最終話/このあとめちゃくちゃ籍を入れた。
夏至祭の習慣は地域によって様々だが、およそ共通している行為には以下のみっつがある。
ひとつ、火を焚く。
ふたつ、肉を焼く。
みっつ、音楽とともに踊る。
身もふたもないと言えばそれまでだが、あながち間違いとも言えない。
迷宮街ティノーブルは各地方から流れこんできた移民たちの街である。昔ながらの伝統などかけらもないが、各人が各地方から持ちこんできた文化ならいくらでもあった。
そして彼らが夏至祭を祝うとなれば、共通項的な祝祭に収斂するのはある種の必然と言えた。
四人はあてどなく街中を歩き回ったあと、ある場所へと向かっていた。
というのも、ユエラが不意に誘われていたことを思い出したからである。
まだ傷が癒えるのかも分からぬ、ということで以前は丁重にお断りしたわけだが――
「ユエラ嬢、それに三人も――御一緒してくれたのだね。……して、身体のほうはどうかね?」
「うむ。私のほうはもはや案ずることもあるまいよ」
元スヴェン邸の庭先にて。
クレラントによって跡形もなく破壊された彼の屋敷。さすがに一月で建て替えが済むはずはないが、別邸のおかげで特に不便はしていないという。
今は建築途中だが、広々とした空き地を利用して普段から付き合いのある人々を招いたようである。
ここで催されていたのはおもにバーベキューだった。
踊りや歌となると地方による差異が大きいが、肉を焼いて喜ばぬ人間はめったにいない。特にスヴェンと交流があるような商売人や職人であればなおさらだ。
庭先には二十人ほど、あるいはそれ以上の人々で賑わっていた。
彼の傍にはいつものごとくフランがいる。まるで影のように寄り添いながら――ふと、テオの姿を見て呆気にとられる。
ぱくぱくと口を開閉しながら言葉もない。否、元から彼女に声はないが。
「すまないね。我が家の従者が驚いてしまったようだ」
「いやなに。私のものが驚かせたようであるな」
「……で、そのしっぽはいったいなんなのかね?」
「私にも説明しかねるのだがのう――うむ、まぁ、生えた」
「生えた」
スヴェンはオウム返しに繰り返す。聞き間違いを疑うように。
もっとも、ユエラの声はスヴェンの頭に直接届けられた"感覚"そのものだ。聞き間違いはありえない。
「私からもそうとしか言いようがありません。生えました」
「……そうか。うむ、生えたというのならば仕方なかろう」
フランの手話に仲介されておとなしく頷く。
自分の聞き間違いは疑うが、彼女の通訳は疑わない。それがスヴェン・ランドルートという男であった。
「貴女は久方ぶりですな、フィセル嬢――否、〈竜殺し〉殿とでも言うべきですかな」
「はは、冗談。いまはただの一探索者だよ――で、こっちがその相方」
と、フィセルはアリアンナを紹介する。
「あ、相方のアリアンナです!!」と頭を下げて言うアリアンナ。おもに相方の部分を強調しつつ。
一通りの挨拶を交わし、今後のことを軽く話す。
ユエラとテオはこの街を離れるつもりはないこと。フィセルとアリアンナはその限りでないということ。
「……そうか。一度は仕事を頼んだ身だが、二度目は無いかもしれぬな。頼もしく思っていたのだが」
「私なんかを頼る羽目にならないほうがよっぽどいいだろうさ。ユエラもいるしね」
「言ってくれる、全く――だが、見ての通りだとも」
このような催しが開ける程度には心配事は少ない、ということ。
ユエラは得心げに頷き、「しからば、そろそろ私らはお暇するかえ」と言う。
「おや、もう行くのかね?」
「うむ。……特にあてがあるわけではないんだがな――――」
と、ユエラは招待客の面々に目を配る。
彼らの多くは少なからずユエラのほうに目を向けていた。
いまやスヴェン・ランドルートの懐刀として名高いユエラ。それが〈竜殺し〉フィセルと連れ立っているのだから目を惹かぬわけはない。
彼女らと繋がりを持とうと目を光らせるものも当然いる。
