九話/竜虎相食む
翌日。〈ヴェルトの丘〉――に程近い森の口。
ユエラはテオとフィセルの二人をともない、再びこの地に姿を見せた。
「……良いのか、ユエラ? この場所は……」
「なに構わん。他に探すのも面倒くさいしな」
周囲には茂みが多く、白樺の樹がいくつも連なっていたが、最低限の視界と敷地は確保されている。ここならば多少派手に暴れ回っても問題はない。
「ユエラ様にはいささか用心が足りません。訓練のためとはいえ、否、その程度のことで魔王に比肩されるような魔力を湯水のように費やすのは明らかに異常です」
「だから今日はおまえにも来てもらったんだ、テオ。私が魔力を使わんでも良いようにな」
「……私が協力するのですか?」
「うむ」
ユエラはよっこいせと手頃な切り株の上に座りこむ。今日のユエラの格好は袖無しの白シャツにお尻と太ももだけを包むタイトな黒パンツ。「これなど動きやすくて良いのでは」というテオの仕立てだが、「全裸のほうが動きやすいし締め付けられない」というのがユエラの見解である。
着るけど。
と、フィセルはいぶかしむようにユエラをじっと見つめた。
「……確かにあんたの術も魔力もとんでもないが、御尋ねものってのもピンと来ないね」
「左様か?」
「他人に悪意があるようには見えない」
「つまり、悪意があれば危険になるということだ。であろう?」
「……なるほど、ね」
悪意がないと証明されても潜在的な危険が無くなるわけではない。過ぎた力とは、それ自体がすでに厄介者なのだ。
ユエラの情報だけでも金貨三枚。明らかに常軌を逸して高額な褒章である。これは本当にユエラのことを指しているのか、とフィセルは大いに疑った。
その答えとして、ユエラは自慢の狐耳と二尾の尻尾を見せてやった。狐人――〈災厄の神狐〉に連なる眷属である何よりもの証。
それを知ったフィセルはどういう行動に出たか――どうもしなかった。ユエラを裏切って端金を得るより、彼女の教示を受けるほうがよほど有益だと考えたらしい。長期的に見れば実に賢明な考えだろう。フィセルの才能はまさに千金にも値するのだから。
「というわけで、テオ、フィセル」
「はい」
「ああ」
ユエラの呼びかけに、二人とも彼女を注視する。
ユエラは二人を互いに向かい合わせ、一定の距離を取らせたあと、言った。
「切り合えい」
「はい」
「ちょ、ま――――躊躇いなしかいッ!?」
「問答無用」
ユエラの宣言と同時、すかさず短剣を抜いて突きかかるテオ。フィセルは咄嗟に抜剣し、長剣の半ばで切っ先を受け止める。
フィセルの戸惑いもそこまでだった。二人は即座に意識を切り替え、高速の剣戟を披露する。幾度ともなく火花を散らしては甲高い刃鳴りが響き渡り、肉身を刻む寸前のところで互いの剣先が避けていく。
――――やはり、余計な説明は不要であったな。思った通りの運びに満足しながら、ユエラは二人の交錯を観察する。
「……っ、は」
「ちッ……!」
彼女らの腕前はおよそ拮抗していた。言葉を交わす間もなく繰り広げられる一進一退の攻防はまさに実力伯仲。短剣と長剣という得物の違いこそあるが、それは同時に戦闘スタイルの違いでもある。得意とする間合いが異なるため、一概にどちらが有利とも言いがたい。
テオの取り柄はその速度。いわゆる最高速度でなく、静止状態から即時に最高速度まで達する圧倒的な加速力にある。緩急自在の足運びは短剣の間合いを見誤らせ、感情を全くあらわにしない表情は極端に先読みを難しくする。相手からしてみればやりにくいことこの上なかろう。
対するフィセルの取り柄は動作のキレ。彼女の一挙手一投足の全てが、型に則ったかのように無駄がない。腕の振りや体運びが非常にコンパクトで、テオの苛烈な攻めにもほとんど完璧に対応してみせる。捌き、受け流し、払い、切り返す。一つ一つは単純な動きながら、フィセルはそれら全てが極まっていた。
それでも二人にあえて優劣をつけるとすれば、テオに軍配が上がるだろうか。
フィセルの本業はあくまで探索者。対人戦に関してはテオに一日の長があった。純粋な体力勝負ならフィセルが圧倒的に上だが、防戦を強いられれば消耗は激しくなる。
「――――そこ」
「……む」
フィセルはテオの剣先を絡めて捌く――が、テオは同時にフィセルの腕を蹴り上げる。短剣は元より囮だったのだ。
フィセルが長剣を取り落とす。テオはすかさず踏み込んで喉元へ突っかかる。瞬間、フィセルは左手で脇差しを居合い抜きざまに短剣をかち上げた。
反動で跳ね飛ばされるように飛び退くテオ。二人の間合いが再び開く。二人は真っ向から睨み合い、目配せする。
