六十二話/それぞれの戦支度
「――――アルバートッ!」
公教会、地下独房。
クラリスはパタパタと足音を立て、いかにも忙しなく房内に駆け込んだ。
「……クラリス」
簡易ベッドに腰掛けた赤髪の青年――アルバート・ウェルシュは丸めた背筋を真っすぐ伸ばし、クラリスと向き合う。
「どうかしたのか。ずいぶん慌てて」
「い、いえ。こちらにいらっしゃるということを伺って。その、まさかとは思うのですが」
「あぁ。……例のことか」
アルバートはすぐ得心し、頷く。
今の彼は鎧でもなんでもない、無地の布服を身に着けていた。まるで病人のような様相だが、顔色などはさほど悪くない。表情なども正気の色を保っている。
「クラリス、あなたがそれを心配するのも当然だったな。俺の仕出かした事が事だ」
「――断じて、そのようなことは」
「いや、すまない。……卑屈になっているな。堂々巡りに陥ると、どうにもダメだ」
アルバートはちいさく頭を振ったあと、軽く自らの頬を張って顔を上げる。
やはり、と思う。彼は決して狂を発したわけではない。
彼が自らの妹――アルフィーナに劣等感を抱いているのは明らかだったが、それは時に彼の力を底上げもした。もっとも、それが悪い方向に作用することについてはクラリスも目をそらしていたふしがあるが――それは先日の事件で直視することを余儀なくされた。
「正直なところ、俺は俺の見たものが本物かについて全く確信を持てない。あまりに現実離れしているからだ」
「……現実離れ、という点については私も同感です」
クラリスは素直に頷く。
だが、アルバートの語る言葉はそれよりもさらに深刻だった。
「あれは俺が、俺自身の過ちを認めたくないがために生み出した幻覚なんじゃないか?」
「それは――それこそ、ずいぶん飛躍した考えでしょう」
「いいや。……あの時、ユエラを討伐しようとしたのは間違いだった……少なくとも、あれは間違った手段だった。そこに〈賢者〉を名乗る誰かがやって来てこういうわけだ。――今からでも汚名を返上せよ、とな」
「……成る程」
そう聞いてクラリスは得心する。
確かにそれは、あまりにも都合のいい展開と言えなくもない。
「彼は……クレラントはこうも言った。然るべき手柄を上げれば当主の座も夢ではない。なぜならばアルフィーナは当主の座を望んでいない、と。……事の真偽は問題じゃない。まるで俺の願望を反映したような話だ、とは思わないか?」
「気持ちは、理解いたします。それは、確かに……何らかの疑わしいものを感じても、仕方がないでしょう」
クラリスは静かに首肯する。
だが、アルフィーナが当主の座を望んでいないというのはさほど突飛な話ではなかった。
彼女は国外、あるいは領内からも出ることを許されていないという。将来的にも他家には嫁がず、婿を招き入れることになるだろう。
年頃の少女からすれば、それはあまりに窮屈な環境だ。幼い考えではあるが、誰かに放り投げることを願ってもおかしくはないだろう。――それを望む肉親がいるとなればなおさらに。
「そういうことだ。……だから俺は、俺の正気を信じがたい。仮に真実だとしても、あれが〈賢者〉クレラントだという証拠は何一つない。いや、彼の名を騙る偽物と考えたほうがよほどまともな考えじゃないか?」
「……アルバート。実のところは、ですが」
これを伝えるべきか。
――隠すべき理由はなにひとつ無いだろう。
「〈賢者〉クレラントの姿を実際に確認し、彼本人であると証言している人物が、一人います。……つまり、アルバート。あなたの目撃したものには裏付けが取れている。あなたの正気は、すでに示されているのです」
「そうだとすれば、ありがたいことだが……いや、待ってくれ。どこの誰が本人だと分かるんだ? 彼と同じ時代にいた人間なんて、生きているわけが――」
「……いえ」
アルバートは困惑げに言いつのる。しかしクラリスはちいさく頭を振って言った。
「ユエラ・テウメッサ――テウメシア。彼女本人が、あれは間違いなく〈賢者〉クレラントそのものだ、と証言されたそうです」
