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お狐さま、働かない。  作者: きー子
公教会事変
40/94

四十話/悪鬼羅刹の救出劇

 公教会支部、地下一階。

 ここに警備の傭兵たちはほぼいない。代わりにこの階層を巡回するのは主に司教が抱えこむ私兵――すなわち、ヨハン司教の進退が自らの将来に直結する者たちだ。

 必然、兵としての士気は傭兵たちよりも遥かに高い。思想的にもヨハン司教を筆頭とする急進派の同調者でもあるため、命を賭けて戦うことも厭わぬだろう。


 ――――だが。


「昇天せよ、神の身許へッ!!」

「ぎゃあああああッッ!?」


 真っ先に地下へ突入したのは青年祓魔師、アルマ・トール。

 彼は僧兵と会敵するやいなや、手に持ったメイスを全力で叩きこんだ。

 鋼鉄の面頬がへこむほどの打撃を受けて倒れこむ敵僧兵。アルマはさらに顔面を殴って確実に止めを刺しながら突き進む。


「アルマ祓魔師殿、突出は避けるように!」

「先行して斥候に務めます、構いませぬか!」

「……わかった。許可する。ただし、範囲はこちらの視認できるかぎりだ。良いな」

「はっ!」


 後続は聖騎士長レイリィを筆頭に、聖騎士七人と祓魔師二人が続く。彼らは前後の警戒を怠らず、しかし順調に足を進めた。


 ――それというのも、アルマの鬼気迫るほどの奮闘ぶりが大きかろう。

 敵はとっくに侵入者に気づいているはずだ。あれだけ盛大に叫び声を上げているのだから。


 しかしそのせいか、敵はかえってこちらの戦力を見誤った。

 敵が数人がかりで迎え撃とうが、こちらの戦力は十人以上なのだ。蹂躙するのはあまりにも容易い。


「……ここにも。ここにも。ここにも、ここにもおられぬ……!」


 アルマは独房一つ一つを順繰りに確かめる。

 枢機卿の独房ともなれば守りは堅いはずだが、彼はそこに考えが至らなかった。


「落ち着きたまえ。もう近いはずだ」

「……はっ」


 応答が素直なのは救いであった。聞き分けのない猪突猛進では目も当てられない。

 地下一階は中心に巨大な石柱がある回廊構造。道は細く、ぐるりと一周すればいつかはキリエ枢機卿の独房に行き当たるはずだった。


「――――……!」


 と、その時。

 これまで勢い良く進んでいたアルマが、道の角に突き当たったところでふと足を止めた。

 息を呑み、言葉も無い。メイスを握り締める掌に強い力をこめる。


 レイリィはそのただならぬ様子を気取り、手招きする。一度戻ってこいということ。

 この階層の構造上、どのような相手だろうが回りこんで挟み撃ちにすることもできる。無理に急ぐことはないのだ。

 ――――が。


「そこにいるのだろう。隠れずに出てきたらどうだね」


 角の向こう側からこだまする重い声。

 その声に応えるまもなく、男はすぐさま二の句を告げる。


「出てこないというのなら、私から行かせてもらうところだが?」


 その瞬間、アルマは決断的に脚を進めた。

 やむを得まい。レイリィは配下の聖騎士を回りこませ、自らはアルマの元に合流する。


 アルマが対峙するは浅黒い肌の禿頭の男。

 長身のアルマよりもなお上背があり、フードに覆われた顔の右半分には奇妙な紋様が刻まれている。白い法服に覆われた身体は筋骨隆々として逞しい。

 レイリィは彼の姿に見覚えがあった。


「……グロース司教殿」

「然り」


 男――グロース司教は鷹揚に頷く。

 迷宮街に八人いる司教の一人。彼はとある閉ざされた独房の前に立ちはだかっていた。


「ここにいるのは、あなた一人か?」

「そうだ。彼らでは、君たちを止めるには少し荷が勝つようだからな。それならばヨハン司教の護衛にでも回ってもらったほうが良かろう」


