第22話 直接誘う勇気
夏休みになった。
なんとか一学期を乗り越え、学生達はひと時の休息に興じる。
……と言っても、僕にはソフトボール部の練習があるのだけれど。
ソフトボール部は毎年駅伝部に参加することになっており、その影響で平日は毎朝七時半から練習がある。
朝七時半から九時まで駅伝練習に参加し、三十分ほど休憩してから、十二時までソフトボール部の練習となる。
駅伝の練習は、運動が得意な僕にとっても中々の苦行だった。
アップで二キロ走らされ、そこから十キロ人に合わせて走る練習をさせられ、ダウンで一キロ走らされる。
……鬼畜か?
去年も思ったことだが、鬼畜過ぎやしないか?
しかし、駅伝部の練習に参加することで、確かに僕達の持久力は上がっている。
まぁ、噂では僕達が駅伝部に参加しているのは顧問の先生同士の上下関係等が主な理由らしいが……力になっていることに変わりはない。
午後からは、平日は基本的にそのまま寝てしまう。
疲労感が半端なくて、起きた頃には晩御飯の時間だったりする。
しかし、練習に慣れてきたのか三日もすると昼寝の時間が少しずつ短くなっていき、晩御飯の後で夏休みの宿題をする余裕も出来てきたりした。
土日は、駅伝の練習は無い。
そのため、午後からは普通に活動することができるが、基本的には今日子とどちらかの家で宿題をしている。
毎年溜め込む癖を持つ僕の為に、去年、今日子が考えてくれた方法だ。
「……そういえば、もうじき夏祭りだね」
夏休みが始まって二週間程経った頃、その日のノルマを終えた後で、今日子がスマホを弄りながらそう言ってきた。
彼女の言葉に、僕は咥えていたストローでコップの中のオレンジジュースを弄びながら、顔を上げた。
ちなみに、今日は僕の家で勉強をしている。
「ん……っと……もうそんな時期か」
「うん。来週の土日の二日間だって、日和先輩からメッセージが来た」
「……もしや、デートのお誘い?」
「ふっふっふ……ご名答」
仮説を打ち立ててみると、今日子はニマニマと頬を緩ませながらそう言った。
ほほう? 中々上手くいっているみたいじゃないか。
「へぇ、良かったじゃない。楽しんで」
「……んふふ……ありがと」
スマホで口元を隠しながら、込み上げる笑いを噛み殺すように、彼女は言った。
ふむ、今日子と日和先輩の方は順風満帆と言ったところか。
僕はもう一度ストローを咥え、オレンジジュースを飲む。
「で、明日香はどうすんの?」
チューチューとオレンジジュースを飲んでいた時、今日子がそんなことを聞いてきた。
彼女の言葉に、僕はストローから口を離して、「へ?」と聞き返した。
すると、今日子はスマホを床に置き、続けた。
「だから……明日香は夏祭り、風間さんといつ行くの?」
「ちょっ、なんで沙織ちゃんと行くこと前提なの?」
「え? だって明日香、風間さんのこと好きなんでしょ!?」
「ふぁいッ!?」
咄嗟に聞き返したために、素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんな僕の声に、今日子は僕を見て、不思議そうに首を傾げた。
「あれ? 違うの?」
「ち、違うも何も……なんでそう思ったの?」
「学校にいた時はいっつも風間さんのこと見てるくせに……よく言うよ」
「それは、友達だから……」
「頬赤らめて、潤んだ目で……まるで恋する乙女みたいな顔してたけど?」
呆れた様子で言う今日子に、僕は降参の意を示すように両手を挙げた。
やはり彼女には敵わない。というか、沙織ちゃんを見る僕、そんな顔していたんだ……。
指摘されると、物凄く恥ずかしい。
僕は持っていたコップをテーブルに置き、息をついた。
「分かった、認めるよ。……僕は沙織ちゃんが好き」
「それは分かってるから……で? 夏祭りには誘わないの?」
今日子……ズバズバ言うな……。
僕はポリポリと頬を掻き、口を開いた。
「そうは言われても、どう誘えば良いのさ。家まで直接誘いに行くとか?」
「アンタが住んでる時代は昭和か。今のご時世、スマホ持ってない中学生とかいる? SNSとかLINEとかあるんだから、それで連絡すれば……」
「沙織ちゃんがスマホ持ってると思う?」
つい聞き返すと、今日子はハッとした表情を浮かべた。
僕以外友達がいないと自負している沙織ちゃんが、スマホを持っているとは思えない。
仮に持っていても、SNSもLINEもしていないだろう。
「大体、僕は沙織ちゃんの電話番号とか、そういう類は一切持ってないし……家に行くしか無いかなぁ」
「……じゃあアンタ、風間さんを目の前にして、夏祭りに直接誘える?」
「うっ……」
言われてみれば……いざ彼女を目の前にしたら、緊張で固まってしまいそうだ。
押し黙る僕を見て、今日子はさらに大きく溜息をついた。
「ほらね? メールとかLINEとか……せいぜい電話が良いところでしょ?」
「でも、沙織ちゃんの電話なんて……」
「家の電話とかも知らないの?」
今日子の言葉に、僕は首を横に振る。
それが分かったら苦労しないさ。
固定電話にも着信履歴的なものがあれば良いのに……と思っていた時だった。
プルルルル……プルルルル……。
一階から、電話の着信音が鳴った。
えっと……今は、父さんは仕事中で、母さんは音の相手をしているはずだ。
兄は部活で、朔は友達と遊びに行っている。
ふむ……僕が出るしかないか?