「……やるね。本当に殺されるかと思ったよ」
「ユエラ様の所有物を壊すことが許されるのはユエラ様だけです」
「私はユエラの物じゃないんだけどね……」
戯れのような言葉を交わしたあと、二人は静かに頷き合った。
――――ひゅん。
フィセルとテオは同時に茂みの方へ向き直るやいなや、それぞれに脇差しと短剣を投擲した。
「う、ぎゃあああああああッッ!!」
「ひっ……ぐあああぁぁッ!?!?」
聞くに堪えない絶叫。茂みの向こうで血の噴水が飛沫をあげる。真っ赤な水滴が白樺の表面を汚していく。
「なんだ、そんなもん放っておいても良かろうに」
「そのつもりでしたが、監視をしているのが明白でしたので」
「たまたま見かけたから様子見に、という振る舞いではなかったな」
「左様か。……まあ、やってしまった後で言うても詮無いことよな」
ユエラはぴょんと切り株から降り、犠牲者の様子を見にうかがう。
茂みの向こう――そこでは二人の男が事切れていた。二人とも喉から刃を生やし、ほとんど池のような血溜まりに沈んでいる。
「妙な格好をしておるな、こやつら」
「……何か、一度は見かけたような覚えがあるが」
「これは……イブリス教団兵の制式装備ですね」
「ほう?」
ユエラは興味深そうに瞳を眇める。
一見すれば黒一色のローブだが、裏地はまるで鎖帷子。顔の半分以上が面頬と頭巾で覆われるも、喉元だけは無防備だったようだ。口元を緩めていたせいだろう。
そして胸元には見覚えのある意匠――六芒星と鉤十字の紋章が刻まれていた。くっきりと、赤色で。
「ああ、そういえばあやつらもこんなの付けておったな。このだっさいの」
「ユエラ様、同感ですがそれはあまりに」
「あんた信者だったんじゃないのかい……?」
「ユエラ様に優先されるものではありませんので」
その言葉におや、とユエラは思う。はたしてどのような心変わりがあったことやら。
ともあれ、確かめてみることにする。ユエラは死体二つの頭に触れ、彼らの脳から記憶を汲み上げる。死んでいようが脳さえ無事なら問題はない。
――――幻魔術・鏡花水月――――
「……ふ、む」
「……ユエラ様、何かお分かりで?」
「ああ」
ユエラは頷き、端的に言った。
「〈闇の緋星〉壊滅させたやつな。こやつらだ」
◆
事の発端は〈闇の緋星〉が所有する魔具にあった。
元はといえば、彼らがユエラに接触できたのもその魔具のおかげである。
名を〈災厄共鳴の羅針盤〉。
かつて〈災厄の神狐〉に捧げられたという魔術師の祖。彼が何のためにか遺したという、彼女の魔力だけに反応を示す方位魔針。
テオは拠点の壊滅を確認後、真っ先にそれを捜索したが、ついぞ見つかることはなかった。
――――それも当然といえば当然。〈闇の緋星〉襲撃の目的こそ、当の魔具を奪い取ることだったのだから。
「というわけで、テオ」
「はい」
「明日にでもぶっ潰しに行こうではないか。教団」
「……」
いつもの安宿――〈鵯の羽休め亭〉。
ユエラの酒の席での放言に、さすがのテオも絶句した。
安稼ぎのむくつけき男しか寄り付かないような酒場に、女三人の席はよく目立つ。うち一人がほんの子どもにしか見えないとあってはなおさらだ。
それもただの子どもではない。目を疑わんばかりの可憐さをほこる女児。以前の地味な黒ローブ姿ではなくなったことも相まって、男なら十人中八人は道を踏み違えてもおかしくない。
「ひとまず、声は抑えてください」
「しょうがないのう」
そう言いつつユエラは果実酒をちびちびと飲む。迷宮街に飲酒を制限する法はない。たとえ子どもであろうとも。
「私はいいのか」
「お? フィセルもやるかえ? 人間斬るか? やはり剣士としては一回くらい人間をジャンジャンバリバリ斬ってみたいよなあ?」
「あんた、剣士をなんだと思ってんだい」
言いながらもフィセルは渋い顔――経験が無い、ということはなさそうな雰囲気。
「真面目に棒振りやってる人間の気は知れんが、むかつくやつを斬り殺したい気持ちならようわかるぞ」
「私だけでは荷が勝つ、というのは正直なところですね」
イブリス教団原理主義派。それこそは〈闇の緋星〉襲撃の実行犯で、迷宮街の中でも小さくない勢力を有する新興派閥であるという。
その本拠地を叩き潰して厄介な魔具を一刻も早く確保する。それが当面のユエラの目標だが、すぐには無理があるというのがテオの考えだった。
原理主義派が抱える信者数は迷宮街だけで千人規模。本拠地の屋敷は無秩序な増改築が繰り返され、ちょっとした城に近い規模がある。住民らにとっては頭痛の種だが、公教会からは事実上黙認されている。