クラリスはそれをキリエ枢機卿から聞き、知った。
そして恐ろしいことに、それで辻褄が合う。合ってしまうのだ。
クレラントはユエラの正体を〈始原の悪女〉テウメシアであると語り――そしてユエラも、クレラントとは因縁浅からぬ仲であると認めたのだから。
「……馬鹿な」
アルバートにしてみれば、それは自らの過ちを正当化するために見た都合のいい妄想とでも思ったのだろう。
だがそれは現実だった。現実であることは、当のユエラ本人によって証明された。
――――極めて皮肉なことに。
アルバート・ウェルシュの正気は、ユエラ・テウメッサの証言が保証するものであった。
「……怪物共の自作自演に巻き込まれているような気分だよ」
「残念なことに、彼らの対立は明白です。……もし相討ちになれば最善、でしょうが……いえ、それにしても甚大な被害をもたらすことは間違いないでしょうね」
どちらかに与せば影響を与えることは可能だろうか。
クラリスには想像もつかない話であった。
「……キリエ枢機卿は存じているのか?」
「無論です。キリエ枢機卿が現在、この件について最も多くを知る人物でしょう」
ユエラ・テウメッサを除いては、だが。
それだけを聞くとアルバートは静かに頷き、そして疲労感のままに背を丸めた。
「……なら、出る幕はないな。俺はここで大人しくしていよう」
アルバートは意外と素直にそう言う。卑屈になっているというわけでもない。
「……落ち着かれましたね。アルバート」
「少しは。……だが、アルフィーナをダシにされたのは痛かったな。あれは揺さぶられたよ」
アルバートは苦笑いしながら語る。だが、以前はアルフィーナのことを言葉にもしなかった彼のこと。落ち着いた、というのはクラリスの贔屓目もあろうが。
「だが、彼はいささか直裁的すぎる。そのせいで俺は、彼を信じようという気にはなれなかった。……心を揺さぶることにかけてはユエラ・テウメッサが一枚上手のようだな」
「遺憾ながら、同感です」
事実上の和解を経てはいるが、ユエラが危険な存在であることに変わりはない。
二言三言の挨拶を交わし、クラリスは背を向ける。そこにアルバートが声をかけた。
「ありがとう、クラリス。……俺にそのことを伝えたら、また飛び出していくとは思わなかったのか?」
「それなら、彼に誘われた時に飛び出していたでしょう。……自らの正気を疑う程度に正気である内は、私としては信頼に値しますよ」
ですから、それが他の人にも伝わるように振る舞ってくださいな――
クラリスがそう言って踵を返すと、アルバートは苦笑しつつもはっきりと頷いた。
「あと、エルフィリアのことを少し構ってやってくれないか。まだ俺が隣の部屋にいると思っているとか小耳に挟んだんでな」
「そんな哀れなことになってたんですか……」
最後の一言に、クラリスは思わず悲哀を禁じ得なかった。
◆
裏通りを調査した日から早くも三日――――
順当に〈封印の迷宮〉攻略は進んでいたが、フィセルは久しぶりにユエラ邸を訪ねた。
当然ながらゆえあってのことである。
フィセルが入り口の扉をこんこんと叩く。と、少ししてちいさな足音が中から聞こえた。
ぎぃ、とかすかな音を立てて木扉が開かれる。
「おお、誰かと思うたら。フィセルかえ」
「ご無沙汰してるよ。……テオは?」
「あやつは修行中でな。ちょいと本気でやっておってのう。一皮、二皮は剥けたと思うぞ」
「……何か心機一転することでもあったのかい?」
「色々あってな。まぁ、玄関で立ち話というのもなんであろう」
ほれ入るが良い、と手招きされてフィセルは邸内に入る。
二人は石造りの階段を降り、地下一階へ。中心に位置する広間へ入ると、そこにテオの姿があった。
フィセルが一歩踏み入ると、テオは即座に吸息して彼女に向き直る。目を見張るような切り替えの速さである。
「――何やら久し振りのように思われますね、フィセル。ユエラ様の目が届かぬうちも十全に貢献なさっておられましたか?」