有り体にいえば、そう、単にそれらが面倒くさかったのだ。
「ああ、よいよい。私に気を遣わず祭を楽しむといい。君を束縛はできんよ、ユエラ嬢」
「それというのも決まりが悪かろうに」
スヴェンとユエラの表立った関係は微妙である。
表向きはスヴェンが主ということになっているが、ユエラが人に使われるような気質でないのも事実。
「ふむ、ならば、そうだな――――この機に、一曲頼めるかね?」
と、スヴェンは老いを滲ませた細面を緩めて言う。
ユエラはにやりと口端を吊り上げて笑う。そういえばそんな約束をした覚えがあった。
「なんか懐かしいね、あんたのそれを聞くのも」
「……まだ半年も経っていないのですね」
「全く騒がせてくれたものだよ」
「ええいやかましい、そんなのは私が誰より自覚しておる……しからば、一曲演ろうかえ」
ユエラはすたすたと人目に付く開けた空間に出て、ひらりと手を一振るいする。
瞬間、彼女の腕の中に現出する古ぼけたリュート。
それを目にした人々はおお、とにわかにどよめいて驚きをあらわにした。
ユエラは外見に相応しからぬ妖艶な笑みを浮かべ、大儀そうにリュートを抱える。
彼女のすぐそばで、テオはあの日のように護衛に立つ。
そして、――――嫋、と幽玄な音色を爪弾いた。
◆
「――おまえら、なんでそんなもの引いておるんだ?」
「仕事だ。……捕虜労役と言うべきかもしれないが」
迷宮街ティノーブルには後ろ暗い部分も数多ある。
住民の多くは近づかないが、ユエラはその限りではなかった。「よしたほうがいいですよ!?」とアリアンナが言うのも聞かず、裏通りをひょいっと覗き込んだわけだが――
そこには、多種多様の器具と荷物を台車に積み込んで曳いている三人の男女がいた。
「あたしはめちゃくちゃ遊びたいです……」
「だめに決まっているでしょう」
「仲間じゃない! ちょっとくらいいいじゃない! あたしがんばったし!」
「身内であればこそ厳しく、です」
アルバート・ウェルシュ。
エルフィリア・セレム。
クラリス・ガルヴァリン――以上、愉快な三人組である。
「ところで――怪我は治られたんですね、ユエラさん」
「ああ、もう心配はなかろうよ」
もう何度目かというやり取りを交わす間、フィセルとアリアンナは興味深げに彼らの様子をまじまじと見た。
「……で、そいつはなんなんだい?」
「これは……火付け道具っぽいですね」
「無料配給用の食材とか、色々ですね。こういう機会に与れる方ばかりとは限りませんし、夏至祭ということで多少は豪勢にと。……あげませんよ?」
「取らないよ。人の食いもの奪うほど困っちゃいないさ」
「なるほどのぅ。キリエの考えかえ?」
「せめて私の前では枢機卿と仰ってください――その通りですけども」
なるほどのぅ、とユエラは頷く。
そういえばキリエは休んでいるのだろうか。先日は一年ぶりの休みなどと頭がおかしいことを告白されたものだが。
「となれば、当のキリエ……枢機卿はどうしておるのだ?」
「……キリエ枢機卿でしたら、ここ数日は寝られなかったご様子でしたので、今日いっぱいはお休みいただくようにと全信徒に周知がなされております」
「あやつそのうち死ぬぞ」
キリエ・カルディナは常人だ。魔術師でも、ましてや鍛錬を積んでいるわけでもないれっきとした常人だ。
ユエラの言葉は言い過ぎでもなんでもなく、そこそこ本気で呆れていた。
「同感です。あの方は少しユエラ様の爪の垢を煎じて飲むべきでしょう」
「私の爪の垢は高いぞ?」
「キリエ枢機卿がユエラさんのようになられたらかなり……いえ凄まじく困りますのでやめてください」
「むしろそれは私が飲みたいです」
テオは真顔で言い放つ――これにはさしものクラリスとユエラも度肝を抜かれた。
「あたし、こんな子に負けたんだなぁって……」
「……言うな、エルフィリア。力と人間性は決して比例するようなものではないんだ」
アルバートは神妙につぶやく。
