七十六話/秘策
――武芸に近道などはない、と申せども――
「これは中々、厳しいものがあるのぅ」
「正直、どちらも人間の動きには見えないですね……」
ユエラ邸の地下広間。
ユエラとアリアンナは二人、リグの幻像とテオの取り組みを見守っていた。
幻像を見せる術式は部屋全体に共有されており、室内にいるものは誰でもそれを見ることができる。
リグに傷を負わせたのは二対一の戦いだが、二対一であることが有効に機能したのは最後の一瞬だけとも言える。
それは言いかえれば、一対一でもやりようはある、というように思われたのだが――
「ッ、ぐ……!」
リグの振るう短剣がテオの首筋に突き立つ。
短剣も幻であるから死ぬ危険はない。怪我をする危険もない。だが、痛みの感覚は完璧に再現されている――テオ自身の希望によって。
勝負が決したところでリグは直立姿勢――待機状態へと移行する。
「……これ、何回目でしたっけ……?」
アリアンナは思わずというように呟き、
「――三十五回目かと」
テオは表情をほとんど変えず端的に言う。
「数えてたんですね……」
「敗因の検証は後で必要になるでしょうから。覚えておく必要があります、が……」
テオは身を起こしながらため息を吐き、短剣の刃をそっと鞘の内に納める。
「やはり、私に正攻法は難しいようです。どれだけ回数を繰り返しても、このままでは勝てないでしょう」
「もう少し早う諦めても良いところであろうに」
「リグが先に動く場面を作り出せれば良かったのですが……」
テオとフィセルが同時に猛攻を加え、そこから反撃に出たところを討ち取る――
というのが、先日の戦いから見出したテオの勝ち筋だ。
そのためにはまず、守勢のみでは耐えかねるような状況を作り上げなければならない。
だが、リグとテオ一人の実力差では、それがそもそもままならないのである。
「以前の幻影と私では、私が少しだけ上回っていました。ゆえに、幻影が先に動く状況を作り出し、それを討ち取ることが可能でした。さらに大きな力量差があれば、幻影が先に動くまでもなく討ち取ることが可能だったでしょう。――今回の幻影と私とでは、まさにそれくらいの力量差があるということが、理解できました」
「わかりやすいんだか分かりづらいんだかの説明ご苦労であるぞ」
「とにかく、実力差が大きすぎて戦術ではどうにもならないということですね……私とユエラ先生みたいに」
「そういうことになります」
実際、ユエラとアリアンナでは戦いにもなるまい。
アリアンナの魔術ではユエラの魔力量を突き破るのはまず不可能である。
「ですがいくつかのアイデアも思いつきましたので、これを検討して頂けないものかと思いまして」
「うむ。そういう話であれば聞こう」
ユエラはリグの幻影を立ちどころに消し去り、部屋の隅にある椅子を引っ張ってくる。
三つ分。
「……それで、どうして私も話に入るんですかね……?」
「魔術に無関係という話でもないからのぅ」
「ほ、本当ですか?」
「そうなのですか」
「……うむ、まあ、おまえが魔術がわからぬのはやむを得んな」
返す返すもテオは魔術についてはからっきしである。
そこでユエラはひとつ、アリアンナに質問を課した。
「あやつはリグというやつなんだが――あれがどうしてああも強いか、分かるかえ?」
「……ええと、凄い武術の達人であること、ですかね……?」
「間違ってはおらぬが」
「……あと、魔素が彼女に向かって流れていっているみたいでした。なんというか、光を帯びたような……?」
「うむ、それもある……というか、そっちの比重のほうが大きいと言うべきであろうな」
尋常を逸した技術は自然と魔素を招き寄せる――その担い手が魔術師であるか、そうでないかに関わらず。
リグは間違いなく魔術師でないが、手繰り寄せる魔素量は一流の魔術師もかくやという勢いだった。それゆえに、純粋な膂力の差がテオとは比べものにならないのだ。
「テオさんも、そこは同じでしたけれど……」
「正直なところ、私自身では感覚できませんので、その点についてはなんとも言いがたいのですが」
大気中の魔素を知覚するには感応力が必要となる。
これをしっかりと認識できるのは、アリアンナの成長した証とも言えた。
「魔素量の多寡はあると思います。……周辺の魔素量をコントロールできたら、この点はなんとかできる気もします」