「あんたは相変わらずみたいだね……修行なんて、どういう心境の変化だか知らないけどさ」
「何が何でも叩き殺せとユエラ様直々の至上命令を頂いた相手がおりまして、日々精進をと」
「……何したんだいそいつ?」
「私の師です」
へぇ、とフィセルは頷く。しかしどうにもピンとこない。
ユエラがそこまで殺意を傾けることなど滅多にないだろう。
フィセルが視線を向けると、ユエラは少々言いづらそうに、
「……テオの心を私以外に傾かせた罰であるよ」
と、大真面目な顔で言った。
「嫉妬かい」
「直球で言うでない!」
「結構、真剣に入れ込んでるんだね。意外だったよ」
フィセルがそう言うと、ユエラはにわかに頬を赤く染める。
クラリスの情報によれば、彼女は〈賢者〉クレラントとすら面識があるらしいが……そんな年の女が、テオのような少女に入れ込むというのはいかがなものか。
いや、案外、子どもが愛しい母親のような心境なのかもしれない。フィセルは一人で勝手に納得する。
「それで、フィセル。用がなければ訪れもしないような不敬者のあなたのことです。今日も何かしらユエラ様への用向きなのでしょう?」
「何回も協力してるのに不敬ものは無いんじゃないかい? ……まあ、そうなんだけど」
「でしょう」
そう、本題である。
三人は気を取り直してリビングへ。何も地下で話しこむことはあるまい、というテオの計らいだ。
「ちょーっと報告しなきゃいけないことがあってね。攻略の進捗だよ」
「そういえば聞いておらなんだな。順調かえ? リーネは死んでおらんだろうな?」
「首輪付けてんだから知ってるだろうに」
「冗談だ、ちょっとした冗談。……それで、実際のところはどうなんだ?」
ユエラが幼気な表情を引き締めてみせると、フィセルはちいさく頷いて応じる。
「まず私らの進捗に問題はない。八十八層の攻略を半ば終えて、明日には八十九層、あわよくば九十層を狙えるか――ってところだね」
「ふむ、結構滞りなく進んでおるようだな。実際のところ、どの程度の危険があるのかのう。私には今ひとつぴんと来んのでな」
「一度は同行してみたら良いのに」
「えぇー……」
フィセルが提案すると、ユエラは露骨に嫌そうに顔をしかめる。
趣味であちこちほっつき回ったりはするくせに、なぜ迷宮だけはそんなに面倒臭がるのか。ここまで来たら筋金入りである。
「……実際のところ、魔物の強さは頭打ちってところだよ。なにせ内部構造が狭いからさ、沸く魔物にも限りがあるんだろうね。それより、下に行くほど広くなっていくのが厄介かな」
「それを聞いて余計に面倒臭さが増したんじゃが?」
「気持ちはわかるけどさ」
代わり映えのない景色に加え、代わり映えのない外敵。著しく精神力を消耗する環境であることは間違いない。当初は消耗が激しかったリーネもだいぶ慣れてきたが、体力のほうは一朝一夕で身につくものではなかった。
「それで。順調、というだけの報告ではないのでしょう」
テオは今しがた淹れたてのお茶を二人に差し出しながら言う。
ユエラにはともかく、何もフィセルにまで気を使うこともないのだが、「ユエラ様の従者として主に恥をかかせるわけには参りませんので」と言う。客のためではないところが実に彼女らしい。
「まあ、その通りだよ――――教団の連中が九十層に達した。〈攻略拠点〉が設置されてたんだ」
「先を越された、というわけかえ」
「そう。またしても、というのも何だけどね」
フィセルはそっとカップを傾けながら言う。
スタート時点で一足先を行かれているのだから無理もない。とはいえ、仕方ないで済ませて良い話でもないのが実情だ。
「今日明日中にすぐ、ってことは無いだろうけど。……近いうちに動きがあると思うよ、奴らの」
「警戒はしておるよ。警戒網は張っておるがな――なにせほれ、テオの師こそはあやつらの幹部格だからな」
「……そういえばそうだったね」
「忘れとったろう」
「正直」
