三十話/魔術師事始め
「よーし、こちらを見よ。今日は第一回の授業であるぞー」
ユエラはぱんぱんと掌を叩き、集まった生徒――もといアリアンナに注目をうながす。隣に付き従うテオは「注目――注目――」と追随しながら拍手を絶やさない。
集合場所はユエラ邸地下の大部屋。大げさな動きはかえって邪魔なため、練兵場のような敷地は不要なのだ。
「は、はいっ。……ま、まずは何からすれば良いんでしょう……?」
「それはおまえの習熟度による、が……アリアンナ、おまえ、どうやって魔術を使ってるか理解しておるか? 説明はできるか?」
「えっ? えー……っと……なんとなく、こう……ぎゅって掴んで、わーって固めて、ばーんって……?」
「うむ、まぁ、そんなところだと思っておった」
ユエラは怒りも呆れもせずに頷く。師を持たない魔術師などこんなものである。むしろ感覚を説明できるだけ筋が良いと言ってもいい。
「では、ばーっと説明するぞ。覚えんでも全く良いが、理解しておいたら早う上達できるかもしれんからその気でな」
「は、はいっ!」
元気よく応じるアリアンナ。ユエラは彼女の目の前でひゅんっと軽く手を振る。
瞬間、宙空にずらりと読みやすい字で描かれた文章が表示された。
「お……お、わ……!?」
「幻術だ。これくらいで驚くでないよ。驚くのは魔術師にはご法度だぞ?」
「――――はい」
ユエラが指摘すると、アリアンナは急に引き締まった表情を見せた。
――――表示された文章は、魔術を発動するまでの行程を簡潔に説明したもの。
まず、大気中の魔素を知覚する。これを可能とする力を感応力という。感応力が高ければ高いほど多数の魔素を知覚できる。
次に、知覚した魔素を結合してエネルギーを生み出す。この時のイメージは人によって千差万別で、アリアンナにとってはそれが"ぎゅっと掴む"イメージなのだろう。
なお、ユエラのように膨大な魔力を帯びた個体は上二つの過程を無視できる。そもそもの出発点が違うのだ。
次に、発生したエネルギーを自らが持つ〈魔術の器〉に落としこむ。いわば、発生する魔素結合現象の方向付け。これには例外こそあるが、天性の資質に左右されるところ大である。
以上、三つの行程を踏んで魔術は発動するのだが、これを全面的に補助するのが詠唱――すなわち行使する魔術の言語化だ。手間と時間はかかるが能力以上の魔術を発動できるため、大多数の魔術師は詠唱を行う。杖や宝石などの道具を用いるのも有効な手である。
――これら全ての行程は意志によってなされる。無意識が介在する余地はない。
「ユエラ先生」
「うむ、どうした」
先生と呼ぶことにしたらしい。案外と殊勝な娘だった。
「落としこむ時の例外……ってなんでしょう」
「ああ、それな……クラリスがおれば良かったんだが」
朝早い時間のためか、クラリスはまだ来ていなかった。
「昔っからそうだが、宗教屋というやつは教典とかから引いてきた奇蹟を再現したりする。つまり、〈魔術の器〉の性質を教典で上書きするようなもんだのう」
「……そ、それって……じゃあ、私が勝手に考えたすごい魔術とかが使えたりする可能性も……?」
「無い。あれは歴史とか信仰とかが大人数に共有されて生まれた特例に過ぎん」
「そ、そうなんですか……」
アリアンナは素直に納得して頷く。
もっとも、似たようなものは無いとはいえない。例えば古代の魔術書と称されるような魔具。もし現存すれば、それによって〈魔術の器〉を改造することも可能だろう。
――――手を出さないに越したことは無いが、のう。
「……不安定な力を求めるのはいかにもよろしくない。フィセルのやつに付いていきたいのであろう? 剥き身の火薬を持ち歩きたいやつは誰もおるまいよ」
「はい。――精進いたします」
うむ、とユエラは頷いてみせる。
そもそも、安定した力を求めるならば魔術はいささか不向きだが、何事もやりようというものはあるのだ。
「では、早速実践と行こうかの。先の行程を理論的に身に付けるまでは試行あるのみよ」
「理論的に、と言いますと……?」
「感覚頼りではなく、頭で考えてやるということだ。まぁ、究極的にはそのどちらもが必要になるのだがな」
感覚と思考、どちらも備えてこその人の意志である。それこそが魔術を行使するための統合的な力――魔素結合能力の指標となる。
ユエラはアリアンナに立ち上がるよう促し、三歩ほどの距離を置いて対峙する。
