精霊の弓
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『それでは行きましょうか』
呆気にとられているワタシを脇に置き、突如そんな事を言い出す店主。
行くって・・・今から?
ふと、部屋の窓から外を見る。
そこから見える空は茜色に染まり、今の時間帯がもう夕方になっている事が分かった。
『いや、もう遅いし・・・』
今から森に行くとなると、とてもじゃ無いけど閉門までに帰って来れないだろう。
本音を言えば、ワタシも今から狩りに行きたい。
最初に弓の練習をしていたせいか、魔法鞄の中は昨日よりもスカスカで、今日の宿代すら危ういのだ。
ならばいっそ、森に出て徹夜で狩りをするのも手かと、そんな考えに駆られるが、それにこの店主を巻き込んでしまうのは如何なものか。
最悪、食事を我慢すればギリギリ素泊まり出来ない事も無い。
それならば明日の朝からでも・・・等と考えていると、店主はゆっくりワタシに近づいてきて、肩の上にポンと手を置いた。
『っ?!』
突然の接触に驚き、ビクっと身体が強張ってしまう。
一体何をされるのか、そう緊張するワタシを他所に、店主は振り返って黒髪の女性に声を掛けた。
「それじゃあ、行ってくるよ。ナナ、店の事は頼んだ」
「いってらっしゃいませ、マスター。お気をつけて」
黒髪の女性は流れるような所作で、エプロンドレスの裾を掴み、綺麗なお辞儀をした。
その姿はまるで上流階級のお嬢様といった所で、ワタシはついつい見惚れてしまう。
お辞儀を終え、黒髪の女性が頭を上げた頃。
足元から柔らかな光が立ち上がり、何が起きたのかとパニックを起こしそうになる。
『え?!えっ?!』
声を上げて足元の様子を伺っていると、次第に視界が暗転していった。
▽
すぐに視界は元に戻ったが、そこでワタシは信じられない光景を目にした。
鬱蒼と生い茂る草々、日の光を遮るように高く生えた木群。
そこは、ワタシがいつも狩りをしている森だった。
『な、何で・・・』
『さぁ、では弓の練習を始めましょうか』
余りの出来事に頭が思考停止しているワタシに向かって、店主はいつも浮かべている笑みのまま声を掛けてきた。
『先ずはお客様の腕前の程を・・・おや、ちょうど良いところに』
そう言って店主が顔を向けた先に、何かの気配がする。
今まで感じた事もない程に強大な気配、ワタシの感が最大警報を鳴らしているのがわかる。
やがて目の前に出てきたのは、全長が2m程もある虎型の魔物。
『ワ、ワータイガー・・・!!』
熟練の狩人が10人がかりでも倒せるかどうか、そんな強大な個体を前にして、ワタシの足は竦み力なくその場にへたり込んでしまった。
『さぁ、それでは弓を構えて下さい』
『む、無理・・・。腰が抜けちゃって・・・』
そうそうに生命を諦めてしまったワタシと違い、店主はいつもと変わらぬ様子で弓を構える様に告げてくる。
店主はおそらく知らないのだろう、ワータイガーが出てくるのは森の最深部、魔族領のすぐ側にしか棲息しないのだ。
こんな簡単に出会う魔物じゃ無い、もし単独でいる時に出会ったら死を覚悟しなければならないのだ。
恐怖という物さえ感じられぬ程の諦念に包まれて、店主の顔を見ると少し困った表情を浮かべている。
『困りましたね』
『ええ、まさかワータイガーに出会ってしまうとは。すみません、ワタシのせいで店主さんにまで危険を・・・』
『あ、いえ。そうでは無く』
店主がそう言うや否や、こちらに向けて歩を進めていた魔物がこちらに向かって跳躍してきた。
危ない!と思う前に店主は魔物に向き合うと、左手を突き出して魔物の体当たりを防いだ。
