三十一話/公教会叛乱
公教会ティノーブル支部――城塞のごとくそびえる白亜の壁に、昼天の影が落ちる頃。
見るものを遍く圧倒する神の家の目と鼻の先、彼らは大挙して隊列をなしていた。
「貴様達、今すぐに退け! いかなる権限をもってここにあるか! 解散せぬというのなら、貴様達は我らが枢機卿――ひいては神の意志に背くものと認めざるをえない!!」
彼ら――総勢百人はゆうに上回ろう傭兵たちを前にして、聖堂騎士団の代表一人が声を張り上げる。白銀の全身甲冑とサーコートに身を包んだ異貌の教徒。肌の露出が見当たらず、人間味というものが一切うかがえない。
公教会前に集った聖騎士はおよそ三十人。全員が揃ったわけではないが、非常時に際して即応した人数としては悪くない。数的不利は覆しがたくも、個々人の練度は傭兵たちと比べ物にならないほど高かった。
「うるせえ!」
「この数相手に勝てると思ってんのか!」
「そっちこそ道を開けやがれ!」
傭兵たちの側からも響き渡る怒号。彼らの士気は決して低くない。傭兵といえど、事実上の有力者子飼いの私兵となっているものが少なくないからだ。
彼らに与えられた任務は公教会ティノーブル支部の制圧。聖堂騎士団を打ち破ることまでは仕事のうちではないが、現在はまさに一触即発の状況である。このままでは両者が衝突するのも時間の問題だろう。
「……あまり望ましい状況ではありませんな」
傭兵たちの後方から事態の推移を見守る法衣の男――ヨハン・ローゼンクランツ。
この暴動を大義ある革命とするためには、彼の存在が必要不可欠だった。現在のティノーブル支部長キリエ・カルディナに取って代わるものがいなければお話にもならない。
「私が出ますか」
その隣、傭兵たちを率いる現場指揮官――アルバート・ウェルシュは静かに申し出る。
彼自身の武名無くして無数の傭兵たちがまとまることは不可能だったろう。傭兵たちは便宜的に〈市民革命連合軍〉と呼称され、公教会の弱腰姿勢を指弾するに至った。その裏には公教会の勢力を減じたい各有力者、あるいは各国大使の思惑などもあろう。
それら全てを利用して、ヨハンとアルバートはここにいる。
「しかしですな、アルバート殿。聖堂騎士達を手に掛けるようなことがあっては、これは、私どもにとっても大変な損失ですぞ。何せこの後、彼らにはしっかりと働いていただかねばならんのですからな。損害はもちろんのこと、叶う限りは反感も抑えたいところ」
ヨハンが支部長の座に着いたあかつきには、彼こそが聖堂騎士団の指揮権を握るのだ。彼にとっては至極当然の危惧であろう。
「私に考えがあります」
アルバートは手短に腹案を告げる。と、ヨハンもにわかに破顔してその案に頷いた。
「それならば……お互いの損害は最小限で済みましょうな」
「ならばそのように。ヨハン殿は後から来られませい」
「ええ、ええ。〈勇者〉殿の勇姿、是非ともこの目に焼き付けたく存じましょうぞ」
アルバートは会釈し、歩き出す。
そこに駆け寄ってくる亜麻色の髪の少女が一人――エルフィリア・セレム。
「アルバートさま、本当に、いいんですか?」
「ああ。これは必要なことだ。今は間違いのように思えるかもしれないが、彼女ならいつかは認めてくれるはずだ」
エルフィリアはアルバートとキリエ枢機卿のかつての間柄を知っていた。その上で、彼女はアルバートに付き従った。
「……アルバートさまがそう仰られるなら。あたしは、それを信じます」
「ありがとう。……周辺警戒を頼むよ」
お任せください、と笑みを浮かべて頷くエルフィリア。
アルバートは彼女を置き去りに歩みを進める。
「道を開けてくれ! 俺が出る!」声高にそう一喝すると、傭兵たちはすぐさま呼応した。
傭兵は舐められたら商売上がったりだが、猛者に向かって無闇に牙を剥くような真似はしない。この点、彼らは強者を嗅ぎ分ける嗅覚を確かに持っていた。