フィセルから見れば、テオは当初からユエラの従者だったのだ。そもそもの所属はイブリス教団だった、などという情報はすでに忘却の彼方である。
「であるから、なんとかして攻略を進めて欲しいのだがな。ただでさえ厄介なやつがおるのだ、これ以上魔王だのなんだのに横槍を入れてもらいとうはない」
「無理を言ってくれるね……それなら人員の補充が欲しいところなんだけどね。それも、まともなやつを」
なんならあんたでもいいんだよ、ユエラ――と。
フィセルがそういうのにも、ユエラはゆるゆると首を振った。
「……この期に及んで面倒くさいなんて理由じゃないだろうね?」
「……あやつらが真っすぐ私を狙いおるならそれも良い。だが、私以外の誰かを狙ったらどうだ? その時、もし私が迷宮なぞにおったら? ……間に合わなかった、では済まされぬぞ?」
「――まさか、そんなことまで……」
「ありえぬとまでは言えんさ。今となってはそれなりに協力者もおるからな。……現にあやつはアルバートに接触した。それはつまるところ、やろうと思えば他のものにも接触できるということであろう」
――確かに、可能性としてはあり得る。
〈賢者〉とまで称される男が、果たしてそれを実行するかという疑いはあるが。
「まぁ、今回はアリアンナにまで被害が及ぶことはなかろうよ。あやつを戦力に数えることは難しかろうからな。私に師事してはおるが、つまるところそれだけの関係に過ぎん」
「……前みたいなことがあったし、今ひとつ信用ならないんだけど?」
「仮にも一度は私に勝ったやつだ。手段は選ばんだろうが馬鹿ではあるまいさ。もっと割の良い標的を選ぶであろう」
一度目。それはすなわち千年前のこと。
フィセルがユエラの正体を知ったのは今回の件がきっかけだった。当初からユエラと親交のあるフィセルだが、彼女の正体については皆目知らなかった。
そして、分かったからといってどうということもない。
〈始原の悪女〉〈災厄の神狐〉などとあだ名された化け狐、テウメシア。それがユエラの正体であろうと知りながら――フィセルにとっては全くどうでも良かった。
お互い利用し、利用される間柄。相手の詮索はしない。フィセルにはそれで良い。ユエラもそれで満足するだろうから。
「割の良い標的。――――スヴェンかい」
「うむ。キリエの線も有力だがな」
ユエラの示唆に、フィセルはすぐピンときた。
スヴェン・ランドルート。あるいはキリエ・カルディナ。二人は共に迷宮街有数の権力者で、そして割合ユエラに友好的だ。
ユエラ――テウメシアの後ろ盾を剥がすという意味でなら、これほど有効な一手はない。その後に〈賢者〉の威名を利用すれば、ティノーブルそのものをたやすく掌握できるはずだ。
「……スヴェンもキリエも護衛には事欠かん。私が駆けつけるまでの時間稼ぎくらいは難しくなかろう。私が地上に留まっていれば、の話だがのぅ」
「ちゃんと護ってやろうってのかい? 意外と殊勝じゃないかい」
否――殊勝などというものではない。
〈災厄の神狐〉テウメシア。ユエラが確かにそうなのなら、彼女の振る舞いは全般的に善良であるとすら言っても良い。
悪逆非道、残虐無道、悪を悪とも思わぬ傾国の美女にして悪女。その美しさと頭脳は大陸全土にさえ轟き、遍く国々を戦乱の坩堝に追い詰めたという。
その言い伝えが確かならば、なるほど、〈賢者〉とやらが躍起になっていてもおかしくはないだろう。
「まぁ、死んだらその時はその時なんだがな。的は絞っておいたほうが良かろう? 間に合わんで逃してしもうたら話にならん。それならついでに助けてやるに越したことはない。――なにせ恩が売れるからな!」
「この状況でもまだ現金でいられるのは才能だよ、正直」
「当たり前であろう。なにせ私は死なぬからな。先の先の先のことも考えておかねばならん」
ユエラは遠慮なく音を立てながら紅茶をすする。「流石ユエラ様、ご慧眼で御座います」などとテオが合いの手を入れる。本気の賞賛なのか冗談交じりなのか、フィセルはたまに分からなくなることがあった。
