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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
83/94

八十三話/最後の一日(前)


 ――ユエラの衝撃的な一言に、アルフィーナは反対を示さなかった。


 彼女の示した提案を、アルフィーナは二つ返事で了承。

「本当に良いのかえ?」と言うユエラの念押しにも、「その程度で倒れるのならその程度の権威だったということです」と素気なく言い切ってみせる。


 アルフィーナの言動の端々から推測できたことではあるが、やはり、彼女は聖王家とやらにさしたる思い入れはないらしい。


「我が領地が無事であればそれで良いのです。反体制側や他国は活気付くかもしれませんが、さしたる問題ではありません。我々辺境領の人間は、端から首都の援軍などアテにはしていませんから」


 辺境の防衛を一手に担う少女が言うだけのことはある。

 ユエラは工作の実行、そして二日後の協力を約束し、二人は平穏無事に別れた。


 あまりに強大すぎる力を有した二人に比し、その会談はあまりに平穏なものであった。


 ◆


「――それで、私にお鉢が回ってきたということか」

「うむ」


 翌朝のこと。

 ユエラは身を隠し、テオとともにかつての古巣――スヴェン・ランドルート所有の別邸を訪れた。


 スヴェンとフランは二人揃って彼女らを出迎える。

 身辺警護の〈影〉はいつもどおり、屋根裏か床下か、あるいは家具の影にでも潜んでいるのだろう。


 スヴェンの本邸は現在建替え中。

 本来はユエラの提案通り、旅行にでも出かけるつもりだったらしいが――


「バカンスにでも行っておれば逃れられたろうにのう」

「そうしたいのは山々だが、思っていたより情勢が深刻なようでね。――彼らは街に検閲線を張り出したようだ」


 スヴェンは神妙そうに言うが、口調はさほど深刻そうでもない。


「おまえの護衛でも連れておったらどうということも無かろうに?」

「うむ。出ていく分には問題ない――だが、帰ってきたところで街が占領下に置かれていたら笑えないだろう?」

「おや、そんなことになるのなら私はずいぶんなヘマを踏むことになるのう?」

「そう言わずにくれたまえ。私というやつは万事、最悪のケースを想定せずにはおられない性分でね」


 ユエラは皮肉げに言うが、まさか本気で当てこするわけもなし。純然たる冗談に過ぎなかった。

 一通りの挨拶を交わし、ユエラはさっそく本題に入る。


「明日の件に関しては進展があってな。報告と、一つ頼み事を、といったところだ。……ひとつ、内密に頼むぞ?」

「了解した。――事は無事に片付きそうなのかね?」

「さて。無事、というには、どの程度が無事と言えるかの境界線を探る必要があろうな」


 ユエラはそう前置きを済ませ、昨日の出来事を一通り告げた。

 アルフィーナ・ウェルシュとの邂逅。彼女との連携。そして彼女はいかにして魔王イブリスに対処するつもりなのか。


 アルフィーナの言葉については全て裏取りを済ませてある。フィセルとクラリスのお墨付き。

 今ごろは街中の警備を厳重にする作業を進めているころだろう――それこそ死に物狂いで。


「……なるほど」

「理解してくれたかえ?」

「ああ。少なくとも私の知る限り、それは無事とは言わないが」

「で、あろうな」


 スヴェンは夏にも関わらず冷や汗をにじませながら言う。

 それでも表情は変わらないのだから大したもの。――横で聞いている女従者、フランのほうが顔を青くしている有様だった。


「……無事とは言えないが、許容範囲とは言えるだろう。今から避難を促そうにも、それが引き起こす混乱は甚大だ。ならば、できるだけ秘密裏に事態を収拾する、というのはあながち間違いとも言えない」

