第49話 欲求不満
「お……おぉ……!」
返されたテストを見て、僕は感嘆の声を上げた。
今まで平均点より少し上辺りをウロウロしていた僕だったが、今回のテストでは何と、全て七十点以上も取っていたのだ。
得意な国語に至っては、八十六点も取っている。
これならきっと、順位もかなり上がっていることだろう。
「あーすかっ、テストどうだっ……」
休憩時間になり、僕のテストを見に来た今日子が、僕の持つテストを見て固まった。
彼女はしばし僕のテストを食い入るように見つめてから、信じられないと言った表情で僕を見た。
「……明日香……ついにカンニングを……」
「違うから」
思いもよらぬ方向にいった今日子の思考を、僕は慌てて窘める。
彼女はパチパチと瞬きをしてから、改めて僕とテストを交互に見る。
少しして、ポカンとした表情でテストを見つめた。
「信じられない……明日香がこんな点数取るなんて……」
「うん……僕も信じられないよ」
「国語に至っては負けた……」
「え、ホントに?」
まさか今日子に勝っているとは思ってもいなかったので、ついそう聞き返す。
すると、彼女は僕を見つめ、頬を膨らませた。
「ホントだよ。僅差ではあるけどさぁ……えぇ、すごいなぁ……」
「あはは……沙織のおかげだよ」
僕はそう笑いながら、テスト用紙を半分に折って引き出しの中にしまう。
すると、今日子は「なるほど……」と言いながら、顎に手を当てた。
「流石は学年一位の秀才……あの明日香ですらここまで伸ばすなんて……」
「あの明日香って……」
「だってそうじゃん。いやぁ、ホントに凄い……」
「あー……そういえば沙織、テスト期間中に生徒会で特別勉強会開くって言ってたなぁ……週末だけ教えてもらった僕でこれだけ伸びたんだし、生徒会メンバーも大分順位上がってるんじゃない?」
「ゲッ、何それぇ」
僕の言葉に、今日子はギョッとした表情で言う。
彼女は「えぇー……」と言いながら前髪を掻き上げ、溜息をついた。
「生徒会役員なんてただでさえ割と上位の人ばっかなのにさぁ……今回は激動の順位になりそうだね……」
「ははっ……だね」
疲弊した様子で呟く今日子に、僕は苦笑を浮かべながらそう答える。
と言っても、沙織はどうせ、今回も学年順位一位をキープするのだろう。
彼女のおかげで、僕の順位も伸びた。
ほとんど沙織のおかげと言っても、少しでも彼女に近付けたような気がして、ちょっとだけ嬉しい。
「そういえば、次の授業って何だっけ」
この話題はこれで終わりと言わんばかりに、今日子はそう呟いた。
彼女の言葉に、僕は教室の前の掲示板に掲示されている時間割を見た。
次は六時間目で……学級って書いてあるけど、確か……。
「確か、文化祭の出し物を決めるんじゃないっけ?」
「あ、そっか……文化祭の出し物、ねぇ」
小さく呟きながら、今日子は僕の机に頬杖をつく。
まぁ、去年もこういうのは周りに任せて流される形でお化け屋敷とかしたし、今回もそんな感じなんじゃないかなぁ。
一人考えていると、授業開始のチャイムが鳴った。
今日子はその音を聴いて、慌てて自分の席についた。
で、そこから担任の先生がやって来て、文化祭の出し物決めが始まった。
まず何人かにやりたいことを出して貰い、そこから多数決で何をやるかを決める。
今回は何と、僕達はカフェをやることになった。
そこからどんなカフェにするかを話し合いと多数決で決めたのだが……。
「……男装女装カフェって……」
手に持った企画書を見つめながら、僕は小さく呟く。
沙織と仲良いからという理由で、僕がクラスの企画書を持っていくことになったのだが……許されるなら、今すぐこの企画書を紛失してしまいたい衝動に駆られる。
当然許されるはずも無いし、そこまでする度胸なんて無いんだけどね。
それにしても、まさか男装女装カフェなんて……。
クラスの雰囲気から、僕が男装させられるのは確定している部分があるんだよなぁ。
まぁ男装に関しては、普段の私服が男装みたいな部分もあるし、今更なんだけど。
別に嫌ってわけではないけど……沙織がいる手前、そういう姿をして客の相手をするのに抵抗がある。
一人悶々と考え込んでいる間に、生徒会室の前に着いた。
ま、考えていても仕方が無いか。
僕は諦めて扉をノックし、中に入った。
「失礼します……っと……」
生徒会室に入った僕は、後ろ手に扉を閉めながら、辺りを見渡す。
授業が終わってすぐに来たからか、まだ生徒会室には誰もいなかった。
ふむ……企画書はとりあえず、生徒会長の席にでも置いておけば良いのだろうか。
そう思ったものの、生徒会室の席順など僕が把握しているはずもなく、どこに置けば良いのかサッパリ分からない。
仕方が無いので席の一つ一つを見て行っていた僕は、一番奥にある席を見て、小さく噴き出してしまった。