アルバートは急がず、堂々とした足取りで傭兵たちの最前列に出る。
「……まさか」
「貴殿は……!」
彼の姿を目の当たりにして、威風堂々たる聖堂騎士団さえもかすかな驚愕をあらわにした。
燃えるような赤髪、腰に帯びた二振りの長剣、全身の急所を的確に鎧う鈍色の板金。その若くも勇ましい顔立ちに、意志の強さをうかがわせる瞳の色は、誰もが見紛えようもない。
「栄えある聖堂騎士団の歴々よ、どうかこの場をお譲りいただきたい。我が名はアルバート、アルバート・ウェルシュ! ウェルシュの家名において、恐れ怯える市井の人々の不安を見過ごすわけには参らぬ。私はこの者たちに与し、早急の対応あるいは速やかな退陣を求めたし!」
アルバートの堂々たる宣言。目下の脅威への対応――正式なユエラ討伐の命はいまだ下されずにいた。この状況に至ってすらもなお。
「まかりならぬ! キリエ枢機卿猊下の仰せにてはいたずらに市井を騒がせ、平穏を乱すようなことこそあってはならない! 貴殿ほどの御仁がそれを解さぬか!」
ウェルシュの威名に一歩も退かず、聖騎士の一人が喝破する。聖堂騎士団が言祝ぐは神の信仰、そして公教会への奉仕である。かつて魔王を封じ込めた勇者の名さえもそれらに勝るものではない。
「誰かのことばではなく内なる良心と信仰に問え! 弱き人の心を省みないか! 貴殿らの神はそれをお許しか!?」
「神の御心をはかるなど言語道断!! かくなる上は――――」
と、聖堂騎士団の最高指揮官――聖騎士長が声を張り上げた瞬間。
アルバートはひそかに紡ぎ上げた術式を完成させた。
「『降り注げ』」
――――精霊術・極大雷光呪――――
天高く空が稲光を発し、雷の光条を降り注がせる。熱線にも似た稲妻はそれを遥かに上回る熱量と破壊を撒き散らし、一定範囲の石畳をしたたかに打ち据えた。
轟音、閃光、破砕音。傭兵たちすら悲鳴を上げるほどの大破壊がようやく収まったあと、アルバートはすり鉢状の穴を挟んで聖騎士長と対峙する。
「――武器を下げたほうがいい。私はあなたがたを殺めたくはない。私はあなたがたを敵だとは、決して思っていない」
先ほどの術式は誰も巻き込んではいなかった。彼我の空白に向かって放たれた威嚇射撃に過ぎない。
だが、それは想像以上の示威効果をもたらした。これほどの破壊力を誇る術攻撃を、ほとんど瞬時に放つことができるのだ。アルバート・ウェルシュがその気になれば、聖堂騎士団など問題にすらならない。
「う……」
圧倒的な破壊力を前にして、聖堂騎士団は構えかけた武器を咄嗟に下ろす。背後の傭兵たちさえ押し黙る。問答無用の暴力がこの時、この場を支配する。
「ならぬ」
だが、それになおも抗う声があった。
聖騎士長はなおも周囲をはばからず、凛とした声で宣言する。
「アルバート殿。貴殿が武をもって我々を制圧するというのなら、貴殿に大義はない。我々の屍を踏み越えたあと、貴殿の威名は地に落ちよう」
「私も同感だ。そして、あなたがたに牙を剥くような真似はならない――――ゆえに」
アルバートは腰の剣を抜き払い、きっさきで聖騎士長を指し示す。
「なおもまかりならぬというのなら、私はあなたに決闘を申し込む。これをもって進退を決すれば、他の誰もが血を流すことはない。あなたが勝利すれば私は大人しくこの場を引き、彼らを率いることは二度と無い。しかし私が勝利すれば、この場は大人しく通らせてもらう。――――いかがか?」
瞬間、聖騎士長は黙考する。しかし、断られる可能性はまず無いとアルバートは確信する。
断った時には確実な死が彼らを待つ。聖騎士長一人ならまだしも、部下全員を巻きこもうという指揮官はいないだろう。それに決闘を受けたという事実さえあれば、懸命に抵抗したという名目は立つ。勝つにせよ負けるにせよ、聖堂騎士団の面目は保たれるのだ。
聖騎士長は前方に一歩踏み出して言った。