「今はゆっくりで良いから、とにかく全力で撃ってこい。なんなら殺す気くらいのつもりでな」
「……ほ、本当に大丈夫なんですか?」
「私がひよっこの術くらいで死ぬわけなかろう。テオ、邪魔を入れるでないぞ?」
「言われずとも、というのも妙ではありますが。了解致しております」
――そういえば力はほとんど見せておらなんだな。
それだけテオやフィセルが荒事を引き受けてくれているということでもあるのだが。
「……では、行きます」
アリアンナはすぅっと瞑目して集中を深める。その手に杖のたぐいはない。その方が練習には良いからだ。
「――――『妖しの白狐、咲き誇る氷輪、時よ止まれ』」
詠唱には、往々にして個人ごとに異なる構文が存在する。アリアンナのそれはやや特殊だが、おおむね一般的な範疇に収まるだろう。
アリアンナの周囲で魔素が結合し、足元を踏み締めるような確かさで魔術が行使される。急速に室内の温度が低下し、大気中の水分がぱきぱきと音を立てて凝結する。
刹那、ユエラの矮躯を包囲するようにして氷輪の枷が顕現した。
――――水魔術・白梅花――――
「……ほぅ」
その力を目の当たりにしてユエラは嘆息する。発動が遅く出力も物足りないが、効力範囲は申し分ない。きちんと魔術を制御下に置いている。それだけでも見習い魔術師としては及第点をやれるだろう。
ユエラは何の気なくちいさな掌を上げ、ひゅんと払う。
「……なっ」
たったそれだけの動作で、アリアンナの魔術はあっという間に雲散霧消した。宙に顕現した氷の枷が跡形もなく砕け散り、室温が緩やかに戻っていく。
「な……何をどうやったんですっ!?」
「慌てるでない。ただの物量だ。あるだけの魔力をぶつけて相殺したに過ぎん」
「そんなことできるんですか!? ずるくないですか!?」
「ずるくない。むしろ効率は悪いくらいだ」
ユエラの持つ特異な力、すなわち〈魔術の器〉の適正は幻術に特化している。これは極めて稀有な資質だが、実際的な攻撃力は無いも同然。ゆえに、ユエラが攻撃力を得るためには魔力をそのまま運用するほかはない。
そのおかげで体術も使えるのが利点といえば利点だろうか。
「おまえはやるでないぞ。私みたいに魔力が有り余ってるならまだしも、そうでないなら魔力の無駄にしかならぬからな」
「世界の不平等を味わっています」
「羨んでも仕方なかろうさ。おまえがやれることをすればいい。やりたいことではなく、な」
「……やれる、こと、ですか?」
一瞬眉をひそめるアリアンナ。それに応じたのはユエラでなく、隣に付き従うテオだった。
「私に魔術は使えません。さりとてユエラ様を守ることは可能です。使える手段があるのならば別の手段に拘泥することはない、ということです――余程の事情がない限りは」
淡々と語る彼女の言葉はさながら戦訓じみている。
しかしアリアンナはそれで気を取り直したのか、きっと表情を引き締めてユエラに向き直った。
「次、お願いします。次は、何をすればよろしいのですか?」
「うむ。さっきと同じようにもう一回全力で撃ってこい」
「……ま、またですか?」
思わぬユエラの要求に、アリアンナは困惑げに眉をひそめる。
されどユエラは重ねて言った。
「まずはおまえの限界を知らねばならぬからな。限界が来るまで全力投射を繰り返してもらうぞ。慣れてきたらできるだけ早く、時間を挟まないようにせよ。そうしたら、そうだな――私に一発くらいは掠らせられるかもしれんな?」
にやりと悪辣な笑みを浮かべるユエラ。二尾のしっぽを愉しげにふりふり揺らし、眉を軽く釣り上げる。
アリアンナは眉根をぴくぴくと震わせ、戦慄きながらも頷いた。
「……やってやろうじゃないですか。見習いの意地を見てもらいますから」
「くく。その威勢がいつまで続くか、見ものだのう」
ユエラは煽るようにアリアンナを誘う。彼女はすぐさま詠唱を開始する。
――結局、アリアンナはこの日一度もユエラに届かせることなく倒れた。
連続した魔術の行使は急速に精神力を、そして体力をも削り取る。アリアンナはそれを身をもって味わわされる結果となった。
◆
ユエラに師事して一週間。
この頃になると、アリアンナにも課せられる修行の内容がおおよそ分かってきた。
午前中はユエラによる理論と実践。時にはリーネという不健康で陰気な女性が講師役を務め、ほとんど二人三脚の様相でアリアンナを教導する。適性や傾向など、アリアンナとは何もかもが異なる彼女だが、だからこそ学ぶところは大きかった。