彼が言えたことではないが、言葉そのものはあまりに真実を突いていた。
「……っとと、こうしている場合ではありません。急がなくては」
クラリスはそう言って「さぁ行きましょう!」と意気揚々。「了解」「はぁい」と他の二人も応じ、別れの挨拶を述べたあと裏通りの道を抜けていく。
彼女にしてみれば、戦場に立つより誰かに手をさしのべる仕事のほうがずっとずっとやり甲斐があるのかもしれなかった。
「……魔王を倒した人たち、には見えなかったですね……」
「名声を得るにも下積みは地味なもんだよ。わりと」
アルフィーナのような例外的存在もいるにはいるが。
「じゃ、私らもそろそろ行くかえ」
「次は――いかがいたしましょう?」
「夜になるともっと混み合うので……いまのうちに何か食べておくと良いかもです」
「良いね。食べ物の話してたら腹も空いてきたし」
と、時間は昼を過ぎて夕方にさしかかる頃合い。
なにせ食事処には事欠かない。酒も浴びるほどはある。
四人はまたのんびりと街の明るみのほうへ歩みだした。
◆
「……はうあッ!?」
――公教会ティノーブル支部。
その最上階、支部長室にて。
頭から机に突っ伏していたキリエ枢機卿は、すっとんきょうな声を上げながら飛び起きた。
彼女は懐からハンカチを引きずり出して口元を拭い、はたと周囲を見渡す。
案の定、周りには誰もいなかった。ただひとり、彼女の側近――長身の青年祓魔師アルマ・トールを除いては。
「……おはようございます、キリエ枢機卿。大丈夫ですか。なにかうなされておられたようですが」
「……書類が……仕事が……いえ、なんでもありません」
キリエはふと窓の外に目を向ける。視界はぼんやりと滲んでいる。
空はとうに暗く、陽はすっかり傾いていた。
夏とは言えども日は沈む。ちょうどそのような時間帯である。
「書類なら全てこちらで引き渡しておきましたよ。作業は完了していたようなので」
「……そ、そうですか。ならば良かったのですが」
最後にベッドで眠ったのは何日前のことだったか。彼女はもう覚えていない。
最後のほうには作業を続けていたという記憶すら無かった。ほとんど無意識のうちに仕事を終わらせ、最後の気力を振り絞って眼鏡を外し、そして机に突っ伏して眠りについたという按配らしい。
「何も問題は報告されていませんか。……無料配給のほうには滞りなく?」
「はい。こちらに問題があったという報告は見受けられません。聖堂騎士団が治安維持のために巡回と報告を行っていますが、大きな事件や被害は見られなかったようです」
「そうでしたか。……ならば一安心いたしました」
――目が覚めるなり早速この有様である。
キリエは机の端っこに老いてあって眼鏡をかけなおし、ため息を吐く。
夏至祭の時期にあわせて裁量権を振るうために忙しくするのはいつものことだが、今年は例年以上のあわただしさだった。
なにせ今年の春からはごたごたが多すぎた。その原因と思しき人物には約一名ほど心当たりがあるが。
「ですが、アルマ。あなたはどうしてここに?」
「キリエ枢機卿がこちらにいらっしゃるからでしょう」
「私のことは構いません、と言い置いたはずですが」
「そういわけにもいかんでしょう。こういう時こそ普段以上に警戒を怠ってはならんのです」
「その心がけは立派なものです、アルマ。ですが、若い時間を無駄にしてよいものでもありません――」
「無駄にしたとは思っておりませんよ。だいたい、キリエ枢機卿もお若いでしょうに」
むす、とキリエ枢機卿は押し黙る。まだいまひとつ頭が回っていないということもあるが――実際、キリエとアルマの年は五つも変わらない。
見る目によってはキリエのほうが若く見えることすらあるだろう。
「俺はキリエ枢機卿の御尊顔を拝んでおりましたら面白かったので、それで充分ですよ」
「…………あまりよい趣味ではありませんよ、アルマ祓魔師。お控えなさい」
「了解です」
