのだが、一人になると、心の中に蔓延る虚無感に意識が向かう。
……まだ、この虚無感の正体は分からぬまま。
まるでドーナツみたいに、心の中に、ぽっかりと穴が空いたような感じ。
顔も、声も、匂いも、思い出も……何も思い出せない。
その人に関する記憶が、私の頭の中から抜けてしまったような感じ。
分かることは、ただ……その人のことが好きだった、ということだけ、か……。
「……どんな人なのかなぁ……」
浴槽を満たすお湯の中に吐き捨てるように、私はつぶやいた。
小さな呟きであったにも関わらず、その声は反響して、静かに室内に響き渡った。
こんなにも愛していたんだ。きっと、凄い人なんだろうな。
今まで誰かを好きになった経験というものが無いので、自分がどういう人を好きになるのかも、イマイチ分からない。
でも、きっと……素敵な人。
そんなことを考えていた時、頭の中にふと、ギンちゃんの顔が浮かんだ。
なんで思い出したのかは分からないけど……彼女もきっと、将来素敵な人になる気がする。
私のことを、身を挺して助けてくれるような優しさを持っているのだ。
顔だって整っていると思うし、大きくなったら美人さんになるだろう。
……もしも同い年のギンちゃんに会っていたら、好きになっていたかも……なんて……。
「……」
思考が妙な方向に逸れ始めたので、私は無言で風呂から上がった。
全く……最近色々あり過ぎて、少し疲れているのかもしれない。
明日はギンちゃんの生活用品とかを色々買いに行く予定だし、今日は早く寝た方が良いかもしれないな。
そんなことを考えながら服を着替え、髪を乾かし、私は部屋に戻った。
「ギンちゃん、お風呂上がったから次入って……」
「うわわわッ」
部屋に入りながら言っていた時、ギンちゃんが何かを慌てた様子で背中に隠した。
……なんだ……?
不審に思いつつギンちゃんを見つめてみるも、彼女は笑みを引きつらせながら目を逸らし、私と目を合わせようとすらしない。
一体何を隠しているのかと彼女を観察していると、彼女が背中に隠しているものがチラッと見えた。
あれは……。
「私の……お菓子作りのノート……?」
「ッ……」
ビクリ、と、ギンちゃんの肩が震える。
どうやら図星だったみたいだ。
ギンちゃんはしばらく目を逸らしたまま何やら考え込んでいたが、「ごめんなさい」と素直に謝り、ノートを私に差し出してきた。
私はそれを受け取り、小さく口を開いた。
「もしかして……お菓子作りに、興味があるの?」
「えっ? いや、その……」
「もし興味があるなら、言ってくれれば教えるのに。……家族なんだから、遠慮しなくても良いんだよ?」
「そうじゃ……無くて……」
歯切れの悪いギンちゃんに、私は首を傾げる。
すると、ギンちゃんは服の裾を握り締め、モジモジと擦り合わせている。
何事かと思い見守っていると、ギンちゃんは小さく口を開いた。
「蜜柑は……その……また、お菓子作ったりは、しないのかなって……思って……」
「……」
ギンちゃんの言葉に、私は目を見開いた。
……また……お菓子を、作る……?
確かに、私は中学生になってからは、ほぼ毎日のようにお菓子作りの練習をしていた。
それこそ、時間と金が許す限り。
けど、それは……今は顔も思い出せない、大切な誰かの為。
その誰かすら思い出せない今の私には、お菓子作りを頑張る程の気力は湧いてこないのだ。
「ま、前にくれたマカロン……お、美味しかった、から……」
……でも……。
「だから……蜜柑のお菓子……また、食べたい……!」
……その言葉が、私の空っぽな心の中に、何かを湧き上がらせた気がした。