 グロースは淡々と言いながら片手にメイスを握る。

 まさか司教位が直々に出張ってくるとは思いもしなかった。グロース司教は武闘派の司教として知られており、実力は決して低くないはず。


「降参なさい。この数を相手に勝てるとでもお思いか」

「さて、わからぬぞ? 今でも鍛錬は欠かしておらんのでな」


 レイリィの記憶が正しければ、グロース司教は第一次迷宮遠征に際して迷宮街に居着いたという古参の戦士。

 カルト教団との度重なる抗争もくぐり抜け、鍛え抜かれた肉体は彼の言葉が偽りでないことを物語っていた。


「なんなれば、まとめてかかってきても良いが? あるいは、援護を待つのも良いか……」


 グロースは低い声で笑う。回りこんでくることも見抜いているのか。いずれにせよ、彼を破らねばキリエ枢機卿を救い出すことはできない。

 レイリィは意を決して前に踏み出し――――


「俺が出ます」

「……な」


 レイリィが足を着くより早く、アルマは堂々と歩みだした。

 一切の感情の色がうかがえない声。


「待て、アルマ殿。相手の実力は未知数、甘く見ては……」

「問題ないです。俺がやります」


 彼はかすかな声で詠唱を完了させ、グロースと対峙する。


「良いのかね、若造よ。あまり私を甘く見ないほうがいい」

「……どうしてもと言うのだな。アルマ殿」

「はい。お願いします」


 アルマははっきりと断言し、メイスをゆっくりと構える。


「……わかった」


 レイリィは頷き、アルマの様子をちらりとうかがう。

 そして彼女は息を呑んだ――彼の浮かべた表情に。


 アルマの声は感情の色を無くしていたわけではない。

 努めて押し殺していたのだ。溢れ出すような怒気の奔流を。


「一人で来るのかね? よろしい。では、指導して差し上げるとしよう。もっとも、命の保証はできんがね」


 グロースは顔半分を覆うフードを払い、体の正面にメイスを構える。

 対するアルマは声もない。両手でメイスを強く握り、頭の上に高く掲げ――石畳を蹴るように飛び出した。


 刹那、レイリィは彼の全身に魔素が取り巻くのを垣間見た。


「――――昇天せよッッ!!!! 神の身許へェェェェッッ!!!!」


 ごきゃっ。


「ぶげッッ」


 アルマは一瞬にしてグロースとの距離を詰め、メイスを首の横に叩きこんだ。

 首の骨が一撃でへし折れる。グロースは無様な声をあげながらもんどり打ち、糸が切れた操り人形のように倒れ伏す。


「はーッ! はーッ……!!」


 アルマはさらにグロースの遺体を何度か叩く。致命的な臓器をいくつか破壊し、メイスを壁に叩きつける。こびりついた肉片と血飛沫を擦り落とし、彼はゆっくりとレイリィに振り返った。


「終わりました。行きましょう」

「……ああ」


 レイリィは思わず表情を引きつらせながら頷く――兜をかぶっていて良かったと心底思う。

 血塗られたアルマの無表情。それは他の祓魔師たちさえも絶句するような光景だった。


 ◆


 アルマはさっそく独房の鍵を叩き壊す。強引に扉をこじ開ける。

 中の光景を目の当たりにし、アルマは言葉を失った。


 独房内にいる人物はただ一人。

 普通に考えればそれが誰かは明白だが――アルマは一瞬見紛えた。

 否、アルマでなければ彼女が誰かも確信しかねたろう。長年、彼女の傍に仕え続けたアルマだからこそ分かったのだ。


「枢機卿猊下ッ!」


 アルマは息せき切って変わり果てた彼女――キリエ枢機卿の元に駆け寄る。


 彼女は天井から宙吊りにされていた。両腕はだらんと伸びきったまま、白金色の髪はぼさぼさにほつれている。うつむいた顔には生気がなく、肌を包むぐしょ濡れのローブには数え切れないほどの傷がある。


