第98話 寝不足とマドレーヌ
昨夜は中々眠れなかった。
部屋に帰って髪を乾かした後、ギンが部屋で物凄く遊びたがったのだ。
外は未だに大雪だし、ギンの服装的に、外で遊ばせるわけにはいかない。
だから部屋の中で遊ぶのに付き合った結果、夜遅くまで起こされたのだ。
というわけで、現在私は物凄く寝不足なのである。
「ふわぁ……」
「……まぁた欠伸……」
何度目かになる欠伸をすると、明日香が呆れたような表情で言った。
現在、私達は宿屋のロビーに集まっている。
ラムダさんがアルス車でこちらまで向かっているらしく、それまで待機だ。
しかし……眠い……。
明日香の言葉に、私は瞼を擦りながら「んぅぅ……」と声を漏らした。
「うっせぇ……こちとら寝不足なんだよ……」
「ガラ悪いぞー?」
「……まぁ、原因は大体想像出来ますが……」
明日香の隣に立つ沙織は、そう言って前の方を見た。
そこでは、蜜柑に何か言っているギンの姿があった。
「だーかーらー! ママに近付かないでって言ってるじゃん!」
「き、昨日作ってたマドレーヌが美味しく出来たから、皆に味見して欲しいだけだよ……ギンちゃんの分もあるよ?」
「いらない! てか、気安くちゃん付けすんなー!」
イーッと歯を見せながら言うギンに、蜜柑は困ったような表情をしている。
よく見ると、その手には可愛らしいバスケットを持っていた。
マドレーヌ……そういえば、朝食は移動中に食べるみたいで、今日はまだ何も食べてないんだよなぁ……。
そう考えた瞬間、お腹が小さく鳴った。
……お腹減ったし、眠い……。
てかギンの声、結構頭に響くんだよなぁ。寝不足には少し辛いです。
「ホラ、葉月、保護者でしょう? 止めないと」
「えー……」
急かすように手を叩きながら言う沙織に、私はゲンナリした。
寝不足なんですけどー。今すっごい眠いんですけどー。
とはいえ、ギンのことでただでさえ色々迷惑を掛けているし、仕方がない。
私はため息をつき、二人の間に入った。
「ほら、ギン。蜜柑を困らせないの」
ひとまずギンの肩を引っ張って、そう言う。
すると、ギンは不満そうな顔をして、私の顔を見上げた。
「なんでー?」
「なんでって……これから一緒に行動することになるんだし、喧嘩ばかりじゃダメでしょ」
「でも、このビッチママを誑かそうとするんだもん。ママはお母さんのものなのに」
そう言って頬を膨らませるギンに、私は困ってしまい、頬を掻く。
寝不足のせいで頭が働かない。
どう答えようか迷っていた時、トネールが私の腕に自分の腕を絡めた。
うん?
「トネール……?」
「大丈夫よ、ギン。私と葉月は蜜柑様が間に入れないくらい愛し合っていますから」
「愛……!?」
トネールの言葉に、私は動揺してしまう。
え、トネール急に何言ってんの!?
戸惑っていると、彼女は私の耳元に自分の口を寄せ、囁いた。
「話を合わせて。ギンを納得させるために」
「へ? うん」
私は小さく頷き、ギンを見る。
彼女は私とトネールを交互に見る。
「……本当?」
「え? う、うん。本当だよ。私はトネールだけを愛しているから」
まぁ、それは割と間違っては無いんだけど……。
「じゃあキスして!」
「キッ……!?」
まさかの反応に、私は言葉を失った。
見れば、彼女はキラキラと輝く目で私達を見ているではないですか。
えーどうすれば良いの!? 寝不足のせいで頭が働かないんですけど!