なぜか。私兵を抱えていることもあるが、積極的に迷宮探索を行っているのが主な理由だ。魔王以外の魔物は存在するにあたわず。そのような思想から推し進められる大人数での魔石収集は、結果的に公教会を利している。極めて皮肉な関係であった。
「ま、別にバッサバッサ斬り捨てる必要はない。魔具とやらを奪えれば……奪えんでもぶっ壊せればそれで良い」
――私なら誰にも見つからないように隠すだろうが。そう考えると、やはり壊滅させる他に手はないような気がした。そうでなくとも、相手を心胆から震え上がらせるような一撃を。
「何にしても、明日すぐにというわけには参りませんでしょう。偵察が必要です。……それに、派手に事を起こしては他勢力から目をつけられかねません。魔具を奪えたとしてもそれでは本末転倒です」
「それもそうだのう」
追跡や監視を止めさせるために魔具を奪うのだ。そのために大事を起こして要警戒対象になるのは明らかに悪手である。
「……そうだな。私も追われ者の身になるのは御免だ。そうでないなら手を貸しても構わないが」
「おっ言うたな? やはりあれか? 人、斬りたいじゃろ? 人を斬るのは気持ちいいぞ? こう、ずんばらりと」
「物騒な話はやめてくださいよ、子どもなのに」
その時、テーブルの上にどかっとジョッキが置かれ、ユエラの頭上から声がした。
栗色のお下げ髪にエプロン姿の若い娘。年はテオより少し若いくらいだろう。
「いけませんよ、フィセルさんも。道を外れられては」
「ありがとう。……悪いね、アリア。この娘はちょっと浮世離れしているんだ。魔術師だから」
ジョッキを引き寄せ、礼を言いながら付け加えるフィセル。彼女の知るところによれば、アリア――アリアンナはこの宿のマスターの娘らしい。強面の父親とは似ても似つかないが、おそらく母親に似たのだろう。
「魔術師? ……このちっちゃい子がですか?」
「お? 簡単な魔術を見せてやろうか? では私の手の中にだな、このように羽蟲の卵が――」
「ひ……きゃぁぁぁぁぁぁッ!?」
ユエラがそぉっと掌を開けた刹那、アリアンナはすっとんきょうな声を上げてカウンターの奥に引っ込んでしまった。なんだなんだと酔客らはにわかに注目する。実に酒の肴になりそうな騒ぎである。
「……幻だと言っておろうに」
「幻でも見せないで下さいね」
「冗談に決まっておろう。飲み屋でそんな無法をやるものか」
実際、ユエラの手の中には何もない。単なる口からのでまかせに過ぎなかった。
「で、あれとは親しいのか、フィセル?」
「……良い娘さね。魔術師の素養があるらしい。ゆくゆくは探索者になるんだと」
「ほう」
威勢を取り戻して注文取りに駆け回る少女を横目に見てみる。と、確かに魔力の波を感じることができた。
「向いているようには思えませんが」
「魔力の前に胆力が要るであろう」
「……元々、親がどっちも探索者だったみたいでね」
フィセル曰く、迷宮街にはそういう店が珍しくないという。現役の探索者でいることに限界を感じ、別の事業を始めるもの。そう思えばちいさなこの店も立派なものだ。かわいい一人娘をあの年になるまで育て上げている。
「で、どうだ。あの娘に何ぞ言われて気は変わったか?」
「……家名に傷を付ける真似はできない。それだけだ」
そうでないならば一向に構わない。名誉回復に繋がるならむしろ歓迎する。そういうことだ。
つまり、とユエラは考えを深める。イブリス教団を叩き潰すにしても何らかの大義名分が必要だ。真っ当な理由、後ろ盾、問題の後始末、または責任の押し付け先。
――瞬間、ユエラの頭の中で一本の線が繋がった。
「よし決めた。上手くいけば近いうちにやれる。心の準備だけはしといてくれ」
「かしこまりました。……なにか急がれる理由でも?」
「他の輩に先を越されんとも知れんからな」
「御意」
納得げに頷きながらきゅうりの漬物をパリパリとかじるテオ。
「……それは私も、か?」
「うむ。組織内で抗争やってる宗教狂いの鼻っ面にぶちかましてやる仕事よ、市民の支持は堅いぞ?」
「……あんたの話を聞いてると、どうも上手く乗せられてるような気がしてならないね」
「それはあなたが疑いの目を持たれているからです」
「そりゃそうなるよ。……つまるところは掃除だろう? それなら一向に構わんさ」
うむ、とユエラは頷く。戦力の過不足はともかくとして、修行の成果を感じてくれたらユエラとしては万々歳だ。
後は予定の都合を付けるため、手紙でも送ってお伺いを立てるべきだろう。相手は多忙な身分かもしれないから。
スヴェン・ランドルート。ユエラは記憶からその名を掘り起こし、静かに微笑んだ。