「わかった。受けて立とう」
周囲の聖騎士たちがちいさくどよめくが、聖騎士長はそれを視線で制する。そしてちいさく唱えた――『主よ、我は汝の剣なり』。
「賢明な判断に感謝する」
アルバートは頷き、自らも歩み出す。
どちらからともなく歩み続け、先ほど穿たれた円環状の穴の中心に至らしめる。奇しくもそこが二人の決闘場と相成った。
アルバートは白銀の長剣を抜く。対する聖騎士長は、先端を剣状にしたポールウェポン――グレイヴを構えた。
互いに刃をあわせ、一歩退く。目測にして数歩分の距離を取り、対峙する。
「いざ」
「尋常に」
「――――勝負」
瞬間、息詰まるような静寂の中で二人は駆け出した。
「『いだてんよ』」
同時にアルバートは術式を発動する。
――――精霊術・加速呪――――
これによりアルバートは人智を超えた機動を可能とする。
人の目では追いすがるのも難しいような超速度。
聖騎士長の振り下ろしをかいくぐり、剣先は相手の胸元へたやすく到達した。
「……ぐっ!!」
聖騎士長は咄嗟に退き、呻きを漏らしながらも適切に距離を取る。
その反応はいささか予想外だった。アルバートが想像したよりもはるかに動きが良い。
「……はっ……!」
さらに聖騎士長は付かず離れず、あくまで距離を保ちながら連続して攻撃を続ける。切り上げ、振り下ろし、突き、払い。間断のない攻撃によって行動を封殺し、徹底して有利な間合いを維持する。その身体能力はまず間違いなく白魔術で強化されているだろう。
「どうした。……先ほどの術は使わないのか?」
聖騎士長の静かな問い。アルバートは無言で首を横に振る。
術攻撃で一気に決着を付けることもできるが、そうすると相手の命の保証はない。できれば生かしておきたい、というのがアルバートの思惑だった。
「舐めた真似を」
瞬間、胴に向かって迫る直線の突き。
アルバートはそれを紙一重のところまで引きつけて躱し、柄に沿って直進し距離を詰めた。
まるで空間を渡るような速さ。
「……なッ」
ほんの一瞬、突きを放つために腕を伸ばし切った刹那、生じる隙。
そこを縫うようにアルバートは剣を振り放ち、得物を握る手甲を打撃する。零れ落ちたグレイヴを絡め取り、払い落とし、叩き折る――――武器破壊。
そこで聖騎士長がうろたえたのもつかの間、アルバートは返す刀で銀兜に覆われたこめかみを打ち据えた。
「――――ぐっ、ぅ……っ!!」
白銀の兜が衝撃で吹き飛ぶ。聖騎士長は後方に押されながら後ずさり、たたらを踏んで崩折れた。
その時、兜のうちに収まっていた髪が流れるようにあらわになる。水の色にも似たブロンドの髪。
「勝負あったな」
アルバートは彼――否、彼女を一瞥して剣を下ろした。
聖騎士長は愁眉な面差しを屈辱に歪め、歯噛みしながら端的に言う。
「殺せ」
「断る」
「殺せ。我が死をもって全ての責を負う。それが我の使命だ」
「女性とは思われぬ武人振りだが、あいにく殺すつもりは無い」
「そのようにふざけた理由で活かそうというのならば、なおのこと」
聖騎士長は憎悪すらこめてアルバートを睨めつける。
彼は一度嘆息し、そして言った。
「あなたの使命は、公教会にその身を奉ずること」
「……その通り」
「ならば、その使命を果たせ。……これで公教会が無くなるわけではないのですから」
アルバートは断固として断言し、背を向ける。聖騎士長は俯き、項垂れ……そして小刻みに肩を震わせた。
――――この結果をもって聖堂騎士団は武装を解除。即時に抵抗を打ち切り、〈市民革命連合軍〉の進行を許すことになる。
「――――神命は定まった! 正義は我らにあり! 神の家を我らが手に戻し、妖魔に神の裁きやあらんことを! 行くぞ、皆よ!!」
「おおおおおおおおおおおぉぉッ!!!!」
アルバートは剣を掲げて鬨の声をあげ、傭兵たちは野太い歓声でそれに応じた。