「早いうちに避難勧告ができればよかったろうになぁ」

「それでは初めから匙を投げるようなものだからね。……政治とは実に難儀なものだよ、ユエラ殿」


 スヴェンは思わずというように苦笑。

 ユエラも全くの同感だった。


 政治など好きこのんで関わるものではないが、それが放り出されれば途端に機能不全に陥る。政治とはそういうものである。


「そこで一つ、頼まれてほしいことがあってな」

「私に可能なことなれば。……であればこそ、私に頼み事をしにきたのではないかね?」


 今やスヴェンとも決して短くない付き合いだ。さすがに心得たものである。

 ユエラは端的に告げる。


「スヴェン、おまえ、帝国か……聖王国でなければどこでも良い。どこかに伝手は無いかえ? おまえを信用しておる相手で、地位は高ければ高いほど良い」

「あるにはあるが――――陥れる相手かね?」

「実にようわかっておるな」


 スヴェンは一瞬考え込むように腕を組み、口を開く。


「……いるとも、うってつけのが一人。帝国で公教会の司祭をやっている。ヨハンという男だ」


 スヴェンはあくまで淡々と言う。

 第一次迷宮攻略遠征の時からのよしみ、とは言うが、あまり好感の抱ける相手では無さそうだ。

 いわゆる狂信者の類。しかし利害関係をずるずると引きずっている状態ではあるらしい。


「どこかで聞いたことがある名前だのぅ」とユエラはちいさくつぶやく――が、すぐに気にしないことにした。


「それで。何をするつもりだね」

「なに、ちょいとそいつの耳に情報を吹きこんでやるだけだ。それがより高いところまで届けばなお良し、といったところか――テオ、あれを」

「は」


 ユエラが命ずるのに応じ、テオはそっと丸めた羊皮紙を差し出す。

 ユエラはそれを受け取ってスヴェンに渡す。


「内容はそこに書いてある通り。単なる流言として処理される可能性はあるが、そうならんためのランドルートの名よ。……確かめとくれ」

「よろしい。検めよう」


 スヴェンは頷き、広げた羊皮紙の紙面に目を通す。

 彼はゆっくりと視線を動かし、そしてにわかに目を見開いた。


「すぐに効果が出るものではないが、上手いこと後片付けをするには良かろう。どうかえ?」

「……あなたは……つくづく恐ろしいな、ユエラ殿」


 スヴェンは狂奔に駆られたように笑い、ゆっくりと羊皮紙を丸め直す。

 さりとて、その文面に比べれば、彼の反応はむしろ控えめなものだった。


 ユエラが記した内容を要約すれば、その文面は次のようなもの。


 聖王家は魔王を従えようとしている。

 そのために彼の国は〈賢者〉クレラントを操り、魔王イブリスの復活を試みている。

 現に〈賢者〉はティノーブルに滞在しており、魔王を崇拝する教団と連携して活動を続けている。


 現実に起きていることは確かに正しい。だが、そこから導き出した結論は極めて恣意的なもの。

 虚実ないまぜの内容を至極冷静な筆致で記しているからたちが悪い。


 この情報がどこかの国に渡れば、何が起こるかは自明だろう。

 アズラ聖王国は厳しく指弾されるに違いない。結果として反体制側の勢力が勃興し、聖王国内部では内戦が起こると考えられる。

 そこからどうなるかは定かでないが――まず間違いなく、聖王家は無事では済まない。ユエラなどに構う暇などいっぺんに無くなるだろう。


「あなたは……手紙一通で戦争を引き起こせるらしい」

クレラント(あやつ)が下手を踏みすぎたのであろうよ。やつは、形振りを構わなさすぎた」


 この件にはアルフィーナも反対しなかった。

 クレラントは聖王家を盾にアルフィーナを脅しかけたようだが――聖王家が先に倒れたらなんの問題にもならない。

 結果、彼女は心置きなくクレラントの計画を邪魔できるという按配だ。


「結構。今日中にも使者を向かわせるとしよう」

「うむ、早いほうが良かろうからな。明日は魔王とやらの復活記念であろうぞ、それに合わせて情報を報せられるのは悪くなかろう」


 魔王が本当に復活した、という情報は後からいくらでも確かめられる。

 そうなればただの流言で片付けることは難しい。


 そもそもの話――仮想敵国の弱みを見つければそれを叩くのは自明のことである。


「実に縁起でもない話だ。……私はこの家で、魔王討伐の記念日となることを祈っているよ」

「全くであるな。――まぁ、魔王とやらを片付けるのは私の役目ではないからのう。今さらどうにもならんよ!」

「きみという御仁は……」


 スヴェンは半ば呆れがちに――しかし、すぐ隣りにいる女従者を勇気づけるように楽観的に笑った。


 ◆


 ――――泣いても笑っても最後の一日。


「今度はこちらに。お手伝いお願いします」

「い、いくつ張るつもりなのかな!?」

「とにかく街中に。できるだけ多く。可能な限り広い範囲に、無制限にです」

「私の体力は無制限じゃあないからね!!」

「では、お願いします」

「ひぃん!!」


 アルフィーナはリーネと協働し、街のあちこちに結界を敷設。

 点と点を線で結び合わせるように張り巡らせ、蜘蛛の巣めいた結界領域を構築する。

 これはアルフィーナの精霊術・絶界をあらゆる場所で発動できるということであり、戦闘を継続しながら他の場所を守ることも可能とする。

〈封印の大神殿〉近辺の結界は特に念入りなものとする。魔王復活の折、真っ先に襲撃される蓋然性が高い地点であるからだ。


「せ、せっかく迷宮の攻略にも慣れてきてた頃なんだけどなあ……!」

「御心配なく。いざとなれば迷宮内部で迎え撃つ作戦もありえますので」

「これだけ頑張った次の日に迷宮探索まで!?」

「はい」

「はいじゃないよう!!」


 ◆


 ――――所変わって宿屋、〈鵯の羽休め邸〉。

 

