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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
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七十一話/迷宮深層・迎撃戦

 一行は目標地点――地下九十二層、下り階段前の広間に無事到達。

 道中、何度か魔物に遭遇したが、被害はほとんど発生しなかった。


 それは喜ばしいことだが、同時に不自然だとも言える。

 魔物との遭遇が少なすぎたのだ――それは〈封印の迷宮〉に通い慣れた四人に違和感を抱かせて余りある。


 一行は予定通り九十二層の終点に陣地を敷設。

 フィセルとクラリスは何人かの騎士団員を率い、階層内の調査に繰り出す。


 小一時間も調査を続ければ異変は明らかだった。

 先日までは存在していたはずの大魔石――そのうち幾つかが破壊されているのである。

 魔物が大魔石を傷つけることは断じてあり得ない。あり得るとすれば人間だが、迷宮各地に点在する大魔石を破壊するのは困難を極める。


 導き出される結論は一つ。

 大魔石の破壊は十中八九、イブリス教団の主戦力によって実行されたということだ。


 そしてそれが誰かと言えば、おそらくは――――


「リグでしょう。彼女ならばそれほど難しいことではありません」


 テオはそう断言する。陣地に繋がる通路を見張りつつ、調査から帰還したフィセルたちを一瞥する。


「難しいことではない、って……本気かい?」

「本気です。全くのてらいなしに」

「私も試したことはあるけどさ」

「あなたもたいがいアホですね」

「うるさいよ」


 フィセルは軽口を叩きながらも呆気にとられる。

 テオとしては意外でもなかった。彼女ならやりそうだ、と思っていたからこそ。


「そう簡単に砕けるなら、今ごろは採掘者が殺到しているでしょうね……」


 クラリスは思わず苦笑する。

 実際にはそうはなっていない。上層のちいさな魔石ならまだしも、迷宮深層に結晶した大魔石の硬度は尋常なものではない。

 技術や力以前の問題で、そもそも大魔石にはどんな道具でも歯が立たないのだ。いくらつるはしを振るおうと、罅を入れる前につるはしが砕けるのだからそれこそお話にならない。


 魔術を用いての採掘に至っては力技よりもなお愚策である。

 いくら魔術を打ちこもうと、大魔石が帯びた魔力はそれに対して抵抗(レジスト)する。やがて砕けるころ、魔石はすっかりただの石と化しているといった按配だ。これでは何の意味もない。


「これが斬れれば並大抵のものはどうとでもなるかと思ったんだけどね」

「そんなものが斬れなくても、あなたなら並大抵のものは斬れましょう」

「言ってくれるね」


 テオは呆れたようにため息――フィセルはからからと笑みを見せる。


「しかし――大魔石を壊す、か。そんなことが現実的に可能なのか?」


 広間の脇を固めるレイリィが懸念を示す。

 例えばだが、〈攻略拠点〉とは転移魔術の基点を示す大魔石だ。もしこれが破壊できるとなれば、探索者の根幹をなす転移装置が完全に破綻してしまう。

 それこそ、魔王を復活させるよりも極めて容易に、そして確実に迷宮街を混沌の渦に陥れられるだろう。


「……魔素には、拡散しようとする性質があるんだ。魔石内部の魔素は内部に留まっているけれど、特に表面が硬化する傾向がある――つまり、拡散しようとする性質は保持している。総合的な魔素量次第では、内部に打撃を浸透させられるなら、破壊できなくはない、かな」


 リーネは地べたに座りこんで休憩しつつも私見を述べる。

 その言葉はほとんど正鵠を射ていた。リグが大魔石を破壊した手法は、まさに彼女が語った通りであるからだ。


「そしてリグはそれと似たような技術を十分に保持しているでしょう。彼女は私の師ではありますが、私のみの師であったわけではありません。彼女は教団に属する数多くの戦士に、様々な流派の武術を叩きこんでいましたから」