その左手には、いつの間に手にしたのか細い片刃の短剣を逆手に握り、魔物の全体重をその頼りなく見える剣で止めていた。
『うそ・・・』
細身の店主が細身の剣で2mを超える魔物を受け止めた、実際に目にしても到底信じられる光景では無い。
そしてそのまま、宙に浮いた魔物を右足で蹴り飛ばすと軽く5mくらい吹き飛んでいった。
何処にそんな膂力が・・・そう悩んでいると、蹴られた魔物が怒りに染まり、牙を剥いて店主に襲い掛かる。
魔物はさっきと同じ轍は踏まないとばかりに、今度は飛びかかって来ることはせず、本来持つ速度を活かし四方八方から駆け抜け噛み付こうとしていた。
離れた所で見ていたワタシが、目で追うのもやっとという速度。
しかし店主は、その猛攻を全て短剣で受け止める。
まるで視界が全方位に有るのではと思ってしまう程、死角からの攻撃も見事に受け止め捌ききっている。
『仕方無いな・・・』
そんな魔物の猛攻のさなか、店主は少し呆れたような溜息を吐き、邂逅の瞬間に右手を軽く振るう。
すると、離れた瞬間に魔物の動きが止まった。
どうしたのかと魔物の様子を伺っていると、ゆっくりと魔物の頭が滑り落ち、そのまま身体も崩れ落ちた。
『な、な、な・・・』
『弓の練習台に、ちょうど良いかと思ったんですけどね』
ワタシの方へ向き直った店主は、少しだけ困った様に笑うと左手の短剣を宙に軽く放った。
すると短剣は、まるで空中に解けていくかの様に消えていき、何も手にしていないいつもの店主の様相になる。
『では、もう少し小型の的から始めましょうか。あ、その魔物の素材は差し上げます。いきなり怖い目にあわせてしまったお詫びと言う事で』
そう言うと、未だ腰が抜けてしまって立てずにいるワタシに向かい軽く右手を振るう店主。
その手から光の粒子が飛び出てきてワタシの身体を包んでいくと、感覚が無くなっていた足腰に力が戻ってきてようやく立ち上がれるようになった。
『では行きましょうか』
『はい・・・あ、ちょっと待って!』
先程討ち倒した魔物をそのままに、別の場所へと移動しようとする店主。
本当にワタシにくれるつもりなのか、魔物の死体に一切の興味を示さない店主に代わり、ワタシの魔法鞄に魔物の死体を収納し店主の後を追う。
▽
『ではお願いします』
しばらく森を歩いていると、不意に足を止めて店主がそう言い放った。
慎重に周囲の気配を探っていくと、どうやらこちらに向かって近づいてくる獣の気配がある。
狼よりは大きな気配だけど、さっきの魔物に比べると格段に小さい物だ。
普段なら避けて通るかもしれないが、どうやら先程の魔物のせいでワタシの中の何かが麻痺してしまったようだ。
・・・いや、この店主が居ればこの程度の獣に殺られる訳がないと、何処かで安心してしまっているのかも知れない。
普段の狩りを考えると、こういった油断は禁物だ。
癖にならないように気をつけなければ。
店主の言葉に従い弓を構える。
目標の位置はまだかなり遠い、ワタシの感知範囲ギリギリの位置だ。
魔法鞄から矢を取り出し、目標が近付いて来るのを気配を殺して待った。
矢を番え弦を引き絞り、視界に捉えたと同時に狙いを定めて射る。
放たれた矢はしばらく真っ直ぐに飛んだ後、右へ左へ遥か上空へ、縦横無尽に見当外れな方へ飛んでいく。
幸い距離が離れていたうえに、矢が全く近くまで行かなかったおかげか、獣はこちらに気付いていない様子だった。
『やっぱりダメでした・・・』
相変わらず真っ直ぐ飛ばない矢に、落胆してしまうワタシ。
しかし店主は、その矢の軌道を目で追った後に、信じられない事を言った。
『・・・いえ、素晴らしい腕前です』
いったい何を言っているんだろう?