アルマはにこやかに笑み、碧眼の瞳を緩やかに細める。
側近とはいえ若い男性。その前であまりに気を抜き過ぎではないか――と自戒するべきところでもあろう。キリエは神妙に瞑目し、ひそかに自ら反省した。
「だいたい、もったいないというのならキリエ枢機卿もまさにそうでしょう」
「なにがです。時間が、ですか?」
「枢機卿自身がなにかと手配なさったというのに、それを自分で目にすることもめったにないでしょう。あまりにもったいないとは思いませんか?」
「……――――? そうですね。あまり人伝に頼らず私自身の眼で現場を確認するべきかとは思うのですが、あいにく、時間がそれを許さないというのが実情でしょう」
「いえ、そうではなく」
「他になにがあるのです」
キリエ枢機卿の視点は徹底的に裁量者であり、市民のために、街の人間のために、という考えしかなかった。
だからこそ、あれだけの事件の後でありながらも住民が離れていないのだが。
「枢機卿猊下もたまにはお休みを取られたらいかがですか。今日くらいはなにに煩わされることも無いでしょう」
「……いえ、この時間でしたらそろそろ……花火が残っているでしょう。あれが無事に終わるまで、この場を離れるわけには参りません」
「花火でしたら――そうですね、ここから見えるかもしれませんね」
アルマは揚々と言って窓辺のほうまで歩いていく。
キリエはそれをとめる暇もなく、アルマが窓近くのカーテンを開けるのを見守る他にない。
「私が花火に見とれている場合ではないのですけども――」
「それこそ聖堂騎士団の管轄でしょう、キリエ枢機卿。どうです、たまにはご自分の眼で成果を確かめられては?」
アルマにそう促され、キリエはやや腰が引け気味ながら立ち上がる。
目をこすり、瞬き。窓辺まで歩みよれば、公教会の最上階だけあってさすがの高さ――遠くに川の流れが見える。
〈レーム川〉。それはあの日、キリエがユエラとふたりきりで言葉を交わした川べりだ。
レーム川の花火といえば、迷宮街の住民にはよく知られた夏至祭の風物詩である。
基本的にティノーブルの夏至祭には統一感がない。が、だからこそ締めになる催事くらいは必要だ。
そういう即物的な考えから生み出されたのだが、これがなかなかどうして悪くない。
探索者が集まる街である関係上、錬金術師や魔術師など、火薬の調合に一日の長があるものは少なからず。最初期は祝砲に飾りが付いたようなものだったが、花火技術は年々地道に向上し続けているという。
「……始まりますよ。キリエ枢機卿」
アルマがそう指差す先。
遠い彼方の空――川べりの流れから見仰ぐ天へ、色とりどりの火の華が咲く。
空で弾ける音も耳に心地よい。そして、これはまだ前座に過ぎないというのだ。
あれ一発にどれだけの金が費やされているのやら。金を火にくべて燃やしているのと大差ない所業である。
――だが、それでも。
「……悪くは、ないですね」
ティノーブルのあまねく住民に、この輝きを共有してもらえるなら。
その時、この街は初めて、流れ者の寄り合いなどではなく――自らの郷土として見てもらえるのだろう。
「ほら、見てよかったでしょう」
「あなたが威張ることでもないでしょうに」
アルマが堂々と胸を張る。キリエは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、肩をすくめる。
二人は同じ空を目に焼き付けて――そして、他愛のない言葉を交わし続けていた。
◆
近くて遠い夏の空に、ばっ、と火の華が咲き誇る。
色とりどりの火の粉が風に消えるのを見上げ、ユエラはほうと息を吐いた。
「……見事なものよ」
「これは毎年ですねー。というか、年々派手になっているといいますか」
「ほう」
アリアンナの解説に耳を傾け、ユエラは感嘆したように息を吐く。
〈レーム川〉。スヴェンの護衛につとめていたリーネと合流した後、五人の所帯はのんびりと川べりを歩いていた。