「うむ、その通り」
アリアンナの言葉にユエラは首肯。
魔力の素となる魔素は大気中に偏在する。つまり、大気の外側であれば手繰り寄せる魔素の大小は問題にならないということだ――現実的に困難ではあるが。
「そんな場所あるかな、って思いますし……そもそも息が吸えないのに戦うのって、無茶ですよね」
「それはできなくもありませんが」
「ええ……?」
「おそらく、リグより先に私の息が保たなくなるでしょう。私は数分程度保たせられますが、リグが数十分と保たせられない保証はありませんから」
「えええ……」
根本的な心肺能力の差によってこの案は却下。
そもそも、そのような状況に追いこむのは困難極まりない。地中で火を焚けば大気は薄れるが、あそこは魔素の逃げ場がない。
「他に考えられる状況、といえば水中であろうが――引きずり込むのは困難極まろうな。街中に水場はなし、そもそも水中で戦えるとも思えぬ」
「さすがにそれは難しいでしょうね」
「良かった……人間だったんですね……」
「なんだと思っていたんですか」
アリアンナが安堵の息を吐く。
よしんば水中に引きずり込んだとして、すぐに脱出されるのが関の山だろう。
「環境そのものを制御するのは困難極まる。かといって個人の力量差を埋めるのはさらに難しい……さて、テオ。何か考えはあるかえ?」
「――ユエラ様にもお考えがあるように思われますが」
「うむ、まぁ、無いではないが」
その上で、ユエラはテオの考えを聞くことを望んでいた。
テオはこくりとちいさく頷き、ぴ、と人差し指を立てた。
「まず一つ目。……私が〈魔術の器〉を開く、ということは可能ですか?」
「不可能ではない。……が、あまり現実的とは言えぬな」
〈魔術の器〉。それは先天的な魔術の素養を示す器官とされている。
魔術師の間では、後天的に〈魔術の器〉を獲得することは無い、という考えが支配的だ。
「……ということは、先生、後天的に目覚めることもあるんですか?」
「うむ、あるにはある。というかだな、おまえも生まれてすぐ〈魔術の器〉の存在に気づいたわけではなかろう?」
「そ、それは確かにそうですけども」
「つまりアリアンナ、おまえが持っている〈魔術の器〉は生まれた時からあったのか、それとも後天的に生じた物なのか――判斷する方法は今のところ無い、ということになるのぅ」
ユエラはそう前置きした上で、ゆるゆると首を横に振る。
「おまえがある日突然に〈魔術の器〉を開く、という可能性は否定しきれぬ。だが、これを人為的にどうこうするのは難しい、と言わざるを得ぬのが実情だな。私も後天的に得たほうだが、〈魔術の器〉を開くノウハウがあったわけでもなし……」
「後天的だったのですか」
にわかに驚いたように目を丸くするテオ。
「うむ。私も端っから九尾だったわけではないからのう。一尾のころからちょっとずつ増えていて、それにつれて〈魔術の器〉も増えていったというわけじゃな。――〈魔術の器〉が増えたからしっぽが増えたのかもしれぬが」
「どちらが先かはユエラ先生にもわからない、ということ……?」
「うむ。そういうことになる」
永い年月を生きれば目覚める可能性は高まる、くらいのことは言えるだろうが――
定命の人間には何の役にも立たない話であった。
「……分かりました。この案はひとまず置いておきましょう」
「諦めはせんのだな?」
「はい。――ユエラ様の体験を追体験させていただければ、何かしら得るものは無いでしょうかと」
「……ふぅむ」
様々な相手を幻術にかけてきたユエラだが――そんなものを追体験させた例は今までに一度もない。
ゆえにこそ、彼女は興味を惹かれたようだった。
「良かろう。減るものでもなし、もし得るものがあれば儲けものよな」
「……それは私はだめなんでしょーか……?」
「おまえにはおまえの〈魔術の器〉があろうが。魔術師なら自分の特質を活かすが良い。他人の追体験なんぞしても邪魔になるだけぞ」
「そういうものなんですか」
いささかピンと来ないように頭を振るアリアンナ。栗色のお下げ髪がゆらゆらと揺れる。
続いて、テオは二つ目の考えを口にする。
「次ですが……〈魔術の器〉が無くとも、魔素を知覚する能力を獲得することはできるんですよね?」
「あぁ――うむ。それくらいならわりと現実的な選択肢に入るであろうな」
