第30話 山吹蜜柑⑤
城から支給された制服を着て、顔を洗ってキッチンに戻ると、すでに蜜柑がある程度の材料の準備を終えていた。
戻って来た私を見て蜜柑は笑顔を浮かべ、「葉月ちゃんっ」と言って駆け寄って来る。
「凄いなぁ……なんか色々任せきりにしちゃったみたいでごめん」
「ううん、大丈夫」
そう言って無邪気な笑顔を浮かべる蜜柑。
滅茶苦茶和むヤバい。
私は無意識に彼女の頭に手を伸ばし、黄色の髪を無心で撫でていた。
「え、ちょ、葉月ちゃ……!?」
「……あ、ごめん! つい」
驚いたような声をあげる蜜柑に私は我に返り、彼女の頭から手を離す。
すると蜜柑は恥ずかしそうに顔を赤らめて、髪の先を指で弄った。
「い、良いよ……大丈夫」
「そ、そっか……」
ぎこちない空気が流れる。
私は話題を逸らすように、クッキーの材料に視線を向けた。
「ぅお!?」
そして、つい声をあげて驚いた。
いや、まさか卵以外の材料もありえない色をしているなんて思わなかったんですもん。
砂糖は真っ黒だし、バターは赤。薄力粉は黄色だ。
「あはは……ビックリするよね」
そう言って苦笑いをする蜜柑に、私は頷いた。
しかし、この色合いの材料から、よくあんな綺麗なクッキーが焼けたものだ……。
「多分、熱を通したら色が変わるんだと思う。焼く前までは酷い色だったから」
そう言ってはにかむ蜜柑に、私は「なるほど」と呟き、砂糖をマジマジと観察する。
黒い粉……なんか毒々しい色だ……。
「蜜柑。この砂糖本当に甘いの?」
「え、甘いよ? すごく美味しかった」
彼女はそう言うと、ボウルを置いた。
そしてバターをボウルに入れ、ゴムベラを持つ。
「よし、じゃあ行こう!」
「あ、私が混ぜるよ」
私がつい挙手してそう遮ると、彼女は「へっ?」と間抜けな声を出してきた。
彼女が驚いている間に、私は彼女の手からゴムベラを取り、ボウルを自分の手元に持っていく。
「蜜柑はもう二回もクッキー作ってるから、疲れてるでしょ? だから私がやるよ」
「え、良いよそんなの……」
「材料だって用意してもらったし、これくらいは手伝わせて?」
ね? と笑って見せると、蜜柑は少しキョトンとした後で、微笑んだ。
「じゃあ、お願い」
「うん。……あ、でも、自信は無いから、横から色々指示くれるとありがたい」
「分かった。じゃあ、まずはその無塩バターをなめらかになるまでよく練ってください」
「うい」
私はそう返事をして、バターをゴムベラで練る。
バターは思いのほか固く、かなり力がいた。
しかし、しばらくすると、大分柔らかくなってくる。
「……うん。じゃあ、そろそろ砂糖加えるね」
そう言って、蜜柑が横から砂糖をボウルに入れてくれる。
またゴムベラで混ぜるのかと思っていると、私の手からゴムベラが奪われた。
「次はこの泡立て器でしっかり泡立てて」
笑顔と共に差し出された泡立て器を受け取り、私はバターと砂糖を混ぜる。
……え、これ本当に食えるか?
赤と黒が混ざって血みたいな色になってるよ?
「葉月ちゃん頑張って!」
自分のしている行為に疑問を抱いていると、蜜柑がそう言って拳を作って応援してくれる。
……うん。この天使が私を騙すハズがない。
気を取り直して、私はバターと砂糖をかき混ぜる。
たくさん混ぜて腕が痛くなってきたところで、青い卵黄が追加された。
なぬ……? 蜜柑に視線を向けると、彼女はニコッと笑った。
「またかき混ぜて?」
初めて蜜柑が悪魔に見えた。
一瞬頭に黒いツノと背中に黒い翼が見えた。
でも可愛かった。
しばらくかき混ぜると、流石に腕が疲れた。
右腕がひたすら怠くて、私は腕を押さえてテーブルに伏せた。
インドア派の私にはもう無理だぁ! あとは任せたぁ! 俺を置いて行けぇ!
