三十九話/二騎駆け
テオは地に足を着けた刹那、すぐさま片手の短剣でエルフィリアに突きかかった。
「お覚悟を」
「くっ……!?」
エルフィリアは突然の攻撃に対応し切れない。咄嗟に手甲で刃を受け、横に捌きながら彼女自身は飛び退いた。
テオも合わせて一歩退き、もう一振りの短剣を懐から抜き放つ。右手は順手に、左手は逆手に――二刀持ちの構えである。
「て、テオさん――」
「危ういところでした。ユエラ様のものがユエラ様の断りなく勝手に死ぬようなことがあってはなりません。今はあなたもユエラ様の指揮下にあることをご自覚なさって下さい」
テオは常のごとく狂信者の熱狂を帯びた眼でクラリスを一瞥。
エルフィリアは二人を見渡し、すぐさま新たに矢をつがえた。
「……あーあ。二人相手じゃ、ちょっと厳しいかな……」
エルフィリアはテオを一目見てその力量に勘付いた。
ただの短剣投擲で魔力の矢を床に射止めてみせたのだ。彼女がただの従者であるはずもない。歴戦の探索者であるエルフィリアにも匹敵する実力者。
テオはエルフィリアを前に淡々と言い放った。
「何を勘違いされておられるのです? ――あなたは私一人で十分です」
「……言うじゃない。あたし、これでもアルバートさまの第一の従者なんだけど」
「奇遇ですね。私もユエラ様の誇る第一の従者で御座いますとも」
「あのちびっ子が何様よ?」
「そのちいさな娘に右往左往されておられるのはどなたでしょうね?」
熾烈な煽りと殺意のやり取りを繰り広げる二人。彼女らを取り巻くように渦巻く魔素も相まって、とても余人が割って入れる状況ではない。。
テオはちらりとクラリスを一瞥して告げる。
「判断して下さい。クラリス。枢機卿猊下の救出に向かうか、上へ向かうか」
「……上?」
「はい。フィセル一人では少々荷が勝つかもしれません」
その一言でクラリスは状況を察した。
フィセルとアルバート。あの二人が立ち会っているに違いない。
「――上へ、行きます」
「結構。では、隙を見て抜けて下さい」
――キリエ枢機卿の救出については聖騎士長を信じるべきだ。
クラリスは即座に決断した。大廊下の赤絨毯が連なる先、大広間の螺旋階段を視界に捉える。
「勝手なこと言ってないでよ。あたしがそれを見過ごすと思――ッ!?」
「行かせますよ」
エルフィリアが言いかけたその時、テオは地を滑るように彼女の懐へ潜りこんだ。
順手持ちの右で斬りかかる――エルフィリアは左手甲でそれを受ける。
テオはすかさず逆手の左で切り上げる。エルフィリアはそれを捌き切れず、飛び退きながらも腕に一閃を刻まれる。
「くっ……!」
「どうぞ私に集中してください。――でなくば、終わらせます」
テオの言葉は脅しでもなんでもない。
一度は捌かれた右の短剣を引き戻し、横薙ぎ。エルフィリアはそれをわずかに下がって躱し、至近距離で矢をつがえる。
テオはその直線上に立たないよう動き、掠めるように矢を躱す。通り過ぎた矢と入れ違いに接近し、左右両手を同時に振り下ろす。
「……はっ!」
エルフィリアはすかさずバック宙回避。空中で跳ねながら矢をつがえ、頭上からテオに狙いをつけた。
完全に人間を逸脱した機動。解き放たれた矢がテオの頭上を目掛けて飛ぶ。
しかしテオは人智を逸した超反応でそれを斬り払う。真っ二つに断たれた魔力の矢は力を失い、立ち枯れるように地に落ちた。
――――寸分の油断をも許さない交錯の最中。クラリスは二人の横を駆け抜け、無事に大広間へ到達する。
エルフィリアはその姿を視界に捉えながらも、やむを得ず見送るほかなかった。
「――――テオさんッ!!」
「なんです」
「……できれば、生かしたまま捕縛をッ!」
「善処致しましょう」
クラリスが言い残した言葉に応じ、テオはエルフィリアと数歩の距離を置く。
エルフィリアは床に降り立つとともに残心。すかさず魔力の矢を形成し、弓弦につがえる。
「……本気なの、あんた?」
「ユエラ様ならいかようにも利用価値を創造されるかと思われますので」
その言葉を聞き、不快そうに眉根を寄せるエルフィリア。
