三十七話/地を這う軍勢、天の雷
「いやはや、余分な兵力が増えてしまったのう!」
「……なんというか。目立ってしょうがないね、こいつは……」
ユエラ、テオ、フィセル。彼女ら三人は公教会を目前にして今一度立ち止まった。
フィセルが背後を一瞥すれば、そこにはおよそ五十人ほどの傭兵やごろつきども。彼らは一人の例外もなく、ユエラの幻魔術に意識を絡め取られた者たちだ。
傍目から見ればまるで亡者の群れ。それを引き連れて進むユエラの姿はまさに魔王じみていた。
総勢にしておよそ五十人。いずれも手負いの弱兵ばかりだが、肉壁として使うならこれで十分だ。
「……なんということでしょう。ユエラ様の命令一下、足並み一つ乱すこともなく……!」
「まぁ、単純な命令しか受け付けんのだがな」
細かな連携はできず、判断能力も大きく減退する。量産は非常に容易だが、テオやフィセルの指揮下にある傭兵とは比べるべくもない質だった。
「さて、行くか。準備は良いかえ?」
「はい。いつでも」
「……行こうかい」
テオが恭しく承る。フィセルは仏頂面をわずかに殺気立たせて頷く。
この異様な光景は他の部隊への狼煙代わりにもなるだろう。ユエラはよしと腹をくくり、公教会の真正面から死兵を率い乗りこんだ。
「そこまでだッ!」
「貴殿等、止まれッ!!」
「――何者かッ!!」
瞬間――向かいから鋭い声が発せられ、ユエラたちを制止する。
公教会ティノーブル支部。そびえ立つ白亜の城にも似た建物の門前に、彼らは立ちはだかっていた。
ずらりと居並ぶは白銀の鎧に身を包む重装兵。
それぞれに槍や弓を構え、堅固な密集陣形を組む。
数にして優に五十は超えるだろう。彼ら――聖堂騎士団は水色の薄膜めいた魔素に包まれながら、ユエラ・テウメッサと対峙した。
「……ほう」
ユエラの目にも見える薄膜。あれは結界と呼ばれる魔術の一種だ。
堅固かつ完璧に組み上げられた密集陣形が魔術儀式の役割を果たし、矢弾どころか魔術をすらも跳ね返す。
それは言うなれば集団戦闘のひとつの完成形。生半可な訓練や信頼関係では成し得ない、小規模の少数精鋭であるからこそ可能な芸当だった。
――――結界魔術・密集陣形――――
「わざわざ自ずから出てきたか、狐人」
陣形の先頭に立つは戦旗を掲げた聖騎士長。
銀兜に覆われた顔はうかがえないが、その声は聞き違えようもない。
「……ずいぶんな歓迎であるな?」
「当然だ。我々は公教会を――この神の家を守る役目を担う者であらばこそ」
門を守るのは聖堂騎士団に加え、十数人程度の傭兵。聖堂騎士団が異変を察して駆けつけたとすれば、彼らはここが持ち場なのだろう。
後は敷地内や公教会内部の警備か。上層の銃眼から弓矢を覗かせる姿もちらほらうかがえる。
「忌々しい術を使っていると見えるな。後ろに引き連れた者どもは何だ?」
「おぬしら――いや、おぬしらを顎で使っておる連中がけしかけてきた者どもだ。よくぞこれだけ集めたものよな? 今は私の手足のようなものだがな」
彼らの動向は意のまま。ユエラ自身の制御下にあるという意思表示。
「疾く退くが良い。この陣形こそ我々の心身を合一し、我らが大敵に対峙するという証左。公教会に害なすものには、もはや一片の容赦もまかりならない」
ユエラは聖騎士長――レイリィの言葉を受けて口端を吊り上げる。
この女、なかなかの食わせ物ではないか。口の上ではさも敵対を示しながら、ユエラを敵とは断定していない。先日の会談を踏まえているのがあからさまだ。
ならば乗ってやろうではないか。
ユエラはくつくつと喉を鳴らして笑い、一歩を踏み出しながら口を開いた。
「――――敵とは、なんだ?」
ユエラは自らの声に載せて幻魔術を行使する――あらゆる雑音を周囲から消し去る。
ユエラの声がもっともよく聞こえるように、より遠くまで届くように、よりよく響くように調整。
聖堂騎士団は表面上わずかな動揺も見せず、しかし得物を握る手をかすかに緩めた。