水と炎という一見正反対の適性さえ、共通する点は確かに存在するのである。
午後からは主にクラリスによる座学。アリアンナにとってはむしろこちらのほうが厳しかったと言える――兎にも角にもはちゃめちゃに眠いのだ。
「一端の魔術師であらんとすれば、社会に対する公益性は欠かざるべきものでしょう。なんとなれば、魔術師とは領主や国家にとって潜在的な危険因子とみなされる可能性が非常に高いからです。武器を持った傭兵とは異なり、私たち魔術師は彼らにとって見えざる脅威です。先人らはこの問題を解決するために――つまり、私たちは脅威ではないということを証明するために――公共性、有用性を示すことを是としたのですが」
「アリアンナ、眠いのはわかるがよだれは垂らすでない」
「……はひっ!?」
ユエラ邸一階のリビング。
アリアンナは机に突っ伏していた身体をはっと起こし、寝ぼけ眼を擦りながらクラリスを見る。
クラリスは少しおかしそうに笑ったあと、手元の古びた本をぱたんと閉じた。
「どうします? 今日のところはここまでにいたしましょうか」
「集中が足りんなあ。持続力は魔術師にも重要な資質のひとつだぞ?」
ユエラはソファに寝転びながらそんなことを言う。テオにしっぽを毛づくろいされながら、何とも優雅なもの。うつ伏せの尻から伸びる尾に櫛が通されるたび、ユエラは恍惚気な表情を緩ませる。
「そういわれましても……このねむさは……どうにもこうにも……」
アリアンナの脳みそはすでに半分ほど回っていない。どうしてこんなにも眠いのか。クラリスの話はむしろ分かりやすいくらいに噛み砕かれているはずなのだが。
その時、テオが横から口を挟む――主人の説明する労を肩代わりするかのよう。
「眠いのも無理からぬことでしょう。すでに先ほど気絶するまで脳を酷使した後なのですから。新しく物事を理解するということは、さらに頭に負荷をかけるようなもの。また意識が落ちかけるのも特に不思議なことではありません」
「……ユエラさん、このために私の話を午後に回したのでは?」
「ははは。何のことやら皆目わからんなあ」
いつもなら悪い顔を見せるユエラも毛づくろいされながらだと実にだらしがない。笑ってしまうほど腑抜けた表情でうっとりした息を吐く――よほどテオに信頼を置いているのだろう。
「うー……あー……大丈夫、です。なんとか眼が覚めてきました」
アリアンナは神妙にお下げ髪を軽く撫で付け、ぐしぐしと目を擦る。話し中に寝入ってしまうのは堪えがたくも失礼なことには変わりがない。
しかしクラリスは穏やかに微笑し、首を振った。
「いえ、今日はここまでといたしましょう。無理に負荷をかけても我慢強くなるというわけではありません。酷使したあとはきちんと休憩を取る、それこそが意志を支える精神力を鍛えるのに必要なことです」
「……は、はい。すみません、ありがとうございます……」
失礼を働いた後だというのにこの気遣い。巷間では〈現代の聖女〉とまで謳われる彼女だが、あながち誇張ではないのかもしれない。
「あなたがそのことを御存知無いとは思えませんが、ユエラさん。なにかお考えがあってのことですか?」
「うむ。司祭様の説法を子守唄にすれば良い具合に昼寝がキメられるだろうとな」
「……私もたまに怒るときは怒りますからね?」
クラリスは不服げに唇を尖らせるが、決して強くは言わない。魔術師としての心得などはやはり二の次になるというのが正直なところではあった。
「まぁ、今のは半分冗談だ」
「半分、ですか」
「てっきり本気で仰られたのかと」
「おまえまでそう言うかえ……」
テオにまで突っこまれてにわかに頬を膨らませるユエラ。
彼女は灰色の毛並みの耳に櫛を通されながら、アリアンナをちらっと一瞥して言った。
「正直、ここまで本気だとは思わなんでな」
「……私が……ですか?」
アリアンナは自らを指差す。ユエラはこくりと頷いて言う。
「普通、魔術の過剰行使で落ちる感覚などそう繰り返したいものでもない。初日だけならまだしもな。……であるから、クラリスが説法なんぞしてくれおったら丁度いい塩梅になるかと思っておったんだが――見積もった以上だった、ということよな」
アリアンナはその率直な賞賛を面映ゆく思う。日々実力は向上しているという実感こそあれ、そういう褒められ方をされるとは思いもしなかったのだ。