普通なら生きたまま捕縛できるかどうかを考える。にも関わらず、テオは当然のように可能と考えているのだ。これで不愉快でないわけがない。
「……信じがたい甘っちょろさよね。あんたも、あんたのご主人さまも――クラリスも」
「ユエラ様も、彼女のそこを気に入られたのでしょう」
テオは淡々と応じつつ、冷静に彼我の間合いを測る。
瞬間、エルフィリアは分かりやすいほど苦しげに表情を歪めた。
――共感したくもない相手に共感を覚えてしまったかのような、苦痛の面差し。
「そうね。あたしもきっとそこに惹かれてたんだ。……なのに」
その人間性を逆手に取るような方法で、彼女はクラリスを殺そうとした。
あるいは、殺さずに済んだのは彼女にとっても幸いだったのか。
「……いいよ。あんたがそのつもりなら、殺す。あんたも、騎士どもも、みんな殺す。あたしとアルバートさまの邪魔をするやつは、みんな殺して――――クラリスにも、帰ってきてもらうんだから」
エルフィリアの透き通るような碧眼が狂熱を帯びる。
彼女が飛び退くとともにつがえた魔力の矢が引き絞られ、
――――まるで私を見るよう。
テオは飛来する矢を無言で迎え撃った。
◆
時は少し遡る。
「どっちから行く」
「真ん中から行きましょう。擦れ違いになっては笑い話にもなりません」
「良いね。合わせるよ」
「――では」
フィセルとテオ。
二人の超人はあらん限りの魔素を引き連れ、死兵を踏み出しにして跳んだ。
至らしめるは公教会支部の地上二階に相当する高層。テオは凹凸が目立つ白亜の壁面に脚をかけ、侵入経路を見定める。
「……うまいもんだね」
「二度目ですので。――魔術に巻き込まれませぬよう」
「ははっ。そんな馬鹿はやらないさ」
テオの後にフィセルが続く。二人は軽々とわずかな足掛かりを飛び渡り、目星をつけた窓の前に到達した。
途中、邪魔は入らなかった。リーネ隊が丁寧に矢隙間へ圧力をかけていたからだろう。吹き荒れる炎熱や吹雪の猛攻は中々ゾッとしない光景だった。
「では、失礼しまして」
懐から短剣を取り出し、柄尻を窓に叩きつける。
がしゃんとけたたましい音を立ててスタンドグラスを叩き割り、テオはすかさず屋内に飛びこんだ。
「――お邪魔いたします」
室内を見渡せば傭兵四人。
テオは彼らが反応するより早く柄尻で殴り飛ばし、脳天を蹴り上げ、迅速に意識を刈り取った。
反対側ではフィセルが淡々と残り二人を処理している。長剣を抜くまでもなく手刀と足蹴で片を付けていた。
「余裕ですね」
「雇われもんを殺したってしょうがないさ。奪うなら持ってるところから奪う方が良い」
「同感です」
飛びこんだ部屋はいかにもな宗教施設の装い。告解室の類だろう。
今は司祭の一人もおらず、傭兵が巡回を続けるばかりだった。
「一気に行くかい?」
「ええ」
「……テオ、あんたはどっちがいい?」
「フィセル、あなたのお好きなほうを」
「じゃあ、私は上だ」
「では、私は下を」
手短に淡々と言葉を交わし、身を低くして告解室――長椅子と長椅子の間を駆け抜ける。
「げっ……!」
「し、しんにゅう――ぶげぇッ!!」
すり抜けざまに巡回の傭兵をぶちのめし入り口へ到達。
フィセルが閉ざされた扉を蹴破り、転がり出るように二階の廊下を踏み締める。
「敵襲ッ!!」
「れ、連絡をッ――」
周囲にはやはりというべきか、嫌というほど傭兵がうろついていた。
テオは上り階段のほうへ駆け出した傭兵の背中に短剣を投射。彼はそれをまともに受け、前のめりに倒れたまま動かなくなった。
「各自、動かないでください。動けば殺します。その場で伏せて武器を捨てて下さい。さもなくば投降の意志なしと見なします。投降して下さい。さもなくば死を。ユエラ様の名のもとにおいて崇高な死を――」
「あー、戻ってきな」
「失礼」
フィセルのお叱りを受けてテオは咳払い。
しかし威圧効果は抜群のようだった。何人もの傭兵がその場で蹲り、手にしていた武器を打ち捨てている。
「おい、あいつ、〈皆殺しの〉じゃねえか……!」