「基本的には、武器は使わないってんだろう?」

「使うとしても最低限ですね。迷宮内ですから長柄の得物を持ち出すことはまずないでしょうし――素手と想定して宜しいかと」


 テオとフィセルは彼女を迎え撃つ時の算段を立て始める。

 相手が撤退し始めた時はともかく、そうならない可能性も十分ある。

 話はレイリィや騎士団員も加わっての大事になった。


「この閑所ならば包囲は容易い。退路を塞いでしまえば……」

「長期間の足止めは現実的ではありません。それは誰かが犠牲になるでしょう」

「私とテオで前後からかかるってのはどうだい?」

「私たちにそんな連携技術は無いでしょう。各個撃破されるだけかと」


 奇策、待ち伏せ、挟み撃ち。休憩を挟みつつ様々な作戦が挙がった末に、残ったのは――何の事はない。

 ほとんど元から想定していた通りと言っても良いだろう。

 つまりは、それぞれの役割を最大限に利用する正攻法であった。


「まず、私とフィセルが前面に立つのは大前提です」

「迎撃しつつ深追いさせる……ってのも難しそうな話だけどね」

「相手は格上です。そういった判断が無いとも限りません」


 最前衛は当然のごとくフィセルとテオ。


「そこで、私たちの出番というわけだな」

「包囲と周囲の警戒を。少なくとも、相手の機動力を削ぐ程度はやってみせましょう」


 と、レイリィ率いる騎士団員は意気揚々と応じる。

 彼らはグレイヴに大盾という迷宮内では特異な装備だ。が、この広間に限るなら長柄武器も十全に機能する。


 距離を取って槍を構えて包囲をつくる――これならそう簡単に破られる心配はない。


「私はフィセルさんとテオさんの補助に全力を。身を軽くするものを最優先に――で、本当によろしいのですね?」

「はい。大魔石を破壊する相手に障壁を張るのは、いささか心もとないでしょう」

「……同感です。そのような練武の持ち主がどうして魔王復活になど与するのか、私には計りかねますが……」


 クラリスは瞑目して神妙そうに言う。

 その点はテオも全く同感だった――リグの本心など、テオは一度も垣間見たことがない。

 いや、本心だけではない。彼女の全力とも、相対したことは一度もないのだ。


「……ということは、私はお手隙、かな……?」

「何いってんだい。邪魔な信徒を薙ぎ払う大事なお仕事が残ってんだろうに」

「あっはい」


 信徒、といってもただの人間ではない。麻薬漬けの壊れた人間だ。

 胸などを狙うのではなく、必ず機動力を奪うこと。でなければ彼らは動き続けるだろう。


「それを狙えるかっていうのも不安なんだけどなあ……」

「ご安心くだされ、リーネ殿」

「我々が必ずや足止めを果たしてみせましょうぞ」

「あっはい」


 リーネは聖堂騎士団員に言われて反射的に恐縮する。

 以前ならすっかり怯えて顔を青くしていたろうから、当時を鑑みればずいぶんな進歩である。


「後は、いつ迎え撃てるかが肝要でしょうが……」

「六時間ごとにユエラ様との連絡を。先ほど帰還したばかりですから、しばらく彼らが現れることは無いかと」

「……そうですね。予定していた通り、順番に交代しながら休憩を取ることにいたしましょう」


 ――というクラリスの指示に従い、十五人は迷宮内部での野営を続行した。

 大魔石がいくつか破壊された影響のためか、魔物の襲撃はさほど多くもない。

 多少の疲労を積み重ねながらも、休憩を取ることでそれを最小限に和らぎつつ、魔物からの被害もほとんど無傷で退けることに成功した。


 唯一懸念されたのは、迷宮深層にわだかまる大気中の魔素からの悪影響だが――

 これはリーネとクラリスが協力して結界を張り、大部分を緩和することに成功。

 探索しながらでは危険もあったろうが、一箇所で留まる限りは問題もない。

 物資は輜重担当の騎士団員たちのおかげで事欠かない。


 これで目標がやってこなければ、無駄な苦労をしただけに終わるところだが――

 異変は、およそ十二時間後に起きた。


 ◆


「反応があります。これは、魔素の塊のような……」


 不意にクラリスがぽつりと言う。ちょうど休憩時間だったリーネとフィセルが跳ね起きる。

 リーネは慌てて髪を掻き上げ、眼帯を着用。フィセルは盥一杯分の水をばしゃりと顔に浴び、「ッはぁ!」と実に景気良く覚醒を促した。


「魔物かい?」

「いえ。魔物よりもちいさな……」

「でしたら、答えは知れたところかと」


 フィセルが前に踏み出す。テオもその隣に並ぶがごとく一歩歩み出る。

 それぞれが滞りなく持ち場に着き、敵を迎え撃つ態勢を整えた。


 ――――瞬間。


「敵だッ!!」

「敵がいるぞォッ!!」

「異教徒は殺せェッ!!」


 それは――明らかに正気を失した集団だった。

 統一感のない装備、焦点の合わない瞳、人間として明らかに不自然な足取り。

 彼らは不明瞭な叫びをほとばしらせ、それでいて人間の筋力を逸脱したような早さで迫りくる。


 ――――が。


「構えよ!!」


 レイリィの号令一下、聖堂騎士団員は一斉にグレイヴを突き出す。

 相手方は槍衾へまともに突っ込む。一片の躊躇なく。


「リーネ、やっちまいな!」

「お願いしますッ!」

「了解だよ――――『灼き尽くせ』!!」


 それは、標的の機動力を刈る灼熱の鎌。