「というか、私の正体を知ったのであろう。ようついてくる気になったな?」
「別に。あんたの力の危なっかしさなんてさんざん聞かされたし、見せられたからね――今さらだよ、今さら」
フィセルはひらひらと手を振る。
力を借りられるのなら、悪魔であろうが何であろうが構わない。以前アルバートに向けて言った言葉は今も変わっていない。
そしてユエラは悪魔なんぞよりもはるかに強大で――悪魔よりはよほどサポートが充実していた。
「まぁ、ユエラの考えはわかったよ。それに、なんで迷宮に行きたがらないのかも」
「行きたくないのは本当に行きたくないんだがの」
「だろうとは思ったけど……」
フィセルは思わずというようにため息。
クラリスと一緒の時はまだしもフィセルのほうが破天荒なのだが……ユエラを前にすれば、それもすっかり形無しだった。
「……ねぇ、思ったんだけどさ、ユエラ」
「ん」
「そろそろユエラ様と言ってはどうなのですフィセル」
「むしろあんたが少しは砕けたらどうだい、テオ」
先の、先の、先。その言葉が、ふと頭の中で引っ掛かった。
口を挟むテオを受け流しつつ、フィセルは何の気なしに言った。
「あんた、そんな形だけどさ、本当はとんでもなく長生きってこったろう?」
「うむ」
「死んだことがある、ってわけでもないんだろう?」
「……そうだ。以前は魂を追放されただけだからな。死んではおらん」
「なら、つまり……私らが死んだあとも、あんただけはずっと生きているってことかい?」
瞬間。
緩い笑みを浮かべていたユエラは、ほんのかすかに表情をこわばらせる。
それはあまりに微細な変化だった。達人級の剣士であるフィセルでなければ気づけないほどの。
「……ああ、」
と、ユエラが答えかけた瞬間。
彼女の反応をはるかに超えて、激烈な反応を起こした少女がいた。
「――――……、」
言葉もない、とばかりに拳を握りしめるテオ。
彼女は心理的な盲点を突かれたように細い肩を震わせ、瞑目する。
「……テオ?」
フィセルは思わず目を開き、呼びかける。
しかしテオはそれに応じず、ふと零すように呟いた。
「ユエラ様」
「うむ」
「私は……ユエラ様の永い生のうちの、ほんの一時に付き添うばかりに、過ぎぬのですね」
「おまえが人の身である限りはな。……だが、私はそれで良い。私は、人としてのおまえを気に入っておる」
「――――私には、あまりに、過ぎた言葉でありましょう」
テオは跪くようにして頭を垂れる。
ユエラは彼女の髪をくしゃくしゃと撫でるように掌でかき混ぜる。
そうしながら、ユエラはじとりとフィセルを睨めた。――こうあっては自覚せざるを得まい。
「……よろしくないところに触れちまったみたいだね……?」
「いずれは気づくことであろうからな。そして、それで良かろうよ。無理に突きつけることもあるまい――ほれ、テオ。死を恐れるにはまだ早すぎるぞ?」
ユエラがけらけらと気軽に笑ってみせると、テオは気を取り直してこくりと頷く。
「……お見苦しいところを申し訳ありません。なにぶん、私自身では思い至らなかったことですから。どうか御心配なさりませぬよう」
「くくっ。達観するにもいささか早かろうがな。なんならおまえの子の名付け親になってやっても良いし、死に水も私が取ってやろうさ」
「いえ、私はユエラ様の御子しか身籠るつもりはございませんので」
「……テオ、おまえ……」
「いかがなさいましたか」
「……なんでもない。いや、今夜は私の閨に来い。ちょいと話さねばならんことがありそうだからな」
「――? かしこまりました」
フィセルの眼前で当たり前のように狂った会話が繰り広げられる。
テオは幼少の頃からイブリス教団に属していた。となれば……まともに性教育を受けていなくても不思議ではない。
だが、そんなことよりも。
――――これ以上、痛いところに触れるつもりも無いけどねえ。
フィセルの目には、テオよりもユエラのほうがいくらか無理をしているように見えた。