「ごめん、ちょっと電話出てくる」
「あいあい」
ヒラヒラと手を振りながら言う今日子を尻目に、僕は部屋を出た。
廊下を歩いていると、着信音が止んだ。
数刻して、母さんが「もしもし、不知火ですが」と言う声がした。
何だ、母さんが出たか……と思い、踵を返そうとした時だった。
「明日香~?」
母さんが、一階から名前を呼んできた。
……僕に電話?
不思議に思いつつも、早足で廊下を進み、階段の上に立つ。
すると、階段の下から母さんがひょっこりと顔を出しているのが見えた。
「何?」
聞き返しながら、僕は数段階段を下りた。
「風間さんって人から電話よ」
……踏み外した。
驚きのあまり足を滑らせ、そのまま階段の下まで尻餅をしながら落ちていく。
視界が点滅するような感覚と共に、激しい鈍痛が僕を襲った。
「ちょ、何しているの!?」
「だ、大丈夫……早く、電話……」
そう言いながら手を伸ばすと、母さんは呆れたような顔で電話を渡してきた。
僕は階段に腰かけたまま、電話を耳に当てた。
「もしもし……明日香だけど……」
『……大丈夫ですか? 凄い音がしていましたけど』
恐る恐る尋ねるような声で、沙織ちゃんが言ってくる。
あぁ、耳が幸せだ……彼女の声を聞くだけで、痛みが引いていくような感覚があった。
僕は手すりを握り、フラフラと立ち上がった。
「だ……大丈夫……それで、何の用?」
『あ、はい……あの、今度夏祭りがあるじゃないですか?』
沙織ちゃんの言葉に、僕は「あるねぇ」と言いながら立ち上がる。
まだ痛む尻を擦りながら、次の言葉を待った。
『それで、その……良かったら、一緒に行けないかなぁ……と』
……痛みが吹っ飛んだ。
「え……ッ!?」
『あ、良かったら、です。他に行く人がいるなら、その人を優先して下さって構わな……』
「ぼ、僕もちょうど誘おうと思っていたんだ!」
驚きのあまり、思っていたことをそのまま言ってしまう。
すると、沙織ちゃんは「えッ」と小さく驚きの声を上げた。
「でも、ホラ……僕、沙織ちゃんちの電話番号知らないから……ていうか、よく電話出来たね?」
『あぁ……この前不知火さんが自分の家に電話したじゃないですか。リダイヤル機能で、それを使ったんです』
「なるほど……頭良いね」
僕はそう言いながら、壁に凭れ掛かる。
すると、沙織ちゃんが「えへへ」と小さく笑ったのが聴こえた。
『それじゃあ、その……夏祭りは……』
「もちろん良いよ! いつ行こうか……」
それから簡単に日付と時間を決めてから、沙織ちゃんが電話を切った。
ツー……ツー……と響く機械音を聴きながら、僕は小さくガッツポーズをした。
「よっ……しゃぁぁぁ……」
込み上げる喜びを押し殺すように、僕は声を漏らした。