「そういや、あんたはなんかあてとかあるのかい」
「……私はこの街から離れたこともないから。スヴェンさんの御厄介になるよ。部隊の連中の扱いにもちょうど慣れてきたころだし」
フィセルの問いにリーネの答え。
彼女は迷宮街が成立する以前のこの地に生まれ、生粋のイブリス教団信徒として育った身の上だ。
他の土地にあてがあるはずもなく、この地で暮らした年月は誰よりも長い。そう言っても決して過言ではないだろう。
なにせイブリス教団はもはやこの世にない。幹部格を失った信徒たちは統制を失い、組織として完全に瓦解してしまったのである。
「……せっかくだし、使える魔術師がいれば拾い上げてくつもり。私みたいな、この街でしか生きていけないやつが路頭に迷ってるかもしれないから。それを放っておくのはちょっと……忍びないかな」
「それはよい心掛けであるな。やけっぱちになったやつはなにをしでかすかもわからんしのぅ」
ユエラはしみじみとつぶやき、歩いていく。
そのかたわらには片時も離れずテオが寄りそう。まるで彼女の影のように。
リーネはそっと眼帯を撫で、呟く。
「私も君に教えられてどうにかなったんだし……その時はユエラ様にも教えてほしいかな。人に教えるのってどうするのかな、って」
「いまさらその"様"ってのはどうにかならんかえ?」
「君がそうしろって言ったんじゃないかっ!?」
「そういえばそうであったか」
「というより、ユエラ様――まだ彼女の"首輪"を外しておられないでしょう」
「……あ」
ぽん、とユエラは両手を打ち合わせる――すっかり忘れておった、と言わんばかり。
この場合の首輪とは言わずもがな、魔術的に施した枷のことである。
「……その扱いはひどくないかな!?」
「首輪とは……」
リーネの絶叫。アリアンナが恐れおののく。
夏の風情には全く似つかわしくない話である。
「なんというか、いまさらだよね。もう外してもいいんじゃないかい」
「そうだのう。別にいますぐでも解除できるが、どうするかえ?」
「外しましょう是非いま外しましょうそうしましょう」
「なぜおまえが言うのかえ」
ユエラがリーネに尋ね、反射の速度でテオがうなずく。
そういえば彼女は虐げられるリーネを羨んでいたような覚えがある――あの時からすでにテオはだいぶおかしかったのだな、ということを思い出す。
「えーっと……いや、その、別にいまはいいかな。なんというか、慣れちゃったというか……」
隷従期間はほんの三ヶ月ほど。とはいえ、その間にリーネは慣らされてしまったようだった。
「私は口惜しいですユエラ様」
「おまえはなにをいっておるのだ」
「私も首輪をつけていただきしかるのち首輪がつけられた状態を当然のように感じさせていただきたく」
「私よりおまえのほうが忙しいのに首輪なぞつけてどうする」
「口惜しや……」
テオは恨みがましげにリーネを一瞥する。
びくっとちいさく跳ねる肩。
「そ、そのうち自力で外せるようになるから。それまでは、その、いいかなって」
「なれば弟子くらいは私に頼らずにやるがよい。おまえもそれくらいやっていい年であろう」
「年のことは言わないでほしいなあ……!」
ユエラを除けば最年長だけあり、その言葉は切実だった。
上流から下流まで、座りこんだりして空を眺める人波は決して絶えなかった。
「……夏至はこっちで迎えるほうがいいかもね」とフィセルはうそぶく。
この日を境にして日は緩やかに短くなる。夏が終わり、秋が過ぎ、そして冬がやってくる。
秋の訪れを知らせるように、夜風が少しばかり身体を醒ましていった。
「……少し、冷えますね」とアリアンナ。
「そうかい?」と、フィセルは彼女に上着をかぶせる――如才がない。
「おまえはだいぶん呑んでおったろうに」
「私も呑みたかったなー……」
「あんたは仕事中だったしね――ああ、飲みなおすかい、せっかくだ」
「な、なら私もいきます!!」
「こいつら……」