魔素を知覚する能力――感応力。
魔術師には必須となる力であり、これを向上させることによって操る魔素量も飛躍的に向上する。
これは魔術師の優秀さを計る指針の一つになる、といっても決して言い過ぎではなかった。
「……でも、それって、魔術師以外の人が持っててもあんまり意味が無いんじゃ……?」
「まぁ、無いな。むしろ気が触れたりして害になることもある」
「えええ……」
「私やおまえは慣れておるからな、知覚することも、意図的に知覚しないようにすることもできる。だが、自分が感じているものが何かも分からぬまま、四六時中感じておったら――まぁ、これほど気味が悪いもんはないぞ? 『目に見えないほど小さな蟲が肌を這い回るような感覚』などと言うやつもおる」
「そんなことを言われたらなんか私まで気持ち悪くなってきたんですが……」
滔々と語るユエラ、顔を青くするアリアンナ。
もっとも、魔素とは何か、ということをきちんと理解していればそのように感じることはないのだが。
「無意味とは仰りますが……それは例えば、私やフィセルが身に付けたとしても意味がないものでしょうか?」
「……ふぅむ」
テオが発した疑問は、ユエラが一考するに値した。
正直なところ、大きな変化は望めないだろう。彼女らが振るうような魔術の域にある武技は、それだけで魔素を招き寄せる――魔素の結合現象を誘発する。
魔術師のように魔素を手繰り寄せるのではない。大気中に偏在する魔素が、すなわち、世界が自ずと彼女らに力を与えるのである。
そこに当人の感応力が介在する余地はほとんど無い。
その力は非常に大きく、並大抵の魔術師を凌駕してしまうほど。
剣術のみを極めたフィセルがアルバートを圧倒した件はまさにその典型といえるだろう。
「無意味、ではなかろうな。魔術師以外のものに感応力があっても仕方がない、というのは魔素からエネルギーを引き出せぬからだが――その点はおまえには当てはまらぬしのぅ」
結論するならば――武技の上達のみならず、感応力の向上によっても使役する魔素量は増やせるはずである。
「多少なりは効果を見込める、ということですね」
「うむ。私の推論ではあるがな」
テオほどの武芸者がさらに強くなろうとしても安々とは行かないだろう。
それに比べて、魔術の初歩を伸ばすことは比較的容易とも言える。費用対効果ではこちらの方がまだしも良い、というわけだ。
「〈魔術の器〉を開けんでも無駄にはならぬし。うむ、中々悪くなかろう」
「ありがとうございます。……今のところ、私からはこのようなところです」
テオはそういって口をつぐむ。使えるものは何でも使う、という姿勢が見られた格好だろう。
その時、アリアンナがぽんと手を叩いた。
「思いついたんですが」
「うむ、なんだ?」
「魔素を操るのはテオさん自身じゃなくても良いんじゃないでしょうか。例えばですけど、私とかリーネさんとかが傍について、支援役を務めるとか」
「発想は悪くないが、傍におるやつを誰が守るのかというのは問題じゃな」
「…………あ」
忘れていた、というようにアリアンナはぽかんと口を開ける。
公教会事変の折、魔術師部隊が攻め寄せられることはなかった。
それは公教会内部で聖堂騎士団員が奮闘していた成果なにだが――外から砲撃を担っていた彼女には、あまり実感が沸かなかったのだろう。
「まず間違いなくですが、リグは真っ先にそちらを潰しにかかるでしょう。私自身、他人の安全に配慮しながら戦えるとはとても思えません」
フィセルとの共闘は、彼女ら二人がお互いに対等であるからこそできたのだ。
手ずから守らねばならない相手との共闘とはわけが違う。
「……ううん。だめですか」
「発想が悪くないのは本当だとも。何もかも一人でやろうとするより、できるやつに任せたほうが良いことも多い。状況は許す限りはのぅ」
ユエラはそう言って、「それに」と言葉を続ける。
「私の考えていたのも似たようなものだ。ちと違うが」
「……似たような?」
「と、仰せられますと」
テオはにわかに目を細める。
そう。腹案があるのは彼女だけではなく、ユエラもである。
ユエラはくつくつと喉を鳴らして笑い、言った。
「私のしっぽを――〈魔術の器〉を移植する。一本くらいはどうにかなってもよかろうよ?」