「……相変わらずだなぁ……沙織は」
込み上げて来る笑いを堪えながら、僕は小さく呟いた。
他の席に比べて、かなり綺麗に整理整頓された机。
置いてあるファイルが見た所生徒会長用の資料であることからも、これが生徒会長である沙織の席であることは間違い無いだろう。
それにしても綺麗過ぎやしないか? ここまで綺麗だと、流石にちょっと驚いてしまう。
……生徒会の仕事をしている間、沙織はここに座っているのか……。
そう思うと、なんだか無性に座ってみたくなる。
ちょっとした好奇心から、僕は椅子を引き、座ってみた。
……低いな、と思った。
生徒会長の席は、丸くて、クルクルと回転するタイプの椅子だった。
僕の背が高いのが主な要因なんだろうけど、普段家で僕が使っている椅子よりも低い高さで設定されており、座るとちょっとだけ違和感があった。
ひとまず机に企画書を置き、僕はその上に腕を組んで、少し突っ伏した。
「……沙織の匂いがする……」
ポツリ、と呟く。
抱きしめた時程濃厚な物ではないが、やはり普段からこの席に座っているだけあって、微弱ながらも沙織の匂いがした。
……って、何彼女の匂いを堪能しているんだ、僕は。流石に変態みたいだぞ。
企画書は置いたし、さっさと生徒会長の席を後にしよう。
そう思って立ち上がろうとした時だった。
「……明日香……?」
……心臓が口から飛び出すかと思った。
扉の方からした聞き慣れた声に、僕は顔を上げ、視線を向ける。
そこには……沙織が立っていた。
「さ……沙織……」
「……私の席で、何をしているんですか……?」
コテン、と首を傾げながら言う沙織に、僕は素早く思考を巡らせた。
彼女の口振りから察するに……あの僕の変態じみた一言は聞かれていないはずだ。
多分、彼女は今来たばかりだろう。それならば、まだ誤魔化しが効く範疇。
僕はすぐに立ち上がり、慌てて口を開いた。
「いや、えっと……文化祭の出し物の企画書を持って来たんだよ!」
「……企画書……?」
「そうそう! でも来てみたら誰もいなくて……適当に座って待ってたんだけど、まさか沙織の席だったなんて知らなかった」
そう言いながら、僕はヒラヒラと企画書を見せる。
すると、沙織はしばらくキョトンとした顔をしてから、口を開いた。
「でも……さっき、沙織の匂いがする……って……」
……聞かれてた。
ヤバい。終わった。
沙織がいない間に勝手に生徒会長席に座って彼女に匂いを堪能していたことが知られた。
しかも、それに気付かずに変に誤魔化そうとしたことまでバレた。
どう言い訳しようか悩んでいた時、沙織が僕の顔を覗き込んできた。
「うぉッ……」
「……良い匂いでしたか?」
「うん」
予想外の言葉に、つい、反射的に答えてしまった。
思考なんてゼロで、本能のままに言ってしまった。
あ、もうダメだ。完全に変態だ。
自分の愚かさに辟易していた時だった。
「あ、明日香はッ……欲求不満なんですか!?」
「はいッ!?」
突然の言葉に、僕は素っ頓狂な声で聞き返す。
すると、彼女は両手の拳を強く握り締め、顔を真っ赤にしながら続けた。
「わ、私がいない間に、私の匂いを嗅いだりとか……良い匂いとか言ったりして……欲求不満なんですかッ?」
「二回も言わなくても……」
「そんなに私の匂いを嗅ぎたいならッ……私に……言えば良いじゃないですか……」
最後の方は尻すぼみになりながら、真っ赤な顔で、沙織は言う。
彼女の言葉に、僕はしばしの間硬直した。
「……別に……沙織の匂いを嗅ぎたいわけじゃない……」
「……」
僕の言葉に、沙織は無言で僕を見た。
それに、僕は拳を握り締め、ゆっくりと続けた。
「僕は、ただ……君が好きなだけ」
「……」
「君の匂いも含めた、何もかもが……好きなんだよ」
そう言いながら、僕は制服の裾を握り締める。
ただ……それだけ。
沙織の全てが好きだから……あんなことも、してしまった……。
「……じゃあ……」
僕の言葉に、沙織は小さく口を開く。
何だろうと思っていると、彼女は僕の袖を小さく摘まみ、続けた。
「私も……明日香が好きなので…………ても……良いですか?」
「……え?」
最後の方がほとんど聞き取れなくて、僕は咄嗟に聞き返す。
すると、沙織は僕の体を僅かに引き寄せて……抱きしめた。
細い腕で僕の体を必死に引き寄せて、力強く、抱きしめる。
僕より小さくて華奢な体が、まるでしがみつくように、絶対に離さないと云わんばかりに抱きしめる。
「……沙織……」
「……明日香は……あったかいですね……」
僕の胸に顔を埋めながら、沙織は呟く。
……仕方が無いな。
僕は溜息をつき、片手で沙織を抱きしめ、もう片方の手で彼女の頭を撫でた。
生徒会役員(入れねぇ……)