「早く武器捨てろ、敵うわけねえ!」
「お、おう……」
幸か不幸か、知る人ぞ知るフィセルの異名も役に立った。彼女の悪名はいよいよ高まってきたらしい。
それでも立ち向かう男たちは命知らずの無鉄砲か、街の有力者に忠実な猟犬か。
フィセルは長剣を抜き放ち、接近する傭兵の男へ一閃する。
「がッ……!?」
一太刀の元に分かたれる上半身と下半身。
その業前もさることながら、顔色一つ変えず人間を斬り殺したという事実に傭兵たちは戦慄した。戦意を残していたものすらも武器を打ち捨てて降伏するほどに。
「……多いね。拘束するのも面倒ったらありゃしない」
「逃げたらばそれはそれで良いでしょう。それよりも……」
傭兵たちは飽くまでもこの場を維持するだけの警備要員に過ぎない。いなくなるならそれはそれで構わない。
二人が時間を割くべきは他にある。
「では、ここで分かれましょうか」
「ああ。……どちらかが空振りだったらもう一方のほうへ向かう。それでいいね?」
「問題ありません。では――――」
テオとフィセルは頷き合う。
その瞬間だった。
――――音もなく降りそそぐ光の雨。
横殴りに迫る破壊の暴風雨を前に、二人は左右に飛び退いた。
「『隔てよ』」
――――精霊術・極熱獄炎呪――――
光が着弾した床を基点にわきたつ炎の壁。
炎は天井近くにも達し、フィセルとテオを一瞬にして分断した。
「――テオ、早く下へ行きな! ここは私がやる!」
「これを相手にですか?」
「あぁそうだ! 二人足止めされるよりはよっぽど良いさ!」
こんな芸当ができる人間は彼をおいて他にいない。
テオとフィセルは炎越しに視線を交わし、頷き合う。そしてテオが階段のほうに駆け出した瞬間だった。
「行かせる気はない」
彼が螺旋階段を上から一歩ずつ降りてくる。二人のほうに突き出した掌は極大の魔力を発し、次なる術式を充填していた。
「……これでは」
テオは軸足で踏み留まる。このまま真っすぐ突っ走ったら彼の攻撃の良い的だ。
彼は――アルバート・ウェルシュはすらりと銀の長剣を抜き放ち、そして片手から魔力を解き放った。
「……これを人間に向けるのは実に久しいことですが、やむを得ない。あなた方を仕留めるにはこれが必要でしょう」
アルバートがそう告げる間、フィセルは咄嗟に周囲を見渡す。
そして、壁際に設置されている硝子窓に目を付けた。
「テオッ!! あそこ――」
「……心得ておりますともッ」
フィセルが叫ぶより早く、テオは踏み留まった姿勢そのままに駆け出した。
硝子窓に向かって投げ放つ短剣と並走するような速度。音を立てて窓が割れるのとほぼ同時、テオは床を蹴って外に飛び出した。
これでいい。
テオも二階から飛び降りたくらいで足をくじくほどやわではないだろう。フィセルはそう信じ、そして――目の前に迫る光を見た。
「『降り注げ』」
――――精霊術・極大雷光呪――――
それは横薙ぎに降りそそぐ稲光の砲撃。
幾条もの光の尾を引き、破壊の嵐が撒き散らされる。
フィセルは雷撃の軌跡――魔力の流れを正確に見極め、その一つ一つを先取りするように動いて避けた。
わずかな隙間を縫うかのごとく駆け、動きながら常に前に出る。炎の壁は今なおフィセルの行動を制限していたが、その範囲はほとんど変わることがなかった。
「……なるほどね」
と、フィセルは炎の壁の性質を理解する。まさに壁のように炎がそびえている一方、それが燃え広がることはないのだ。
周囲に被害を拡大し過ぎないための性質、といったところだろう。
「これを避けるか、フィセル殿。……あなたは、本当に」
アルバートは忌々しげに表情をしかめながら体の正面で剣を構える。
先ほどのような術を連発することはできない。そうとわかれば――フィセルは彼我の間合いを測り、一気に踏みこんだ。
全身に渦巻く魔素をまとわせ、莫大な魔力を推進にしてフィセルは加速する。
対するアルバートも銀の剣に有りったけの魔力を伝わせ、迎え撃つ。
刹那――きぃん、と。
甲高い鋼の音が鳴り響き、両雄は刃を重ねあった。