「そろそろ実戦でも行ってみるかえ。迷宮の上層くらいならなんとでもなろうよ」
「……〈封印の迷宮〉に……先生と、ですか?」
「えー……私はめんどくさいからリーネと行っといで」
「ええ……」
ここまで豪快に指導放棄されるとは思わなかった。彼女が面倒くさがりなのは分かっていたつもりだが。
「クラリスもいたら万事問題なかろうよ。使えるんじゃろ? 医療魔術」
「確かに使えますが、私もずっとご一緒できるわけではないことをお忘れなきようにくださいね。たった一月、二月で足元に追い縋れるほどフィセルさんは甘くないでしょう」
「それもそうであったな。……その時はおぬしの後任でも巻きこむかのう」
「……私の後任があなたのしていることをお認めになられるとは限りません。その点、重々ご承知なさってください」
クラリスはアリアンナに関する報告を上げていない。先日のような凶事を招かないための必要措置という。
実際、あの日以降〈鵯の羽休め亭〉で物騒なことは起きていない。ただし、ユエラ邸の周囲を嗅ぎまわっていた密偵が、守護悪霊〈グラーム〉の餌食となった例は跡を絶たないようだ。
「やれ、面倒なことよ――いっそおぬしが監察官のままだったら楽なんだがのう」
「私もそう思います。もっともっと強くなって、クラリスさんにも色々なことを教えてもらいたいですし」
勇者パーティの一角、クラリス・ガルヴァリン。時折りフィセルとの確執が見え隠れするものの、彼女と親交を持つ機会など真に得難いものだろう。それがいつか遠退いてしまうというのはどうしても寂しさがつのる。
「後任があまり口うるさい監察官のようでしたら躾けをなさればよろしいかと。ユエラ様にはそれを可能とする力がございますから」
「しかしなあ。ばれんように躾けるのは難しいのだぞ? 今度ばれたらまた査問会であろう? あんなのはもう二度とごめんよ」
「私の前で堂々と話さないで下さい」
クラリスの自重を良いことに好き勝手なことを話すユエラとテオ。
クラリスは頭痛を堪えるように額を掌で押さえる――艶やかな藍色の髪が指の間を流れる。
「……そもそも、私には他に優先すべき使命があるのです。他のお二方のためにも、迷宮調査の任務を放棄するわけには――――」
いかない、と。クラリスがそう言いかけた瞬間だった。
「た、た、た、大変だよっ!!」
表の方から扉越しに聞こえるくぐもった声。
リーネが扉を忙しないほどの勢いで何度も叩く。
「なんだ騒がしい。襲撃があったわけでもなかろうに……」
ユエラはそう言いながらも自ら立ち上がる。嫌な予感でもしたように、眉根を額に寄せながら。
「……なんでしょう……」
アリアンナもただ事ではない気配を感じ取る。リーネは端的に言って陰気な女性で、慌てても声を荒げるようなことは滅多になかった。
誰からともなく――四人揃って玄関口へ行く。
テオが率先して扉を開くと、リーネはほとんど倒れこむように屋内に飛びこんだ。
「た、たいへ……たいへ……ん、げほ、げほっ……!」
スヴェン邸から全力で走ってきたのか、呼吸が凄まじく荒い。
「どうぞ。水です」
「あ、ありが……げほ、うっぷっ……!」
テオはリーネの顎を無理やり固定し、水の入ったコップを傾ける。傍目に見ると拷問のような光景だった。
「どうした。どこからでも良いから落ち着いて話せ」
ユエラはそっと身を屈め、リーネに尋ねる。
リーネは何度か呼吸を繰り返して言った。
「公教会が、攻撃されてる」
「……こゃーん……?」
素っ頓狂な鳴き声をあげて驚愕をあらわにするユエラ。
道理でユエラの警戒網に引っかからないはずだった。
全員が驚きを隠せない中、最も激甚な反応を示したのは――クラリスだった。
「ど、どういうことですっ!? 攻撃の規模はっ、いったい誰が!?」
彼女はリーネに掴みかからんばかりに迫って問い詰める。
その焦りようにリーネはかえって落ち着いたようだった。彼女は慎重に言葉を選び、口にする。
「規模は……確認できただけでも五十人は下らない。ほとんどは傭兵だと思うよ。それで、首謀者が……」
「首謀者が、誰なんです!?」
あまりの剣幕にリーネは息を呑み、しかしあくまで冷静に告げる。
「一人は公教会司教、ヨハン・ローゼンクランツ。それと、もう一人が……」
――――アルバート・ウェルシュ。
その名が告げられた瞬間、クラリスの意識はぷつりと切れ、その場で力無く倒れこんだ。