混乱していると、トネールが屈み、ギンの頭を撫でて微笑んだ。
「そういうことは二人きりの時にするものなのよ」
「そーなの?」
「えぇ。ギンにも好きな人が出来れば、きっと分かるわ」
トネールの言葉に、ギンは「ふーん」と納得した様子で呟いた。
……いや、納得させちゃったよ。
ポカンと口を開けていると、トネールは私の顔を見てクスッと小さく笑った。
「どうしたの? すごく間抜けな顔してる」
「……いや、なんか……凄いなぁ、と」
「フフッ、これくらい王族だったら当然よ」
「……流石です」
内心拍手をしながら言うと、トネールはクスクスと笑った。
その時、私のお腹が情けない音を発した。
「ぅぁ……お腹空いた……」
「あ、えっと……マドレーヌ食べる?」
蜜柑がオズオズと勧めてくれたマドレーヌを、私は有難く頂いた。
……うん。美味い。
お腹が空いていたので、私は夢中になってマドレーヌを頬張った。
ただでさえ美味いのだろうが、空腹というスパイスによって、余計に美味しく感じた。
多少腹が満たされて落ち着いて見ると、ギンが微妙そうな表情で私を見ていた。
あー……。
「み、蜜柑のマドレーヌも美味しいけど……トネールの唇の方が美味しいなぁ」
咄嗟に出たハッタリに、自分で言って恥ずかしくなってきた。
そして、私の言葉に、トネールはカッと顔を赤くした。
やめて! マジの反応やめて! こっちが恥ずかしくなってくる!
「えへへ……ママとお母さんはラブラブなんだね!」
そして嬉しそうに笑いながら言うギンに、いよいよ後戻りが出来なくなる。
いよいよ困惑していた時、私とトネールの間に入るように明日香がやって来た。
「マドレーヌ美味しそう! 僕も一個良い?」
「え? あ、うん! 皆食べて」
「では、お言葉に甘えて私も一つ」
続く沙織の言葉に、なんとか周りの空気が和んでいく。
ギンもひとまず納得してくれたみたいだし、とりあえずはこれで解決かな。
ただ、一つ気になることがあるとすれば……。
「ねぇ、トネール」
「何?」
「えっと……トネールは、これで良いの?」
「……?」
「だから、その……トネールには……」
好きな人がいるんでしょう?
その言葉を続けようとした瞬間、喉に何かが詰まったように、声が出なくなった。
突然口を止めた私に、トネールは不思議そうに首を傾げた。
「葉月……?」
「おーい、そろそろ……何をしているんだ?」
その時、フラムさんが入ってきた。
彼女の登場に、私は、これ幸いと話を打ち切り、口を開いた。
「いえ、蜜柑がマドレーヌを作ってくれたので、食べていたんです。……あっ、フラムさんも良かったらどうですか?」
「……まどれーぬ……?」
「あ……私達がいた世界のお菓子なんです。美味しいですよ」
「たくさん作ったので、良かったらどうぞ。あ、トネールさんも」
私とフラムさんの会話に気付いた蜜柑が、そう言ってフラムさんとトネールにマドレーヌを渡す。
フラムさんはしばらく訝しむように見ていたが、一口頬張った。
次の瞬間、その目を大きく見開いた。
「これは……美味いな」
「良かったぁ」
蜜柑が安心したように笑うと、フラムさんはハッと我に返った様子で、顔を上げた。
「それより、アルス車が宿屋の前まで来たから、そろそろ行くぞ」
「あ、ハイ」
彼女の言葉に、私達は各々の荷物を抱える。
この旅路では色々あったが、いよいよ帰るのか……。
そう考えると、少し感慨深かった。
……しかし、まだまだこの世界での戦いが終わったわけではない。
私達の戦いはまだ、続くんだ。
「ギンちゃん。良かったらマドレーヌ……」
「いらない!」
これからへの意気込みを一人でしていた時、蜜柑のマドレーヌの布教を突っぱねるギンが見えた。
……この二人の関係はまだ悪いみたいだなぁ……。
次回から第5章です




