帰還ネックレス
「ガキィン!キィン!」
薄暗い洞窟の中で、剣戟の音が飛び交っている。
片や大斧を振り回す魔物の牛人、相対するは両手剣の重さを感じさせない巧みな剣捌きで勇敢に立ち向かう男性探索者。
私は、それを少し離れた所で眺めている。
男性の周りには、彼の仲間らしき人達が見るも無惨な状態で横たわっていた。
ほぼ肉塊と化している為、正確な人数は把握出来ないがそれ程多くは無いように思える。
この少人数で深い階層まで潜って来れるというのは、高い実力を備えていると理解出来る。
私の様に運だけで辿り着けた訳じゃない、先程から牛人の猛攻を剣1つで捌ききっている事からも明らかだ。
助けに入ろうかと逡巡して、すぐに頭を振る。
1年程前に探索者としてギルドに登録し、ずっと一人でダンジョンに潜り続けて来た。
探索者としてダンジョンに潜る際、パーティを組む事を推奨されたが…如何せん私は重度の人見知りだ。
よく知りもしない人と共に行動するくらいならば、例え稼ぎが少なくなろうとも一人細々と探索する方がマシに思える程。
幸い・・・身軽な体と人より少し鋭敏な感覚を活かし、斥候技術を磨き続けた結果未だに生き延びる事が出来ている。
それなりにランクも上がり、無理をしなければこうして深い階層の探索も可能になった。
そう。無理をしなければ、だ。
とてもじゃ無いが、私に牛人の相手は務まらない。
正面から相対するには膂力不足だし、隙を見て切りつけた所で私の短剣じゃあ致命傷にもならないだろう。
何より、見ず知らずの男性探索者に声を掛けて肩を並べるなど…そんな自分が想像も出来ない。
申し訳ないが、ここは逃げの一手を取らせてもらう。
探索者の生命は自己責任、見殺しにした所で誰かに責められる事も無い。
むしろダンジョンから帰還した後、ギルドに探索者死亡の報告を挙げておくだけで感謝されるくらいだろう。
そう自分に言い聞かせ、牛人から目を逸らし元来た道を引き返す。
私は心の中で謝罪をしつつ、足音を立てない様に全速力で駆けた。
その際無意識に、先日買ったネックレス型の魔道具を握りしめていた。
『無事にダンジョンから帰還出来る』効果が有ると店主は言っていたが、その様な効果の魔道具は聞いた事が無い。
値段もそれほど高く無く、恐らく願掛け程度の品なのだろう。
まぁ、そう思いつつも購入してしまった私は変わり者だ。
先日の探索が実入りの良い結果だった為、少々財布の紐が緩んでしまったのだろう。
気休めだろうが、精々値段分くらいの効果はあって欲しいものだ。
そんな私の願いとは裏腹に、やがて絶望が訪れる。
先ほどとは別の個体であろうが、牛人が上階への階段前で立ちはだかっていた。
不運な事に勢いよく駆けていたせいで、私が牛人に気付いた時には向こうもこちらに気づいていた。
魔物の証である真っ赤に染まった瞳が、私の姿をバッチリと捉えている。
背中に、冷たい汗が流れていく。
再度引き返す事は出来ない、私の速度に追いつけるとは思わないが万が一と言う事もある。
先ほどの個体が男性探索者を殺し終え、こちらに向かっている可能性もある。
そうして挟み撃ちにされたら今度こそ逃げ場が無くなってしまう、私が選べる道は目の前にいる牛人の脇を抜け階段を登る事だけだ。
私が階段に近づくという事は、牛人の間合いに入るという事になる。
「ブモォ!」と猛々しく吠えた牛人は、手に持った大斧を私目掛けて振り下ろす。
それを半身になって躱し、すかさず横へ飛ぶ。
振り下ろされた大斧は、力任せに制動をかけられ地面に着く前に横薙に振るわれた。
すでに間合いの外へ離脱していた私の前をその刃が通り過ぎ、その隙に牛人の背後へと回り込む。
その際に短剣で切りつけてみたが、やはり効果は薄い。
分厚い皮膚と筋肉に阻まれ、振り切る事さえ出来なかった。
振り向きざまに振るわれた大斧を跳んで躱し、その腕を足場に牛人の頭上を飛び越える。
こうして右に左にと翻弄し、隙を見て階段へと飛び込む。
ーーー予定だった。
そろそろ終いだと思った頃、油断してダメージを受けてしまった。
むちゃくちゃに振るわれた大斧の石突が私の足にあたる、折れてはいないと思うが足に力が入らない。
這う這うの体で逃げようとするが、遂にはその凶刃の餌食となる。
「いやぁぁぁぁあああぁ!!」
自分でも耳を疑ってしまうほどに、情けない悲鳴をもらしてしまった。
まさかまだこれ程の女々しさが私に残っていたのか、たかが右腕を失っただけだと言うのに。
探索者になったと同時に女は捨てた、周りに舐められ無い為と自分自身を追い込む為に。
しかし、死を間近にしてその強がりも・・・そうか、強がりだったのか。
そう自覚してからはもう歯止めが効かない、目からはとめどなく涙が溢れ口からは嗚咽が漏れる。
「死にたくないよぉ・・・」なんて、少し前の私が聞いたら眉根を顰めるであろう言葉も出てくる。
その様な錯乱状態にあって、左手を右脇に挟み少しでも止血しようとするのは今まで培った経験故か。
牛人が大斧を大上段に構え、私にトドメを刺そうと近づいて来る。
私が身動きも取れない事に気付いたのか、ゆっくりと近づいて来る牛人。
じわりじわりと近付いて来る、死へのカウントダウン。
少しでも恐怖が薄れる様にと、私はキツく目を瞑り最後の時を迎えようとしていた。
それ故気付かなかった、自分の身体が淡い光に包まれている事に。
大斧が我が身にあたる寸前に、まるで透けるかのようにダンジョンから私の存在が消えていったのを。
▽
おかしい、いつまで経っても大斧の斬撃がやって来ない。
もう目を閉じて十数秒が経った、流石におかしいと気付きゆっくりと目を開く。
「・・・え?」
そこで私が目にしたのは、扉・・・それもごく普通の木製扉。
正確に言うと何も無い部屋の中央に私が座っていて、正面に出入り口らしき扉が有る。
困惑して辺りを見回してみるも、本当に何も無い。
木製の壁に木製の天井、木製の床に木製の扉。
照明すらも見当たらないのに、何故か辺りを見回せるほどに明るい。
「え?え?ここ何処?私、ダンジョンに居たよね?!」
驚きのあまり、素の言葉使いで声を上げてしまった。
しばらく自問自答を繰り返していたら、その声を聞きつけて来たのか扉の外に人の気配がする。
それに気付き扉に向かって身構える、ガチャっと扉が開いてゆっくりと扉が開いていった。
扉から入って来たのは、銀髪赤目の少年。
私と変わらない年齢のその少年は、ニコリと優しげな笑みを浮かべこう言った。
「おかえりなさい!」
「・・・はぁ」
見覚えの有る少年に対して、私は呆けた返事を返す事しか出来なかった。