 こっ酷く責め苦を与えられたことは疑いようもない。

 頭から何度か水をぶちまけられたのか、足元はまるで水たまりのよう。

 彼女はぼんやりと緩慢な動きで顔を上げ、焦点の合わない眼で前を見た。


「……ぁ゛……?」


 掠れた声。苦痛の悲鳴を上げ続けていればそうなるのも当然。

 アルマは怒りを押し殺しながらキリエの拘束を外していく。


「レイリィ聖騎士長、どうかお願いいたします」

「もちろんだ」


 アルマが彼女の身体に触れるのは大変な不敬に当たる。

 レイリィはよろめくキリエをしっかりと抱き留める。濡れた身体をサーコートで包み、硝子でも扱うようにそっと抱き上げる。


「……体温が少し下がり過ぎだが、脈はしっかりしておられる。……春だったことが幸いした。猊下の命に別状はない」


 レイリィがキリエの容態を確かめ、告げる。と、アルマは思わず深く安堵の息を吐いた。


「……ある、ま……?」


 その時、キリエは茫洋とアルマのほうを見る。

 あるはずがないものを見たかのような、ふやけた表情。


「はい。私です、枢機卿猊下。お迎えするのが遅れ、申し開きの次第もございません。ですが、もうご安心ください。このまま、レイリィ聖騎士長が安全なところまで運んで下さいますので」


 アルマは深々と頭を下げる。

 そう。キリエ枢機卿に脱出を命じられたその時から、アルマはこの時のためだけに行動した。もし救出に失敗すれば、彼女に殉じるという覚悟で。


"必ずや迎えがあることでしょう"――彼の決意のもとに放たれた一言は、今、実を結んだ。


 しかし、キリエはか細い声で言う。


「……わたしに付き合う必要も、付き合わせるつもりも、ない。……そう、申し上げたはずでしょうに……」

「っ……で、ですがッ!」


 確かにアルマは彼女の命令に背いた。

 そして、無事に功を奏したのだ。ならばそれで良いではないか。


「……こんなところまできて……怪我をして……」

「お、お言葉ですが、これは私の怪我ではありません。問題ありません。私はあなたの護衛としての役目を全うしたまで!」


 そう告げると、キリエは一瞬きょとんと目を丸くする。

 レイリィに抱かれたまま、彼女のか細い指先がそっとアルマの顔を撫でた。

 白い指先が返り血を掬い取り、そして得心がいったように頷く。


 その時、アルマは彼女が眼鏡をつけていないことにようやく気づいた。彼女の素顔を目のあたりにするのはこれが初めてのことだった。


「……そう、でしたか。……ありがとうございます、アルマ。……わたしは、あなたが、そうも慕ってくださったことを……ほこりに……おもい、ます……」


 キリエはぽつぽつと切れ切れに言葉を紡ぎ――そして、不意にかくんと弛緩した。


「す、枢機卿猊下!?」

「落ち着きたまえ、アルマ殿。……眠っておられるだけだ」


 レイリィは冷静にアルマをたしなめる。


 言われてみればその通り。

 キリエ枢機卿は胸を緩やかに上下させて眠っていた――ろくに眠ることも許されなかったに違いない。その眠りを妨げるのはあまりに酷である。


「……さて、アルマ殿。安心するにはまだ早い。我々はキリエ枢機卿猊下を安全な場所にまでお護りしなければならない。再び斥候を願えようか?」


 レイリィは声を小さく抑えて告げ――アルマは是非もなく頷いた。


 彼らは再び聖騎士たちと合流、建物内からの撤退を開始。

 もっとも、出入り口までの障害はそう多くない。傭兵や私兵の類はあらかた排除し終えた後だ。

 残された懸念事項はただ一つ。


 エルフィリア・セレム。

 彼女の進退のみである。


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