最初は言葉の意味を理解できなかった。
そしてその後すぐに嫌味を言われているのかと思い、少しだけ店主に怒りを覚えた。
しかしワタシが文句を言う前に、店主が更に言葉を続けた。
『まさかその弓で、矢を飛ばせるとは思いませんでした』
『・・・え?それはどう言う事ですか?』
意味が分からない、と続けるワタシに店主は手を差し出した。
『お借りしても?』
『は、はい』
店主はワタシから弓を受け取ると、獣に向かって弓を構えた。
『ミーミルさん程上手くは使えませんが・・・』
そう言うと店主は、矢を番えずに弦を引き絞っていった。
何をしているのか。
そう思って見ていると、徐々に空中から光の粒子が弓へと集まっていき、次第にそれは矢の形へと収まっていく。
そのまま矢の形の光を射ると、それと同時に獣の鳴き声が聞こえた。
慌ててそちらを見ると、獣の頭を光矢が貫いていて、その軌道を追うことは出来なかった。
『とまぁこの様に、この弓は矢を飛ばす為の物じゃ無いんですよ。ミーミルさん様にと以前作成した魔道具でして、精霊の弓と申します』
『精霊の・・・』
『はい。空気中の精霊に干渉し、光矢を精製して放つ。という、口で言ってしまえば単純な仕組みの物です』
でも、と店主は続けた。
『この魔道具を自在に使う為には、まず精霊に好かれていなければなりません。ミーミルさんが使用してた時は、こんなもんじゃ無かったですよ?同時に複数の光矢を精製したり、放った後の軌道を自由自在に操ったり。1番凄かったのは、1本の光矢で10匹以上の魔物を屠った時ですかね』
店主の口から、ワタシの知らない姉様の武勇伝を聞かされる。
その話にも興味はあるけども、それ以上に興味が有るのは、未だ店主が握ったままの弓。
こんな凄い魔道具、ワタシに扱えるだろうか?
そんなワタシの視線に気が付いた店主は、笑顔を浮かべて弓を返してくれた。
『お客様なら大丈夫です、かなり精霊に好かれている様なので。本来この弓は矢を番えると、それが癇に障るのか精霊によって矢が四散してしまうのですよ。それがお客様の場合、邪魔をされる程度の物で危害を与えられないと言うのは良い兆候です。おそらく交渉次第で、普通の矢も射る事が出来るでしょう』
店主がワタシを安心させる為に、色々と教えてくれた。
確かにワタシが矢を射る時は、何かに邪魔されてる感覚はあるが別に悪意や危険を感じた事は無い。
まるで相手にされなくて、拗ねてしまった子供のような・・・あの感覚が精霊の物だと言うのか。
ワタシはじっと弓を見つめ、ゆっくりと構えた。
『精霊よ、お願い!』
そう言って弦を引き、すぐに放つ。
すると遠くで獣の鳴き声が聞こえてきて、見事に命中した事が分かった。
『視界に捉えなくても当たるのね・・・』
『精霊との信頼関係が、相当に高く無いと無理ですけどね』
ワタシの驚いた様子に、店主は楽しそうに笑って答えてくれた。
その後も何度か光矢を放ち、精霊に頼みこんで普通の矢も射らして貰った。
今までの練習は何だったのかと、真剣に悩みそうになるくらいすんなりと射れた。
『姿勢、弦の引き、狙い。相当に練習しないと身につかない物です、無駄ではありませんよ』
店主がそう言ってくれたお陰で、落ち込まずに済んだ。
日が暮れて外が夜に包まれた頃、再度店主によって魔道具屋へと移動しその日の狩りを終えた。
▽
「おかえりなさいませ、マスター。店にお客様が見えております」
「ただいま、ナナ。ありがとう、すぐに向かうよ」
店に戻ると、黒髪の女性が出迎えてくれた。
忙しそうな店主に礼を言い、店を出ようとすると引き止められた。
『言い忘れてましたが、その弓を使う時は魔力を消費します』
一応魔道具ですからね、と苦笑いを浮かべる店主。
『そうなんですか?一体どれ程・・・』
それを聞いて、少しだけガッカリした。
凄い弓ではあるけども、魔力を使うならばそれは魔法を使ってる今と悩みは変わらない。
今でも休み無しで魔法を放てば、大体20発くらいで魔力は枯渇するだろう。
だったら、普通の弓を買うことも検討しなければ。
普通の弓と精霊の弓、交互に使い分けながらいけば負担は少ないか?