「フィセルさん、今日はおやすみなんですか?」

「ああ、最近は働き詰めだったからね。それに、探索が一段落したってこともある」

「一段落。……も、もしかして、一番奥にまで……?」

「いや、辿り着いちゃいないんだけどね。……目指す理由が無くなった、ってのもあるかねえ」


 珍しく宿で寝そべるがままのフィセル。アリアンナはその様子見ついで、部屋の掃除をしに入る。

 二人が二人とも、それをさして気にもしない。気を使う必要もない。


「……フィセルさん」

「なんだい」

「私、覚えてますから」

「なにをさ」

「もし迷宮が無くなったら、私と付き合ってくれるんですよね!?」

「……迷宮以外で稼ぐことになったら、私についてくるかい、って話じゃなかったかい?」

「覚えてるんじゃないですか!!」

「そりゃ覚えてるよ。忘れるわけもない」


 フィセルは何の気なく言い、アリアンナはどこか恥ずかしげにお下げ髪をいじくり回す。


「……思ったよりずいぶん早くなったねえ。もう少し時間がかかるかと思ってたんだだけど」

「や、やっぱり、出ていくんですか?」

「さてね、どうなるかはまだ分からないよ。しばらくはここを拠点にするかもしれない。何だかんだでこの街が大陸の中心ってのに変わりはないんだ」


 隊商の護衛でもして稼ぐつもり、と言うのはフィセルも以前言った通り。

 もっとも、急いで稼ぐ必要性などほとんどない。フィセルは祖国の母に資金援助をして余りあるほどの資産を有していた。


「つ、付いていきます。是が非でも付いていきますから」

「ちゃんと親父さんの許可は取ってんだろうね?」

「それは大丈夫です。そこのところはばっちりです」

「実力のほうは?」

「お、おいおい追いつかせていきます!」

「……下手に焦ったりはするんじゃないよ。私は、待つから」


 とはいえ、アリアンナの魔術師としての成長は目覚ましい。

 その点はユエラのお墨付きである。近ごろは宿屋の仕事にまで魔術を役立てているという。

 夏の真っ只中にも関わらず、この宿で冷えた飲み物が供されるのはおおよそ彼女の功績だった。


「それに、アリアがいなくなったら宿もそれなりに困るんだろう?」

「そこは安心してください! 私がいなくってもちゃんと飲み物を冷やせるような魔具を作っていきますから!」

「…………アリア」

「はい?」

「私と傭兵稼業なんかやるよりさ、その魔具で商売やったほうが安全に儲かるし良くないかい?」

「………………ぜ、絶対付いていきますからね!!!!」

「……ずいぶんこじらせちまったね……」


 力強く力説するアリアンナ。フィセルはちいさくため息をつく。

 同時に、アリアンナの成長振りを実感せずにはいられない。彼女は今や魔具の製作を手がけられるほどなのだ、と。

 製薬に手を出したり、彼女の多芸振りは以前から知っているつもりだったが――


 直に実力を試してみて良いかもしれない。

 その程度には、フィセルも彼女のことを真剣に考え始めていた。


 ――――明日、魔王と相対して。そのまま死ぬかもしれない、というのに。


 ◆


「聖騎士長、やはり、中央広場の人々を避難誘導するというのは……」