風情もへったくれもない。
くすり、とテオがかすかな微笑を見せる――ユエラは少し目を丸くする。
珍しい、には違いないが。
こういう場で彼女が笑みを見せるのは、特にそのように思われたのだ。
祝砲めいて打ち上がる花火。
それを見上げながら下流まで行き着き、迷宮街の通りが見えてきたところで三人はそちらへ足を向けた。
「テオはもうちょっと腹に入れなよ。大きくなれないから」
「余計なお世話です」
「でも、ユエラ先生を簡単に抱えられるようになるかもですよ?」
「一考に値します」
「ちょろいなおまえ!」
アリアンナにすら言いくるめられるこの有り様よ。
ユエラ絡みであればこそだが。
三人がティノーブルの雑踏に消え、残った二人はまた歩き出す。
あてどもなく。
川のせせらぎ、夜の風、虫の声。空に鳴り渡る花火の音を耳にして。
「のう、テオ」
「なんでしょう」
「どうだった?」
「ユエラ様にお楽しみくださったなれば、それが望外の喜びです」
「そうではない。おまえがどうだったか、よ」
ユエラはそう言うと、テオはやや俯きがちになって瞑目する。
どちらともなく、二人は人目から逸れて夜の野を歩む。
夜にあってなお暗い影を求めるように木蔭に入り、テオはそっと口を開いた。
「…………楽しかった、と、思います」
「なればよし」
「お恥ずかしいことに」
「なぜ恥ずかしがる……」
「いえ、ユエラ様を差し置くようで」
「なに、私も愉快であった。しばらくこの世に飽くことは無かろうな」
ユエラはくつくつと喉を鳴らして笑う。
テオは彼女のそばに寄り添い、そして、そっと呟いた。
「ユエラ様」
「なにかえ?」
「……私はユエラ様が望まれる限り、ユエラ様を冥府に御送りすることを誓い申し上げました」
「うむ。覚えておる」
ほんの一月前のこと。
ユエラは頷き、促す。
「それは――――私がそばにいようとも、ユエラ様がより永い生を望まれるとは、思われぬからでした」
「ははは。このばかめ」
「ばかですか」
「うつけめ」
「言い直すほどですか」
「うむ」
ユエラはきっぱりと頷く。
もしそうであるならば、彼女を失うことを恐れるわけはない。
彼女が狐人になったこと。それがこの先、どう影響するかは定かではないけれど。
「胸を張れ、テオ。おまえがどのような気持ちで口にしたことであれ、あの言葉は私にとっての希望たりえた」
実際にそうせよとテオに命じるのはあまりにはばかられるだろう。その時の彼女の心情は果たしていかばかりか、と。
それでも。そうまで思ってくれたことが、ユエラにはなによりの救いだった。
「ユエラ様」
「……うむ?」
「冬至祭もございますので楽しみになさっていてください」
「私、冬は家にこもってたいんじゃが……」
「私のしっぽをお貸ししますから」
「私を温めるにはいささか足りなかろう」
「なれば私がこの身をもって」
「ふむ。例えば――」
ちゅ、と。
ユエラはそぉっと爪先を立て、薄紅色のくちびるをテオのそれに重ね合わせた。
かすかな水音。静寂の時。遠くで花火が弾ける音がする。
時間が止まったかのよう。
ユエラの踵が地面に着き、くつくつとかすかに笑みを漏らす。
「……こういうのはどうかえ?」
対するテオは――かっ、と頬に紅の色をたたえさせた。
ユエラのくちびるの色によく似たそれ。
「お――お、あ、お――――」
「お?」
「お――おおおそれおおおく……!」
「おが多いぞ」
おぼこいやつめ、とユエラは笑って瞑目する。
テオはそっと自らのくちびるに指先を重ね、かすかな息を吐く。
「……ユエラ様」
「うむ?」
「これは、私のほうが熱くなります」
「なれば私を温めるにもちょうどよいな――朝夕の挨拶にでもするかえ?」
「お戯れを……!」
ユエラはくすりと微笑し、テオの手を引いて帰路につく。まるで行きの時と逆転したかのように。
その提案が冗談でもなんでもなかったというのは、全くの余談である。