『そうですね、お客様の魔力量で考えると・・・800発くらいでしょうか』
『は、800??』
店主から出た規格外の数字に、驚きの声が出てしまう。
『無理をすればもう少し大丈夫と思いますけど、流石にまた枯渇してしまうのはイヤでしょう?』
しかも、余裕をみてその数字だそうだ。
もう驚き過ぎて声も出ない、それだったらこの弓だけで今までの狩りの効率が数10倍に跳ね上がる。
さっき考えていた弓の購入も白紙に戻しておいた。
「やー、めっちゃ待ったで!自分が店主はんか?実はな、お願いがあんねんけどー・・・」
ワタシが店主と話終えると同時に、黒いローブを着た女性が声を上げた。
すぐにそのお客の対応に向かった店主に頭を下げ、ワタシは今日の素材を売却しにギルドへと向かった。
▽
「レベッカ、お前さんに客だ」
「エ、ダレデス?」
狩人ギルドの扉を開くと、受付にいる男性から声を掛けられる。
その男性が指差す方へ向くと、そこには白い鎧を着た金髪美女が立っていた。
「どうやら体調は戻った様だな、無事で何よりだ」
「ア、アナタハ森デ助ケテクレタ!」
どうやら金髪美女は、ワタシが狩人だと聞いてわざわざ訪ねてくれた様だった。
その要件はワタシの体調を確認する為と・・・
「いや、なに。森で狩った狼の素材を売ったのだがな、フォレストウルフは君が狩った物だろう?素材を返そうと思ってな」
「ソンナ!?オ礼ニ受ケ取ッテホシイ!」
魔物を返そうとしてきた金髪美女の手を抑え、受け取って欲しいと伝えるが。
「いや。コレは君の成果だ、受け取る訳にはいかないな。それに君を助けたのもただの偶然で、いちいちお礼を言われる事じゃない」
そう言って、いつまでも受け取ろうとしないワタシにしびれを切らし、買い取り窓口に素材を取り出して報酬をワタシ宛に変更する。
「アナタ、恩人。本当ニ感謝シテイル」
「別に構わんよ、困った時はお互い様だ。それに狼の分だけでもいい小遣い稼ぎになった」
本当に謝礼を受け取るつもりが無いのだろう、金髪美女は自分の鞄をポンと叩き、満足そうにギルドから出ていった。
「・・・格好いいねぇ、良いって言ってるんだから貰っていけば良いのによぉ。フォレストウルフの報酬があればしばらく豪遊出来るのに」
「イズレ、別ノ何カデオ礼ヲシマス・・・」
金髪美女が出ていった扉をしばらく見つめながらそう呟き、気を取り直して魔法鞄から次々と成果を取り出していく。
すると、なにやらギルド内がざわつき出した。
「ワータイガー!!」
不意にそんな叫び声が聞こえ、ワタシがしたミスに気が付いた。
フォレストウルフなんか目じゃない程にワータイガーの素材は高価な物で、しばらくどころか数年は豪遊出来るだろう。
そんな高価な素材を、狩人になって半年の小娘が持ち込んだのだ。
何があったのか、根掘り葉掘りと聞かれる事になった。
しばらく質問攻めにあい、経緯を納得してもらった後に報酬を手渡された。
どうしよう。
昨日今日金欠で悩んでいたのに、急に大金持ちになっちゃった。
誤字、脱字、乱文、誤用など見かけましたら一報頂けると幸いです。