「無理というのは容易い。完璧に成し遂げるのも不可能だろう。だが、可能な限り人命を守ることに我々は全力を尽くさねばならない」


 聖騎士長レイリィ・アルメシア。

 彼女は明日の決行に際し、聖堂騎士団員の精鋭を率い、広場の人々を生きて逃がすための手段を講じていた。


「特に南北の通りは混雑が予想されましょう。〈封印の大神殿〉の出入り口は南北のみですから」

「……止むからぬことだな。つまり、広場の人々が南北からの逃走を図ることだけは避けねばならない」


 各人はどの地点に陣取るか。どのような隊形を組むか。

 レイリィの指揮のもと、たった十五人程度の精鋭たちが布陣を試行錯誤する。


「……どうしても人数に不安があると言わざるを得ません」

「どうにかしてか、聖堂騎士団が総出でというわけには行かないのですか!」

「それが望ましいというのは承知の上。だが、可能な限り魔王復活を知るものは人数を絞らなければならない。でなければ、無用な混乱を招きかねない、とのことだ」

「それは確かなことでしょうが……」


 レイリィとしても彼らの不満はよく分かる。彼らとしても精鋭という自負はあろうが、他の聖堂騎士団を差し置いて、という気持ちもあろう。

 それはレイリィにしても同じことだ。

 だが彼女はキリエ枢機卿を筆頭に、公教会上層部の懸念も理解せざるを得ないのだ。


「……私は諸君らの力を理解している。だが、過信をすべきではないとも知っている。これは諸君らを侮るという意味では決して無い」

「は。無論のことです」

「仮に事態が動き出せば、もはや情報の有無など関係はない。聖堂騎士団員が総員で動くことになろう。その時こそ、日常の訓練が鍵になる。前もっての通達が無かろうとも、常在戦場の心構えさえあれば、公教会の剣にして盾たる資質さえ備えているならば――――総員が一として動き得るだろう」

「……確かに、それは、その通りかも知れませんが」


 レイリィは言いながらもやはり無責任という感は拭えない。

 情報を広く知らせることは公教会上層部の意向に背く。だが、限られた人数で任務を達成することは難しい。ならば、レイリィがなすべきは――


「……よろしい。一旦宿舎に戻るとしよう」

「そ、それは……もしや……?」

「いいや。魔王復活の報せを伝えることはない。その点は内密にすることを継続してもらいたい」

「し、しかし、それでは――」

「総員を招集し、総出での試行訓練を行う。非常事態に際しての避難誘導を想定した訓練だ、と。――――これはあらゆる意図や情報などに基づくものではなく、平常時から非常時に備えるためのものに過ぎない。良いな?」

「……は、はいっ!」


 当然、少なくない聖堂騎士団員は疑問に思うだろう。

 なぜレイリィ聖騎士長はいきなりそんなことを言い出すのか、と。


 レイリィはその疑問に答えることができない。

 だが、答えなどなくとも……その意図を察せられる騎士団員は少なくないはずだ。


「では、行くぞ。……市民の安全を第一に、万事滞りなく進めるとしよう」

「――了解!」


 彼らもその意を汲み取れぬほど鈍くはない。

 その日、やがて日が沈むまで、聖堂騎士団の想定訓練は密かに続けられた。

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