第32話 山吹蜜柑⑦
「よいしょっと」
明日香はそんな風に声を発しながら、蜜柑をソファに寝かせた。
それから彼女は変身を解き、息をつく。
「それにしても、蜜柑の力は段違いでしたね。しかし、武器の性能上、小回りはあまり効かないみたいですが」
「つまり、昨日の巨大猿みたいな速い敵が相手だと、分が悪い?」
私がそう聞いてみると、沙織は頷いた。
なるほどなぁ。つまり、敵に合わせて戦法は変えていかなければならない、と。
とはいえ、明日香と蜜柑が前衛で、沙織が後衛というポジションは固定か。
あれ、これ私いらないパターンじゃね?
「葉月ちゃん」
自分の存在価値について嘆いていた時、服の裾を引っ張られた。
見ると、そこでは蜜柑が私の服を軽く引っ張ってこちらを見上げていた。
「蜜柑?」
「あれ……クッキー……」
蜜柑の言葉に、私は冷蔵庫で休ませているクッキーの生地を思い出す。
すぐに私はキッチンに入って、冷蔵庫を開き、ラップに包んだ生地を取り出す。
「葉月? クッキーって?」
「あ、えっと……」
その時、明日香と沙織が興味津々な様子でキッチンに入って来た。
二人は私が持つクッキー生地を見て、頬を引きつらせる。
「……? 二人共どうしたの?」
「いや、あのさ……それって……」
苦笑いを浮かべながら言う明日香に、私はそれと呼ばれたクッキー生地を見た。
……あぁ。すでに見慣れたものだから気にしなかったが、冷静に見てみるとかなりその……アレな見た目をしている。
少なくとも食欲はそそられない。
私は無言で生地を取り出し、用意したのし台に乗せる。
「……葉月。まさかと思うけど、それがクッキーの生地?」
「なんていうか……前衛的な見た目ですね?」
「……焼いたら綺麗になるよ」
私の言葉に、二人は審議するように私を見てくる。
いや、でも、一応焼いたら美味しそうなクッキーにはなっていた!
きっと今回も大丈夫なハズ!
「そ、それより蜜柑! 次はどうすれば良い!?」
私はキッチンの扉から顔を出し、ソファで寝ている蜜柑に声を掛ける。
すると蜜柑は「ふぇえ!?」と情けない声を出しながら驚く。
「そんな、レシピ覚えてないよぉ……キッチンにノートがあるハズだから、それ読んで」
「分かった。ありがとう」
私はそう返事をしてから、キッチンに戻る。
蜜柑のレシピノートを開き、次の工程を確認する。
その時、明日香と沙織もノートを覗き込んで来た。
「え?」
「クッキー作るなら、何か手伝えることとか無いかなって」
「一応、葉月が蜜柑と話している間に、手は洗っておきました」
「準備良すぎ」
私はそう言いつつ笑う。
それからのし台と麺棒を二個ずつ取り出し、二人に差し出す。
「じゃあ、二人はこれ使って」
「オッケイ」
「はい」
二人はそれぞれ受け取り、テーブルの上に置く。
私は蜜柑のノートを見て、次やるべきことを確認する。
「じゃあ、ラップで生地を挟んで、麺棒で厚さ五ミリメートルくらいまで伸ばして、その後はクッキー型で型抜きね」
「はーい」
「了解しました」
私の指示に従い、二人はクッキーの生地を伸ばし始める。
……あれ、待って。
ノートを持ち、私は数歩下がって目の前に広がる光景を客観視する。
明日香と、沙織が、二人で、キッチンで、料理、してる。
「……尊い」
「葉月何やってんの?」
一人で尊みを噛みしめていた時、明日香が不思議そうにこちらを見てそう言った。
それに私は「何でもないよ」と答え、私の分の生地を伸ばす。
二人の間に入るということはとても不本意なことではあるが、クッキーを作るためだ。致し方ない。
私は百合に挟まりたいんじゃなくて、百合を見ていたい側の人間だというのに。
「それで、型抜きした後はどうするの?」
一通りクッキーの型抜きを終え、トレーにオーブンペーパーを敷いて型抜きを終えた生地を乗せると、明日香がそう言った。
私はそれにノートを確認し、顔を上げて次の指示を出す。
「あとはオーブンで十五分くらい焼く……だって。あ、でも百七十度で予熱を」
「あぁ、先ほどそのノートを見た時に書いてあったので、一応暖めておきましたけど」
サラッという沙織に、私は心の中で拍手を送る。流石生徒会長。
すでに暖めておいたオーブンにトレーを入れ、十五分にセットする。
このオーブンも魔法の力で動いているのか、魔法陣に触れて操作する感じだった。
とはいえ、一度操作した沙織はすぐに仕組みを把握したのか、サラッと色々やってしまった。
「じゃあ、二人はオーブン見てて。私は蜜柑の様子見てくる」
「ん? 分かった」
私の言葉に明日香はそう言って指で丸を作る。
その隣では、沙織が静かに頷いた。
二人の反応に私は「ありがとう」と答え、キッチンを後にした。
さぁ、密室で二人きりだ。思う存分百合百合してくれたまえ。
「ぁ……葉月ちゃん……?」
「蜜柑。調子どう?」
私はそう言いながら蜜柑の対面になるソファに腰掛けた。
すると蜜柑は首を動かして私を見て、フッと笑った。
「まだ疲れて動けないけど、大分楽にはなったよ」
「そっか。それなら良かった」
私の言葉に、蜜柑は微笑んだ。
それから少しだけ顔を赤らめて、視線を微かに彷徨わせてから、私を見る。
「あ、のさ……葉月ちゃん」
「……? なぁに?」
「えっと……さっきはありがとう」
「へっ?」
突然お礼を言われ、私は間抜けな声を発してしまった。
すると蜜柑は微笑んだ。
「一緒にクッキー作ったり、友達になってくれたり……あと、今日の戦いで、葉月ちゃんがいたから、全力で戦う決意が出来た。その諸々を含めて……ありがとう」
そう言って微笑む蜜柑に、なんだかむず痒い気持ちになる。
私はそれに目を逸らしながら「おー」と返した。
「おーって何さ……ていうか、なんで目逸らすの?」
「な、なんか恥ずかしい……」
「えー。恥ずかしいこと無いよー。葉月ちゃんは優しいよ」
「やめてって」
私がそう言いながら顔を逸らすと、蜜柑はクスクスと悪戯っぽく笑った。
その笑顔は、まさに小悪魔だと思った。