 無色の光条が、敵――イブリス教団の信徒を薙ぎ、その足を奪い取る。


 槍で串刺しにされてなお身悶えする彼らは、炎に焼かれてようやく身動ぎを止めた。


「ぐぅッ!?」

「こいつら、やるぞ――異教徒めッ!!」

「このことを戦士長にお伝えせねば……ッ!!」


 魔薬に脳を焼かれているとはいえ、一応の判断力はあるらしい。

 彼らだけでの対応は不可能と判断したか。


 フィセルがちらりと一瞥をくれると、クラリスは頷いて命令を発した。


「深追いはしなくても構いません。報告に戻ろうとも、戻らずとも、異変を察することには違いはありませんから」

「了解です」


 テオは淡々と応じつつも短剣を投射。

 背を向けた信徒の足首を地面に縫い付け、行動を阻害する。

 瞬間、騎士団員は彼に寄って集り、穂先を突き出して止めを刺した。


 死者は五人。こちらの被害はなし。

 想定より規模が小さいが、これはおそらく全隊の一部に過ぎないのだろう。

 状況を鑑み、クラリスは続けて命令を発する。


「戦闘状態を継続します。別分隊、あるいは首魁が近くあらわれるでしょう。警戒を厳にして下さい」

「――了解」


 誰にともなく静かに応じる。緊張した雰囲気が張り詰める。

 クラリスは全員を影響下に置く守護天使の祝詞を唱え、負傷をある程度和らげる効力を付与する。


 十五人はそれぞれに連携して動き、似たような編成の信徒たちを余すところなく殲滅した。

 同じ人間を殺すことに罪悪感が全く無いわけではないが、しかし、相手はすでに魔薬漬けなのだ――遠からず死は約束されている。

 なれば、自らの手で冥府に送りこんだとていずれは同じこと。

 十人以上もの信徒が槍の錆となり、肉を焼かれ、あるいは舞い踊る太刀捌きに晒されて切り刻まれる。


「しっかし、まぁ、ずいぶん統制が取れていないね」


 逐次的に戦力を投入するのは愚策とされる。が、迷宮探索においては分担して進んだほうが遥かに効率的なのも確かである。

 実際、イブリス教団はそのように探索を進めてきたのだ。


「――――、」


 と、その時。

 ぴくん、とテオの華奢な肩がかすかに震える。

 その反応を気取ったのか、フィセルも通路側に向き直った――微妙に通路の直線上から軸を外しながら。


 足音は聞こえない。闇の向こう側にその姿は見えない。

 だが、ほんのわずかな空気の流れ。人一人分の体積が動いた時の必然を、彼女らは感じ取っている。

 緊張感が皆へと伝播する。先ほどまでの信徒は必ず灯りを持っており、また、足音や装備の金具が立てる音も聞こえたものだが――


 今ばかりはそれが聞こえない。

 にも関わらず、全員がそれを知覚した。

 何かが、通路の向こう側にいる、と。


 刹那――――とん、とちいさく地を蹴る音がした。


「――肩をお借りします」


 瞬間、テオもそう言って歩みだした。

 一番近い騎士団員の部分鎧――肩を踏みつけにして飛翔。

 彼女は、通路の口から天井近くまで跳ね上がり、騎士団員の後方へ抜けようとしていた。


「槍をそのまま!!」


 レイリィが咄嗟に命令を発する。

 反射的に掲げればテオを突き刺しかねないのだ。おまけに着地時が隙だらけになるという危険もある。


「――――ハ」


 その時、彼女――戦士長リグは総員を眼下に収め、そして、中空のテオへ短剣で突きかかった。

 テオも短剣の腹で咄嗟に受け止める。投げ放つか否か、咄嗟に掴んだ判断が功を奏したのだ。


 ガキィン、と空間内部に響き渡る甲高い金属音。

 交錯は刹那の時間にも満たず、テオはリグの意図を防ぐことに成功。


 リグは弾かれるように地へ降り立ち、同時に槍衾が彼女の左右を囲いこんだ。

 遅れてテオも接地し、フィセルと共に並び立つ。


「数任せか。愚弟よ」

「人数の問題ではありません。リグ」


 彼女――リグは全身を黒い装いに包んでいた。身の丈は170suをゆうに越え、一つ結びの黒い髪はフードのうちから白い肌をかすめるように覗く。

 リグは自らの名を呼ばれ、かすかに眉をぴくりと震わせる。そして周囲を見るともなく見やり、テオの姿をちらりと一瞥した。


「――――少しは良くなったらしい」

「……こっちは眼中に無し、ってかい?」


 フィセルは切れ長の碧眼をにわかに細める。

 もっとも、先ほどの挙動からして、彼女の尋常ならざる力量は理解せざるを得なかったが。


 リグはその声に応じ、ぐるりと視線を渡し――そして、フィセルを見たところでちらと目を留める。

 注意を払うに値するものを見たように。

 あるいは、それ以外は等しく眼中に無いかのごとく。


「この状況でどう動くつもりだ」

「試してみるか。女戦士よ」


 少なくともリグは冷静そのものだった。全身鎧を身に着けているレイリィを、一瞥するのみで女と見極めたのだから。

 彼女がちいさく息を呑む。

 テオは逆手に短剣を握り、刺すような視線をリグに向けた。


「試すのはこちらです、リグ。あなたの全力を引きずり出して差し上げます」


 もはや状況は止められない。

 一瞬一瞬を争う戦いの中、クラリスにできるのは祈るのみ。

 最善はすでに果たした後なのだから。


「結構だ。――――ここで息の根を止めてやろう」


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