「うわぁ、葉月ちゃん綺麗に混ざってるよ! 初めてとは思えないくらい!」
「……伊達に器用貧乏やってないよ……」
私はそう言いながら右腕をマッサージする。
なんかもう腕が重い。
一人でそんなことをしている間に、蜜柑は薄力粉をふるいにかけて、ゴムベラで混ぜる。
その手つきはすごく慣れていて、本当にお菓子作りが趣味なんだなぁと再認識した。
ていうか……。
「……もしかして、私いらないことした?」
「えっ?」
「……なんでもない」
蜜柑に聞き返され、私はそう答えて目を逸らした。
彼女から戦力外通告をされたりしたら流石にキツイ。
まぁでも、拒絶はしてなかったし、迷惑ではなかったと思いたい。
そう考えている間に彼女はボウルに手を入れ、生地を一つにまとめる。
相変わらず手慣れた様子で生地を三等分にして、平らにする。
そしてどこからかラップのようなものを取り出し、生地を包む。
「それ、ラップ?」
「え? うん」
「……異世界にラップあるんだ」
私の呟きに、蜜柑も「そういえば」と言ったような表情を浮かべた。
まぁ、あるところはあるんだなー。
一気に異世界感が失せた……と言いたいところだけど、包まれている食材が異界の物質過ぎて、今更これくらい気にならない。
それから冷蔵庫の中にその生地をしまい、きちんと閉める。
「これで二時間は生地を休ませるんだよ」
「へぇ……じゃあ、その間に道具とか片づけたりしておく?」
「そうだね」
蜜柑が頷くのを確認し、私達は道具を片付け始める。
相変わらず疲れた右腕に私は苦笑し、蜜柑に視線を向けた。
「それにしても、よくお菓子作りなんて出来るね。私あれだけで腕がクタクタだよ」
「あはは……そうだよね。疲れるよね」
そう言って肩を竦め、洗剤で泡立ったスポンジで皿を洗い始める蜜柑。
私はひとまずテーブルの上を台拭きで拭いて、蜜柑のノートを確認しながら次使う器具などを用意する。
「……私ね、妹がいるの」
生地を伸ばす用の麺棒を探していた時、蜜柑が突然そう言った。
……まさかの長女キャラ……!?
私驚きのあまり、顔を上げてそのまま固まった。
「えっと……?」
「あ、えと……私の家、お姉ちゃんと、私と、妹の……三人暮らしなんだ」
両親は。そう聞こうとして、私は声を詰まらせた。
聞かなくても分かるだろ。
死んだか、行方不明か……はたまた、別の理由か。
どちらにしても、グイグイ聞いて良い理由ではない。
私が何も言えずに固まっていると、蜜柑は私を見てフッと笑った。
「……私のお父さんとお母さんね……死んだの。事故で」
「……そう、なんだ……」
「あはは、もうずっと昔のことだし、気にしてないから大丈夫だよ」
そう言って笑う蜜柑の顔を見れなくて、私は目を逸らした。
いきなりガチシリアスじゃないですか……。
すると、器具を洗い終えたのか、洗い終わったものを拭きながら蜜柑は続ける。
「親戚の家に行くっていう選択肢もあったんだけど、お父さんやお母さんが大切にしていた家を手放したくなくて、私達は三人で生きる決意をしたの。お金は叔父さんが出してくれてるんだけど、家のことは私達が」
「……」
「当時はまだ私も妹も小さかったから、お姉ちゃんが家事とかやってくれた。私が大きくなってからは、お姉ちゃんと分担したりして」
「へぇ……」
「それでね、私や妹が寂しがらないようにって、お姉ちゃんがよくお菓子を作ってくれたの。それが凄く美味しくて、私も真似して作って……だから、お菓子作りを始めたんだよ」
お菓子作りに隠された重すぎる過去に、私はポカンと口を開けて固まった。
しかし話が終わったことによって、徐々に冷静になっていく。
「……なんで……」
「うん?」
「なんで……私なんかに、話したの……?」
私の問いに、蜜柑は首を傾げる。
人には誰しも、触れられたくない部分、というものがあると思う。
どれだけ親しい相手でも、心の中にあるソコを触れられたら、すごく辛くなるような……そんな場所。
蜜柑が言った過去は、その部分に当たるのではないだろうか。
それを私に言うだなんて……。
「……お父さん達の死は、とっくに受け入れて、もうあまり気にしてないし……それに、葉月ちゃんは友達だから」
蜜柑はそう言うと、全ての器具を拭き終えて、横に重ねる。
そして私の方に振り向いて、笑った。
「葉月ちゃんには……私のこと、もっと知って欲しかったから」
「……蜜柑……」
「だから、今度は……葉月ちゃんのこととか、知りたいな?」
指を絡め、上目遣いでこちらを見ながらそう言ってくる蜜柑。
それに私は笑い、「良いよ」と答えた。
「でも、蜜柑と違って、私の過去なんて平凡以外の何者でも無いけど」
「良いよ! 何でも良いから……葉月ちゃんのこと、知りたい!」
「……そっか……」
キラキラと輝く目で言う蜜柑に、私は苦笑を浮かべながらそう答えた。
それから口を開いて、私の過去について語ろうとした瞬間、私と蜜柑のアリマンビジュが光り輝いた。
「しま……!」
驚いた時には、強い光が私達の体を包み込んでいた。
それに私は目を瞑り、その光に身を委ねた。