「……なに?」
「公教会の敵とは何ぞや? 公教会に害なすものか? なれば今、公教会に最も害なすものとは何ぞや? 果たしてそれは私か? 私はなにゆえにおぬしらの敵であろうか? ――――おぬしらに命ずるものがそうと定めたからか?」
代わりに、ピンと糸を張るような緊張感が張り詰める。
「だが、貴殿の存在が混乱を引き起こしたのもまた事実には違いない!」
「そうだ。そして、その混乱を煽った輩がいる」
ユエラの一言に、この場の全員がにわかにざわめく。
それは思いもよらぬことでは決して無い。むしろ、思い当たるふしがいやというほどにあるからこその動揺だ。
「混乱を煽った輩は大きな顔をしてのさばり、混乱を少しでも収めようとしたものは檻の中! そしておぬしらは、なんだ!? 混乱を引き起こし、煽り、燃え上がらせた連中の言いなりか!? ――――恥ずかしいとは思わぬか!?」
ユエラは拳を握り、狐耳をぴんと立て、声を荒げて語りかける。
他者の煽動を指弾しながら自ら煽情的な弁舌を振るう矛盾。誰もがそれに気づかない。比較的冷静に事態を見守るフィセルですら、その鮮やかな手口に嘆息せずにはいられない。
「……傾城傾国、ってやつかね。これが」
目を瞠る美貌もさることながら、巧みな弁舌と煽動の才があってこそ、彼女は恐れられたのだ。
フィセルの独り言はまさに的確としか言いようもなかった。
「目を覚ませ! おぬしらの信仰の敵は誰か! おぬしらの信仰はいたずらに敵意と悪意を守るものか!? 私に"保護観察の措置を"と告げたのは誰か! 私は忘れておらぬぞ!? その決定は武力をもってしても翻されるべきものか!?」
口調、言葉遣い、声の抑揚、表情、身振り手振り。全てが計算され尽くした巧みさでユエラは言葉を紡ぐ。
もはや聖騎士たちに敵意はほとんど残っていまい。
「何か様子がおかしいぞ!?」
「構わん、射て、射てッ!!」
今さらながら異常事態に勘付いたのか。公教会側の建物から幾本もの矢がユエラに向かって放たれる。
瞬間、後方の死兵たちが何人か飛び出し、我が身を挺してユエラの盾になる。
無論こんなことをする必要は全くない。矢に射られた程度でユエラが死ぬことはない。
しかしその光景は、さながら命懸けで信仰対象を守ろうとする殉教者のよう。敵対者の反応すらも演出に組み込み、ユエラは告げる。
「私の目的は、私がここに脚を踏み入れた理由はただひとつ! ――――キリエ枢機卿猊下を救い出すことに他ならぬ! お許しをくだされた方への恩を忘れたとあらば、これは狐人の恥よッ!!」
倒れた死兵を一瞥して瞑目し、ユエラは聖堂騎士団に向かって見得を切る。
「そのうえでおぬしらはなんとする。今ある命令に従い私を敵とみなすか、あるいは彼女を救い出さんとするべきか!」
――――さぁ。選ぶが良い。
締めくくりはいっそ静かですらある一言。
波紋のように広がるざわめきはすぐに静まり、代わって聖騎士長が声を上げた。
「皆よ。聖堂騎士団よ」
石突きがにわかに地を離れ、戦旗が天高く翻る。
「我らは盾。我らは剣。我らは槍。我らは弓。我らは手。我々は振るわれるためにあるもの。矛先を自ら選ぶことがあってはならぬもの」
唱えるは聖堂騎士団の基本理念。
彼らの存在する意義が、ひとえに唱和されるようにこだまする。
「なればこそ」
聖騎士長――レイリィ・アルメシアの踵が床を叩き、足先を公教会に向ける。
「私一人は心ある言葉に応え、獅子身中の虫を食い破らん。これよりは聖堂騎士団の役目にあらずんば、従うも良し、あるいは従わぬも良し。否とするものは戦列を離れ、あるいはこれを是とするならば――――どうか私に続いてくれ、皆のものよ!!」
瞬間。
割れんばかりの歓声が彼女に応え――彼らは、聖堂騎士団は叛旗を翻した。
それだけで付近にいた傭兵らはすぐさま逃亡し始める。練度と士気が違うのだ。死をも恐れない聖騎士を敵に回すなど、命がいくつあっても足りるものではなかった。