「やはりあなたは、本当に……悪魔に魂を売り渡したのだなッ!!」
鍔迫り合い。
一瞬でも気を抜けば身を斬られる間合いで二人はせめぎ合う。
「……何言ってんだい?」
両者の力量はほぼ拮抗。
ただし、二人の戦闘方法には大きな違いがあった。
アルバートは主に剣術と魔術を併用して戦う。
ただし剣術は身を守るためのもの。その本領は精霊の恩寵を得た魔術――精霊術の圧倒的な効力にこそあった。
一方のフィセルは徹底した剣術一辺倒。
修練の果てに行き着いた剣の極みは、魔力を持たぬ身でありながら魔素を惹きつけるに至らしめた。彼女は魔術こそ一切扱えないが、その剣は魔術をすらも断つ。
その二人が剣で拮抗せしめたのは、アルバートが魔力を剣に注ぎこんだからだ。
彼の剣術は一流ではあるが、超一流のフィセルには敵わない。しかし、魔力という出力面に限っては彼自身の力で補うことができた。
「とぼけるな――あなたが短期間でこれほど腕を上げたのは、彼女の……ユエラ・テウメッサの力があったからだろう!?」
「だとしたらどうだってんだい?」
「あんなものに――あれほど危険なものに与して、どういうつもりだッ!?」
ぎりぎりと刃が競り合う最中、アルバートは口を極めてフィセルを糾弾する。
だが、フィセルにとっては……そんな言葉は、全くもって今さらだ。
「なんだ。あんた、あんな子どもにビビってたのかい」
「彼女の近くにいながら、彼女の危険性に気づかないか!? それとも、とっくにあなたも操られているということか!?」
はっ、とフィセルは笑い飛ばす。
もはや彼にはユエラを討伐するという選択肢しかないのだろう。実際、この状況をひっくり返せるような手はそれしかない。
そのためにも、彼はユエラに最も近しい二人――テオとフィセルを仕留めようとした。
「操られてなんかいないよ。私は全くもって正気も正気さ。……あんた、なにか勘違いしてるんじゃないかい?」
「……なんだと?」
アルバートはいぶかしむように眉根を寄せる。剣を握る手にも一層力がこもる。
フィセルは刃に重ねた刃をすぅっと滑らせながら言う。
「悪魔がいるってんなら今すぐ紹介して欲しいぐらいさ。私の魂なんざいくらでも売り渡してやるからね――そう考えりゃ、あの悪魔は良心的なほうだよ、実際のところ」
口端を吊り上げるような笑み。
今のフィセルに端から真っ当な騎士道精神などありはしない。力のためならば、目的のためならば、魂などいくらでも切り売りしたっていい。
フィセルはユエラを恐れない。フィセルを支配したところで、ユエラには益がないからだ。彼女が欲しているのは自分で考え、自分で動く駒だから。
「馬鹿げている!! あんなものに与したとなれば、あなたの家名は地に落ちるぞ!?」
「地に落ちるのはあんたのほうさ、勇者殿。……それとも、優秀な妹御がいれば心配は無いってことかい?」
「……ッ!!」
そのことを言うならばフィセルも容赦はしなかった。
アルバートの表情が刺されたように歪む。
そもそもバーンスタインの家名はすでに底をついている。一方、アルバートの名は光と影の部分を併せ持っていた。
「功でも急いだのかい、勇者様? ま、ユエラを仕留めりゃ確かに名は上がるかもね。失敗すれば敗残の将だけどさ」
「黙れッ……!!」
がきん、と刃が滑って音を立てる。
刹那、フィセルは刃を右に捌きながら前へ出た。
――同時に繰り出すは握り固めた左の拳。
「――――がッ!?」
予想外の驚愕に見開く双眸。
アルバートはがら空きの顎に拳をまともに受け、螺旋階段の下へ転がり落ちた。
彼はその場で受け身をとってすぐに立ち上がるが、ダメージは決して浅くはないだろう。
フィセルは螺旋階段に脚をかけ、アルバートを見下ろしながら言い放つ。
「精霊の力を借りるあんたの相手には、化け物の力を借りた私がちょうど良いだろう? ……せいぜい名を高めてやるとするさ。〈勇者殺し〉ってのも悪くない」
「……化け物め」
アルバートは吐き捨てるように言って剣を構える。
再び、対峙する両者の間に魔素が満ち始めた。