「……ここまで上手く行くとはね」
「同感だのう。これで、そろそろ……」
聖堂騎士団が動き出すのを契機とし、ユエラ側の各部隊も一斉に行動を開始する。そういう手筈になっていたが――
まさに、その時。
空に瞬く稲光。
それは幾条もの尾を引く軌跡を描き、ユエラ・テウメッサを狙い降りそそいだ。
◆
「クラリィスッッ!!」
「言われませずともッ!!」
ユエラが叫ぶ――より早く、彼女は潜伏地点から飛び出していた。
クラリス・ガルヴァリン、そして彼女率いる三人の祓魔師。
彼女らは例外なく同一の聖句を唱え、天に向かって掌を掲げる――『天にまします我らが主よ、どうか地を這う我らに哀れみを』。
瞬間、密集陣形のそれよりもはるかに強固な防御用魔力隔壁が形成される。
それは降りそそぐ雷をまともに受け止め、周囲に火花や雷光を散らしながらも危ういところで魔力を相殺した。
「くっ……!」
ある程度離れた場所からの狙撃でありながらこの威力。熟練の白魔術師が四人がかりであっても二度目は止められるかどうか。
クラリスはちいさく呻きながらも聖堂騎士団のほうに向き直る。
「……く、クラリス司祭殿!?」
「話は後です。今の攻撃はまず間違いなくアルバートによるもの。次は私たちでも止められないかも知れません。私たちはあなたに従います、レイリィ聖騎士長。地下に囚われのキリエ枢機卿奪還を最優先しましょう」
「――恩に着る! 皆の者、突入するぞッ!!」
猛々しき戦場の咆吼を響かせ、聖堂騎士団は土埃を上げながら公教会内部に突入する。クラリス、アルマを筆頭とする祓魔師たちもまた同様に。
後詰めに控えるはテオ隊、フィセル隊の傭兵十二人とリーネ隊を構成する七人。ユエラが引き連れてきた死兵も前に出し、最前面の盾とする。
「では、我々も動くと致しましょう」
「……今みたいな魔術を連発されちゃ堪ったもんじゃない。早いとこ片付けちまおうかい」
お互いに頷き合うはテオとフィセル。
ユエラは「これを使うと良い」と足場代わりに死兵を何人か送り出す。フィセルは露骨に嫌そうな顔をしたが、実際便利なのは確かだった。
彼女らは死兵を踏み台にして跳ぶように疾駆する。上層階の窓をぶち破れば上から突入することも容易。あの二人が揃っていれば不覚を取ることはまず無かろう。
「どうする、ご主人様。あの乱戦に飛びこんでいくのはちょっと危険が大きすぎるよ」
「まさかそんなことはさせぬよ――うむ、じわりと圧をかけていこうかえ」
リーネがユエラに指示を仰ぐ。と、ユエラは顎で外から見える銃眼を指し示した。
あそこから顔を出した敵を焼くなり何なりすれば相当士気を削げるはずである。
「了解したよ。総員、用意!」
「――はいっ!」
詠唱を開始する魔術師たちの中にはアリアンナの姿もある。ユエラが引き連れてきた死兵に分かりやすいほど困惑していたが、それでも集中を乱さないのは流石だった。
前衛の傭兵が敵を釣り出し、死兵を使い捨ての盾にして身を守る。誘い出した敵を弓矢や魔術で射落とし、敵の守衛を削ぎ落とす。
「よしよし。中々上手い具合にハマっておるな」
これで相手は侵入者のみならず外への警戒も強いられる。外側に意識が行けば、それだけ内部での戦闘は楽になるだろう。
結局のところ、この作戦の成否は次の二点が上手くいくかどうかにかかっていた。
一点はキリエ枢機卿の救出。
もう一点はアルバート・ウェルシュの撃破。
これらが成るかどうか。ユエラは可能な限り成功率を高めるように努めた。これ以上はもはや祈る他ないだろう。
「……中のほうも上手くやっておれば良いのだが」
ユエラは死兵の一体と感覚を繋ぎ、公教会の内部に突入させる。戦場の様子を確認するためだ。
「どうか、私の手をわずらわせんでおくれよ?」
さながら良い結果を待ちわびるように、ユエラは薄く笑みを浮かべた。




